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戦争を考える

359匿名:2005/12/18(日) 20:15:46
権力とは何かというのは、政治学の最初に学ぶところです。
権力の本質とは、所詮は暴力です。暴力からはじまっているのが権力です。しかし、暴力だけで世を治め続けることはできません。
そこに暴力を正統化する権威の存在が生じます。そこではじめて、暴力は権力に転換するのです。

それを、権力の正統性(オーソライズ)といいます。
オーソライズ (authorize)のない権力は単なる暴力に過ぎない。
権力は権威によるオーソライズという「裏打ち」があってはじめて、正統に権力(暴力)装置が行使ができるというものです。
これは、政治学の基礎として、最初に学ぶことです。

要するに、権威を完全否定したところの権力とは、逆に暴力に返るということになります。
ここでいう権威が、イコール権威主義というものでもありません。

そこで日本の構造は、どうなっているかというと。
国民の権威の象徴が天皇、
国民の権力の代表の最高権力者が総理大臣となります。
いずれも、国民のオーソライズなくしては存在できないという構造になっています。

ただし、日本人は、こうした民主体制の構造をほとんど意識することなく日々を送っています。それもそのはずです。なぜなら日本は革命によって民主主義や、それを規定する現行憲法を、国民自らの手で獲得したわけではないからです。

しかし欧米の民主化は違います。革命という、国民自らの血の犠牲の上に獲得した権利なわけです。いわば、下克上ですね。
それをどう考えるかは、別の議論になりますので、横に起きますが、少なくとも日本は、開国と敗戦の二段階を経て、つまり外からの圧力で民主化してきましたから、デモクラシーに対する意識がそもそも最初から違っているわけです。
日本国民は、開国と敗戦という、外からの圧力で民主主義を与えられた。正確には押し付けられたのかもしれません。

>日本の「民主主義」は、さらに理想化され、夢想化されていないのかという点に、わたしは永年、疑問を懐いてきました。
>そのような逆転が生じている時点で、その責任を国民が負うように巧みにすり替えられていないのかという警鐘でもあるわけです。

とのことですが、それは、以上のような日本の民主化の経緯によるところに起因しているといえるでしょう。
そのため民主政治そのものの構図、現行憲法といってもいいかもしれませんが、それを日本国民が深く意識していない為と考えられます。
政治を自分の生活に引き寄せて関心がもてないのも、そのような歴史的な成り立ちに拠るところが大きいものと考えられます。

この点を押えたところで、このスレッドの一連の議論においてどうしても問題になってくるのは、まず、その民主政治を是とするか非とするかを避けて議論を進めるわけにはいかないでしょう。
私は是とする前提に立って投稿をしてきましたが、犀角独歩さんの場合は、その点がよくわかりません。

民主主義を「主義」という強い立場から一歩離れた「民主政治」という言い回しに変えますが、犀角独歩さんは、民主政治というものを理想とすることを是した上で、今の政治に不満があるのか。それとも、民主政治そのものを理想とすることに異論をもっているのか。もしくはも、民主政治における、議会制というシステムに異論をもっているのか。そこを整理して、どういう立場に立脚して理論をすすめておられるのか、次の議論に進む前に、とりあえずお尋ねいたしたいところです。


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