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理解したいです。

374春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y:2005/12/23(金) 05:58:42
ひとり言に反応したい1号が参りましたw

>>373 ぱるぱるさん
ご無沙汰しております。いやホントに寒いですね。
洒落にならないので、お互い体調や事故などには気を付けましょうね。

>比叡山のヒエラルキー
若い頃の日蓮は、それこそ学会員さんが宿命転換を考えるように、それを考えていたのではないかとも思います。
次第にぱるぱるさんの仰るような考えに傾いていった…天台沙門から本朝沙門への変化など、その表れではないでしょうか。
組織宗教者日蓮から、ひとりの人間としての日蓮に立ちかえった宣言に思えます。

日蓮には、信徒個人へ向けた書状がいくつも残ってます。そこには、生活の援助物資一つひとつへの、大変細やかなお礼が記されている。
こうした傾向を指して、日蓮や親鸞のことを乞食坊主なんて揶揄する向きもありますが、
ヒエラルキーにあぐらをかく弊害に対する、組織から自立した宗教者の正直な心情ではなかったかと思います。

組織の構成員ではなく、一人ひとりの人間として相手を見る事から、
自然に溢れた感謝の気持ち、有難いもったいないという想いだったのではないでしょうか。
それは、組織から離れた孤独の中にこそ、ほんとうに実感を伴って感じられてくる嘘偽りのない心情だと思います。

脱会者の方の歩む道こそ、かつて日蓮自身の歩んだ道そのものに思えます。
日蓮も、組織の中にあって地位や達成感や名声を得る成功とは、生涯無縁でした。
しかし、そのような成功を得ていないからと憐れまれる筋合いは、日蓮の側からはないでしょう。
幾人かの方と、ほんとうに心通うやりとりが出来たなら、人生において充分に誇らしい幸せであると思います。

日蓮自身の歩まざるを得なかった道も、孤独に耐えて理解者を探す、辛いものでした。
創価学会が組織を挙げて、本仏と崇め奉る人物と同じ苦しみを、脱会者の方は自ら背負っているのです。

その仏法への信仰などあるなしに関わらず、誠実に苦難と二人連れで歩んだ道を、いつか日溜まりで誇りをもって振り返って欲しいと、切に願ってやみません。


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