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群馬県民スレPart2
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グンマは日本のアフリカ。笑
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林中原II遺跡(長野原町)縄文人人骨 事業団調査で県内最古【群馬】
2016年1月31日東京中日
出土した縄文時代の焼骨の破片=渋川市で
県埋蔵文化財調査事業団(渋川市)が発掘調査した長野原町の林中原II遺跡で、縄文時代中期から後期の焼かれた人骨(焼骨)の破片が多数出土したことが分かった。古い焼骨は四千五百〜五千年前にさかのぼり、事業団の調査では県内で最古の人骨。出土状態から葬送儀礼を営んだとみられ、縄文人の死生観をうかがわせる興味深い発見といえる。 (菅原洋)
発掘調査は八ッ場(やんば)ダムの代替地工事に伴って進め、焼骨は二〇〇八〜〇九年度に出土した。事業団が焼骨を分析した結果、貴重な出土物と判明、今年三月にまとめる報告書に盛り込む。
焼骨が出土したのは、直径約百メートルの環状に設けられた集落の跡。中央付近で出土した約十基の土坑から焼骨が見つかった。
土坑は円形や楕円(だえん)形に近い。直径は一メートル数十センチほどが多く、深さは五十センチ前後。焼骨は土坑の底部から数センチ上部にかけて出土した。
焼骨は破片で、大きい骨は五センチ程度あった。成人が多く、体のさまざまな部分が無数にあった。一つの土坑に一人ずつ埋葬したとみられる。土坑内から土器の破片も出土した。
焼骨と土坑は縄文時代から弥生時代にかけて東日本各地で出土しているが、これほどまとまって出土したのは県内では初めてという。
県内は火山に囲まれ、酸性の火山灰土壌が骨を残りにくくしているとされる。焼骨は焼けたことで水分がなくなり、骨の分解も進まず、残ったとみられる。
発掘調査の整理を担当している事業団の山口逸弘(としひろ)上席専門員兼資料課長は「土坑に焼けた痕跡と炭があったため、中で骨を焼いたのは間違いない。土坑は環状集落の外れではなく、中央付近にあるので、何らかの葬送儀礼を営んだ可能性が高い」とみている。
一方、英国のオックスフォード大大学院や東京大大学院で人類学を学び、事業団にも在籍した生物考古学研究所(高崎市)の楢崎修一郎所長は、出土した現地を見た上で焼骨は土坑で「再葬」されたもので、土坑は「再葬墓」だとの見解を示す。
再葬とは、死者を一度は土坑に埋葬し、数年後に白骨化してから掘り出し、土坑内で焼いて埋葬し直す行為。出土した焼骨は全身としては残存量が少なく、一部を土器に入れ、別の神聖な場所に埋め直したと推定できるという。
楢崎所長は「縄文の人々は、骨を焼くことで立ち上る煙を見て、死者が天へ昇る姿を想像し、再生を願ったのではないか」と太古に思いをはせている。
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