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雑談

1管理者:2009/02/07(土) 20:41:10

新しいスレッドの提案が有りましたので、立ち上げます。提案文は以下の通りです。

「雑談」 
日蓮、仏教、宗派などに関係した話題を中心に。本格的な議論は各スレッドで。

21いちりん:2009/02/09(月) 10:52:33
訂正します。いつも勢いで書いて、誤字脱字。すいません。

「教え」というよりも、自らの生き方にあらわれていなければ意味がない。

→「教え」が、自らの生き方にあらわれていなければ意味がない。
いや、教えなんてどうでもいいかもしれない。
人としての生き方そのものが大切だと思うのだ。

22犀角独歩:2009/02/09(月) 12:45:53

>19

この時点で、既に学会批判ですか。
わたしなど、まだ「池田先生を絶対に疑ってはいけない」という強い思いにありました。

この時代のことを、冷静に素描できるのは、もしかたしたら、この掲示板しかありませんね。

わたしがはじめて池田さんに会ったのは昭和40年頃で、場所は高尾霊園でした。創価学会の第1号霊園です。ここで合同慰霊祭というのがありました。
「導師」を勤めたのが池田さんでした。たしか近くに石山末寺もあったと思いますが、坊さんを呼ぶことはなかったんですね。それを数年続けていたと記憶します。わたし個人としては、「池田先生にお会いできた!」という小学生ながらの大感動、しかし、坊さん達は慰霊祭の導師をとられたという怨念がここで積まれていったのでしょうね。

このとき、池田さんに見に影の添う如くついていたのが、福島さんでした。まだ副会長はたった1人の時代でした。東大卒、ハンサムで、側近だった福島さんは、戸田さんに池田さんがあったようなイメージで皆とらえていましたよね。

福島さんには、高校の時に、一度、青年会館で会う機会があり、次に会ったのは脱会し、蘇生の集いをはじめていたときでした。

このとき、話を聞いて、ずいぶんと石田次男さんの影響を受けているなと思いました。というわたしも『現代諸学と仏法』は何度読み直したかわかりませんでした。難しいと思いました。しかし、いま読み直すと、何でこんな程度で難しいと思ったのかと首を傾げることになります。

ともかく、石山と学会の不協和音、その元になったのは、高尾霊園に見られるような、法儀典例を、坊さんを差し置いて、池田さんがやったことに、その発端があったのではないかと思えます。

なお、問答さんが挙げられた本尊模刻について、学会は細井さんの物忘れが原因のような口上で納めていますが、実際の所、それより、問題だったのは模刻した本尊に「池田大作」というあの特徴的なサインを彫り込んだことが、実は問題にされたのだと、実際に宝蔵で学会模刻本尊を見たという坊さんを、わたしは聞きました。これが事実かどうか、現物の写真を見ることはないので確定はしませんが、事実なら、「よくやったものだ」という慨嘆は禁じ得ません。

23犀角独歩:2009/02/09(月) 12:55:55

↑何だか、少し日本語が変ですが、判読いただければ有り難く存じます。

わたしは、池田本仏論は、『人間革命』に『御義口伝』の「一念に億劫の辛労を尽くせば、本来無作の三身念々に起
こるなり。所謂南無妙法蓮華経は精進行」といった文を、山本伸一が身読したような調子で書かれたりするところから、徐々に浸透したと思っています。

24宮本:2009/02/09(月) 13:53:05
いちりんさんへ
>→「教え」が、自らの生き方にあらわれていなければ意味がない。
>いや、教えなんてどうでもいいかもしれない。
>人としての生き方そのものが大切だと思うのだ。
私見ですが、周りの学会の組織を、見てみると、このへんが、
どうも甘いといゆうか、認識違いが、多いきがしますね。
良く言えば、前向き、逆にいえば、欲望無制限に考えてるのかな。
と思う時あります。
 時に、会員間では、指導も、教学も
御都合で変えている。
 ところが、変えると不都合がでたりする。で、修正したりすると
また、批判がでたりする。
 現実には、組織だと、いい部分とそうでない部分とが現実に存在する。
で、足下を深く掘れの発想だといいのだけれど、なかなか
そうは出来てない。

25たけぞう:2009/02/09(月) 15:34:42

いちりんさん、お題頂きました。「教えと生き方」ですね。
私も、40年考え続けているテーマです。

前にも書きましたように、鬱病の持ち主なので、身体も体調悪く不定愁訴と常に不安でたまらない状態なのです。
それで、30歳頃より心身症、心理学、生き方、人間学、等々の本を読みあさり、またセラピーにも出席しました。
そしてある体験教室で、生体エネルギー療法というのを受けて、自分の深層心理の中に、「もう、嫌だ。我慢出来ない」という何かに怯え耐えている自己を発見したのです。
それから、別の体験教室で自分が中学に入るまでの記憶が一切ないことに気づきました。
幼児体験なり小学生の時なり、何か思い出したくない事があるので、記憶喪失になっているようなのです。
こうしたことから、自分探しの旅が始まりました。
最初に出会ったのは、ユング心理学でした。
その関連で河合隼雄さんの本はすべて読みました。
私の考え方は、ほとんど河合隼雄さんの考え方に影響されています。
30代前半と中盤はそんな読書と体験教室で自分探しをしていましたが、38歳の時よりバブル経済になり、土地転がしが相場のような展開になってきました。
私は、司法書士でしたので、登記件数の増えること、増えること、毎日3時間か4時間の睡眠時間、へたすると完徹の状態でした。
当時、仕事のしすぎ、つまり過労死した司法書士が東京で二人いました。
私も、過労死寸前までいき、それでも仕事を断れない、仕事中毒、ついにカウセラーに飛び込みました。
そこで、先に書いた、「もう、嫌だ。我慢出来ない」や記憶喪失のことが、父親との関連で少し見えてきて、42歳で遅れた反抗期を向かえました。
それは、父親の建てた家を壊し、新築するということで昇華したのです。
それからは少し落ち着き、バブルも崩壊し、仕事量も適切になってきたので、安定してきましたが、登記だけでは物足りず、以前からやっていた人生相談を積極的に引き受け始めました。
その頃はかなり読書をしていて、生き方みたいなものも掴めていましたので、お客さんと人生と語るのは適切でした。
読書の中で一番影響を受けたのは、フランクル著の「夜と霧」です。実存心理学です。
40代は、お客さんの質もよく、かなりの件数処理し、多重債務でありながら家屋敷を守ったり、倒産の事後処理等々順調でした。

26たけぞう:2009/02/09(月) 15:35:29
50代に入ると、何か急にお客さんの質が悪くなり、やってうらまれたり、失敗したり、未だに夢でうなされる案件ばかしでした。
2億円、7億円、50億円、そんな単位の案件ばかしでした。
私一人で解決するのは無理で、弁護士や不動産屋を入れて処理していくのです。
打ち合わせがいつのまにか飲み会になり、また午前3時4時の生活が始まりました。
事務所でそのまま寝たり、サウナで仮眠したり、ひどい生活をしていました。
それでも、自分捜しの旅の中では、人助けということで、当時は天職と思っていました。
結局30歳で独立開業してから、夕食を家でとるのは日曜だけで、毎晩午前様の状態でしたので、蓄積疲労もものすごく、そこにまた事務所の経営の問題が絡み、57歳で発狂してしまったのです。

こうした、仕事のみの生活を送ってきましたが、生きる意味の追求と生き方の問題、自分捜しはずっと行っていました。
日蓮宗にはいり、法華講で最初に教えてもらったのが、仏法を学する者はまず臨終を習えでした。
高校生の私は、何を言っているのかさっぱり判らず、でもいつも頭の片隅には置いておきました。
これが分かり始めたのは、40歳過ぎてからです。
余りに人様の人生相談や債務処理をしてきたので、破綻する案件は数知れず見ました。
そうした中、人生とはと本当に考えさせられるものばかし、究極は、「臨終をご覧ぜよ」の一言につきるのではないかと思えてきたのです。松野殿御返事の中の一節です。
そして、「 他事をすてて此の御本尊の御前にして一向に後世をもいのらせ給い候へ、」ではないかと。
現世は、天職をやっているのだから、もうよし。少欲知足でいいしいう心境でした。
ですから、現世の祈りはなく、唯唱題することに意味があり、あえていえば後生善処でした。
というのも、開目抄の、詮ずる所天も捨て給え、諸難にもあえ云々の一節が好きで、諸天善神に守ってもらおうなどというのは、甘いという考えがあったからです。

というのも57歳まで、57歳で発狂してからは、すさまじい人生が待ってました。
無性に人を殺したいという、腹の底から湧いてくる怒り、ついにある晩爆発し、木刀で襖、障子、硝子窓を壊しました。
妻は必死になって私をなだめるだけ。
それから、夜中の3時頃ふつふつと怒りが湧いてきて、食器戸棚から食器を出してキッチンのシンクタンクに入れ、金槌で一つ一つ粉々にする、結局家中の食器すべてを破壊しました。
落ち着いている昼間は何とかしてくれの一心で御本尊の前で唱題。
唱題の途中元気つけるためにプリントアウトした諸法実相抄を声を大きく読み上げました。
  (寄り道)過去ログで諸法実相抄が偽書と言われた時はショックでした。
妻と一緒に本当に唱題しました。
これは、学会精神のそのままでした。
学会で学んだことは、願いは必ず叶う、難を乗り切る信心でした。

27たけぞう:2009/02/09(月) 15:36:32
1年程かかり、やっといいお医者さんに巡り会い、それから適切な薬を調合してもらっているので、少しづつよくなってきました。
57歳から4年間、毎日1冊のペースで本を読みましたが、残っているのは、神谷美恵子著「生きがいについて」だけです。

創価学会に教えてもらったこと、生命力を高めること、そして何の兵法より法華経の兵法を用いたもうべし。
57歳の時点で精神病院で余生を暮らす設計をたてましたが、唱題して御仏智をいただくしかないということで、捨て身で唱題した結果、普通の人生に戻れたのです。
元々、学生部に入るまでは暗くて内気で友達も一人もいなくコンプレックスのかたまりの人間でした。
それが学生部という新天地で、明るく前向きな人間に変わりバリバリと活動しました。
その人間性のまま、独立開業しても、前向きで仕事という仕事はスーパーマンの如くこなしてきました。
ですが、57歳で事務所を閉めてからは、引きこもり毎日読書。
昨年、読書から御書拝読に変更しましたが、生活ペースは同じ、誰とも会わず、いつも一人で机に向かっています。
人生の大半を仕事のため、明るく前向きにやってきましたが、やはり本質は孤独で一人が好きで、今が一番自分らしいというように感じています。
人生の自分探しも御書の拝読で終点に来たようです。
後、10年で72歳、20年で82歳。どこまで日蓮聖人と仏教に肉薄できるか。

「教えと生き方」原点は、「臨終をご覧ぜよ」にあります。
そして、日常生活は創価学会で教えてもらった生命力にあります。
しかし、一個人の内面となると、信仰から受けたものはなく、実存心理学や老子の思想でした。
少欲知足、和光同塵等が生き方のポイントになっています。
 (注) 和光同塵 [老子第四章「和其光同其塵」] 知恵ある人がその知の光をやわらげ隠し、俗世間の人々の中に同化して交わること。

話しは変わりますが、岩波文庫に中村元先生が原始仏教の本を3冊出されてます。
それを読み、町から林の中に行きなさい、そして瞑想をしなさいという言葉に魅力を感じました。
といって座禅をする訳にもいかず、ヨガとかいろいろ試してみて、気功に出逢いました。
最初の1年は先生について教えてもらい、それから20年間毎朝公園の林の中で40分気功をしています。
唱題は、生命力をたかめるもの、しかし気功はゆったりとした動作により、心身と呼吸が整い、臍下丹田に力が入り、自然と自分が一体となり、静かになります。
20年やったからといって、精神的な悟りとか全くありません。
しかし、のぼせ。冷え性、不定愁訴はなくなりなりました。

以上長文になりましたが、要約すると、朝の勤行30分の唱題そして40分の気功。
ライフワークとしての御書の拝読、仏教の研究。
生き方としては、少欲知足、和光同塵となりますか。

28たけぞう:2009/02/09(月) 15:57:33

宮本さんへ

>良く言えば、前向き、逆にいえば、欲望無制限に考えてるのかな。と思う時あります。

本覚思想引用
これを積極的にいいなおせぽ、ただ今、この瞬間に永遠がつかまれるということである。
いわゆる永遠の今の主張で、本覚思想は、それを久遠即今日と表現した。
現在ただ今の瞬間を肯定したものである。
この現在の瞬間に永遠・絶対を感得することを空間にあてはめれぽ、現実の娑婆世界に永遠・絶対の浄土が感得されるということになる。
すなわち、真に永遠・絶対の浄土は彼此の対立を越えたもので,あり、積極的にいえば、この娑婆世界の当処に永遠の浄土がつかまれるということである。
このような絶対浄土を常寂光土と名づけ、娑婆に即して存するということから娑婆即寂光と称するにいたる。
生死・無常の実存的現実にたいする肯定から進んで、さらに無明・煩悩の日常的現実までも肯定するにいたったが、その例として仏と凡夫の二をとりあげると、真の絶対的な仏は仏と凡夫の対立を越えた仏凡不二のところに見られるのであり、そこから仏凡二の現実相をふり返ってみれば、仏のみならず、凡夫もまた不二・絶対の仏の現れとして肯定されてくる。
もっと徹底していえぽ、凡夫こそは現実に生きた仏であり、その意味で本仏であり、実仏であり、それにたいして、現実を超脱した仏は死んだ仏であり、仮仏である。
こうして、凡夫そのままが肯定されてくる。ひいては、とりたてての修行・成仏は必要でなくなる。
引用終わり

創価学会の場合、本覚思想が過度に表面に出て、何もしなくてもいい、唱題すれば絶対だ。そして煩悩即菩提だ。
これがあると思うのですね。
煩悩即菩提、衆生所遊楽は、片面から見ると、現世利益だけの世界となってしまうではないでしょうか。
日蓮聖人の使う、ウキヨは浮き世でなく、憂き世なんですね。
憂うる世だから、現世に余り期待せず、後生善処になります。
これは13世紀の末世の世では、当たり前のことでしょう。
それを消費文化真っ盛りの現代にあてはめるのはいかがでしょうか。
他のスレで戒律を作ろうという話がそのままになっていますが、消費文化なのですから、逆に戒律があって少し人間の傲慢さをへし折る宗教の方がいいような気がします。

29たけぞう:2009/02/09(月) 16:15:31

犀角独歩さんへ

>22
こういう形で時代を検証して学会批判するのは賛成ですね。
ネット上の批判は、もう耳にたこが出来てます。
結局、池田氏が死ななくては何一つ変えられないことばかし。

でも、私思うのですが、良くも悪くも創価学会の批判される点は日蓮仏法から来ている面が多々あります。
国政に参加したのは、原点として牧口先生、戸田先生の牢獄入りだと思います。
でも、この原点の時は衆議院には出ませんと会長はきっぱしと言い切っていました。
それがなしくずしで、衆議院にも立候補。
この点、立証安国論と繋がる用な気がして。
池田氏は若い時、権力の魔性ということをよく言ってました。
そして、与党に入って、自らが権力者。
日蓮聖人の反権力とも似通っています。
そして、日蓮聖人は他国侵逼がおこれば自分が大将になると言われてます。
私は、13世紀の常識と違う以上日蓮仏法の検討も必要かと。

30犀角独歩:2009/02/09(月) 17:10:21

> 29 たけぞうさん

ええ、同じように考えています。
あと、わたしは26歳の時、市中で倒れ、3年間、神経症で地獄を見ました。
そこからの立ち直りの経験を、脱会後支援活動に活かしています。

生き地獄は経験したことのないものしかわからないところがありますよね。

わたしの両親は東京大空襲を経験、祖母に至っては、関東大震災も経験しています。わたしの姉は重度心身障害者、両親は「治る」と言われて、日蓮正宗創価学会に入会。その後、母はわたしを産み、産褥性精神障害も経験しました。1日も4時間も唱題をしていました。

母は、もう意識もなくなった逝去の日、「きよー」「な」「ほ」…と、何度も、意味のわからないことを言っていました。何度もその言葉が繰り返される、その一つの言葉が意味をなしていることにはたと気づきます。それは「南無妙法蓮華経」でした。

わたしは戒壇本尊、日蓮本仏論、その他一切をここで検証してきました。
しかし、問答さんもほかの方々もまた皆、唱題の力によって生きてきたことを知っています。

しかし、それでもわたしは問い続けます。
しかし、それはけっして否定のための否定ではないことを、もっともよくご理解くださっているのが、こちらの管理人さんであると、わたしは有り難く思っています。

31たけぞう:2009/02/09(月) 20:52:29

犀角独歩さんへ

>それはけっして否定のための否定ではないことを、もっともよくご理解・・・・・
私も、おぼろげながら貴殿の創価学会批判の眼さしが見えてきました。
以下箇条書きいたします。

学会が教学に熱心でない理由(破門されて随分経つのに、未だ日寛教学にかじりついている)
これは、宮田さんのHPの受け売りですが、牧口先生が教義などどうでもいいといわれたそうです。
これは、私の友人の本部職員の話ですけど、池田氏が教学が余り好きでないらしい。

私は、以前より毛沢東と池田氏がだぶります。
私が、学生部の時中国では紅衛兵が騒ぎ、私達は心情的に紅衛兵と連帯していました。
訳も分からず、毛沢東語録を買っていました。
というのも、池田氏が皆さんの中から必ず第4代会長が現れますと断言されていましたので、すっかり優越感にひたって。

常に若者を大切にし、古参は冷や飯食いです。
現在では、黒柳さん、大久保さん、二宮さん等が公明党を離れて、冷や飯ぐいのようです。
私が知っている元国会議員は、定年と同時に独立して事業をやり、学会とは完全に縁を切りました。

ポスト池田になったら、衆議院公明党は消滅せざるを得ないのではなかろうか。

今の本部職員は、親が大幹部で創価学園出身者と限定しているので、上部の組織力が弱くなってきている。
これは、学会が低迷していく原因なので、あえて批判の対象にはなりませんが。

現在の創価学会は、婦人部だけで保っているのが現状なので、批判しようが、活性化しようが、おばさんには勝てない。

32宮本:2009/02/09(月) 22:00:52
たけぞうさんへ
>他のスレで戒律を作ろうという話がそのままになっていますが、
>消費文化なのですから、逆に戒律があって少し人間の傲慢さをへし折る宗教の方がいいような気がします。
学会の現状では、戒律でなく禁止事項として、同志間の金銭貸借、共同事業と男女問題が、それにあたるのかも
知れませんが、別途、幾つかの戒律が、あった方がいいのかも知れません。
例えば、他宗、他派をたいして知らない場合は、批判しては、いけないとか。

33たけぞう:2009/02/10(火) 18:24:52

日蓮主義について

先の戦争を太平洋戦争と呼ぶのが現在常識となり、大東亜戦争などと言うと右翼扱いされてしまう。
しかし、太平洋戦争は、第二次世界大戦の局面の一つで、日本と、連合国との戦争であり、その呼称は、GHQのにおける検閲で「大東亜戦争」の語を「太平洋戦争」へ強制的に書き換えさせたによって定着した名称である。
しからば大東亜戦争はいつから始まったかと言えば、満州事変であるというのが私の持説である。
満州事変は、国会決議もなくまた陸軍の決定もなく、まして天皇陛下の命令もなく、関東軍が独断専行によって開始された。
その中心人物が、石原完爾と板垣征四郎の二人である。
石原莞爾は、通称陸軍の異端児と呼ばれ、国柱会の猛烈な信者であった。
国柱会は、元・日蓮宗僧侶である田中智學が還俗して明治17年に設立した、法華系の新宗教の右翼団体で、設立当初は「立正安国会」と名乗り、「八紘一宇」という用語を広めるなど極右思想を展開した。
創始者の田中智学は『純正日蓮主義』を掲げ、法華経を国教とした日本が世界を征服し、世界を法華宗化するという遠大な目標をもっていた。
八紘一宇という言葉は、これはのちに軍部のスローガンとして利用され、全世界を天皇を頂点とした1つの国家に統一するという意味となった。
日本の軍部は八紘一宇の第一歩として『大東亜共栄圏』を標榜し、近隣各国を侵略していった。
このように、国柱会は「加担」というよりは「大東亜戦争で思想的に中心的役割を果たした。」という意見も少なからずある。

石原完爾は、その後「王道楽土」「五族協和」をスローガンとし、満蒙領有論から満蒙独立論へ転向していき、満州国の建国と繋がっていく。
満州国建国した記念写真には、溥儀を中心として関東軍の面々が揃い、両端に垂れ幕がある。
その垂れ幕には、南無妙法蓮華経の七文字が書かれてあった。
石原完爾著の最終戦争論にも、仏教の予言として正法像法末法の三時が説かれ、下記のように言う。

「そして日蓮聖人は将来に対する重大な予言をしております。日本を中心として世界に未曾有の大戦争が必ず起こる。そのときに本化上行が再び世の中に出て来られ、本門の戒壇を日本国に建て、日本の国体を中心とする世界統一が実現するのだ。こういう予言をして亡くなられたのであります。」

34たけぞう:2009/02/10(火) 18:25:42

「今後数十年の間は人類の歴史が根本的に変化するところの最も重大な時期であります。この事を国民が認識すれぽ、余りむずかしい方法を用いなくても自然に
精神総動員はできると私は考えます。(中略) なるべく戦争などという乱暴な、残忍なことをしないで、刃にちねらずして、そういう時代の招来されることを熱望するのであり、それが、れわれの日夜の祈りであります。しかしどうも遺憾ながら人間は、あまりに不完全です。理屈のやり合いや道徳談義だけでは、この大事業は、やれないらしいのです。世界に残された最後の選手権を持つ者が、最も真面目に最も真剣に戦って、その勝負によって初めて世界統一の指導原理が確立されるでしょう。だから数十年後に迎えなけ忽ぽならないと私たちが考えている戦争は、全人類の永遠の平和を実現するための、やむを得ない大犠牲であります。」

以上簡単ながら、石原完爾を例として戦前の日蓮主義を見てきた。
八紘一宇という言葉と石原完爾の著作を読めば判るように、根底は「広宣流布」という思想が横たわっていると私は思う。
私は、この戦前の日蓮主義に日蓮思想の危険性を感ずるのである。
創価学会では、国柱会のことを邪宗として破折の相手としてきた。
又、牧口先生と戸田先生の治安維持法による逮捕、牧口先生の獄死により、創価学会は戦前より反戦平和を訴えてきたという論調である。
しかし、物事をそう簡単に解釈していいのだろうか。
日蓮仏法の破折論理でいけば、確かに国柱会は邪宗かもしれないが、大きなスタンスで見れば、国柱会も創価学会も同じ日蓮宗というカテゴリーに入る。
池田名誉会長は、戸田先生の教えに忠実に反戦平和を訴え続けているが、それが永久に続くかは疑問である。
創価学会の根本となる日蓮思想には、戦前の国柱会と同じ広宣流布思想があることは間違いない。
広宣流布ということは日蓮聖人の思想であるが、他宗を批判し吾が勢力を拡大するということと、侵略するということはどこかで通じあっている。
もう過去のことになり、死語となった八紘一宇をもう一度思い出し、日蓮思想の危険性を確認し、日蓮思想を止揚しなくてはいけないのではないだろうか。

私は思うのだが、私達は信仰という名のもと日蓮思想を教条的に捉えてはいないだろうか。
信仰とは、全く個人的な問題であり、御本尊と自分、そして唱題につきる。
その個人個人が、群れをなし教団となり組織化され、社会運動となったとき13世紀の思想を教条的に運用していいのだろうか。
過去の歴史をひもとき、過ちは過ちとして認め、それを批判懐疑する目が必要となる。
そして、改めることは潔く改めねばならないと思う。
創価学会、日蓮正宗、顕正会への批判の前に、日蓮思想自体への批判がまずなされなくてはいけないのではなかろうか。

35問答迷人:2009/02/10(火) 19:24:03

たけぞうさん

>創価学会、日蓮正宗、顕正会への批判の前に、日蓮思想自体への批判がまずなされなくてはいけないのではなかろうか。

前か後かは議論が分かれるところかもしれませんが、日蓮思想自体への批判が先ずどうしても為されなければならないと僕も最近強く思っています。その要は、やはり涅槃経を根拠とした、国主による折伏、即ち、宗教弾圧を肯定する論理は、絶対に排斥しなければならないと思います。「由比ガ浜に引いて首を切れ」という思想は危険思想そのものです。それが、いくら尊敬し、敬愛し、信仰している日蓮聖人の教えであっても、絶対に認めてはならない。この点が曖昧だと、またしても同じ過ちを繰り返すと思います。オウム真理教と何ら変わらない、トンデモナイ思想です。

37問答迷人:2009/02/10(火) 19:35:08

補足です。

この宗教弾圧を肯定する論理は、中東でのイスラエルとパレスチナの宗教戦争と何処が違うのか、どこも違わない全く同じ穴の狢だと僕には思えてならない。

そんな思想が仏教と呼べる筈がない。涅槃経のポア思想は釈尊の教えの流れを汲むものとは到底考えれない、と言うことです。

38たけぞう:2009/02/10(火) 19:44:30

問答迷人さんへ

早速の返信ありがとうございます。
ちょっと、力んで書いた文書なので気になってました。

>国主による折伏、即ち、宗教弾圧を肯定する論理
池田氏が立正安国に始まり立正安国に終わると発言されたというのをまた聞きしました。
立正安国思想自体が、権力者を折伏して、国全体を法華にしようという発想。
この思考が国立戒壇思想を産み、また公明党の立党にも影響しているのではないかと考えます。

当分、日蓮思想批判を続けますが、宗教が権力に近づくことは危険です。
西洋の場合は、宗教の下に国家権力がありますが、日本では昔より、国家の下に宗教があります。
天皇になれない人が、出家して貫首になるという歴史的事実があります。
信仰とは、全く個人的行為という視点にたって、論を進めようとしています。

明日もまた書きます。

39hage:2009/02/11(水) 00:09:42
ここで言うところの日蓮思想とは、本当に日蓮聖人の御本意に基づくものなのでしょうか?
後の人の思い込みや、自分勝手な解釈によって歪められてはいないのでしょうか?
日蓮聖人の思想はそのまま法華経の思想なのでは?

また日蓮思想批判というのは少し間違えると、とんでもない間違いになるように思うのですが?

慢心のおこりはじめや師を捨て おのれ師匠にならんとぞする

40たけぞう:2009/02/11(水) 05:24:56

hageさんへ

>ここで言うところの日蓮思想とは、本当に日蓮聖人の御本意に基づくものなのでしょうか?
>後の人の思い込みや、自分勝手な解釈によって歪められてはいないのでしょうか?
創価学会と同じことをおっしゃる。
確かに、石原完爾は正しく日蓮思想を捉えていなかったと思いますよ。
しかし、現実には日蓮思想が右翼と結びついて日本の進路を誤らせたことは事実です。
近代日蓮思想には、226事件の首謀者として死刑になった北一輝も関わります。
彼は猛烈な法華経信者でした。
又、井上日召は、日蓮宗の僧侶で右翼活動家、戦前の右翼団体血盟団、一人一殺の血盟団事件を引き起こし、無期懲役。
かくのごとく、日蓮思想や法華主義は立正安国的発想により右翼と結びやすいのです。
これらの人が正しく日蓮思想でないなら、正しく日蓮思想を受け継いでいる教団はあるのでしょうか。
創価学会、日蓮正宗、顕正会、全て自分のところは正しく日蓮思想を受け継いでいると主張してます。

正しく日蓮思想を受け継いでいるということは、他宗を破釈し、吾が一門を広げて広宣流布することですが、それは正しいことなのでしょうか。
日蓮聖人はさかんにいいます。四箇格言に現れている他宗批判、そしてそれらの他宗の人は、無眼地獄に堕ちていくと。
私の立場で言えば、創価学会に入らないで批判している人達は無眼地獄に堕ちていくということになります。
こうした、主張が現代社会で通用しますか。
次に、戦前の日蓮主義は間違っていました。
しかし、それ以前に大きなカテゴリーでいう我々の日蓮系統の先輩が、国を誤らせていったという加害者認識を持ったことはあるでしょうか。
鎌倉時代から、いきなり現代に飛ばないでください。
戦前にあった、近代日蓮主義を忘れないでください。
私の立場で言えば、池田名誉会長の死後、創価学会が永遠に反戦平和の立場を維持し続けることが出来るか。
誤った指導者が現れ、右翼と結託した場合、創価学会という大きな団体のおこす問題は計り知れないものがあります。
ですから、創価学会は牧口、戸田、池田の3代会長を永遠の師としたのです。
それにしても、何ら政治意識のない婦人部が中心となって、政教一致のもと宗教的学会活動の一環として選挙活動をするというのはおかしくないですか。

41たけぞう:2009/02/11(水) 05:43:48

hageさんへ

>また日蓮思想批判というのは少し間違えると、とんでもない間違いになるように思うのですが?
私が主張しているは、信仰とは個人的な問題、御本尊と自分、そして唱題。
信仰がその範囲でおさまっているうちは、何ら問題は生じません。
しかし、信仰活動ということで、社会活動に発展した時に、一度思想を点検しなくてはいけないということです。

汝早く信仰の寸心を改めて速に実乗の一善に帰せよ、然れば則ち三界は皆仏国なり仏国其れ衰んや十方は悉く宝土なり、宝土何ぞ壊れんや、国に衰微無く土に破壊無んば身は是れ安全心は是れ禅定ならん、

国に衰微無く土に破壊無んば身は是れ安全心は是れ禅定ならん、広宣流布したらなんの努力もせず、環境破壊はやみ、地球温暖化は解決するのでしょうか。
裟婆即寂光を個人の信仰の立場でいえばOKです。
しかし、現実社会に娑婆即寂光を当てはめていいのでしょううか。
現実社会は人間の傲慢により、悪い方向に行ってます。
現実を良しとするのではなく、智慧を集めて革新しなくてはいけません。
現実社会を娑婆即寂光で考えてはいけないのです。
現実社会を娑婆即寂光で創価学会は考えているから、これだけの人員がいながら何ら有益な社会運動をしていないのです。

個人の信仰と、社会における信仰活動を分けて考えてください。

42hage:2009/02/11(水) 07:44:39
たけぞうさんへ

戦前にあった帝国主義と日蓮系統でいう立正安国的発想は結びつけ易かったのでしょう。
あるいは、どの宗教も帝国主義、軍国主義に従わされた、従うしかなかったという時代だったのでしょうし、
宗教団体だけの思想ではなく、個人個人の思想についても帝国主義、軍国主義に従うしか生きて行けない時代だったのではないでしょうか。
帝国主義や軍国主義が「わが国の為」と行った人道に反した行為は、人間のエゴでしかないと思います。
吾が一門を広げて広宣流布するというのは、それが「吾が一門の為」であったなら、単なるエゴに思えます。

立正安国論は御祖師様が、なんとか苦しむ人々を救いたいという「慈悲」の心でお書きになられています。
個人であろうが、団体であろうが、三毒から起こることは仏、御祖師様の御本意からは離れた行為でしょうし
慈悲の心から起こることは仏、御祖師様の御本意に叶うのではないでしょうか?
「我不愛身命 但惜無上道」は個人においても、団体においてもいえることだと思います。
傲慢になれば、個人でも社会でも悪い方向にいくのは、因果の道理ですよね。

43たけぞう:2009/02/11(水) 10:36:09

hageさんへ

>どの宗教も帝国主義、軍国主義に従わされた、従うしかなかったという時代だったのでしょうし
いやそうではないのです。
日蓮主義は、軍国主義の先頭を切ったのです。
本文にも書きましたように、満州国建国の写真の両端の垂れ幕に南無妙法蓮華経が書かれていることをどう思いますか。
八紘一宇という言葉は知ってますよね。
まさに、侵略戦争のお題目だったんです。
それが、国柱会より発生したということです。

>個人であろうが、団体であろうが、三毒から起こることは仏、御祖師様の御本意からは離れた行為でしょうし
>慈悲の心から起こることは仏、御祖師様の御本意に叶うのではないでしょうか?
これは、貴殿が創価学会に属していないから、個人の信仰と社会運動としての信仰活動が、実体験されてないから、判らないと思います。
創価学会に入り、池田名誉会長と師弟不二の関係になったとき、始めて信仰の始まりがあり、座談会、本会に出席する人が信仰厚い人と、形式的に評価されます。

44hage:2009/02/11(水) 12:32:00
大東亜戦争は満州事変から始まったのかもしれません。
では満州事変が起きる原因は何だったのか?どうして世界の大国が他国を植民地化しようとしていったのか?
侵略戦争は誰の為に行ったのか?どうしてそうなってしまったのか?それが本当に仏教の教えに叶っていたのか?
そういう事を充分に検証する必要性はあると思います。もっと検証しなければいけないと思います。
創価学会だからどうとか、宗派がどうとかではなく、その行動そのものがどうか?ということではないでしょうか?

45たけぞう:2009/02/11(水) 14:12:18
領地の拡大というのは、国家にとって大きな欲望という意味では性です。
イギリス、オランダ等は世界に大きな植民地を得ました。
そして、日本においては明治の初期の頃より、中国が他国に侵略されているのを見、日本の被植民地に危惧を抱いていました。
イギリスによる中国干渉、それにロシアが加わります。
中略しますが、こうした背景のもと、日清日露戦争が勃発したのです。
やがて、日本も列強諸国と肩を並べるようになって来た頃、今度は世界恐慌が始まり、日本経済は深刻な不景気にみまわれ、満州を植民地化して危機をのがれようとする動きが強まったのです。
これには、軍部も積極的に運動しましたが、民衆の中からも大きな運動が展開されました。
民衆の支持のもと、石原完爾と板垣征四郎の参謀は、張作霖爆殺事件を起こし、満州事変は始まったのです。
この石原完爾の行動の元となる思想に、国柱会の思想が入っていたのです。
この張作霖爆殺事件に石原完爾がからんでいたという事実は戦後かなりたってから発表されたため、石原完爾はA級戦犯にならず単に公職追放だけに終わりました。
石原完爾が国柱会に入らずとも満州事変をおこしたということは考えられます。
しかし、北一輝、井上日召等の行動も日蓮主義です。
日蓮宗の僧侶が一人一殺というテロ行為をしたというのをどう考えますか。
戦前、軍部は大石寺にお札をはるよう命令しました。
牧口先生は反対し、それが戦後の創価学会のたぬき事件につながります。
そういう経緯があって、創価学会は権力者の被害者だという意識が根本にあります。
ですから、あえて国柱会や近代日蓮主義の研究は一切やっておりません。

日米開戦にしても、陸軍参謀室や海軍も反対でした。
しかし、新聞が陸軍の腰抜けと尻をつつく、民衆は戦争賛成の集会を開く、それにアメリカの戦争誘致作戦。
思い出してください、湾岸戦争の時のイラクへの戦争、それに行く大義名分の作り方のうさ、このやり方がアメリカの得意とするところです。
そして、天皇は軍部を押さえるには、毒には毒をもってせいすということで、東条氏を総理大臣としました。
そして、開戦、敗北とつながります。
この戦争でも、八紘一宇が叫ばれました。
何も、軍部の動きや戦争が日蓮主義によるとは言ってません。
唯、加担したのは事実です。

46たけぞう:2009/02/11(水) 14:12:50

戦後、戸田先生は牢獄より出られ、創価学会の再建に力をそそぎました。
私が創価学会に入った時の男子部の組織は、下からいいますと、分隊長、班長、隊長、部隊長、そして部隊には部隊旗があります。
そして、お山に行くと、行進しながら「日本男児と生まれきは・・・」と、軍国調の歌を歌ったものです。
組織は上意下達、まるで陸軍みたいなものでした。
戸田先生の訴えた、王仏冥合、国立戒壇、これはやはり国柱会の影響かと思います。
創価学会は過去を検証せず、コロコロ教義を変えていきます。
時代にあった教義ですから、それはせめません。
しかし、過去の教義を徹底的に検証し批判し、情報公開しなくてはいけないと思うのです。
創価学会が一貫しているのは、御本尊と自分そして唱題です。
つまり、個人の信仰については全くぶれていないのです。
さかんに言うように、社会的運動としての学会活動の思想が変化しているです。
これは、御書と全く関係ない話しです。
学会人の学会は絶対に正しい、この態度は改めるべきだと思います。
この思考により、どれだけの人が迷惑したか、ネットで検索すれば山ほどあります。
学会も過ちがあった、それはこうこうこういうことである、そこで今回こう変更する。
そして、他者及び他宗のことも理解する、こうした当たり前のことが出来るようにならなくてはいけないと思うのです。
hageさんには関係ない結論ですが、国柱会の田中智学、学会の池田大作、一人の独裁者の発言で歴史は大きく動くことがあるのです。

47たけぞう:2009/02/11(水) 14:29:59

創価学会の人読んでますか?

賛否両論、投稿してください。

48たけぞう:2009/02/11(水) 14:47:29

宮沢賢治も熱心な法華経信者でした。
彼は、国柱会に入ろうとして何度も足を運びましたが、結局国柱会には入れませんでした。
有名な雨にも負けずの最後には、真ん中に南無妙法蓮華経、両横には四菩薩が書かれてあります。
創価学会にとって、宮沢賢治も他宗(邪宗)ということになるのでしょうか。
宮沢賢治と法華経というテーマで研究されてもいいのではないかと思います。

49hage:2009/02/11(水) 14:57:16
創価学会を見ていると、名誉欲によって信者を動かしているのかな?
ということがあります。「名誉」が決して悪いとは言いませんが、
それに「欲」が着くとどうなのでしょうか?
「名利の網にかゝりて、いかでか六道の衢(ちまた)を出む。」
と私のところでは教わります。
「名誉欲」や「出世欲」「利欲」は誰にでもあるものだと思いますが、
行き過ぎると、自分だけではなく他も巻き込んで、とんでもないことに
なってしまう事があるというのは、歴史が物語っているのですね。

50たけぞう:2009/02/11(水) 15:28:50
>創価学会を見ていると、名誉欲によって信者を動かしているのかな?
昭和30年代の頃などは、社会的に冷遇している人が、人の上に立てるということで幹部になる人が多かったようです。
当時は、今と違い、折伏のノルマがきつく、出来ない人は人非人の扱いで幹部に罵倒されました。
ですから、社会的に冷遇されている人は、ここ一番威張れるということで、傍若無人なことをやったものです。

学会が変わったのは、昭和40年代の半ばあたりからです。
今度は幹部になり手がいなくなり始めました。
ですから、一本釣りで説得説得で人事面接にもっていきました。

最近は人手不足で、何の疑問も持たない学会二世が、そのまま幹部になるようです。

人事でおもしろかったのは、私が大学生の頃で、ある日突然の人事発表があり、新学同の議長を努めた津田さんが、三段飛びで総合本部長になりました。
おもしろくないのは、前の幹部です。
自分の後輩が、下から自分を飛び越えて上にいってしまった。
その人は行き場がなく、ウロウロ。
それがどうしたことか、ウロウロしていた人が選挙に出ることになり、国会議員となりました

51たけぞう:2009/02/11(水) 15:40:10
学会を動かしているのは、やはり池田先生のためということが根本のようですね。
私なんか、そうしたものが欠如しているので、組織から離れていても何も不自然ではありません。
会合に出なくても、退転者とも思わないし、学会批判してもアンチ学会人とも思わないし、純粋な学会人だと思ってます。

私と同年代の前の地区部長と酒を飲んでいましたが、彼がグデングテンに酔っぱらって、「池田先生のために戦うぞ」、この言葉を嫌というほど叫んでいました。

先月定年退職した私の友人の元本部職員は、師恩に報いるため海外でボランティア活動するという手紙を書いてよこしました。

若い人は判りません。知り合いの学会人は、上記にも書いたように、池田先生のためというのが動機のようです。

52いちりん:2009/02/11(水) 19:32:21
たけぞうさん
>宮沢賢治も熱心な法華経信者でした。
>彼は、国柱会に入ろうとして何度も足を運びましたが、結局国柱会には入れませんでした。

とありましたが、賢治は、国柱会に入っています。
友人の保阪嘉内に宛てた手紙には、こう書いてあります。

今度私は国柱会信行部に入会致しました。即ち最早私の身命は日蓮聖人の御物です。
従って今や私は 田中智学先生の御命令の中に丈あるのです。
(中略)
然し日蓮聖人は妙法蓮華経の法体であらせられ田中先生は少なくとも四十年来日蓮聖人と 心の上でお離れになった事がないのです。
これは決して間違ひありません。即ち 田中先生に 妙法が実にはっきり働いてゐるのを私は感じ私は信じ私は仰ぎ私は嘆じ 今や日蓮聖人に従ひ奉る様に田中先生に絶対服従致します。
御命令さへあれば私はシベリアの凍原にも支那の内地にも参ります。乃至東京で国柱会館の下足番をも致します。それで一生をも終ります。
今私はこれら特種の事を何等命ぜられて居りません。先づ自活します。これらの事を私の父母が許し私の弟妹が賛しそれからあなた
が悦ぶならばどんなに私は幸福でせう。既に私の父母は之を許し私の弟妹は之を悦び、みなやがて、末法の唯一の大導師 我等の主師
親日蓮大聖人に帰依することになりました。至心に合掌しわが友保阪嘉内の帰正を祈り奉る。   南無妙法蓮華経

(大正9年12月2日付けの保阪嘉内あての手紙)

このときは、田中智学のためならシベリアの凍原にも支那の内地にも行く。東京で国柱会館の下足番もすると、書いていますね。

そして、この国柱会の縁で、国柱会の講師であった高知尾知耀氏の「文芸を通して法華経の精神を広めてはどうか」というすすめで、創作に励んだようです。

いまも国柱会は、江戸川区の一之江に本部があります。
そこに賢治の碑があるようです。
http://www.ihatov.cc/monument/039_.htm

宮澤賢治の辞世

方十里 稗貫のみかも
稲熟れて み祭三日
     そらはれわたる

病(いたつき)のゆゑにもくちん
         いのちなり
 みのりの
    に棄てば
      うれしからまし

53たけぞう:2009/02/11(水) 20:00:07

いちりんさんへ

ご指摘有り難うこざいます。

54宮本:2009/02/12(木) 14:40:44
いちりんさんへ
>そもそもブッダの教えは、いつも自分のことによく気がついて、
>傲慢にならず、威張らず、欲からできるだけ離れ、高潔な暮らしを教えるものだと思う。
時差的にちょいと前の御発言ですが、ここはらへんのことが、
実感として、なるほどなーと学会の方で言える方は、少ないと思います。
他宗の方に接する機会がないと、なかなか解からないと思います。
仲間内だけでいたり、話したりしていると、初めに結論ありき
ですので、宗風に影響されるのだと思いますね。
(うまく表現できませんが)
もちろん、宗風の良い面が実生活に出る場合もありますが。
なかなか、こう思いつづけるのは、私の場合、正直
困難ですね。

55彰往考来:2009/02/12(木) 15:15:55

たけぞうさん

>48 彼は、国柱会に入ろうとして何度も足を運びましたが、結局国柱会には入れませんでした。

というのは牧口常三郎氏(創価学会初代会長、当時は創価教育学会)のことではありませんか?

>48 宮沢賢治と法華経というテーマで研究されてもいいのではないかと思います

かつて調べてみたのですが、宮沢賢治が国柱会から授与された御本尊には宮沢賢治と名前入りでしたので興味がありましたが、それ以外はとりたてて見るべきものはなかったと記憶しています。
件の手帳の首題と四菩薩も今となっては意味不明です。現存する日蓮聖人の御本尊と一致する相貌のものはありませんので、何を写したのか不明なのです。確かに雨ニモマケズの次頁に記載されていますが、この詩と連続するものなのかも不明です。

なお、私は現役の創価学会員です。よろしく。

彰往考来

彰往考来

56たけぞう:2009/02/12(木) 16:40:49

彰往考来さん、始めまして。

現役の創価学会員ですか。

私の、学会批判の感想をお願いできませんか。

57宮本:2009/02/12(木) 16:53:46
彰往考来さんへ

横レスで失礼致します。
>私は現役の創価学会員です。
私もです。宜しく御願い致します。
先月、原田会長の会合に出席し、ほんの2mぐらいのところで
聞いていたのですが、イメージより、背の低い人だナーと
いった感想でした。
イメージと実際って違うものですね。
では、失礼します

58たけぞう:2009/02/12(木) 17:11:31

宿命を日本語大辞典で引くと、(1)生まれる前からきまっていて、避けることのできない運命 (2)前世からの運命と書かれてある。
御書を検索すると、宿命ではヒットせず、宿業、宿縁、宿習で何件かヒットするが、避けることのできない運命という意味で使われていない。
日蓮聖人は専ら、先業をよく使い、「日蓮も又かくせめらるるも先業なきにあらず」とし、「先業の重罪を今生に消して後生の三悪を脱れんずるなるべし」となる。
すなわち、罪障消滅という思考である。
従って、「 他事をすてて此の御本尊の御前にして一向に後世をもいのらせ給い候へ、」となる。

しからば、宿命転換という語はどうして出来たのか。
これは、御書から出た発想でなく、戸田先生の造語で、戸田仏法の一部ではないかと思う。
戸田仏法というと大げさな感じを受けるが、学会の説く生命論は明らかに戸田先生の思想なのだ。

日蓮聖人が説くように、現世で罪障消滅して、後生善処という考え方も悪くないが、宿命転換の方が現世に希望が持てる。
このように書くと、御書に忠実にと批判の声はあるが、思想は現代に合わせて変容していいというのが、私の立場である。
四箇格言のスレでも書いたが、ヨーロッパのSGIでは、キリスト教の原罪から救われるため宿命転換という考えで入会する人が多いと聞く。

日蓮正宗や顕正会では、宿命転換という言葉を使っているのでしょうか。
また、このような現世で「避けることのできない運命」を転換するという考え方があるのでしょうか。
教えてください。

59たけぞう:2009/02/12(木) 17:16:06

宮本さん、なんとなくお久しぶり。

もっと、投稿してくださいよ。

寂しいですよ。

60たけぞう:2009/02/12(木) 17:40:37

【 宿 習 】
宿世(過去世)に行った思考、言動によって身心に積み重ねられた善悪の潜在勢力(習気)のこと。
広い意味で宿業に含まれるが、特に強い一念や習慣性によって刻み込まれ、現在の生き方や在り方を左右するものを宿習という。
                                        創価学会版 仏教哲学大事典
新字源によると、「宿」は、宿るという意味と、以前からのという意味があり、宿習でいう宿は、以前からの即ち過去世となる。

しかし、これを幅広く解釈してみようではないか。
宿を過去世に限定するのではなく、以前からのという意味にすると、現世での悪い習慣による現在の生き方在り方と解釈できる。
今以前の悪い習慣にまず気づき、それを修正することを唱題で祈ったらどうだろう。
毎日少しづつ、悪い習慣を修正し、人間としてあるべき姿に戻る、これが人間革命であり、境涯革命だと思う。

しかし、そんなものでなく深い宿業もある。
それは、願兼於業として唱題して切り開くしかない。

61犀角独歩:2009/02/12(木) 18:50:10

たけぞうさん

こちらは雑談ですから、まあ、悠長に拝見していますが、真偽未決書を日蓮の御書と書くのはどうかと思います。

こちらでは10年の議論の蓄積があります。もう少し慎重に願えませんか。

漫荼羅を本尊とするかどうかは、こちらの掲示板では大問題として議論されてきていることです。

また、宿命についても、かなりホットな議論がありました。
「宿命」がヒットしないとのことですが、そんなことはありません。

「宿命なければ三世を知ことなし。而ども此経文のごとく日蓮は肉眼なれども天眼・宿命…」(師子王御書)

ただし、ここでいう宿命は文脈からすれば、「宿命通」のことで、この意味は宿命(過去世の人生)を知る通力という意味で書かれているのでしょう。

そもそも「戸田仏法」とは何でしょうか。

「幅広く解釈」されるのは雑談としてはけっこうですが、脱線が甚だしい印象を禁じ得ません。

また、「人間革命」を肯定的に語られることには、わたしは個人的に強い不快感を覚えます。

先に管理者さんが過去の投稿を全検索できるようにもしてくださいました。
もう少し先行議論に意識されて、議論された内容を打ち消したり、後退させない配慮をいただけませんでしょうか。

62hage:2009/02/12(木) 19:35:33
前にもどこかで書き込みしたのですが、
「宿命転換」は意味的には「定業亦能転」では?

63犀角独歩:2009/02/12(木) 19:49:50

hageさん

ええ、仰るとおりです。
同じことをわたしは'04年の6月と9月に書いています。
5年前のことです。

http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/364/1014180269/1398
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/364/1067405428/149

64宮本:2009/02/12(木) 21:06:18
たけぞうさんへ
なんでも雑用係りなもんで。ちょいとお休みです。
婦人部と付き合うのは、大変なんです。
全国共通なもので、詳しくは、奥様に聞いて下さい。(笑)

65hage:2009/02/12(木) 22:32:10
私のところでは、定業能転(じょうごうのうてん)という言葉はとてもよく使います。
江戸以前の八品派と富士派との交流も関係あるのかもしれませんね。

66パンナコッタ:2009/02/12(木) 22:47:28
横スレの余談で恐縮ですが、

 『此の経文のごとく、日蓮は肉眼なれども天眼・宿命をもって日本国七百余歳の仏法の流布せしやう』
も、同じく獅子王御書にありますね。やはり六通の宿命通ですね。
ちなみに読みは、宿命(しゅくみょう)であり、"シュクメイ"と読ませるのは
聖教(しょうぎょう)→ "セイキョウ" に似た意図を感じますね。

ここでの宿命転換は、
 『涅槃経に転重軽受と申す法門あり。先業の重き、今生につきずして、未来に地獄の苦を受くべきが、
 今生にかかる重苦に値ひ候へば、地獄の苦ぱっときへて』
あたりを切り文引用して、論理構築していったものでしょう。 

しかしながら、人生の波を宿運・宿命・宿世ととらえて"宿悪"とし、
宿善を教団に入会した事とする教義は、ある意味罪深いよなぁ。

67犀角独歩:2009/02/12(木) 22:53:44

hageさん

真跡遺文から探れる日蓮の教説からすれば「定業亦能転」に決まっています。それは当たり前のことで、なぜならば、この成句は妙楽湛然『法華文句記』の言葉だからです。日蓮は、その妙楽の釈を引用したまでです。hageさんの門派ならずとも、天台でも、日蓮でも当然の使用でしょう。

つまり、天台(止玄文)→妙楽(弘籤記)→伝教→日蓮と真面目に修学したのであれば、当然のこととして「定業亦能転」を言うことになります。

それを現代語の宿命(=しゅくめい)と転換を組み合わせた妙な造語を、宿命(通=しゅくみょうつう)の原意を知らず誤用した戸田さんは、習い損ないといった印象以上のものは何もないということです。これまた、現在の創価学会、顕正会にも通じる批判です。

こんな言葉を濫用して、日蓮教説の言うことには、雑談であるとも、わたしは違和感以上に、不快感を懐かざるを得ません。まして「人間革命」など論外です。この言葉は、顕正居士さんが明らかにしたように東大総長・南原繁の言のパクりでしょう。

http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/364/1015575530/1912

ただし、それはたけぞうさんの議論を妨げたり、封じたりしようと言うのではありません。けれど、ここ10年に及ぶ議論には、それなりの重みの各人の努力と熱意、熟慮がありました。管理人さんが、わざわざ過去の議論を検索できるように労を払ってくださっているのにもかかわらず、そうしたものを一切、考慮せず、投稿するというのは、わたしは、どうにも承伏しかねるところがあったので、一言、申し上げたわけです。

68犀角独歩:2009/02/12(木) 22:58:53

パンナコッタさん

賛成します。

ただ、そうした中で、書写漫荼羅が、それがたとえ印刷であっても本尊と信じ、唱題を重ねて、人生を切り開いてきた体験を、わたしは否定しません。
ただし、だからといって、創価学会の誤用を、そのまま、ここに記されることは、これまた、是とできないわけです。

聖教(しょうぎょう)を「せいきょう」と読んで、新聞の名前にしてしまうのもひどいものを感じますが、いわば、大石寺下の誤用をそのまんま鵜呑みにするばかりで、ちゃんと検証もしないで、人に語ることは、軽率の批判を免れないと、わたしは思えます。

69顕正居士:2009/02/13(金) 00:08:57
定業に順現業、順生業、順後業があり、それぞれ現世、来世、第三世以降に果を受ける。
そのことが決まっているので定業という。可延定業書のように寿命の意味によく使われる。
ただし難転であっても必ずしも不可転ではないという説が仏典の一部にある。

文句記十 「若其機感厚、定業亦能轉」(若し其れ機、感厚ならば定業亦能く轉ず)

このもとの経文は理趣釈経下のようである。
「佛告金剛手菩薩。爲未來有情。聞此中修理趣福利。心不猶預能發淨信修行。
則現世惡報及來生能轉定業。疾證無上菩提也」
(佛、金剛手菩薩に告げたまはく、未來に有情あつて、此の中の理趣を修する福利を聞て、
心に猶預(ためらは)ず、能く淨信を發し修行せば、則ち現世に惡報を、及び來生に能く
定業を轉じ、疾く無上菩提を證せん)

定業亦能轉は日本の古典文芸にもしばしば引用される語のようである。

70いちりん:2009/02/13(金) 04:12:24
>定業亦能轉は日本の古典文芸にもしばしば引用される語

能とか平家物語にあるかなあと調べてみたら、たくさんありますね。

故(かるがゆへ)に定業亦能轉(ぢやうごうやくのうてん)、求長壽得長壽(ぐちやうじゆとくぢやうじゆ)の礼拜(らいはい)、袖を連ね、幣帛禮奠(へいはくれいでん)を捧ぐる事ひまなし。忍辱(にんにく)の衣を重、覺道の花を捧て、神殿(じんでん)の床(ゆか)を動じ、信心の水をすまして、利生の池を湛たり。神明納受し給はば、所願何ぞ成就せざらむ。仰(あふぎ)願はくは、十二所權現、利生の翅(つばさ)を並て、遙に苦海の空にかけり、左遷の愁をやすめて、歸洛の本懷を遂げしめ給へ。再拜。とぞ、康褚祝言をば申ける。
   「平家物語」巻二 卒都婆流


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