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戦争を考える

195犀角独歩:2005/12/03(土) 17:15:06

―194からつづく―

いま日本で起きている自衛隊論争、また改憲論争は、このような情報操作はないのでしょうか。先にわたしが記した用語を使えば、外的要因とされる情報のなかに、戦争の凄惨な現実、また、過去半世紀の日本政府の非戦闘員に対する無責任な政府対応をはじめとする重要な情報が盛り込まれていないのはなぜなのか。反面、靖国英霊といった形で、戦争は美化され血なまぐささ、死傷、人がもがき苦しみ死んでいった様は、灰燼に帰して人間が燃え、腐り異臭を放った町並みのリアリティは最早そこにはありません。「御霊」と変換され美化されていきます。
ここでは、内的要因が操作されていないのか?
操作されているでしょう。

わたしは、この議論の当初で「徴兵制が不可欠」と記したことによって、やり玉に挙がりました。徴兵制によらなくても軍事増強になっているのが、世界の流れだと言います。
そうでしょう、たしかに。しかし、それは、国民が、この悲惨残酷な「戦争」を考えるうえで、どこに配置されているのかという視点に立つとき、「冷酷無情な者…暴力」から隔離される操作がある点が見落とされています。戦争とは=自分自身の殺人殺戮、残虐暴力の問題であるという点を、わたしは言いたかったのです。この点を直ちに了解してくれたのは単己さんでした。

わたしはたとえば憲法改正賛成、軍事増強賛成、自衛軍賛成、参戦賛成という意志を持つ人が100人いるとき、では、その交戦にあなたは参加しますか、また、体を吹き飛ばされ、腸が飛び出し、苦しみもがき治療も受けられない状態に、あなたが自分の手でしますか? と尋ねるとき、たぶん、大半の人は、憲法改正その他には賛成だが、自分が戦争に行くのは嫌だ、交戦して人を殺すのは嫌だと答えるのではないでしょうか。

では、このギャップはいったいなんなのかということが内的要因を考えるということです。

故にわたしは匿名さんに問うたわけです。では、あなたが自衛隊になりなさい。なって、専守防衛(安全保障)という名目で、攻めてきた敵を殺しなさい。国際貢献という名で交戦に参加し、人を殺しなさい、と。

凶器を使わず、人を殺すということは、かなり永続的精神力を要し、体力も要します。
首を絞めるか、殴打して殺すか、蹴り殺すか、大変な労力を要します。殴打した側も打撲を負い、骨折することもあるでしょう。その痛みから殺人のなんたるかを実感できます。刃物をもって、刺し殺せば、その夥しい血の量に自分が何をなしたかが実感されるでしょう。ピストルで撃ったとしても、流れる血、はじき飛ばされる肉骨、地面に広がる血から、自分がなしたことはある程度、実感できます。
1対1の殺人でも以上のようです。それが参戦という現場では時には数十万人の規模で起きるわけです。

しかし、われわれが国際貢献のために自衛軍参戦に1票を投じるとき、このようなリアリティは完全に失われています。失われたところから議論がされています。

過去の戦争より、現在の戦争ははるかに残虐であり、大量殺人になっています。しかし、その労力は反比例して、格段に下がっているわけです。つまり、残虐・凄惨さをまったく感ぜず、何万人の人を瞬時に虐殺できる反比例がここにあります。

以上のような点は、戦争、いや憲法改正、自衛軍、国際貢献という名の参戦を考えるうえでの自分自身に置き換えた外的要因であるはずです。ところがこの点は、通常、議論される段階でまったく除外されているわけです。

この除外された議論は、まさにアメリカのハイスクールの子ども達と、どこが違うのか?という疑問を、わたしは内的要因から申し述べているわけです。


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