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群馬県民スレPart2

7凡人:2014/01/06(月) 10:45:59 ID:cRSoFyHg0
高校は進学予備校、大学は就職予備校。どちらにしても目指すは高級取りの公務員か難関資格者か大企業サラリーマン。起業家精神は学歴主義信仰とは相反する。これが凡人の持論である。
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未来へ遺す(4) 「築地銀だこ」展開のホットランド【群馬】
2014年1月6日東京中日

12月29日で閉店した「ホット横丁石巻」=宮城県石巻市で

 「大家さんのご厚意か、建物の外観は昔のまま残っています」

 桐生市巴町の桐生郵便局東側にある小さな白い木造平屋。一九九〇〜九九年、「ホットランドやきそば」の店名で焼きそばとおにぎりを売っていた。

 「商売の原点」。そう語るのが、人気たこ焼き店「築地銀だこ」を展開する「ホットランド」の佐瀬守男社長(51)だ。あこがれは、日本マクドナルドを創業した故藤田田氏だった。いつか「和のマクドナルド」をつくろうと、店長として朝から深夜まで働いた。

 「若くて人の心を読む余裕もなかった」。手伝いの母和子さん(74)と意見が衝突するたび、「おまえと同じ人間はいない」と諭された。人の数だけ考え方がある。一代で全国チェーンを築いた佐瀬社長を支える金言だ。

 築地市場で扱うような新鮮素材で、いつか銀座に店を持ちたい。「築地銀だこ」の名前にこんな思いを込めた。軽食の中でも季節を問わずに売れるたこ焼きに絞り、九七年三月、みどり市のアピタ笠懸店でスタート。外はパリッと、中はトロっとの食感が受け、国内外約四百店舗を数えるまでに成長した。

 群馬発祥のたこ焼きは、二〇一一年の東日本大震災で被災した宮城県石巻市で喜ばれた。発生から約一カ月後に社員四十人とたこ焼きの炊き出しをした。同七月に市内でトレーラーを使った復興飲食店街「ホット横丁石巻」を開き、同十二月に桐生市の本社を石巻へ。約百人の雇用を生み納税でも一役買った。

 復興支援の「千日プロジェクト」は昨年十二月末、本社の東京移転と横丁の閉店で幕を閉じた。桐生に横丁のトレーラーを戻し、災害時の出動に備える予定だ。イベントで活用し、桐生の観光振興にも役立てるという。

 「さらに石巻のお役に立てるよう努力したい」と佐瀬社長。宮城大の協力を受け、石巻でたこ焼きの具材であるマダコの養殖実験を進めている。世界で養殖の成功例はない。水揚げ量の減少と価格上昇が続くマダコを自前で供給できれば、新たな産業も生まれ、より復興も進む―。

 近畿大のマグロ養殖でさえ、成功まで三十年以上かかった。「何十年かかってもやり続ける覚悟です」。佐瀬社長の決意は固い。 (美細津仁志)

<佐瀬 守男(させ・もりお)氏> 1962年、桐生市生まれ。桐生南高、東京YMCA国際ホテル専門学校卒業。新商品開発が得意で「クロワッサンたい焼」は最近の自信作。趣味は群馬でのゴルフ。
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株式会社ホットランド代表取締役。
佐瀬守男(させ もりお)
1962年、群馬県桐生市生まれ。東京YMCA 国際ホテル専門学校卒業。焼きそばとおむすびの専門店「ホットランド」を創業し、1997年からたこ焼専門店「築地銀だこ」を全国に出店。海外進出も果たす。近年、たこ焼とお酒が楽しめる立ち飲みスタイルの「築地銀だこハイボール酒場」や、若者向けに手頃な価格で斬新なメニューを取り揃えた「THE GINDACO」も展開。2003年、第14回ニュービジネス大賞アントレプレナー大賞部門優秀賞を受賞。




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