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現代人が納得できる日蓮教学

8犀角独歩:2005/07/16(土) 20:38:09

「現代人が納得できる日蓮教学」という言葉は、では、人々はなにを納得していないのかという問の表裏ですね。また、どんなに嫌がられても、これをやめると組織の存続が成り立たないというせめぎ合いとも関連しています。

現代社会は、宗教によって、物事が決まっているわけではなく、憲法・法律によって主付けられているわけです。
基本的人権、民主平等に違反しないということです。
まず、この段階で、学会を含む石山教学は、人々から受け容れられないのでしょう。
また、科学によって証明されています。違憲、違法の宗教は受け容れられないというのが大前提です。非科学的なものは、もはや受け容れられません。

日蓮教学でいう最大の価値というのは、どうやら「信」ということなのかと思えます。
自分たちを信じる者は正しく、信じない者は間違っているという鉄則です。
宗教に差別があるのは当然だともします。当然だとするのは勝手ですが、差別意識は、社会一般から受け容れられないわけです。

社会一般からすれば、なにを信じようと・信じまいとその人の基本的な人権は保障されていますし、罰せられることはありません。ところが、この信仰世界では、そうはいかない。自分たちがいちばん、正しく、世界唯一の指導者であり、世界最高の教義であり、世界最高の本尊であることを認めないと成り立たない。
つまり、この構造は自分たちを最高とする‘ピラミッド’を信じるか・信じないかという差別によって成立しているわけです。このピラミッド構造のなかに為政者、就中、天皇をどう引き込むかに腐心してきたわけです。この差別感を信仰心であると勘違いしているのに過ぎません。

日蓮はこの規範を法華経に置き、これを涅槃経から考えたわけです。他のスレで議論しましたが、浄土念仏、真言禅を信じ、法華経を信じない僧侶は刎頭断罪にすることが仏教だと言ったわけです。中世以降の日蓮門下も「見壊法者・置不呵責」を折伏と言うも天文法難も経、檀家制度ともなり、近代では日輝以降、それを捨てた。しかし、近代、それがそれを田中智学等が復活した。また、戦後は創価学会が折伏大行進と言って、大石寺の血脈、彫刻本尊、日蓮本仏から、組織会長絶対を言い、近年、これを捨て、顕正会は戸田原理主義を模倣し、いまや世間の顰蹙を買っているわけです。

何度も記したことですが、「折伏」(折り伏せる)などという言葉で、事故の信念を押し付けるような態度は、差別的、自己絶対を強調する異常行為として、その言葉自体に不快感が懐かれるのは、当然のことであろうと思います。

この構造のなかで人びとが受け容れないのは、ファンダメンタリズム、呪物崇拝、カリスマ崇拝、信・不信差別、そして、強引な勧誘ということでしょう。わたしは個人的には公明党も受け容れがたいところですが、選挙戦法の勝利というか、ともかくも、いまや政府与党と手を組むわけですから、どういう訳か、日本国民は公明党を受け容れていることに、結果的になっています。


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