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戦争を考える

150犀角独歩:2005/11/30(水) 08:35:51
「日本一州上下万民一人もなく謗法なれば、大梵天王・帝桓竝びに天照大神等、隣国の聖人に仰せつけられて謗法をためさんとせらるるか」(法門可被申様之事)

「梵王・帝釈・無量の諸天、天神地祇等、りんごく(隣国)の賢王の身に入りかわりて、その国をほろぼすべしと記し給へり。今の世は似て候者哉」(三三蔵祈雨事)

「法華経守護の梵帝等隣国の聖人に仰せ付けて日本国を治罰し、仏前の誓状を遂げんとをぼしめす事あり」(下山御消息)

日蓮の発想は、日本の為政者を愚王、隣国・蒙古の王を聖人と呼び、梵天帝釈が身に入れ替わりとまで言い、法華誹謗の日本を責め治罰することは仏の命令であるといいます。謗法の日本は他国が逼り責めるのことは仏教の道理であるというのです。そのうえで、本尊抄に

「此の四菩薩は、折伏を現ずる時は賢王と成って愚王を誡責し、摂受を行ずる時は僧と成って正法を弘持す」

この摂折、顕愚の王の解釈は門下においても、一様ではありませんが、上述の脈絡からするとき、聖人賢王たる蒙古によって日本が侵略され、広宣流布されると言っているとも読めます。

民衆仏法どころか、日蓮は隣国(蒙古)の側に立っている如くです。
しかし、それは表面的な見え方で実際は、法華信仰という側面から寿量本仏の立場であり、それに背く日本の他国侵略の必定(ひつじょう)を豪語しているわけです。

以上のような日蓮の発想は、『立正安国論』における北条時頼への進言に既に見られるわけです。法華に背くものは梵天帝釈が身に入れ替わった隣国、聖人・賢王=蒙古によって責められるべし、このような考えのどこが、日本の現行憲法の精神と似ているというのでしょうか。


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