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群馬県民スレPart2

999凡人:2016/02/01(月) 06:57:16 ID:MifDCzTU0
現実がまったく読めない。それが群馬の現実。
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世界遺産のお膝元 養蚕が消滅の危機 農家が減少
2016年2月1日(月) AM 06:00 Jomo

 群馬県の絹産業の歴史を伝える世界文化遺産の田島弥平旧宅(伊勢崎市境島村)と荒船風穴(下仁田町南野牧)を抱える両自治体で、養蚕農家が消滅の危機に直面している。本年度に繭を出荷した農家は伊勢崎市で2戸、下仁田町で1戸。それぞれ全国有数の蚕種の産地、蚕種の貯蔵施設として日本の絹生産を引っ張ってきた歴史があるだけに、養蚕技術が途絶えることに対する関係者の危機感は強く、継承を模索する動きも出ている。

 伊勢崎市上植木本町の青木勲さん(87)は先代の後を継いで70年間、養蚕を続けてきた。以前は年に4回飼育、妻のトラ子さんが3年前にこの世を去ってからは春と晩秋の年2回に減ったが、本年度も178キロの繭を生産した。ただ、「年が年だから、いつまで続けられるか分からない」と声を落とす。

 県によると、1960年代ごろから海外の安価な生糸や繭が流入して繭の価格が下落、他の作物に転向する養蚕農家が増えた。戦後の本県の養蚕農家数は58年の8万4000戸をピークに減り続け、69年が6万8000戸、89年1万5000戸、2009年373戸で、現在は137戸になっている。

 こうした中、養蚕を後世に残そうとする動きも出てきた。元消防士の毒島吉一さん(62)=伊勢崎市羽黒町=は昨年9月、青木さんから譲り受けた蚕種を家の車庫で育て、繭30キロを生産した。「伊勢崎の発展の基礎を築いた養蚕がなくなるのは寂しい。当面は青木さんのもとで学びたい」と力を込める。

 下仁田町でただ1人、養蚕を続ける石井昭一さん(79)=下小坂=は本年度、県の蚕糸業継承対策事業に参加して増産に取り組み、前年度の約1.7倍の384キロの繭を生産した。「代々受け継がれてきた養蚕の灯を絶やさないよう、健康である限り続けたい。若い人も興味を持ってほしい」と話す。

 県は本年度、蚕糸業継承対策で増産に取り組む農家に対する補助を拡充。繭生産量は47.4トンとなり、32年ぶりに前年度を上回った。県蚕糸園芸課は「民間企業や若手農家の参入を推し進めたい」としている。

 富岡製糸場(富岡市富岡)のある富岡市で本年度に繭を出荷した農家は15戸、高山社跡(藤岡市高山)のある藤岡市は5戸だった。




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