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現代人が納得できる日蓮教学
26
:
顕正居士
:2005/07/17(日) 22:25:50
1 「聖人の教義は徹頭徹尾聖人の御書によって決定されねばならない」
まずこのことは当然です。天台妙楽の釈などともし相違するところがあっても無理に「会通」をするべきではない。
派祖やその後の諸師の説と相違するところがある場合にも、同様に無理に「会通」をするべきではありません。
および日蓮聖人の遺文の趣旨は13世紀日本の社会状況を理解して読まれねばならないし、語法は当時の文書
を参考に解釈されねばなりません。
2 「二祖日興上人が「聖人の御抄を心肝に染め、極理を師伝して若し間あらば台家を学ぶぺきこと」と、
御遺誡置文に仰せられた」
日蓮を学ぶ者はまず遺文をその意義を理解せずとも、おおよそこれを暗記すべきである。これも当然のことです。
ただし遺誡置文は興師の作でなくても上代の著述に属し、日蓮を学ぼうとする成人についていう。少年得度僧に
「台家を学ぶ」学力などあり得ないから。
3 「或るものは終始法華経を中心として、聖人の御一代の弘教を判断してゆこうとするし、或るものは聖人を
中心として法華経を判断してゆこうとする。此の二つの立場が基礎となつて、大きく二つの潮流をなして、此の上
に幾つもの異義が成立しておる」
「二つの潮流」というから一致、勝劣のことであろう。一致、勝劣は教義的というよりは党派的な区別である。
および「法華経を中心」とするならば、天台妙楽の釈に必ずしも拠らない、以外の先哲の解釈を採用することが
ある潮流の意味であるが、日蓮宗史上にそういう派は存在しない。
4 「釈尊の証明を尊重しないものである」
これを、大石寺は仏教に非ず、独立の教なりとの趣意に解すれば、誰を開祖とするかの問題が起こる。宗祖の
遺文はことごとく「釈尊の証明」に訴えている。この派の教義を大成した日寛師もわが派が仏教から独立すると
いう宣言はしていない。大石寺がすでに仏教、キリスト教などと並列する独立の宗教だというのは構わないが、
開祖の名や開宗の年号をいうべきであろう。あるいはこの文章がそうなのであろうか。
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