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折伏・選挙・新聞等で仏界は涌現しない
1
:
モーリス </b><font color=#FF0000>(JExy6YJA)</font><b>
:2004/05/11(火) 20:51
創価では勤行・唱題より折伏のほうが功徳が大きいと指導し
投票依頼や新聞セールスは折伏と同じだから功徳は勤行・唱題より大きい
と指導しています。
勤行・唱題をやると仏界が涌現しますが
その勤行・唱題より功徳が大きいということは
折伏や投票依頼や新聞セールスでも仏界が涌現するということになります。
しかし、そんなことはありえません。
折伏や投票依頼や新聞セールスで仏界が涌現するなら
勤行・唱題をしなくても折伏や投票依頼や新聞セールスをやるだけで
仏界が涌現することになります。
勤行・唱題をしなくても折伏だけで仏界は涌現するという意見もありますが
それもウソです。なぜなら勤行・唱題で折伏を決めるための祈念をしているからです。
勤行・唱題をしなくても折伏だけで仏界が涌現するなら、また、折伏の成就を折伏より
功徳の小さい勤行・唱題に依存するくらいなら、勤行・唱題などやらずに毎日毎日アカ
の他人でも捕まえて連日折伏だけやっているほうがはるかに早く折伏は成就して、功徳
だらけの生活になるはずです。
しかし連中はそれをやりません。功徳なんか全然ない、生活の
向上に全く寄与しないことがわかっているからです。
29
:
モーリス </b><font color=#FF0000>(JExy6YJA)</font><b>
:2004/05/16(日) 20:12
>>20
>自行化他が基本であり、折伏に功徳があるということは
>御書や経文を通してご理解していただけたと思います。
御書や経文に功徳を謳っているのはわかりますが
勤行や唱題を上回る功徳があるとでも言うのですか?
実際には折伏に勤行・唱題を上回る功徳はないと認識しておりますが。
また、折伏で仏界が起きないことはあなた自身が認めていることです。
それとも前言を翻して勤行・唱題を一切しなくても折伏で仏界が涌現する
というご意見でしょうか?
>大聖人の仏法を信じる者として、大聖人の御正意を知っているなら我見を交えずに
>率直に伝えることが信仰者としての最低限の責任ではないかと考えます。
その責任は一般信者にメシを食わせてもらっている僧侶や教団の役職員が
負うべきであって一般信者が負うべきものではありません。
>自身の力及ばずとも言い切るべき時は言い切るのが大事であると思います。
あなたや学会本部役職員にとっては大事であっても
一般信者にとっては二の次なのです。
仏界が起きない以上、折伏は教団の拡大にとっては大事ではあっても
一般信者にとっては極論すればどうでもいいことなのです。
本人の発心のみで見返りも求めず真心で仏法を知らせたいときだけやればいいのです。
あなたがどういう目的で信心をやってるのか知りませんが
私は生活を良くしたいためだけに信心をしています。
生活の足しにならないものは無意味なのです。
30
:
モーリス </b><font color=#FF0000>(JExy6YJA)</font><b>
:2004/05/16(日) 20:15
(続き)
>一番肝心なことはこの熱原の農民に対しての激励を拝してもわかるように、
>退転の道をふさぐということなのです。
やめたい人はやめればいいのです。
あくまで本人が決めることです。
誰だって自分の責任で生きているのです。
重ねて尋ねますが、銀舌居士さんは、折伏をやったために難を受けた会員のアフターケアやフォローができますか?会員を迫害する者から会員を救い出せますか?
それとも昨今流行の「自己責任」を言い放って無責任に放置しますか?
あなたは
>>12
「総じて日蓮が弟子と云つて法華経を修行せん人人は日蓮が如くにし候へ」
とおっしゃってますがいかがなもんでしょう?
それともあなたは、難を受けて人生壊れてもかまわないから
とにかく折伏やれとでも言うのですか?
>また、折伏はさせられるものではなく、自分で決意してするものです。
>折伏は相手の方に対する慈悲心からするものであり、また自分のためでもあります。
折伏はあくまで自分自身の意思でやるべきものであって
池田さんや大幹部某さんが何を言おうと関係ありません。
それで折伏が一体どう自分のためになるのですか?
外交力や度胸がつくくらいのことは認めますけどね(まさかそれが功徳とでも?)。
仏界は起きない、世間から顰蹙を買い嫌われる、功徳は勤行・唱題に及ばないのに
一体どうして自分のためになるんですか?
折伏なんかやったって全然生活の足しにはなりません。
31
:
モーリス </b><font color=#FF0000>(JExy6YJA)</font><b>
:2004/05/16(日) 20:31
(続き)
>また、自分が出来ていないことは人にやるべきだと言うものではありません。
>それは本部職員に対してのみならず、モーリスさんにも言えることです。
>折伏は人任せにするものではありません。
私は一般信者にやれなどとは言いませんが学会本部役職員には
首根っこつかんででもやらせたい気持ちです。
学会本部役職員は一般信者の施しで食べており、組織の維持拡大の
責任を担っているのですから学会本部役職員が
折伏をやるのは当たり前なのです。
一般信者でどうしても折伏をやりたい人はやればいいでしょう。
もっとも、折伏で仏界は涌現しないことを承知の上で
本当に折伏に取り組めるのかわかりませんが。
>其の国の仏法は貴辺にまかせたてまつり候ぞ、
>仏種は縁に従つて起る是の故に一乗を説くなるべし
>(減劫御書 1467頁)と御書に仰せの通り、我々法華経を
受持するものは地涌の菩薩とし
>ての誓願のとおり、誰しもが
その自身の眷属に下種をし、自身が今いる場所を仏国土に
>変えていくための使命があるのだと思います。
そういうことはあなたや学会本部役職員やどうしても折伏したくてしょうがない
一般信者だけでやってください。折伏で仏界が涌現しないのを承知でどこまで
やれるか知りませんけど。
>また、私は唱題行のみで仏界が開かないとは言ってはいません。
言ってるじゃないですか!
「唱題だけでも×です。折伏だけでも×です。」とね。
両方そろわなきゃ信心が成り立たないといいたいのでしょうが
本音では勤行唱題も折伏も両方やらないと仏界は涌現しないと思ってるんでしょ?
32
:
モーリス </b><font color=#FF0000>(JExy6YJA)</font><b>
:2004/05/16(日) 20:37
(続き)
>初心の功徳についてはあなたの言うとおりでしょう。
私は
>>19
で「初信の功徳」とは言いましたが
「初心の功徳」などとは言っておりません。
勝手にスリ替えて論難するのはやめていただきたいです。
>しかし、大聖人はこうも仰せです。
>月月日日につより給へすこしもたゆむ心あらば魔たよりをうべし
>。(聖人御難事1190頁)
>浅を去って深きに就くのは丈夫の心なり
>(撰時抄 271頁)
>受くるはやすく持つはかたし、さる間成仏は持つにあり
>(四条金吾殿御返事 1136頁)
>いつまでも初心の時のままの状態であったり、発心が真実でない状態は
>大聖人は勧められておりません。
>またそのようにして進まず結局退転すれば、善根を断つことになるわけですから、
>仏界が開かなかったも同然ということになるでしょう。
あなたは勘違いをしてます。
毎日勤行・唱題を実践して功徳を受けるうちに信心は深まっていくのです。
また、勤行・唱題を休まず毎日やり続けること自体が信心を深めていることなのです。
また、大聖人は「いつまでも初心の時のままの状態であったり、発心が真実でない状態
であってはいけない」とも言ってはいません。
初心であろうがなかろうが、いつでもありのまま(無作)の気持ちで御本尊に向かえばいいのです。
そもそもあなたのいう「発心が真実」の状態というのはどういう状態ですか?
池田さんや学会本部役職員に忠誠を誓うことですか?
学会活動などやらなくても勤行・唱題を怠らずやり続ければ信心は深まりますが
勤行・唱題をしないで学会活動ばかりやっても信心は深まりません。
>いずれ必ず悪道に落ちる者が、今仮に仏界を開いているからと
>言って何になるというのでしょう。
なんで先のことがわかるんですか?
どうして「いずれ必ず悪道に落ちる」などと言い切れるんですか?
そういう傲慢な姿勢のあなたこそ悪道に落ちる可能性が高いでしょう。
>また、日寛上人のを引かれておりますが、
元々言ったのは妙楽大師です。
33
:
モーリス </b><font color=#FF0000>(JExy6YJA)</font><b>
:2004/05/16(日) 20:44
(続き)
>日寛上人の時代には折伏は幕府によって禁じられていたはずです。
>日寛上人の言葉にはそうした時代背景が込められていることは十分に気をつけるべきか
>と思います。
あなただって「頼基陳状」のことには触れないで、ただ「折伏やれ(趣意)」の
無責任な主張のために都合のいい御文だけを引っ張り出していますね。
>常に心に折伏を忘れて四箇の名言を思わずんば、心が謗法なるなり。
>口に折伏を言わずんば、口が謗法に同ずるなり。
>(如説修行抄筆記)
>さきの日寛上人の言葉を信じるならば、当然これも信じるべきです。
その必要はありません。
折伏はやりたいときだけやればいいのです。
あと、私は折伏を禁止などしてません。やるのは勝手ですが仏界が涌現するとか、勤行・唱題を
しのぐ功徳など期待せずにやりなさいということです。また、折伏で仏界が涌現するとか、
勤行・唱題をしのぐ功徳があるかのように思い込ませるような「指導」をやるなということです。
あなたは親や学校の先生や池田さんの言うこと100パーセント守ってますか?
御書に書いてあること全部やってるんですか?
首を斬れと言われたら斬るんですか?一睡もするなと言われたら全然眠らないんですか?
言われたこと全部やらなきゃいけないんですか?
言われたこと全部やる人間なんかいません。
状況にふさわしくないことはどんなに偉い人が言おうとやる必要は無いのです。
あなたの書き込みは学会本部サイド寄りの視点でばかり信心を考えているように見受けられます。
一度、娑婆世界で苦闘している一般信者の観点で信心を考え直してみてはどうですか?
ところであなたはずいぶん学会本部の肩を持ってるようですが、あなたは学会本部の役員か職員ですか?
あと、人間と宗教の関係について、あなたは「宗教のための人間」だと思いますか?
それとも「人間のための宗教」だと思いますか?
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