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戦争を考える

265犀角独歩:2005/12/10(土) 14:26:55
『第三文明』06.1号に『師恩報謝を誓った日蓮門下の戦い」という東洋哲学研究
所・主任研究員・小林正博氏の文章が載っていました。その全体の内容は…、ま
あ、置くこととしますが、この書き出しは、当スレ、世界の情報ボックスの近日
のやり取りと関連するので、覚書代わりに紹介しておきます。

「鎌倉時代、一般的に師弟というと、僧侶と武家の関係を指していました。殺生
を生業とする武士にとって、「後生、自分は往生できる」は最大の関心事でした
。そのため、武士は定年退職すると、不安感を安心に変えていく存在として、師
を選んで出家し、師から法名をもらって、余生を仏門に投じたのです」(P30)

この小林氏の文章は最後に(談)と記されているので、どうやら、インタビュー
録音を編集が起こした文章であると目されます。ですから、直ちに小林氏の考え
とするのは早計でしょうが、いくつかの疑問点はあります。それはともかくとし
て、ここで「殺生と生業とする武士」という件は、武・仏の関係を示す認識とし
て、この部分ばかりは賛同します。

小林氏は「定年退職…出家…余生を仏門」というのは、少なくとも日蓮門下の実
際とは一致しないと思えます。たとえば四条金吾は寛喜2(1230)の生まれで入信
は、康元元年(1256)、つまり26歳で35歳の日蓮の‘檀那’となっています。また
、富木常忍は正安元年(1299)84歳の寂で、入信は建長5(1253)ですから38歳であ
ったことになります。その他の檀那は調べていませんが、この2人の年齢は「定
年退職後」とは言い難いと思われます。また、これら檀那は、単なる入信である
というより、入道(半僧半俗)であったのではないのかと思われます(例に挙げ
た2人の入道時期は確認していません)
北条時宗などの像をみても、髷はなく剃髪をしていますから、入道であったこと
が窺われます。以上の点から、どうも小林氏のこの点についての記述は不適切で
あると思えます。

しかしながら、武士が殺生を生業として、その殺生の贖罪として、仏教に帰依を
するという心的構造は外れたものではないとわたしは考えます。

このような仕組みは、中国における鎮護仏教の発達、また、インドにおける釈迦
の出家といったこととも通じるものなのだろうと考えられます。

日本の武士、中国の武人、インドのクシャトリアと仏教の関係は、ある面、重要な
テーマです。
これに日本では僧兵というテーマも加わるでしょう。

仏教から「戦争を考える」、原点がここにもあると、わたしは思います。


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