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日蓮聖人の僧侶観
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:
犀角独歩
:2008/10/23(木) 20:34:48
問答名人さん
先に引用した『守護国家論』の文は、善星の物語から、源空『選択集』を悪知識としていくわけですね。そして、善知識を法華涅槃としていきます。
わたしは、この件で重要なのは、出家の堕獄、それも在俗を巻き添えにしていくというコンセプトですね。
同論の「出家」の使用は6カ所で、僧、僧侶はありません。
問答さんが仰るように、日蓮聖人の僧・侶の定義化は、やはり、翌年の『立正安国論』に見いだせそうです。
この述作は文応元年(1260)7月ですが、先立つこの年(正元2年)2月に『災難興起由来』があります。この書で印象的なのは「出家」という成句が一度も使用されていないことです。反面、『守護国家論』で使用されなかった「僧」は、ここでは使用されます。文末です。いわば、結論といってもよいと思います。
一切衆生至于螻蟻蚊虻必有小善 謗法人無小善 故留施加苦治也
問曰汝以僧形顕比丘失豈非破不謗四衆不謗三宝二重戒乎
答曰守涅槃経云若善比丘見壊法者置不呵責駈遣挙処当知是人仏法中怨 若能駈遣呵責挙処是我弟子真声聞也[已上] 之文記之
一切衆生は螻蟻蚊虻に至るまで必ず小善あり 謗法の人には小善なし 故に施を留めて苦治を加うるなり
問うて曰く 汝僧形を以て比丘の失を顕すは あに不謗四衆と不謗三宝との二重の戒を破るにあらずや
答えて曰く 涅槃経に云える「もし善比丘ありて法を壊る者を見て 置いて呵責し駈遣し挙処せずんば まさに知るべし この人は仏法の中の怨なり もしよく駈遣し呵責し挙処せば これ我が弟子真の声聞なり」[已上] の文を守りてこれを記す
この文については、どのようにお考えになりますか。
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