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戦争を考える
152
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犀角独歩
:2005/11/30(水) 15:41:17
日蓮とは何かというテーマは実に大きい。時系列を踏みながら、原型の「日蓮」がどのように変化していったのかを見ないと、その時々の「日蓮」を見失います。
日蓮の姿勢は、純天台への復興運動で、原理主義と今風の言葉では表現できるのかもしれません。麻原彰晃は日蓮に似ているとは梅原・折口の共通認識でした。日蓮遺文を読み薦めると、たしかにそのような印象を懐く一面はあります。流罪・擬死罪に処された日蓮は、当時の一般民衆からすれば、どのように映じたか。民衆の側に立った宗教改革者。そうでしょうか? わたしは、まったく人々の支持を失っていったのだろうと思えます。実質的救済活動を続ける良観(真言律宗)の功罪はともかくとし、むしろ、こちらのほうが民衆の指示があったように映じたと思えます。
壮年時代の日蓮は世間一般から見れば、罪人であったからです。時宗は来る敵を迎え撃つ精神的鍛錬に禅を取り入れていきました。これもまったく日蓮とは違う方向でした。罪人となった日蓮は、王臣万民から捨てられた境遇となった。ここで、梅原・折口は、日蓮にルサンチマが生じたとみるようです。たしかにこの一面はあると思えます。しかし、その二極の一極であり、もう一極は、日蓮己心の宗教的昇華として結実していった。まさに一線を画する如く日蓮は佐前と佐後では、格段の相違を見せていきます。
現代、世界では宗教におけるテロリズムが問題になっています。しかし、わたしの世代ではテロといえば共産革命の代名詞でした。正確に言えば、信者側の認識ではテロというよりジハード(聖戦)なのであろうと思えます。滝本師の言葉を籍りれば「際限のない善意の殺人」ということです。関連して、近代の宗教テロリズムの一つとして、オウム真理教は世界的に認識されています。破壊と再生の神・シバを祀り、麻原が何を考えたのか。宗教に疎い人々でも、「ポア」はメディアを通じて知られるところとなりました。
ジハードとポア。一見、日蓮門下に関係のないことと認識されますが、それは「現在の日蓮では」という但し書きが必要です。この点は、創価学会に関連して、のちほど、記そうと思います。
まずは実在の日蓮から考えることにします。日蓮にジハードとポアに類似した考えがあったのか。わたしはあったと考えます。ジハード、それは、直前に記したとおりの隣国王が邪法・悪国・謗法の日本を責め滅ぼすというシナリオに見ることができます。一方、ポアは、涅槃経を根拠として、念仏者刎頭の主張に見ることができると考えます。
日本はついに蒙古に占領されることはありませんでした。その後、長らく内戦時代は続きますが、侵略は免れたわけです。この歴史過程で、わたしは大きな二つの変化が日蓮門下にはあったと考えます。一つはジハード教義の放棄、そして、もう一つはポア教義の放棄です。このほ二つの根幹の放棄の時点で、もう一つ、国主観は長い時間を経て変化していったと思えます。
一方、唱題利益と祈祷による祈願成就という形で一般民衆に浸透して言った「日蓮」はここでは、もはや、今の言葉で言う民衆仏法化の道を既に歩み始めています。
放棄されたはずの日蓮のジハードとポアが復活する日がやってきます。
わたしは、それを戦前の日蓮主義に見ます。世界最終戦争、大東亜聖戦における日蓮信仰です。(この時代、しかし、目覚しい日蓮研究の飛躍があったことも事実です。今は、この点は論旨の異なるので述べません)
国主観の変化、先にそう記しましたが、神仏習合という日本仏教は、本地垂迹説に基づき、日蓮の国主観とは理論的な基礎(正法護持=賢王)とは、また、違った展開をしてきました。要は、天皇に代表される国神は釈尊と同一であるという考え方です。これはまた、日蓮本仏圏では天照八幡=日蓮という教学的展開ともなったわけです。
かつて、鎌倉幕府下、愚王、謗国として、梵天帝釈が身に入れ替わった隣国の聖人から仏罰、武力行使と侵略を受けて国家滅亡するという被治罰側と日蓮が認識した日本は、いまや、全く、逆の本化聖天主を仰ぐ、治罰する側へと180度正反対の解釈をここで見ることができます。
ここでは日蓮とは全く正反対でありながら、ジハードとポアの思想が復活したわけです。
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