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死について
35
:
犀角独歩
:2009/03/23(月) 10:07:39
問答名人さん
やや議論が止まったようなので、記させていただきます。
わたしたちが、大石寺の信仰に入って、もっとも意識させられたのは『妙法尼御前御返事』に「先臨終の事を習て後に他事を習べし」ということではないでしょうか。わたしは、そうでした。しかし、いま振り返ってみるとき、この一節の解釈、受けてきた「指導」につき、やや、間違いがあったように思います。
どうも、この文を、「死ぬことをまず考えろ」という意味に教えられてきたきらいがあります。
しかし、「いきて候し時よりもなをいろしろく、かたちもそむせずと云云。天台云 白白譬天。大論云 赤白端正者得天上云云。天台大師御臨終記云 色白。玄奘三蔵御臨終を記云 色白。一代聖教の定る名目云黒業は六道にとどまり、白業は四聖となる。」と続くわけで、つまり、文意は「先臨終の“相”の事を習」うという文章ではないですか。
つまり、過去の人々がどんな臨終の相であったから仏教の正邪を押し図れという文章ですね。
さきに問答名人さんも取り上げていらっしゃった『おくりびと』の原作『納棺夫日記』に
「ある家で納棺した時のことだった。
始めようとしたら、そこに集まっていた全員でお題目を唱え始めた。
その死体はひどく硬直していた。特に腕の硬直がひどく、私はかけ蒲団の下で、腕の硬直を和らげるのに悪戦苦闘していた。指を曲げたり、腕の関節を曲げたり伸ばしたりしながら、やっとの思いで動くようにして、仏衣の袖に手を通そうとした時だった。
「あれ、見てみなされ、あんなに硬直していたのに、お題目をあげたらあんなに柔らかくなって」と一人が叫んだ。するとお題目が一斉に止んで、
「ほんとだ、ほんとだ、お題目をあげたらあんなに柔らかくなって」と言いながら全員が、私の手元を覗き込むように見ていた。
私はあきれてしまった。
あの時ほど、宗教というものに不信感を抱いたことはなかった。あれは決してお題目を唱えたから柔らかくなったのではない。
宗教の熱心な信者は、往々にしてこうした事象を己の信じる宗教の功徳にしてしまう。」(177頁)
という記述があることを以前紹介しました。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/364/1033276317/786
日蓮がいう臨終のことをまず習えというのは、自分が死んでしまうことや、死後のついてをいっているのではないと思います。
日本文化の底流にある「死に様」、それもよい死に様を示すことに主旨があり、そのためには正しい教えによらなければならないといった話だったと思えます。
何か、こんな点で、わたしは「死の過敏症にさせられていた」と思ったわけです。この点は GREE、mixi で書いたのですが、たぶん、hage さんは、これをご高覧くださり、こちらでわたしに問いかけてくださったのだと拝察しています。
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