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戦争を考える

336犀角独歩:2005/12/15(木) 11:03:53

少し補足します。

東京裁判の是非をここに問うことを目的にしませんが、わたしはいつも議論のなかで落ちていると思うことがあります。それは323にも挙げたことですが、処刑者7人の遺骨はアメリカ軍によって東京湾に捨てられたということです。わたしはこの点は、勝戦者が敗戦者を裁いた裁判内容以上に重大な意味を持っていると考えます。

遺骨廃棄。つまり、この断固たる措置は、処刑戦犯者の埋葬を拒絶したことを意味します。ならば、その人々を英霊祭神として祀ることとは180度逆の意味を持っています。

この処刑者に死者の尊厳は当時認められなかった。埋葬・祭祀を認めなかったということが勝戦国の共通の認識であれば、これを英霊祭神として祀ることがどのような意味を持つのか、わたしは議論はここから始まると思います。

今回の小泉の言辞を聞いていても、以上のような処刑7人への韓中感情を敢えて無視し、東京招魂社以来の全英霊に言い換えて強弁しているわけで、掛かる問題に関して十分な解答を示していないわけです。また、政治的な意図がないのであれば、休みの日に人知れず、参拝してくればいいわけですが、そうもしていません。首相として、挑発と取られても致し方のないところであると、わたしは考えます。

以上の点を、ここ仏教という立場から、いえば、掛かる小泉の行動は、純粋な信仰心、英霊鎮魂という人々の宗教的善意と宗教を、英霊を悪用する所行であると映じます。

小泉論法でいえば、英霊に参拝するのは当然のことであるといいますが、では、参拝しない天皇は、その当然のことをやっていないという批判として、わたしは受け止めます。


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