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群馬県民スレPart2
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皇室を持ち上げる群馬。おかげ様で養蚕農民はニッチもサッチもいかない現状。後継者もなしで、高齢化した養蚕農民の引退/玉砕日はもう間近である。
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皇室に根付く養蚕 県立日本絹の里で写真や蚕具など紹介【群馬】
2015年12月1日
皇后さまが作られた藁蔟について説明する藤枝館長=高崎市で
皇室と養蚕のかかわりなどにスポットを当てた企画展「皇居のご養蚕と養蚕業の歴史・未来」が十四日まで、県立日本絹の里(高崎市金古町)で開かれている。養蚕を通じた皇室と本県とのゆかりも深く、同館は「この機会に、多くの方に養蚕絹文化の大切さを知ってほしい」としている。 (大沢令)
皇居での養蚕が現在の形になったのは、一八七一(明治四)年から。横浜港が開港して生糸が輸出品として重要な位置を占めるようになり、養蚕業を奨励しようと明治天皇の皇后だった昭憲皇太后が始めた。養蚕に精通していた上野国佐位郡島村(現在の伊勢崎市境島村)郷長だった田島武平が世話役に就任。吹上御苑内の蚕室に持ち込んだ「新白」と「小青」の二品種から、約七十キロの繭が生産された。
その当時の貴重な繭の一部のほか、養蚕が皇室に伝統文化として根付いていることを示す蚕具や皇居内の紅葉山御養蚕所の繭標本なども展示されている。
皇后さまの養蚕の様子も写真パネルなどを使って詳しく紹介されている。
皇后さまは養蚕の節目に行われる「御養蚕始の儀」などの定例行事のほか、公務の合間を縫って養蚕現場で桑摘みや給桑などの作業にかかわられている。
飼育していた純国産の蚕「小石丸」をめぐるエピソードも紹介されている。繭が小さく、収繭量も少ないため飼育を続けるかどうかが問題となった。皇后さまは「純粋の日本種と聞いており、繭の形が愛らしく糸が繊細でとても美しい。もうしばらく古いものを残しておきたい」と飼育を続けることを決断した。
後日、小石丸から採れる細くて繊細な生糸が皇室ゆかりの正倉院の御物の復元などに役立つことが判明し、重要な役割を担った。小石丸が繭を作りやすいように移し入れる蔟(まぶし)を、皇后さまが毎年、自ら藁(わら)で編んで作られた藁蔟も展示されている。
御養蚕所で主任を務める藤枝貴和・日本絹の里館長は「皇居のご養蚕は、皇室に継承されている伝統文化の一つ。毎年の養蚕に、初心で臨まれようとする皇后さまの素顔も伝われば」と話していた。
蛍光絹糸やクモ糸シルクなど、養蚕業の未来を示唆する展示もある。
毎週火曜が休館。観覧料は一般四百円。問い合わせは日本絹の里=電027(360)6300=へ。
◆「皇后さまの知識 驚くべきもの」富岡製糸場総研所長が講演
関連行事として、富岡製糸場総合研究センターの今井幹夫所長が28日、「富岡製糸場と皇室」について講演した。
今井所長は昭憲皇太后らが1873年6月、富岡製糸場を視察した時の様子を当時の工女の日記などをもとに詳しく解説した。前年10月に操業を開始したばかりで、早々の視察は明治政府が設置した初の模範器械製糸場への皇室の高い関心と期待をうかがわせた。
戦後も皇室の視察が相次いだことなども指摘。「皇室は富岡製糸場に大きな期待と、深い思いを寄せられてきた」と述べた。天皇、皇后両陛下が2011年に視察に訪れた際、案内役を務めたことにも触れ「皇后さまの養蚕製糸に関する知識は驚くべきものがある。専門的な質問も多かった」と印象を振り返った。
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