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群馬県民スレPart2

885凡人:2015/12/11(金) 19:30:16 ID:qTuIL1.o0
■富岡の技術を伝える
 江戸時代には35万石格となり、「近江国第一之都会」とされた彦根藩。しかし明治維新後は旧武士層が職を失い、遠城家のみならず衰退の一途をたどった。そこで藩が目を付けたのが蚕糸業だった。

 廃藩置県後の明治8年、旧彦根藩士らによる「洋風器械」を導入した生糸の試験製造が始まった。9年には、富岡帰りの子女の技術を生かす施設として、旧藩士らが県権令(県知事)に、近代的製糸工場の建設を申請した。

 だが、準備が進められるさなか、10年に西南戦争が勃発。申請や準備に携わっていた数人の士族が、西郷軍と関係があったとの嫌疑を受けて官憲に拘束され、士族による製糸場設立はかなわなくなる。

 それでも、権令が士族の就業支援に前向きだったため、県営の「彦根製糸場」設置が決まった。11年に操業を開始し、彦根近辺の湖東地域では、彦根製糸場の場長や工女たちを教師として、機械製糸場の設立が相次いだ。

 大正6年には同じ彦根で、彦根製糸場で働いていた労働者の息子が「近江絹綿株式会社」(今のオーミケンシ=大阪市)を創業。彦根製糸場は明治35年に閉鎖するが、県内の模範工場としての役割を立派に果たしたといえる。

■製糸業の遺産残らず
 近代日本の経済発展を引っ張った製糸業の遺産は、富岡以外にも各地に残されている。

 長野県岡谷市では今年8月、富岡製糸場の操糸機などを展示する岡谷蚕糸博物館がリニューアルオープンした。同県諏訪市には、富岡製糸場の4代目所有者となった片倉製糸紡績(現片倉工業)が、労働者の慰安施設を兼ねて昭和初期に建設した片倉館がある。

 埼玉県熊谷市にあるのは、片倉工業・熊谷工場の一部を博物館にした片倉シルク記念館。生糸輸出の拠点となった横浜市では、横浜生糸検査所だった施設が現在、横浜第2合同庁舎となっている。

 ところが、彦根市にはそうした施設などの遺産が残っていない。市も「把握していない」といい、製糸場の建物が閉鎖後どうなったかは分からず、富岡製糸場と彦根との関係を知る人も今では少ない。

■女性を生かしたモデルケース
 彦根製糸場との関連でいえば、同製糸場を金融支援していた第百三十三国立銀行が製糸場開業翌年の明治12年に彦根市に開業。現在は滋賀銀行(大津市)となり、県内の経済を支えている。また、製糸には水が必要だっため、水道の蛇口の製造が一帯で盛んになり、現在でも彦根は国内屈指のバルブ産地となっている。

 滋賀大経済学部の筒井正夫教授(近代日本経済史)は「彦根は、富岡の影響が多面的に残った全国でも珍しいケース。当時の新政府が目指したモデルの縮図といえる」と指摘。当時は欧米列強に「追いつけ追い越せ」の時代で、女性の力を投入した経済発展で国益獲得と地域創生を目指す方向性は、「安倍政権が目指す今の姿とも重なる」と話す。

 「彦根の歴史は、地方創生と女性活躍に向けたモデルになり得る。富岡の世界遺産指定を機に、こうした各地の歴史にも目を向けてほしい」と筒井教授。

 製糸業に関し富岡の施設は世界遺産となったが、彦根は遺産が残らず、かつての隆盛を知る人も少ないなど対照的な道をたどった。ただ彦根は彦根城の世界遺産登録を目指しており、こうしたところにも浅からぬ縁がありそうだ。
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