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現代人が納得できる日蓮教学
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:
犀角独歩
:2005/07/17(日) 22:32:15
ちょうど、投稿文を書いていましたら、問答さんのご投稿がありました。また、顕正居士さんのご投稿もありましたので、一応、書き終えたので、投稿することにします。追って、顕正居士さんのご投稿については、拝読させていただきます。
問答さんは「破綻」とは考えないとのことですが、わたしも精神論、信仰として完全に破綻したとは思っていません。ただ、「法華経は霊山八箇年の本懐の、お釈迦様が説いたもの」と言った類の部分で破綻したという意味で記しました。
> 日蓮聖人の教えの卓越性
この点をしっかりと言語化でき、実践化できれば、たしかに21世紀に日蓮は継承されていくだろうと思います。
その前提で、科学実証主義の前で、もはや日蓮の教えは消え去っていくのか、どうなんだろうという点を観察しています。日蓮は鎌倉時代の人ですから、日蓮のパーソナリティでいまの学問的成果を掌握したとしたらどうするのかという建て直し方も可能かも知れません。それとも、日蓮本仏下のように、学問的成果を認めず、御書は全編、真筆、相伝も事実、法華経は釈尊の直説、羅什は最高の漢訳者、天台・妙楽・伝教の釈は最高という100年前と変わらぬ教え混みを信じ込むことだけで、自分の信仰を成り立たせるのか。さて、どうするのかという問いかけを、当スレは含んでいると思います。
顕正居士さんが学問仏教、葬式仏教、仏教系新興宗教と三つに分類してくださったところは、たいへんにわかりやすいと思います。上記の事情を考える、適当な名前は思いつきませんが、伝説・神話仏教といった18世紀以前の形をそのまま、信仰する形態というのも一つ分類に立てられる気がします。因習仏教と言ったところでしょうか。そして、それが日蓮門下一般の形態で、学会を含む石山という信仰圏はこれに当たる気がします。それでも、学会の破門(独立)後は、ここからの転換を図っていると言えるのかも知れません。しかし、今のところは何もまだ成功していません。
学問仏教は、科学的、学問的成果を追求し続けます。しかし、岩本裕師が言うような門派護教といった自己肯定化に陥る自分(僧)と自分のお客さん(檀家)へリップサービスをするような学者の言うことは、掃いて捨てればよいのでしょう。要は「ご都合」の清掃です。言っていることのどこまでが、保身から、事実を枉げているところかを見極めないと、「大学者」の言うことだから正しいなどという坑に墜ちます。「学問とは○○先生の書いていることだから」ではなく、「最も信頼の出来る、最も新しい学問的成果は何か」を見る姿勢を忘れれば、カリスマ信仰と何ら変わらないものになってしまいます。
葬式仏教は、どうでしょうか。これはわたしが一つ付け足したらどうかと言った檀家制度以降の旧態依然とした科学の進歩から置き去りにされることで成り立っているところでしょうか。まあ、葬儀にニーズがあれば、わたしは、故人のためというより、遺族の満足のために、この形が、まだ少しは生き続けるとは思います。案外、この形を壊し始めたのは創価学会の友人葬なのかもしれません。それまでの葬儀に‘慣れた’人からすれば、違和感があり、高級感がなく、なんだか、即席、適当にやっているという印象を与えているようです。しかし、尊敬もしない坊さんは呼ばないという学会の考えは、まあ、わたしには一つの形と映じます。「あと、30年もすれば、坊さんは葬式で食えなくなる」、そう言った日蓮宗僧侶がいらした。正しい分析であろうかと思います。
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