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戦争を考える
155
:
匿名
:2005/12/01(木) 00:11:09
>>「政」においては、救う側は「王臣」であり、救われる側は「民」と考えますが。
>ですから、それは政においてではないでしょうか。仏に立つ日蓮とは違います。
仏の立場に立つ。これは得心するとします。
その日蓮聖人が、「立正安国論」において時の権力者に諌言するわけですが、それは政を司る為政者が「どうあるべきか」について諫言しているのではないでしょうか。
「帝王は国家を基として天下を治め、人臣は田園を領して世上を保つ。而るに他方の賊来たりて其の国を侵逼し、自界叛逆して其の地を掠領せば、豈驚かざらんや豈騒がざらんや。国を失ひ家を滅せば何れの所にか世を遁れん。汝須く一身の安堵を思はゞ先ず四表の静謐を祈るべきものか。」
政を司るものがどうあるべきか。具体的には「念仏を止めろ」と提言しているわけですが、では、何のためにそうすべきだと言っているのか。その心を私は考えているのです。何のために、念仏を止めろと諫言しているかです。
それは、主人の話に耳を傾けた客の言葉が示しているのてばないでしょうか。
「所詮、国土泰平・天下安穏は一人り万民に到るまで、好むところなり、楽うところなり」
このような世の中に治める「政」をするのが、権力者の務めであり、また、それを民も望んでいるのだということ。
「念仏を止めよ」の具体政策は、政教一致の中世の時代での話であって、それが現代の憲法などに重なるものでは全くありません。そもそも、私はこの点においては、とっくに日蓮仏教からは離れています。日蓮主義者でもありません。
私が引っかかったのは、何の為の諫言だったのかということです。
その心が、単に宗教覇権争いでの、「天台に立つ」というものであって、そこには国土泰平・天下安穏を願いとする「民衆救済」の気持ちなどなかったというなら、私は「立正安国論」に対する最後の執着も心置きなく捨てることとなるでしょう。
>どうでしょうか。あなたが言う立正安国論=憲法、そして、自衛隊論と、日蓮の以上の記述は合致しますか。
先に記しましたように、合致というものではないことをご理解頂きたい。かなり時代を超えて像力を広げた拡大解釈というものです。
それから、私の自衛隊論とはなんのことでしょう。合憲だという話ですか。であるならば、これも拡大解釈ながら、
「帝王は国家を基として天下を治め、人臣は田園を領して世上を保つ。而るに他方の賊来たりて其の国を侵逼し、自界叛逆して其の地を掠領せば、豈驚かざらんや豈騒がざらんや。国を失ひ家を滅せば何れの所にか世を遁れん。汝須く一身の安堵を思はゞ先ず四表の静謐を祈るべきものか。」
において、国家完全保障政策は国家の責務であるという解釈も成り立つのではないでしょうか。その上で、自衛隊は必要であろうというところです。しかし、他国を侵逼してはいけません。
いずれにしても、これは教義論争をするには無理があることです。日蓮はそんなことは言ってませんと言われれば、まあ、そうですねという話になります。
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