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戦争を考える

161犀角独歩:2005/12/01(木) 05:05:31

もう一つ。

> 単に宗教覇権争いでの、「天台に立つ」

日蓮が天台沙門として、法華信仰を為政者に勧めることが「宗教覇権争い」とは恐れ入りました。こんなふうにしか思えないのであれば、何を話しても無駄でしょう。

では、あなたがここで、政治の話をするのは、何か政治的な野心があってのことなのでしょうか。自衛隊の話をするのは、自衛隊を特に執心語らなければならない個人的な事情でもあるからということでしょうか。

日蓮が法華経を宣布するのは、宗教の覇権争いではなく、法華経に基づく菩薩、僧侶としての自覚に基づくのでしょう。純粋な信仰心に基づいていたとわたしは拝します。日蓮は私事として語ったのではなく、僧侶として仏教を語ったのです。

政治に関心を持つという民主国家の国民のあるべき姿は憲法から導くのはけっこうなことでしょう。しかし、日蓮が生きた時代、「民衆」が政に関心を持つとことは、自分たちの生殺与奪に関わる以上で、もし、政に異見など述べようものであれば、そこでお咎めに遭う以上の意味をもたないのが身分制度ということでしょう。

つまり、日蓮の時代と現代は違うのです。
日蓮もまた、その身分制度の時代に政に口を出すのではなく、僧侶という本分から自宗の法華経の信仰を勧めるに留まるのは当然の矜持であったことでしょう。

政治憲法より、人間の神(たましい)には大切なものがある。後生を考えるというのが仏教の有様です。政治はいま生きている人のため、しかし、仏教は既に死んでしまった人のためでもあり、また、いま死にいく人のためにもあります。そのような意味で、果たすべき役割、受け持つべき役割には自ずと差異があります。それを理解できず、仏教より政治だという論調では、仏教のなんたるかを理解する気もないと思わざるを得ません。


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