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群馬県民スレPart2

884凡人:2015/12/11(金) 19:27:08 ID:qTuIL1.o0
上に書かれたユーチューブの富岡製糸の宣伝動画を見た。ゆるキャらの次は美人のルーマニア留学生を起用ですか、しかもお笑いを誘う演出。観光資源としての価値が低いものに、宣伝にばかりに時間や税金を投資しても、結局最後には笑い話のネタにしかならなくなるのが現実の世界であると警告しておきたい。その一つの例が乗用車ユーゴ*のブランド。1980年代にユーゴスラビアで生産されていたザスタバ社の「Yugo(ユーゴ)」は現在では生産中止だが、人々の冗談には良く出てくるブランドである。留学生に話を戻すと、彼女は可笑しな外人の部類。日本人受けがとてもよい。彼女の起用はある意味成功している。だいいち凡人が見入ってしまうほどだ、笑。動画の最後のところで群馬がウーマンパワーに満ちていたとかうそぶく男性ガイド。何故そんな分かっているような態度で、嘘を平気でつくんだろうかと思う。恐ろしいかぎりである。歴史の美化と伝説化は日本のいたるところで見受けられる現象。御家芸なのだろう。それを象徴するような一駒である。GNN 富岡製糸場編ショートフィルム/ https://www.youtube.com/watch?v=tuwMhIh_MTc

*ザスタバ社は自動車と小火器の製造を行う旧ユーゴスラビアの会社で、もともとは大砲の鋳造工場だった。イタリアのフィアット車をライセンス製造し、乗用車とトラックを生産していた。
1970年代から西欧や南米、北米に「ユーゴ」(Yugo)ブランドで輸出、販売を行っている。破格の低価格だったが、あまりの品質の低さに販売が行き詰まり、撤退している。その後紛争が続いたので自動車の生産は中止されている。http://pokkekun.jp/blog-entry-1702.html?sp
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【関西の議論】
世界遺産「富岡製糸場」を支えた「彦根」の女性たち…今と重なる「地方創生」「女性活躍」の歴史
2014.9.14 18:00産経

「富岡製糸場と絹産業遺産群」の世界文化遺産登録が決定し、繰り広げられたパレード=6月21日、群馬県富岡市

 世界遺産登録で注目される群馬県富岡市の「富岡製糸場」。あまり知られていないが、明治時代にこの工場で生糸を紡いだ工女たちのうち最も多くを占めたのは、遠く離れた滋賀・彦根の出身者だった。彼女たちはやがて彦根に戻るが、持ち帰った技術が繊維産業発展に大きく貢献し、滋賀は全国屈指の「繊維県」として成長した。なぜ、彦根の女性たちが多く富岡に出向いたのか。そして製糸で栄えた両地域がたどった対照的な道のりとは。富岡と浅からぬ縁を持つ彦根の製糸の歴史にスポットを当てた。(加藤園子)

■妻の縁をたどって彦根の女性を募集
 明治5年、新政府は官営模範工場「富岡製糸場」を設立した。しかし操業開始当時は工女集めが思うように進まなかった。富岡製糸場では外国人技術者から指導を受けることになっており、外国人が赤ワインを飲む様子から「外国人に生血をすすられる」との噂が流れたためだともいわれている。

 製糸場の建設に深くかかわり、設立後も「賄方(まかないかた)」として労働者たちを支えた韮塚(にらづか)直次郎は、場長らとともに工女募集にも奔走。妻が彦根出身だった縁をたどって彦根を訪れ、女性たちに声をかけた。このことが彦根の女性が大量雇用されていくきっかけとなる。

 集まった女性の一人、旧彦根藩士の妻・遠城繁子から一家の困窮ぶりを聞いた場長は繁子を歓迎し、「工女取締役」に登用した。

 その後、明治9年には153人、10年に167人、11年に132人と、繁子に続いて次々と女性たちが富岡に向かった。その勢いは地元の群馬県や隣県の長野県を上回り、滋賀出身者は全工女の3割を占める最大勢力となった。

 しかし、慣れない土地での生活や重労働で命を落とした女性も多く、滋賀出身者のうち21人が死亡。その中で、10人が20歳以下の若い女性だった。彼女たちの墓は、今も富岡製糸場の近くにある。
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