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群馬県民スレPart2
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富岡市と横浜市。官僚が作った製糸工場、ところがそこから出る生産物がどう流れ、誰がどう儲けたか。富岡市の製糸工場周辺を見ると大きく栄えた当時の面影がない。それに比べ横浜の繁栄はどうか。議論の余地がない。民間力と官僚の力。そこが日本を代表する都市・横浜と衰退を辿るしかない富岡の過去と現在を象徴していると思うのは凡人だけか。
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富岡製糸場の資料並ぶ 横浜の3館で絹の歴史紹介【群馬】
2014年5月20日東京中日
富岡製糸場が出荷した生糸に添付されたラベル(手前)=横浜市中区の神奈川県立歴史博物館で
世界文化遺産に登録される見通しとなった「富岡製糸場と絹産業遺産群」に関する資料が、横浜市内で開かれている「横浜絹回廊」で展示されている。市内の県立歴史博物館、横浜開港資料館、シルク博物館の三館が、生糸貿易の港として栄えた横浜と絹産業の歴史を紹介する企画展で、来館者の関心を集めている。 (杉原麻央)
神奈川県立歴史博物館の「繭と鋼〜神奈川とフランスの交流史」(六月二十二日まで)で注目の資料は、明治十年ごろ、富岡製糸場が出荷した生糸に添付されたフランス輸出用のラベル。富岡製糸場を一時経営した横浜の実業家、原富太郎が生糸の直輸出を手掛けた「原輸出店」発行のポスターには、富岡製糸場の建物が描かれている。
全国の産地での製糸業の様子を明らかにする横浜開港資料館の「蚕の化せし金貨なり〜明治大正の生糸産地と横浜」(七月十三日まで)では、富岡製糸場の浮世絵を展示した。富岡製糸場をモデルにした三重、長野県の器械製糸場の絵も並んでおり、蒸気機関を動力とした富岡と違い、水力や人力で代用していたことが分かる。
資料館の主任調査研究員、平野正裕さん(54)は「富岡製糸場の果たした役割は大きいが、横浜の商人が地方の生産者に資金を融通したり、市場の情報を伝えたりしなければ、日本の絹産業は発展しなかった」と説明する。
横浜伝統の絹スカーフは、生糸貿易を通して外国文化と接する中で生まれた。シルク博物館は「世界に羽ばたいたスカーフたち」(六月二十二日まで)として、昭和初期に横浜から輸出された絹スカーフを展示している。
三館では、各館の半券をほかの館で提示すると、入館料が割引になる。
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