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戦争を考える

141犀角独歩:2005/11/29(火) 11:50:29

日蓮が「民衆」という成句を使用しているのは真蹟で見る限り『守護国家論』の「国主と成りて民衆の歎きを知らざるに依り…」という1回限りのようです。この用法は、国主・民衆という対比での使用でしょう。その他を調べてみると、「臣民」「万民」「民」「土民」「黎民」「国民」「小民」「魔民」「諸民」という用法が見られます。

日蓮が民という場合、これは「王・臣・万民」「上一人より下万民」(国主・国民)の関係で述べるのが、その用法です。

王臣とは、もちろん、日本国の、ということになりますが、当然ここでは天皇と臣下の意です。では、この国家観ということになりますが、『法門可被申様之事』に「日本国当世は国一同に不孝謗法の国なるべし。此の国は釈迦如来の御所領。仏の左右臣下たる大梵天王第六天の魔王にたわせ給い」とあり、これを門下教学では釈尊御領観などといいます。これを図式化すれば、

釈尊>梵天/第六天魔王>諸神>国王(天皇)>人臣>民

という構造が窺われます。

ご質問の趣旨は、では、日蓮は、このヒエラルキーのどこに立っていたのかということでしょう。民の家から出た日蓮は、同書において「我等が親父釈迦如来の御所領をあずかりて、正法の僧をやしなうべき者につけられて候。毘沙門等は四天下の主、此れ等が門まもり。又四州の王等は毘沙門天が所従なるべし。其の上、日本秋津嶋は四州の輪王の所従にも及ばず、但嶋の長なるべし。長なんどにつかえん者どもに召されたり、上なんどかく上、面目なんど申すは、かたがたせんするところ日蓮をいやしみてかけるか」と厳しく、弟子・三位房を窘めるわけです。つまり、日蓮は、釈尊を親父と仰ぎ、その位置から、親の法を弘宣するという自覚であることが窺われます。つまり、立っている場所は釈尊の側であると、わたしが記したのはこの意味です。

釈尊の意志を継ぐ日蓮にとって、日本国王臣の領もまた、親父所従であるというわけです。その位置から、王に対して民の安寧をはかれというのが日蓮の意図でしょう。つまり、王・臣/民という当時の身分制度から、一段高い自覚があるわけです。日蓮がいう出家とはそのような意味です。

法華経の行者に日蓮とは釈尊(親)の子(菩薩・僧)であり、その済度の対象は、何も民衆ばかりにあったわけではなく、王臣をもその対象であったのでしょう。いやもっといえば、日蓮の済度の対象とは一切衆生であった。なんとなれば、『報恩抄』に「日蓮が慈悲曠大ならば、南無妙法蓮華経は万年の外未来までもながるべし。日本国の一切衆生の盲目をひらける功徳あり」というからです。

現在、民主主義、民衆という起源は、デモクラシーに由来するわけで、このような経緯と、日蓮がいう「民」は根本的に意味を異にしています。「政」についても、現在の民主主義国家という概念と日蓮が懐いていた、政も国も意味を異にしていたということです。

なお、「民衆立」という造語は、当初、誰がなしたものかしりませんが、正本堂建立に就き、それまで、田中智学の造語「国立戒壇」に対して、現在は民主主義の時代であるから民衆立が相応しいということで生じた言葉でした。‘立’とは民衆に立つとか国に立つとかという意味ではなく、戒壇を立てるのが国主か・民衆かという分別に基づく用法です。

現代語「民衆」は以上の点で、日蓮がいう「民衆」とは違っていると言うことです。ただし、それは日蓮が民の済度を考えていなかったということでは、もちろん、ありません。一切衆生のうちの六道輪廻人界衆生として、神に程近い王とその臣が快楽(けらく)安穏とさせる対象としての民も仏教の救いの対象と見ていたことは当然のことであろうと存じます。


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