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摂受と折伏について
325
:
犀角独歩
:2005/06/19(日) 23:16:20
乾闥婆さん
いま、ちょっと、他行しているところで、他のレスは明日にさせていただきますが、遺文に関しては、それほど、構える資料ではありません。以下に載ります。
真跡遺文
http://www.genshu.gr.jp/DPJ/database/bunken/goibun/shinseki.htm
写本(偽書/疑書)
http://www.genshu.gr.jp/DPJ/database/bunken/goibun/syahon.htm
注法華経
http://www.genshu.gr.jp/DPJ/database/bunken/goibun/ibun_tyu.htm
326
:
パンナコッタ
:2005/06/19(日) 23:39:07
〉横レス失礼します。立正安国論広本については、
真蹟二十四紙完、京都府本圀寺蔵。『日祐目録』(写本の部)に「安国論 一帖 並再治本一帖」とある再治本が
これにあたるか。『富士一跡門徒存知事』に弘安年中に成立した「建治広本」として紹介される。『高祖遺文録』
に初めて収録される。基本的には幕府上呈時の「立正安国論」と変わりはないが、一部文言が添加されている。
文言の添加の概略は、①第八問答の仏子を罰するのは破戒行為ではないかとの客の問いに答える段で、曾つては
「その人を悪むのではなく謗法を悪むのであり、断罪するのではなく施を止むのである。」とされていたのが、
「邪見の仏弟子は速やかに重科に処すべし。」とされている。②第九問答の客の領解の段で、法然の「捨閉閣抛」
の対象に、「教主釈尊」と「天照太神・正八幡等」を加えている。③同じ段で、法華真言の勝劣を分別すべき旨が
挿入されている。この他若干の異動があるが強調句のようなものであるから割愛する。以上「立正安国論広本」は、
幕府上呈時より、諸宗破折の意が強調され鋭くなっており、真言破折が文言として顕われているところにその変化を
見ることができよう。 御書システム 解題より引用
と なっております。 現宗研のHPで比較してみるのがよいと思います。
327
:
乾闥婆
:2005/06/20(月) 00:26:42
犀角独歩さん。パンナコッタさん。
遺文資料データの紹介や「立正安国論広本」の解説の紹介、ありがとうございます。
こんなに便利なものがあるのですね。正直、感動しています。早速「お気に入り」に追加しました。今まで紙ベースのものとにらめっこをしつつ、それが真筆なのか、写本なのか、曽存なのか、一つひとつ調べながら取り組んでいました。
やはり再治にあたっては「真言・法華の勝劣を分別」することを明記するのですね。蓮祖の思想の変遷をまさに実地に見ることができました。
感謝いたします。
328
:
顕正居士
:2005/06/20(月) 18:51:05
安国論広本の
「月氏国之戒日大王は聖人也。其の上首を罰し五天之余黨を誡む。
尸那国之宣宗皇帝は賢王也。道士一十二人を誅して九州の仏敵を止む」
について。
戒日王や唐の宣宗が他教を迫害したかのように書かれていますが、事実はおおいに違います。
1 戒日王 『大唐西域記巻第五』が典拠とおもわれる。戒日王はインド教のシヴァ派を奉じていましたが、
諸宗教を平等に保護しました。王妹は正量部に帰依しており、他教の中では仏教に好意をもっていたよう
です。王の宗教政策に不満を懐いたバラモンのグループが王の暗殺を謀ったが、「王乃ち其の首悪を罰し
て余党を罪せず」という。首領を罰しただけであった。戒日王が慈悲深かったことを述べています。
2 唐の宣宗 唐の武宗は「会昌の廃仏」と称される大規模な仏教弾圧を行なった。納税を逃れるために
私度僧になる者が増加し、財政が疲弊していた。二十六万人の僧尼を還俗させたと伝えます。武宗は
道士趙帰真を重用し、彼はしばしば廃仏政策を進言した。武宗は丹薬(硫化水銀)の服用の害で崩御した。
宣宗が即位すると仏教復興の詔を出し、趙帰真らを捕え処刑した。『仏祖統紀』には「捕趙歸真等十三人
誅之」とあります。宣宗は後に仏教復興を後悔し、再び廃仏を行ったそうです。
329
:
ひたち
:2005/06/20(月) 20:29:53
犀角独歩さん
昨日は帰ってから掲示板を覗きましたが、レスをつける気分にならず失礼しました。
今日も疲れが残っておりますので続きは日曜に書きたいと思いますが、開目抄につきましては平行線のままになりそうですね。私は文章の論理の流れを重視しているのですが、開目抄の文は日本国折伏の意無きようには読めないのです。
また、日曜によろしくお願いいたします。
330
:
犀角独歩
:2005/06/21(火) 00:39:12
329 ひたちさん:
わたしも、もちろん「論理の流れを重視」しています。
議論が平行線になるかどうは、相手が提出した資料を、考証に入れるかどうかで決まるのだと思います。
わたしは、何度も同じことを繰り返していますが、もし、出家折伏であるというのであれば、それを指示する経釈を示すだけでよいわけです。
「日本国折伏」を在家・為政者に進めるのが、蓮師の教説でしょう。そして、顕正居士さんが仰るように、その極みは謗法者・念仏者の首を刎ねよが、蓮師がいう折伏であるということでしょう。
解釈の仕方を論じあっても意味がありません。
蓮師自身が折伏であるというのには、
(1)強盛発言が出家折伏であるとするのであれば、それを指示する文証を挙げること
(2)挙げた在家折伏を支える経釈を日蓮の身に充てているとすれば、執持刀杖・刎頭を実行したかどうか
以上の2点をクリアすれば、出家日蓮折伏は証明されます。
上記、資料の提出から、翌日曜日の議論となりましょうか。
それでは、日曜日また楽しみにしております。
331
:
犀角独歩
:2005/06/21(火) 00:56:36
328の顕正居士さんのご指摘を実に興味深く拝読しました。
再治本、もしくは広本といわれる建治・弘安の交の『立正安国論』を手に取って、問答さん、ひたちさん、乾闥婆さんと議論をしてきたわけですが、敢えて、自分の主張を揺らがせるような文献をご紹介しようと思います。
教誌『正法』No96 (平成16年正月号・日蓮宗新聞社)P15〜21に載る「『立正安国論』に触れて」で、中尾堯師は、この広本(再治本)に対して、疑義を投げかけており、考えさせられたものでした。
やや、長い引用になりますが、紹介します。
「現在の本圀寺本は、紙数24紙の長い巻子本(巻物)で、端正な筆致の本文が染筆されている。立正安国会編集の『日蓮聖人御真跡集成』では、日蓮聖人の身延時代、弘安元年(1276)の執筆とみる。また、『昭和定本日蓮聖人遺文』では、建治・弘安の交としている。この両書ともご真跡とされている。
ところが、『日蓮宗辞典』には、「はじめの数紙はご真筆であるが、その後は、弟子の筆跡である」と記されている。果たして、このようなことがありうるであろうか。日蓮聖人が、ご生涯を通して金科玉条とされた『立正安国論』を増補するにあたって20紙にもわたる本文の揮毫を、果たして弟子に任せることがありうるのだろうか。しかも、日蓮聖人とみまがう程の書を、このような形で後世に残した弟子は、まだ見当たらない。
本圀寺本は、前後を通して一筆であって、合作ではない(弟子の運筆は、日蓮聖人とくらべて、運筆の差がはっきりしている)。そのうえ、弘安初年といえば、本土寺蔵のご真跡『聖人御返事』(重文)を見るまでもなく、日蓮聖人の執筆活動はとみに盛んな時期であった。要は、本圀寺本の『立正安国論』が、ご真跡であるのか、あるいは後世の写本なのかが問題となろう。
ここでは、その答えを保留にしておくことにする。今後も、議論の余地はおおいにあるはずである。
14世紀ごろから『立正安国論』には「正本」と「再治本」が存在することはいわれていた。中山法華経寺第3代貫主の日祐上人は、『本尊目録』の中に「安国論 一帖並に再治本一帖」と記している。『立正安国論』とその「再治本」とが、1冊の帖にまとめて書写されていたと推察される。この「再治本」を、「広本」とするのが、大方の理解である。では、この写本の「親本」はいったいどこにあったのだろうか。
332
:
犀角独歩
:2005/06/21(火) 00:57:09
―331からつづく―
日蓮聖人の伝記をみると『立正安国論』の著述から、文永8年の佐渡配流までの間には、「再治本」を作成する必要も、必然性も認められない。佐渡配流中にも、このような営みはなかったとみられる。
すると、『立正安国論』の草案であるか、身延山の著作であるか、このいずかである。ところが、再治本という名称が「草案」を意味することはまずない。身延山こそ、「再治本」の著作地でなくてはならないだろう。この意味では、本圀寺本が「再治本」にあたるとすれば、先にあげた説のように、建治から弘安の交に、身延山において著述されたという見通しは当たっている。
そこで疑問が生まれる。身延山において、日蓮聖人みずからの意義深い著書に加筆された「再治本」は、当然ながら身延山の土蔵に、厳格に収蔵されたはずである。ところが、身延山の図書目録には、本書の記録はまったく見られない。ただ一つ、日朝上人の著作『朝師御書見聞集』に、「立正安国論に広本と略本がある」とされている。
この文言に続いて、「広本とは草案で、略本とは北条時頼に呈上された書である」としている。「或人云う」とされたこの指摘が不当であることは、先述した通りである。また、この記述はいまひとつ明確を欠いていて、日朝上人自身が広本を目にしていないのではないか。身延山には、『立正安国論』の広本、ないし再治本は伝来していないのである。中世と呼ばれる江戸時代以前には、広本か再治本があるといわれながらも、実際にこれを手にした者は見当たらない(日祐上人の場合も、みずから書写した本というわけではない)。これが、江戸時代になってはじめて姿を現したというのは、なぜであろうか。これだけの大部で、重要な書が、京都の町に君臨した本圀寺の宝蔵から近世になって取り沙汰されるようになったことは、どうしてであろうか。ナゾである。
もう一つ、『立正安国論』の2種の本が「広」と「略」で意味が区別されるのは、どうしてであろうかという疑問がある。
両本とも全体の筋書きには大差はないが、広本では引用文が補足されていることと、真言宗に対する批判が加わっていることがわかる。北条時頼に呈上された『立正安国論』がまず土台となって、それを補足されたのが、「広本」とされる本圀寺本の『立正安国論』であることは間違いない。
このような次第であるから、かつて身延山にあった『立正安国論』がまさしく「正本」である。したがって、日蓮聖人みずから書写された、中山法華経寺の『立正安国論』(国宝)もまた「正本」といわなくてはならない。
中山法華経寺本の奥書には、この書の意味については日蓮聖人みずから「此書は徴ある文なり、これひとえに日蓮の力にあらず、法華経の真文の致すところの感応か」と記されている。このお考えは終生変わらなかったはずで、これを「略本」と称することは誤りである」
333
:
犀角独歩
:2005/06/21(火) 17:02:31
331、332に紹介した中尾師の玉稿は、学ぶところが多いので、わたしのHPに参考文献として、アップしました。
『立正安国論』に触れて
http://www.geocities.jp/saikakudoppo/nakao_001.html
334
:
犀角独歩
:2005/06/22(水) 00:05:08
川蝉さん、ご覧になっていますか。ここでの議論の反論を大聖人門下の掲示板とかいうところで書いても仕様がないでしょう。ここでお書きになったらどうですか。
また、あそこの掲示板で、なんだかわたしに文句があるような投稿があるそうですが、わたしは、ここでしか書かないことにしています。
わたしに異論があれば、ここで書けばいいのです。
わたしが見ていないところで、なんだかたいそうに偉ぶって書いて、唯我独尊してもはじまらないでしょう。
わたしはここで書いています。わたしに文句のある大聖人門下で書いている皆さん、わたしの目を見て反論しなさい。わたしが見ていないところで、わたしに反論しても意味がないでしょう。それとも正面切っては言えないので、ほかで自分を大きく見せて終わりでしょうか。
大聖人門下の掲示板も、ここの掃きだめみたいな役割を押し付けられて気の毒だと思うわけです。
わたしはここで書いています。反論があれば、ここで受けます。
管理人さんには申し訳ありませんが、わたしたはあちらこちらに書き散らすことはしないので、ご勘弁ください。
335
:
犀角独歩
:2005/06/22(水) 00:14:24
川蝉さんには、ここで質問しておきます。
出家折伏を証する蓮師真跡遺文はなんでしょうか。
また、折伏というのであれば、川蝉さんは念仏者の首を斬るのでしょうか、斬らないのでしょうか。斬らないのであれば、なんで、それが折伏といえるでしょうか。
なお、わたしは誰々がこういった類の話は興味はありません。
日蓮が真跡でどう書いているか、これだけです。
また、その日蓮の言を受けて、どうするか、これだけです。
336
:
川蝉
:2005/06/22(水) 11:32:05
犀角独歩さん今日は。
>なお、わたしは誰々がこういった類の話は興味はありません。
私は凡才なので御書の真意を酌むには先学の教示を大いに参考にする必要があり、先学の教示を引用して論考することが多いのです。ですから「誰々がこういった類の話は興味ない」と云う犀角独歩には私のコメントなど無用だと思いますよ。
>出家折伏を証する蓮師真跡遺文はなんでしょうか。
大聖人門下掲示板の「摂折についての」3番に
今成教授は、
《折伏とは、「受難を怖れぬ常不軽菩薩の礼拝行」のごときものではなく、悪口雑言の類であり、物理的な暴力も辞さない強引な布教方法である。》
と定義されているそうですが、もし折伏の語意が「悪口雑言の類であり、物理的な暴力も辞さない強引な布教」と云う意味に限定されるのであれば、日蓮聖人の化導方法は折伏でないと言い得ましょう。
しかし、日蓮聖人が実際に行われた化導形態は、「受難を怖れぬ常不軽菩薩の礼拝行のごときもの」と今成教授が言うところのもので、「今ま日蓮。強盛に国土の謗法を責むれば」(開目抄・昭定603・学会版233)と云う姿でした。古来宗門ではそれを折伏と称しています。
と書いておきました。ですから「出家折伏を証する蓮師真跡遺文はなんでしょうか。」と云う質問は的はずれですね。
大聖人門下掲示板の「摂折についての」2番み書いておきましたが、
日蓮聖人は当時を大判して、謗法者充満・本未有善者充満と判じら
れています。
そして、「邪智謗法の者の多き時は折伏を前とす」(開目抄・学会版235頁)と判じられたからには、日蓮聖人の採られた化導方法は当然の事に、「折伏を前とす」する化導方法であったと云うことになります。
また日蓮聖人が不軽菩薩の化導形式を採られたことは、不軽菩薩の化導を折伏と観ておられたと云うことになりますね。
故に、古来から宗門に於いては日蓮聖人の化導方法は折伏あったと言い習わされているわけです。
またまた「誰々がこういった類の話」になりますが、大聖人門下掲示板の「摂折についての」4番に妙楽大師の註記を挙げた内に
「十、彼は則ち順化なるを以ての故に軌儀を存す。
此れは乃ち逆化なるを以ての故に恒の迹を忘る。」
(法華文句記巻十中・大正348・b)
と云うのがあります。不軽菩薩の化儀が逆化であるとしています。
永昌日鑑上人の「示正編」に、
「(湛然の)止観義例に『逆化順化 一折一摂の意を出でざるなり』と云うを、(支那北宋時代の)従義法師の『(止観義例)纂要』に釈して、『逆化は是れ折、順化は是れ摂』と云へり」
(上60紙右)
とありまして、妙楽大師・従義法師とも、逆化を折伏と称していたことがわかります。
ですから、不軽菩薩の逆化、而強毒之の化儀の芳跡を範とされた日蓮聖人の化導法を折伏であったと宗門では古来から称しているのでしょう。
>また、折伏というのであれば、川蝉さんは念仏者の首を斬るので
>しょうか、斬らないのでしょうか。斬らないのであれば、なんで、>それが折伏といえるでしょうか。
あまりに馬鹿げた質問ですね。不軽菩薩は譏る者の頸をはねていませんね。
折伏と云うと直ぐに
「悪口雑言の類であり、物理的な暴力も辞さない強引な布教」と勘違いしてしまう者が出るといけないので、
「開目抄」に「邪智謗法の者の多き時は折伏を前とす、不軽品のごとし。」(学会版235頁)
と「不軽品のごとし。」とことわっているのでしょうね。この句が後人の付加であると仮定しても、同じく誤解を心配して付加したのでしょうね。
私は、総ての行動が大智慧・大慈悲に基づく大菩薩ではありませんので、私には謗者断命の資格など有るわけ無いですね。賞罰の大権を有する国主でもないので謗者を苦治する資格もないですね。
せめて、分に応じて、言舌による批判と布施しない事ぐらいしかできませんね。
程度の低い質問に応える気になりませんでしたが一応答えておきました。
冨士門流信徒掲示板で論議に入り込む気持ちが、あまり涌かないのです。今後とも、特に気になる問題があるばあいも日蓮大聖人門下掲示板に書くつもりでおります。あしからず。
337
:
犀角独歩
:2005/06/22(水) 11:53:42
川蝉さん
> 「出家折伏を証する蓮師真跡遺文はなんでしょうか。」と云う質問は的はずれですね。
この質問が的はずれなのではなく、真跡遺文に蓮師が出家折伏を示す遺文がなければ、それにも拘わらず、蓮師折伏を言うのが的はずれなのです。
つまり、この返答は答えられないと言うことですね。
> 日蓮聖人の採られた化導方法…「折伏を前とす」する化導方法であった
これは短絡でしょう。その部分が在家の折伏の経釈を引用しているわけですから、出家日蓮に当たらないのではないのかということを、ここでは論じているわけです。
> 古来から宗門に於いては日蓮聖人の化導方法は折伏あったと言い習わされている
そんなことは関係ないでしょう。
言い慣らされていれば合っているというのであれば、石山宗門では古来から日蓮本仏、戒壇本尊が言い慣らされてきたから合っていることになります。
> またまた「誰々がこういった類の話」
これはわたしの質問とは関係ないことなので無視します。
> 不軽菩薩の逆化、而強毒之の化儀の芳跡を範とされた日蓮聖人の化導法を折伏であったと宗門では古来から称しているのでしょう。
ですから、それが本当にそう言えるのか考えているのです。
そこで、過去の結論を出すことは意味をなしません。
> あまりに馬鹿げた質問ですね。不軽菩薩は譏る者の頸をはねていませんね。
違うでしょう。日蓮は折伏として首を刎ねる証文を引いているのです。
もし、馬鹿げているというのであれば、日蓮その人が馬鹿げている、涅槃経、天台の釈が馬鹿げていると言うことです。そして、それを用いない川蝉さん、あなたは折伏をしていないということでしょう。
> 程度の低い質問に応える気になりませんでしたが一応答えておきました。
ほお。その程度の低いことに、ちゃんとした答が出来ずに、こんなことしか記せないわけですか(笑)
また、誰々がこういっただけを書いただけで、当の質問には「的はずれ」「馬鹿げている」と逃げまわり、おしまいですか。なるほど、人間性ごと、了解しました。回答不能と承りました。
> 冨士門流信徒掲示板で論議に入り込む気持ちが、あまり涌かない
でしたら、ここでの話題、わたしに類することには、他に持っていって、見えないところで書かないでください。卑怯でしょう。それとも、わたしの首を刎ねますか(大笑)
338
:
顕正居士
:2005/06/22(水) 14:29:06
川蝉さんが『諫迷論』を紹介して下さったのは、犀角独歩さんにではなく、わたしにでありましょう。
>>312
に『日出台隠記』というのがあるけれど、わたしは見たことがないと書きましたから。川蝉さんは
円信の論難が真迢と同じであるからと、長遠日遵の説を示されたのでありましょう。
800年の間、日蓮のエピゴーネン たちが日蓮の教義をどのように解釈して来たかという歴史は、日蓮の教説
それ自体よりも重要な事柄であります。
川蝉さんとshamonさんはまったく別の人です。この方は時々、日蓮系掲示板をあらします。
339
:
01
:2005/06/22(水) 22:02:25
独歩さんもたしかにきついが、けど、ほんとに引いてないね、出家折伏の証拠。
それに折伏は斬首、たしかに書いてある。悪口言うのと斬首じゃ、かなり違いがあるかも。
340
:
一字三礼
:2005/06/22(水) 23:01:31
横レス失礼します。
> 日蓮のエピゴーネン たちが日蓮の教義をどのように解釈して来たかという歴史は、日蓮の教説それ自体よりも重要な事柄であります。
それはまず日蓮の教義を正当に理解した上でなされる作業ではないでしょうか。
ここの掲示板では、富士門流のみならず日蓮の名を関する団体の行ってきた、危険思想の布教や闘争の歴史等のタブーを直視してきました。
そして、それらの思想は日蓮その人から発したものか、また後代の人間の考え違い、もしくは意図によってなされたものか。
それを見極めることは大変重要な作業です。
蓮祖自身のスタンスも、途中の人師・論師に拠った説を厳しく批判する、原典主義(当時としては)でした。
横レスになりますが。
しばらく続いた川蝉さんの変則的な投稿姿勢と今回の感情的な発言をとても残念に思います。
341
:
02
:2005/06/23(木) 00:32:15
それは独歩氏にも言えるんでないの?
342
:
02
:2005/06/23(木) 00:46:33
>川蝉さん、富士門流信徒の啓示場でお待ちします。
shamonさんも来る度胸と根性と度量があればどうぞ(嗤)
感情的に挑発してるのは誰なんでしょう。
343
:
顕正居士
:2005/06/23(木) 04:26:49
一字三礼さん。
日蓮の言説を13世紀の日本という時と場所とに即して理解することはもちろん大事です。これを「日蓮宗学」と
は区別し、仮に「日蓮教学」と呼ぶとします。
日蓮に源流すると称する新興教団を考察する場合にも「日蓮教学」の理解は必要です。これが薄弱であると、
考察者の日蓮イメージが好感的であれば当該教団の思想は日蓮その人とは無関係的と判断し易く、逆に
反感的であれば新興教団の教義は日蓮思想自体の展開とみなし易い。
ただし「日蓮教学」もしくは「上代日蓮宗学」を理解する場合にも、有益な章疏は参考にすべきです。遺文に
引用される書籍を全部読んだことがあるなら別ですが。
344
:
犀角独歩
:2005/06/23(木) 08:05:35
01、02さん、他で、こちらが何も言わないことを善いことに、なんだかんだ言うものがあれば、それに対して、何かを言うことと、それも駄目となると、さらに言いたい放題となります。
わたしは自分の権利は自分で守る。守るときにそれが感情的であると採られるのであれば、それはそれでけっこうです。感情的なのでしょう。しかし、そのような感情を誘発する根は断じて立つ姿勢は変えません。わたしは卑怯なやり口には黙りません。わたしは屈服しません。折り伏せられないということです。
一字三礼さん、「日蓮の教義を正当に理解した上でなされる作業」という点に、わたしはまったく同意です。そして、この点を考えるとき、日蓮以前、日蓮以後と厳格に分けないと正統な理解が出来ない点を特に注意してきました。
顕正居士さん、「日蓮の教義をどのように解釈して来たかという歴史は、日蓮の教説それ自体よりも重要な事柄」「有益な章疏は参考にすべ」、この点に異論があるわけではありません。ただ、日蓮自体の素描をしている段階で、この点に踏み込んでしまえば、日蓮の実像は見えなくなります。ですから、<1> その前(経/章疏/論等)、<2> 日蓮その人、<3>その後(解釈、疑義書など)の分離し、まず考えたいというのが、わたしの言っていることです。
<1> たとえば、いま議論の的になっている折伏を真跡遺文4典で見ると、涅槃経護持この‘在家国王為政者’が教法(涅槃経)違反のものを治罰するためには五戒をさておき、執持刀杖・刎頭するとを折伏であるといっています。
この経説を天台も採用します。ところが天台の採用の時点では、涅槃経は法華経に包摂され、涅槃経でいう正法は元来、涅槃経を指していたものが法華経に取って代わるという変化が生じています。この涅槃経による法華解釈は全般に及んでいます。まず、これが日蓮以前の段階で起きています。
<2> この天台の‘解釈’を受け、日蓮もまた真跡遺文4典において折伏を論じます。しかしながら、ここで日蓮の引用する折伏の根拠は涅槃経であって在家国王為政者について説く証拠しか挙げていません。となれば、出家である日蓮にそれが該当しないことになる。しかし、それでも、日蓮が自身折伏の人であるというのであれば、日蓮はそれまでの、在家折伏証拠資料を自分に充てたのかどうかという点を見ればよいことになります。すると、たしかにその教団は、執持刀杖の様はあったことは窺えます。
しかし、実際のところ、日蓮が武器を取って積極的に念仏者の頭を刎ねて回った事実には行き当たらない。つまり、涅槃経にいう折伏=刎頭という事実に当たらなければ、日蓮は、その折伏説に拠っていないと判断できます。(また、日蓮は、単に天台釈の一切を踏襲したと言うより、末法観に基づく新解釈を示し、たとえば「無作」「法華折伏破権門理」と言った説を廃する様も観察できます。一方、唱題、漫荼羅も考案しました)以上は、日蓮その人に係る事実相です。
345
:
犀角独歩
:2005/06/23(木) 08:06:05
―345からつづく―
<3> さて、ところが、現在に至る日蓮門下一般では、日蓮と言えば折伏であるといいます。その場合、日蓮の折伏と他宗・他僧の言説攻撃が折伏であると‘解釈’されてきました。それを支える多くの疑偽書も生じました。川蝉さんが引用するような中世から近代に至る高僧と言われる坊さん連中が盛んに折伏解釈を考え論じもしたでしょう。戦前では、田中智学とその一派は、この折伏をもって世界最終戦争、日本の侵略戦争、世界の中心を日本、殊に天皇と日蓮に置く肯定論として、折伏は大いに語られました。近年では創価学会が折伏大行進と銘打って世間を震撼させる勧誘を展開しました。また、いま現在、顕正会は高校生を中心に折伏と称して、勧誘を展開し、余の父兄並びに学校関係に迷惑を掛けています。
以上のような流れの中で、編年体にもなっておらず、真偽考証もされず、さらに自宗に引き入れた相伝文の類まで取り込んだ『日蓮大聖人御書』と称する雑文を使い、解釈を恰も日蓮の真意であるかのように思想訓練されてしまった学会を含む石山信仰圏の人々は、それら全般を恰も日蓮その人の真意であると誤認するに至ったという前提があります。
しかし、これは誤認です。また、このような誤認は、独り、学会を含む石山門下のみならず、戦前では田中智学とその一派も、さらに言えば、本弟子六人の門流全般、さらに経巻相承を掲げた中途派生の弟子外の自称日蓮門下も同轍でした。その資料と、日蓮の実像分析もできず、真偽混濁、ただ、自身の師を仰ぎ、疑いを捨てる訓練からの学習によってさらに、いまで、それぞれの指導者翼賛と、集団利益拡充の肯定理論として、さらに改竄された「折伏」論でさらに日蓮の実像は見えません。これは、しかし、日蓮以降のことでしょう。
このような次第ですから、わたしは、ここでは、まず確実な日蓮の真跡遺文四典に限り、そこで日蓮は折伏について、どう論じたのかを見ようと言ってきたわけです。これがすべてです。
しかし、その段階で、自身の信念体系下で虚構された‘解釈’を持ち込んだり、さらに日蓮不採用の経釈に遡りすぎれば、これまた、日蓮の実像は見えなくなります。
以上がわたしの言いたいことであり、ここで行いたい試作です。その第一段階で、ひたちさんとは、ただ『開目抄』に限り、そこに展開される日蓮の折伏論とは何かをまず闡明にしようとしてきたわけです。そういった段階にあります。しかし、考証の全体は日蓮真跡遺文4典に見られる「日蓮の折伏」の実像です。
その意味に置いて、わたしは何度も真跡遺文4典と言ってきたのにも拘わらず、中途の坊さんの話など持ち出されれば、実像は見えなくなるというのが、川蝉さんに対する主な遮難です。まずは、日蓮その人の折伏を見ようと言うことです。
346
:
顕正居士
:2005/06/23(木) 11:56:08
今回、話題のきっかけとなった今成師の所説中、失われた開目抄真翰には「常不軽品のごとし」がなかった
のでないか、これがたいへん重大な御意見です。日蓮は自身の受難が勧持品の偈の身読に当たるとし、
かつその弘経は不軽菩薩を承継すると語っている。および安楽行品の末法布教の原則に相違していること
を認めている。ここで開目抄に「常不軽品のごとし」とあれば、勧持、不軽の忍難弘経すなわち折伏であると
解釈されて当然です。しかし日蓮が安楽行品の教勅に相違していると自省する内容はいわゆる四箇格言に
定式化される他宗誹謗です。勧持品の深位の菩薩たちは他宗を誹謗したのか。不軽菩薩は他宗を誹謗した
のか。不軽行を折伏というのはこの開目抄の一節だけなのです。はたして泰堂居士が見逃したのか否かは
真翰が失われた今はもうわかりません。開目抄とその他の確実な遺文中にある折伏に関する言説から推理
する以外ない。わたしは「常不軽品のごとし」が無かったとするほうがわかりやすいと思います。日蓮が折伏
をいう際に引用する文章はぜんぶ涅槃経関連なのです。如説修行抄と弘安2年の上野殿御返事には「法華
折伏破権門理」が引用されますが、この語を涅槃経の闡提折伏に寄せて解釈しています。この句は「諸法は
本より来た 常に自ら寂滅の相」であり、第二の乗も第三の乗も実在しない、それらに対立する第一の乗も
存在しない、実在するのは絶対的な一乗のみだと法華円教は説く、凡ゆる対立概念を破壊するから法華経
は教説自体が折伏である意味です。慶林日隆はこれを「法体法爾の折伏」と名付け、「化儀の折伏」と区別し、
不軽行が折伏であるのはこの意味だとします。しかしそれだと日蓮は安楽行を摂受というのに合わないから、
口伝を引いて迹門は法体摂受、本門は法体折伏と無理をいう(四帖抄)。
通常に使う「折伏」とは、「不軽行は折伏行である、自己の我見慢心を折伏するからである」のように、自己の
煩悩を摧破する意味である。経文の中で唯一異なる語法が勝鬘経にいう折伏で、刑法を制定し、道徳を以て
導けない犯罪者を逮捕し、処罰することは悪道の衆生を減少させ、摂受し易くするから、これも立派な菩薩の
行であるという。菩薩は在家出家に亘るから、法官、刑吏等の職にある場合、その任務が仏法に違反しない
か否か信念が必要である。これに準じて天台智邈は涅槃経の殺一闡提の説を折伏と名付けたので、かの経
に折伏とあるわけではない。および智邈はこれらと異なる次元、三諦偈の「我説即是空」の意味で折伏の語を
また用いる。智邈は不軽行を「而強毒之」といい、湛然は「逆化」というから、殺一闡提を折伏と名付けるの
なら、不軽行また折伏といっても差し支えがないと思える。しかし智邈も湛然も折伏とはいわない。だから日蓮
もいわなかったとしたら、教説を述べるとか、道徳を説くとかの行為に「折伏」の語は用いない、暴力を用いる
場合にのみいうと理解していたのだと考える。智邈の別の用法を「法体の折伏」と名付けるのは適切である。
それは化儀(人間の行動)とは関わらない。仏説中、諸法の空なることを述べ、これは有りという執着を断じる
モードを折伏という。本門の教説はその上で一大善巧方便として有を述べるのだから、迹門と対比するならば
本門を法体摂受というべきである。嘉祥吉蔵のいう「破邪」が智邈の「破法」、「折伏」であり、「顕正」が「立法」、
「摂受」に該当します。
347
:
顕正居士
:2005/06/23(木) 16:57:04
日蓮が用いる折伏の語がもっぱら涅槃経の勢力折伏を指すのであれば、本尊抄の文はなんら難解ではない。
折伏は元の世祖、クビライ・ハーンがなさることである。その時に日本人は一挙に日蓮を信じるであろう。刀杖
を持せというのはむろん折伏であるが、僅かな日蓮の門徒に他宗寺院を襲撃せよといっているわけではない。
これは自衛のためであろう。武器を持つのも四箇格言を唱えるのも折伏に相違ないが、暴力中の暴力である
大戦争に比較すれば、説教に付随する範囲の事柄である。日蓮が専修念仏の禁断を政府に要求したのは
この一凶を禁ずればモンゴル軍による大折伏に遭わずに済むと信じていたからである。熱原の法難を除くと
日蓮の在世に門徒が暴力事件を起した話はない。日蓮の滅後、折伏思想がこの宗の不治の病となり、結句は
比叡山兵の大折伏に遭った。それは日蓮の語る折伏の肝心の意味合いが幸運に元軍を撃退できたために
蒸発してしまったからであるとおもう。
348
:
顕正居士
:2005/06/23(木) 18:01:34
富永仲基、服部天游が出現するまで一切経は釈尊の直説に基づくと信じられていた。仏滅後500年の間は
大乗経など存在しなかったことは知っていたのにである。これは各時代ごとに何か越えられない意識の壁が
あるのだとおもう。富永や服部は漢訳経典の記事のみから難なく経典成立史を解明してしまったのだから。
さて誰が作ったものと知れない大乗経を所依とすることはインドやチベットの大乗仏教にはない。「経宗」は
中国ではじめて成立した。その結果、涅槃経の「まずいところがたくさんでてくる」(望月良晃師)部分も仏説
にしてしまった。望月師は背景は大乗教徒同士の抗争であると推測する。
http://www.genshu.gr.jp/DPJ/syoho/syoho32/s32_068.htm
杉本卓洲氏はこの抗争は般若経、法華経の時代からであるという。
「こうした、それぞれの生き方、行き方の大きな相違は、激しい対立を生み出した。これは、対立を非とし、
忍耐と宥和を教示したはずのブッダの教えに大きく違反するものであった。仏教自体のなかに、聖性とは
逆の賎性ともいうべき側面が発生時から内在していたともいえるが、大乗教団において、それがあらわな
かたちで顕在化したといってよかろう。それは、インドからの仏教の消滅への前哨ともなっており、消滅への
道はすでに始まっていたといえる」とおっしゃる。
「仏塔と菩薩に見る賎」
http://web.kanazawa-u.ac.jp/~hikaku/shima/kaken98.pdf
349
:
犀角独歩
:2005/06/24(金) 06:35:04
顕正居士さん
法華六大部から、折伏、摂受、折伏摂受という語で検索をしてみました。
語句…折伏…摂受…折伏摂受
文句……04……02…………00
玄義……08……09…………07
止観……01……03…………00
―――――――――――――
小計……13……14…………07
―――――――――――――
文記……00……01…………00
釋籤……00……00…………00
弘決……07……06…………01
―――――――――――――
小計……07……07…………01
―――――――――――――
合計……20……21…………08
天台の場合、その用法が最も多く見られるのは玄義で、特に「折伏摂受」という成句はここでしか見られません。文句では折伏4・摂受2で折伏が多く、止観では折伏1・摂受3で摂受が多くなっています。
妙楽では折伏・摂受は弘決を除いてはほとんど語られておらず、記に摂受が1で、あとは弘決で折伏7・摂受6・折伏摂受1となっています。
折伏と摂受の選択で折伏が採られている様子は勿論ありません。妙楽に至っては、その説明を弘決のみにまとめた如くで、天台では最も多く折伏・摂受を使用するの玄義であるのに、釋籤ではまったく採用していません。それにも拘わらず、止観では1度しか使われない折伏が弘決では7との相違を見せます。
ついでに日蓮文献についても定本を使い、数えてみました。
語句…折伏…摂受…折伏摂受…摂受折伏…摂折
真跡……13……12…………00…………04……01
写本……16……10…………00…………01……02
―――――――――――――――――――――
合計……20……21…………08…………05……03
―――――――――――――――――――――
天台・妙楽、真跡では折伏・摂受の使用頻度はほぼ同数であるのに対して、写本では折伏が6割も多くなっています。
また、天台と日蓮を比較すると、前者が「折伏摂受」となっているところが、後者では「折伏摂受」となっている点で異なり、真跡と写本で比較すると「法華折伏・破権門理」は前者で使用はなく、写本では3回あるという特徴を有しています。
肥大し捏造された思想というものは統計とは矛盾しますが、やはり、日蓮門下の折伏もこの例に漏れないことが、よくわかりました。
350
:
犀角独歩
:2005/06/24(金) 07:01:19
重ねて顕正居士さん、
> 「常不軽品のごとし」が無かったとするほうがわかりやすい
このご賢察はもっともであると思います。そもそも不軽菩薩を折伏とすること自体、まったく無理があるからです。
> 智邈は不軽行を「而強毒之」…湛然は「逆化」…智邈も湛然も折伏とはいわない。だから日蓮もいわなかったとしたら、教説を述べるとか、道徳を説くとかの行為に「折伏」の語は用いない、暴力を用いる場合にのみいうと理解
法華六大部から真跡遺文を読む限り、まったくこのとおりであろうと思います。
> 日蓮が用いる折伏の語がもっぱら涅槃経の勢力折伏を指すのであれば、本尊抄の文はなんら難解ではない
たしかに、そのとおりで、この点を逃すと、日蓮の「摂折」は『転重軽受法門』から『本尊抄』で一貫性がないと見えますが、この視点に立つと一貫していることは明瞭です。
> 日蓮の滅後、折伏思想がこの宗の不治の病となり、結句は比叡山兵の大折伏に遭った
この分析は正鵠であろう敬服します。
> …望月良晃師…杉本卓洲氏
実に参考になりました。
以下、顕正居士さんへの、レスから離れます。
この「不治の病」は戦前、世界最終戦争といった侵略と大量殺人、差別思想として、田中一派が激したところですが、敗戦という結果によって、この悪しき日蓮解釈は田中智学の名前と共に葬られました。しかし、その亡霊はいまだにさまよい続け、差別原理として根強く、日本社会に蔓延している点に、実はわたしは学会・石山在籍中には気付けませんでした。
まったくそれにしても、この亡霊は、独り、かつての「日蓮正宗創価学会」、また、現在の「冨士大石寺顕正会」の折伏論でばかりさまよっているのかと思えば、何ら影響力も持たないながら、一部、田中信奉者の中に生き続けていることを、この度、確認し、驚くと言うより、呆れた気分となったものでした。しかし、何ら影響力も勢力も失ったそんな一部マニアの「折伏」論は、ただ偏狭な井戸の中で、虚しく響くばかりです。朽ち果てていくものは放って置いても潰えるのを見物していれば、それでよいわけですが、少なくとも「日蓮折伏」の汚名は拭い去りたいというささやかな動機は、依然として残ります。
351
:
犀角独歩
:2005/06/24(金) 10:24:40
日本社会のなかで「日蓮」が果たしてきたことは何であったのか。
個人的には唱題の行を通じて、生きることを実感してきた、そんな効果はもちろんあったでしょう。しかし、それが集団・指導者では、その個人の信仰体験・実感は、実は本人から離れて、日本、ひいては世界の問題になっていったわけです。しかし、この段階で個人が責任を感じることがないのは、たとえば、スタンリー・ミルグラム師は『服従の心理』(河出書房新社)のなかで
「代理状態のもっとも重大な結果は、個人が自分の指図している‘権威に対して’は責任を感じるが、権威に命じられた行為の内容‘については’責任を感じなくなるということである。道徳は、消滅するのではなく、根本的に違った点に集中される。従者が感じる恥や誇りは、自分が権威に求められた行為をどれほどうまくやったかということで決められる」
「責任感の消滅は、権威への服従のもっとも重大な効果である」
「屈服 個人的責任の放棄が権威への屈服の主要な心理的結果である」
と述べたことであるというのが、社会心理学的な分析です。
上述した‘権威’とは、信仰の端緒は、直属の「折伏してくれた」先輩・上司であり、ついで、会責任者となり、さらに会そのものである指導者となっていきます。この権威は、客観的に見れば、直ちに了解できますが、権威下にある本人はそれを権威と感じないという基本的錯誤帰属によって支えられていると、わたしは思えます。
現代から時代を逆行して考えれば、いまの顕正会による妄想された「国立戒壇」実現という名目における指導者を満足させるための「折伏」と称された勧誘という社会問題。戦後間もない日本における「邪宗撲滅」と銘打たれた創価学会の「折伏大行進」。この二つは日蓮が本仏である、「戒壇の大御本尊、日蓮大聖人本懐の究極の大漫荼羅である」という嘘によって人々を煽動したものでした。顕正会被害は現代会で同会の発表では100万人。創価学会が昭和42年戒壇建立に募った人数は800万人、金額は450億円前後。当時の貨幣価値をいまに直すとどれ程の莫大な金額でしょうか。さらにその建築物を臆面もなく破壊したの大石寺。わたしは、これはその動員された人の数、金額を考えても重大な社会問題であると思えます。ところが、ここでは「責任」の二文字は完全に欠落しています。
藤川さんにはお叱りを受けるかも知れませんが、「八紘一宇」などという主張は、日本以外のアジア民族であれば、一部の例外を除いては、とても承伏できないことであったろうと思います。中国・朝鮮半島が日本の戦争責任を言うことに日本人はピンと来ない。田中智学をいまもって、担ぐのは当人の勝手ですが、その戦争責任を問う声はないわけです。
顕正居士さんが記すように比叡山は折伏の名目で京都の日蓮宗寺院を灰燼に帰したのでしょうか。どれ程の信者が殺されたのでしょうか。では、日蓮宗が京都で権勢を誇るようになったのは非暴力、非差別的平和な勝利であったのか。
日蓮は敢然と折伏名目で法華不信者の頭(こうべ)を刎ねろと言いました。この起源は中国にも、さらにはインドにも遡れるでしょう。政教一致の国勢で、実際に罪を犯す人々を処罰するのは国家公安と他の国民のための必要悪といわざるを得ない。この点を否定してしまえば、国家安泰はたしかにありません。しかし、この段階でも涅槃経(法華経)を信じないというだけで、はたして首を斬っていいのか。政教分離された現代規範から言えば、オウム真理教の自称・麻原彰晃とその弟子が極刑判決を受けたように、そんなことは到底赦されないわけです。
352
:
犀角独歩
:2005/06/24(金) 10:25:11
―351からつづく―
「折伏」という強制的な布教に、人々は「No」という結論を出した。明治維新に起きた廃仏毀釈は、仏教徒にとって耐え難い屈辱と迫害であった。しかし、日蓮門下が言ってきた「折伏」は、どうであったのか。その門下と称する人間がやってきたことは、どんなことであったのか。いまもって、そこに組織指導者には、何ら反省もなく、またその組織指導者に追従する信者もまた「責任」を感じることなく、今に至っています。
これを以上である感じない永続的麻痺が日蓮門下の一大特徴を成していることに気付けないことが深刻であると、わたしは思うわけです。
21世紀にもなった現在、教義に限ることながら、相手を折伏する、折り伏せるとは何事かということです。こんな強制的な言辞を商業の場面で使えば、ただちに刑事事件となるでしょう。なぜ、それが、殊仏教であると赦されるのかという点に、わたしは大きな疑問を懐きます。そして、何よりも、そんなことを平然と口にして、何とも思わない「無責任」の極まりにため息をつくと言うことです。
恰も、日本の近代史の中での責任など、何もなかったように、田中智学が語られることに、わたしは大きな憤りを覚えます。そして、そのように田中智学を語る人々の無責任さは、いまもって平然と「折伏」を肯定し、さらにその責任を日蓮という権威に借りて肯定しているという恥ずべき事実でもあります。
わたしは、その真跡遺文から日蓮その人は、自身折伏を言わなかったことがわかっただけでも、せめてもの救いを感じます。また、涅槃経に言う如き刎頭折伏という殺戮に自身の手を染めなかったという点で、日本史における仏教名目における暴力と殺人からは区別されてもよいと思います。しかし、日蓮が継承した法華経の涅槃経的解釈は法華経の安楽行品、勧持品をはじめとする、法難に遭ってもやり返すことなく、相手の長短を言わず、好悪を述べないという法華菩薩像を壊した責任を天台と共に背負っていると考えます。そして、その末裔は、いまになって、その責任にすら気付けない有様にあると嘆くのです。涅槃経の「ポア」思想が一闡提に向けられてしまえば、この教えは邪教と言うしかない。その血にまみれた刀を法華経につけてはいけない。法華経から脱涅槃経解釈が今日的には大きな意義を持つことを提言しておきたいと思います。
一闡提斬首を言ってしまった宗教は、もはや、社会で赦しておくことはできません。それはオウム真理教を処罰したことと同じ理由です。
日蓮門下人は、その正邪を問うとき、権威(法華経、涅槃経、日蓮、先人の章疏・論説・解釈)に委ね、自らの頭で考えることを放棄しています。
権威ある高僧が言ったことであろうと、さらに言えば、日蓮が言ったことであろうと、間違っているものは間違っているのです。涅槃経折伏は現代に通用させてはならないのであり、それに基づいた法華経解釈も葬られなければならない。この尺度は宗教ではない。人権です。
また、法華経に差別思想があれば、それもまた、捨てる以外にない。そのうえで残る法華経精神が何であるのか。それを考えなければ、今後の法華信仰も、日蓮信仰も、ただ、いまの無思慮な日蓮門下人の無責任を徒に繰り返すだけのことでしょう。
以上のような鋭利な視点から、わたしはここ冨士門流信徒の掲示板を問答名人さんははじめたと信じます。わたしは無自覚・無責任な差別主義者に容赦しません。これがただの議論ではなく社会悪だからです。オウム真理教と変わることがないものを見て見ぬ振りはできないからです。そういった意味で、単に議論と見れば、わたしの言い過ぎと映じることもあるでしょう。しかし、それは表面的な見方に過ぎない。もう一歩、踏み込んで上述したことを、日蓮信徒が、もう一度、考証し直してみていただきたいとも提言します。
川蝉さん、「大聖人門下の掲示板」をロム・レスされている人々が、これを読むかどうかわかりませんが、わたしの言いたいことは、以上のことです。権威を他に委ねず、自分の頭で考える力を取り戻してください。
353
:
陣内
:2005/06/24(金) 10:27:12
はじめまして。ご議論興味深く拝見しております。
顕正居士さんへ
結局のところ、日蓮上人の立場はどんなものだったのでしょうか。
そして、その後の僧俗はそれをどう誤解してしまったのでしょうか。
また、涅槃経などお経自体にも誤りがあるのですか。
354
:
陣内
:2005/06/24(金) 11:41:47
犀角独歩さんへ
私も法華経による暴力は否定されるべきだと思います。
ただ、現代は、先の大戦で負けた側の世界観は否定され、勝った側の世界観で
すべてが塗り固められているようです。その価値観を戦後教育を受けた我々が
抱き込んでいるわけで、その目で日蓮上人あるいは法華経を眺めた場合、なんとも
差別的・封建的で正義に反するように見えてしまうのではないでしょうか。
外来の自由・平等・博愛の思想、それ自体は社会的にとても良いことですが、
その刀で法華経を切ってしまっても良いのでしょうか。
355
:
顕正居士
:2005/06/24(金) 11:54:34
陣内さん。はじめまして。
>結局のところ、日蓮上人の立場はどんなものだったのでしょうか。
「恐怖悪世中の経文は末法の始めを指す也」
「今の勧持品は未来の不軽品たるべし。其の時は日蓮は即ち不軽菩薩たるべし」(寺泊御書)
勧持品の偈は末法の始めを指し、この時は三類の敵人に対して折伏を行わなければならないが、
未来には不軽行に変わるであろう。不軽行は今のことではない。不軽行は折伏ではない。
「現折伏時成賢王誡責愚王」
三類の敵人ありと示すことは折伏。自衛のために刀杖を持するのは折伏。しかし折伏の中心内容は
元軍の来寇である。
>そして、その後の僧俗はそれをどう誤解してしまったのでしょうか。
不軽行を折伏としたために摂折の理解が混乱した。元軍を幸運に撃退できたので、「賢王」とは未来に
出現する本化聖天子である、「誡責愚王」とは日本が外国に侵攻すること、という解釈が生じた。
要するにいつまでという時限もなく、武力そのほかの勢力を用いて日蓮法華宗を宣教するのが「折伏」だ
となってしまった。天文法乱以後は折伏放棄のやむなきに至り、強制されて摂受教学になり、そのかわり
いちおうまっとうな宗派になった。明治以後、「国体の変更」を伴わない言論なら取り締まられなくなり、
一部に折伏本意が復活した。常に折伏の概念が混乱しており、宗義に疎い在家者の中には他宗の人法
を悪口することが折伏という誤解が生じ、他宗の人は相手にしないので、自宗の中で誹謗しあい、天下の
笑いものになった。
>また、涅槃経などお経自体にも誤りがあるのですか。
いっぱいあります。アショカ王が十万八千人殺したとか。
356
:
犀角独歩
:2005/06/24(金) 11:58:42
はじめまして。
陣内さんはおいくつであるか知りませんが、わたしは昭和30年に学会・池田さんの生誕地で生まれ、その40歳になるまで、その信念体系下にありました。その意味で戦後、日本社会における「日蓮正宗創価学会」、そして、近年の「冨士大石寺顕正会」の動向をリアルタイムで見てきました。
わたしは、何も日蓮・法華経をのみ、考証しようとは、もちろん、思っていません。
世界史から見たキリスト教とイスラム教の問題は、仰るとおり、日蓮門下以上の問題です。この点は、もちろん、看過しません。
ただ、わたしは過去40年間、永らく自分が所属し、影響を受け、語り、且つ布教したの自己責任に置いて、偽らざる実像を、まずそのままに素描し、そこから、どうするかを考えるべきだというスタンスです。日蓮門下の自己正当化論は実に見苦しいと言うことです。
殺人犯が、「殺人はよくない」と言っても、反対に批判されるだけでしょう。しかし、その殺人犯が心から改心し、前非を悔い、それを表明し、その言を不実にしないために行動すれば、その罪が消えることはなくとも、単に批判するよりは説得力があります。わたしの言っていることはそのようなことです。
357
:
陣内
:2005/06/24(金) 13:14:37
顕正居士さんへ
レスありがとうございます。
>今の勧持品は未来の不軽品たるべし。其の時は日蓮は即ち不軽菩薩たるべし
この文は、今の日蓮の勧持品の実践は、将来は過去の事として語られ、不軽菩薩の事績ように
語られることになるだろうという意味にも取れますね。
>常に折伏の概念が混乱しており、宗義に疎い在家者の中には他宗の人法
を悪口することが折伏という誤解が生じ、他宗の人は相手にしないので、
自宗の中で誹謗しあい、天下の笑いものになった。
そのような現実はたしかにあると思います。
私は「折伏」とは自我を「へし折る」といったような意味で捉えます。偏狭な宗派根性や
つまらない会長様や教祖様の為に無理やり仲間を増やすことに使う言葉ではないと思います。
一応理屈の上では、自分が自我をヘし折っていれば、他人が自我をへし折るための手伝いが
少しはできるのではとも考えます。もちろん盲目的にどこかの団体の教義に従うというのではなく。
>いっぱいあります。アショカ王が十万八千人殺したとか。
そうでしたか。
純宗教理論上、絶対善の立場であれば慈悲によるポアが許されるか否かですね。
358
:
顕正居士
:2005/06/24(金) 13:21:56
経典の伝来事情がわかっていた中国人がなぜ一切経金口の約束を立てたのか
大乗経の制作過程は今日のWikiprdiaのようなものであったとおもう。こちらは物語ではなく百科事典です。
読んだ人が自由に書き加える、あるいは書き換える。なかなかこれが上手にいく。次第に完成する。部派
所伝の三蔵の中の経とはぜんぜん異なる。自由共同制作形態であったろうと想像します。
この制作形態が成功し、今日まで多くの人々に感銘を与え続ける幾多の仏教文芸が誕生した。ただし、
こういう制作形態だから、編纂者がいるわけではない、どれが正規のテキストともいえない。
それなのに中国ではなぜ「経宗」が成り立ったのか。経典の翻訳はだいたいが官製事業として行われる。
「三蔵」の称号を帯びる教義と言語に通じた高名な学者が訳出する。完成すると権威ある序文が付される。
皇帝おん自らのこともある。すなわち大乗経も漢訳されると正典である。「経」である以上、仏家にとっては
儒家の十三経と同一である。「まずいところがある」とか、「最近に作られたんだろう」とかはいえない。
「まずいところ」は「会通」するしかない。訳出する前ならば「まずいところがある」、「後人の付加がある」など
もいえよう。しかし梵語や胡語は三蔵しか知らない。中華皇帝の権威は江戸時代の日本人にはそれほど
及ばない。だから日本人は経典成立史を解明し、発表することができたのであるとおもう。
359
:
陣内
:2005/06/24(金) 13:56:01
犀角独歩さんへ
とてもご誠実なレスに感謝致します。
私もほぼ同世代です。
日本人は元々どこか非常に謙虚なところがあって、戦後60年間、基本的には
色々と自己批判してきたように思えます(まだ足りないとも言われますが)。
西欧列強によるアジア侵略の中で、日本が追い詰められていった挙句
とった行動が結局アジアの同朋を傷つけることになってしまった歴史は
なんとも悲しいことだと思います。
>永らく自分が所属し、影響を受け、語り、且つ布教したの自己責任に置いて
偽らざる実像を、まずそのままに素描し、そこから、どうするかを考えるべき
だというスタンスです。
人それぞれ自己の歩んできた道において、反省することや、考えることは異なる
とは思いますが、犀角独歩さんのおっしゃるようなスタンスには敬意を表します。
360
:
川蝉
:2005/06/24(金) 17:05:06
337番・犀角独歩さんへ。
しつこいようですが、もう一度コメントしておきます。
「 日蓮聖人の採られた化導方法は『折伏を前とす』とあるから、折伏を前とする化導方法であった(取意)」に対し
>これは短絡でしょう。その部分が在家の折伏の経釈を引用してい
>るわけですから、出家日蓮に当たらないのではないのかというこ
>とを、ここでは論じているわけです。
との事ですが、そもそも、「開目抄」のこの文段は
「疑て云く、念仏者と禅宗等を無間と申すは諍ふ心あり、修羅道にや堕つべかるらむ。・・汝此の経文に相違するゆえに天にすてられたるか」
との問い、すなわち日蓮聖人の激しい弘通法に対する批判に答えている文段です。ですから日蓮聖人御自身に当然当たるわけです。
故にこの文段に「涅槃経疏」のを引用するのに
「出家在家、法を護らんには・・」と「涅槃経疏」に無い「出家」の二文字を加えているのでしょう。
私の解釈は決して「短絡でしょう」と云われるもので無いと思いますよ。
当時を大判して、謗法者充満・本未有善者充満と判じられた日蓮聖人が「邪智謗法の者の多き時は折伏を前とす」(開目抄・学会版235頁)と断じておられるからには、大判として云えば「折伏を前とす」する化導方法をとられたと見る事が至極当然と思うのです。
日蓮聖人が化導の儀として採られたのは不軽菩薩の跡を紹継された事も事実ですね。と云うことは不軽菩薩の化導形態の而強毒之の逆化を折伏の化儀と理解されていたことになると思うのです。
文永九年四月の「富木殿御返事」(真蹟・学会版962)
に
「 日蓮臨終一分も疑ひなく、刎頭の時は殊に喜悦あるべく候。大賊に値ふて大毒を宝珠に易ふと思ふべき歟。
鵞目員数の如く給候ひ畢んぬ。御志申し送り難く候。法門の事、先度四条三郎左衛門尉殿に書持せしむ、其の書能能御覧あるべし。粗経文を勘へ見るに、日蓮法華経の行者為ること疑ひなき歟。但し今に天の加護を蒙らざる者、一には諸天善神此の悪国を去る故歟。二には善神法味を味はざる故に、威光勢力無き歟。三には大悪鬼三類の心中に入り梵天、帝釈も力及ばざる歟等。一一の証文道理追つて進せしむべく候。但し生涯は本より思い切り了んぬ。今に翻返ること無く、其上又違恨無し。諸の悪人は又善知識也。摂受、折伏の二義は仏説に任す、敢て私曲に非ず。万事霊山浄土を期す。」
とありますね。誤解の無いようほぼ全文を引用しましたが、特に「摂受、折伏の二義は仏説に任す、」の部分の文意は
「不軽菩薩の跡を紹継して強義の布教によりかかる状況に至っているが、これは仏説に任せて折伏の化儀を歩んだ結果である」
と領解すべきですね。
この文によっても、日蓮聖人がご自分の化導形態を折伏の範疇と思われていたと、私は理解しています。
「日蓮宗宗学全書第一巻上聖部」にある「頂尊之部」の「申状」
に、日蓮聖人の弘経について
「折伏を起こして、偏執を退けて正路に導かんと欲すれば」
(41頁)
と述べています。
また中山の日祐上人の「問答肝要抄」に、
「答、末法の今は折伏門には正を立てて傍(摂受)を之用いざるなり」(同369頁)
とも
「宗体決疑抄」には
「摂受折伏の行体、天地遙かに隔てれり。故に勧持品の孤起偈と不軽の一品と一経中の相違なり。之に依って夫れ仏の両説あり、一には摂、二には折、安楽行等の如し云々」(同400頁)
と、有って、勧持品の孤起偈と不軽の一品とを折伏としています。
361
:
川蝉
:2005/06/24(金) 17:05:59
宗門上代の両師とも不軽菩薩の跡をす紹継する日蓮聖人の化導方法を折伏の範疇にはいるものと理解していたと云えます。
犀角独歩さんは、援証の文として認めないでしょうが、私の理解の援証として挙げておきます。
犀角独歩さんが折伏と云う言葉に拒否感情が涌くのは解りますが、日蓮聖人がご自分の弘通法を折伏の範疇に入るものと自覚されていた事実は否定できないと思うわけです。
ついでに「寺泊御書」について述べておきます。
「或人日蓮を難じて云く『機を知らずして麁義を立て難に値ふ』と。或人云く『勧持品の如きは深位の菩薩の義也、安楽行品に違す』と。」(真蹟学会版953)
とあります。
この部分の文意は
「ある人が日蓮を難じて『日蓮は機根を知らないで唯あらあらしいことを言って他宗を折伏するから難に遭うのだ』と云い、また或る人は『勧持品に説かれてある折伏逆化は、後心深位の菩薩の為すべき事で、末法の初心浅位の者は、安楽行品の摂受順化に依るべきである』等と日蓮の事を批判している。」
と解釈できます。
この非難から、日蓮聖人は安楽行品にある摂受順化の化導法ではなく、勧持品並に不軽品にある化導法を採っていた事がわかります。
上の文のすぐ後に
「過去の不軽品は今の勧持品、今の勧持品は過去の不軽品也。今の勧持品は未来の不軽品たるべし。其時は日蓮は即ち不軽菩薩たるべし。」
とああります。
この部分の文意は、先学が
「過去の不軽菩薩の修行を明かした不軽品は、今の勧持品の折伏逆化であり、今の勧持品が過去の不軽品であるから、今仏の勧持品未来の仏には過去の不軽品として弘経の方規となるのである。其の時は勧持品を色読した日蓮は即ち過去の不軽菩薩として折伏逆化の手本となるのである。」
と受け止めたり、また、
「人々を憐れむ大慈悲心から、言葉を激しくして之に折伏を加えられるのであります。それだから勧持品の本文に基づいて教を弘めるということが、即ち過去の不軽菩薩の行いと同じ心持ちなのです。
迫害に屈せずして教えを説いているから、未来に於いては不軽品となるであろう。即ち後の世になれば、不軽品に説かれていたように、一切の人が此の教に帰依するようになるであろう。その時こそ日蓮が不軽菩薩と同じであるということを総ての人が認めるようになるであろう。」
とも解釈している通りの文意だと思います。
「勧持品の二万、八万、八十万億等の大菩薩の御誓言は、日蓮が浅智に及ばざれども但だ『恐怖悪世中』の経文は末法の始めを指すなり。此の恐怖悪世中の次下の安楽行品等に云く『於末世』等云云。」
とあって、安楽行品の「於末世」を証の一つに挙げていますが、
「寺泊御書」の全体的趣旨から考えれば、所謂「随義転用」の類で、勧持品、不軽品の化導法は正しく末法の初めをさしている事の経証として引用しているもので、安楽行品の摂受順化の化導法を末法始めの正規の化導法としているものではない見るべきでしょう。
ここに安楽行品の「於末世」引用してあっても、摂受順化の化導法は傍の化導法と見ていたと理解すべきだと思います。
363
:
顕正居士
:2005/06/24(金) 22:52:32
灌頂涅槃経疏の該当箇所は犀角独歩さんの引用される通りですが、漢文には句読点がなく、その後はぜんぶ
出家在家を繰り返すので、ここも「出家」から文が始まると引用の際に判断された可能性もあります。その場合
読み違いではありますが、今は日蓮の折伏に関する説がどうであったかを検討しており、経釈に合致している
か否かではないわけです。ただし、文意の解釈が幾つかあり得る場合はよほど特別な事情がない限りは経釈
に合致しているほうの解がよいでしょう。それでわたしも不軽行は折伏ではないという解釈で寺泊御書を読んで
みました。この場合の未来は直ぐの未来です。勧持品と不軽品の相違は、前者には湛然のいう三類の敵人が
あることです。元の侵寇を契機に勧持品から不軽品ていどの様相に変化する期待であるが、順縁になるわけ
ではありません。
寺泊御書の勧持品、安楽行品の引用は、まず勧持品を引用し「末法の始め」といい、ついで安楽行品を引用し
この品の説示はむろん末法弘経の方軌ではあるが、「末法の始め」には特殊の様相あるべしと、勧持品へ戻す
意義だと考えます。
延暦寺の武闘に関する犀角独歩さんのご質問ですが、むろん延暦寺側の「仏教学的根拠」は天台章安妙楽の
論釈でしょう。延暦寺は幾世紀もの間、いったいどれだけの寺院を折伏したのでしょう。天文法乱の研究が少い
から、双方の戦力、戦没者数、非戦闘員への被害など、信頼できる数値がありません。京都市街の四分の三
ていどが焼けた。十幾年の後、フランシスコ・サビエルが朝廷と延暦寺からキリスト教布教の許可を得るために
上洛したが、京都はほとんど復興しておらず、そういう段でなく、むなしく山口に帰ったそうです。双方の戦没者
は五万人以下の数万人の範囲とおもいます。延暦寺は攻撃対象を二十一本山と有力在家信者の私宅に限定
するよう下知しましたが、在家信者は住宅街のいろんな場所に暮らしているから、結局、市街のほとんどに放火
したそうです。日蓮が折伏を当然のルールと考え、布教と武装防衛とをセットで考えたのは、十二年間かの地に
留学していた山門僧であるからともいえます。対し、鎌倉幕府は武装寺社勢力が関東にも生じることを常に警戒
し、憂慮していたことでしょう。
364
:
犀角独歩
:2005/06/25(土) 08:59:30
川蝉さん:
> 折伏を前とす
この「前」とは、どういうこととお考えですか。前(さき)があれば、後があります。
つまり、ここでは、破法の人には、出家僧侶の摂受は後回しで、まず、在家王権者の折伏(法的裁断)が前であるという意味でしょう。これは現在にあっても当然のことで、破法者はまず、国法によって逮捕・処罰され(折伏)、後に聖職者の勧誡がなされるでしょう。
『開目抄』は、摂受か・折伏かという選択をしているわけではありません。「末法に摂受折伏あるべし」と、その両意を採っています。折伏(王法)摂受(仏法)の順位を国賀と打ちが乱れている時勢で論じているわけです。そのうえで、折伏・摂受の順番、前後を言うのが、引用の文でしょう。
涅槃経成立時と言い、日本の鎌倉時代といい、祭政一致、政教一致の時勢であり、王となることが過去に仏に仕えた功徳によるという建前です。つまり、王は仏の使者・菩薩に同等視されるわけで、その菩薩が破法者処罰の名目とはいえ、刎頭、もしくは追放という無慈悲の行為をしなければならない様を「折伏」と説明されているのでしょう。犯罪者はまず前に捕まえ処罰する(折伏)、次いだ後に僧侶は摂受するという順位を言うのではないでしょうか。
何がなんでも折伏である、僧侶までが折伏であるという川蝉さんのような考えは世を乱す基としかなりません。しかし、ここで引用される折伏は護持正法の王法が武装・捕縛・断罪の手順を語るものです。もし、そのようなことを僧侶が越権して行えば、世は混乱します。つまり、僧兵となり、寺院を要塞の如くすればです。他宗他派を邪宗・破法と決め、国法をよそに跋扈して、勝手に自分の教え以外の者を処罰して回る(刎頭折伏)してしまえば、統治は成り立たず、世は乱れます。涅槃経が論じ、日蓮が引用する趣意はそこにあります。
しかし、為政者と僧侶は、その立場の違いがあります。現在でもそうですが、戦争反対(摂受)という僧侶は為政者を批判しますが、為政者が正義の闘いと称して戦争(折伏)を進めます。まさに「摂受の者(僧侶)は(在家為政者)折伏をわらう。折伏の者(在家為政者)は摂受(僧侶)をかなしむ」という様です。
そして、為政者権力は、相手が僧侶であろうと捕縛処罰断罪にする権威を担っています。そこで実際の執行を成すのは在家為政者であり、そのお縄に従わざるを得ないのが僧侶という関係で、実際に捕縛され、擬刎頭され、さらに流罪された日蓮が経釈から自分の境遇を論じるのが、この『開目抄』ではないでしょうか。
ですから、悪比丘と日蓮が見なされたとなると、合法的措置として為政者が処罰としたのであれば、まさに日蓮は折伏されたということになります。しかし折伏による刎頭は、オウムで言えばカルマ落とし・ポアですから、悪業・悪縁を切る慈悲の行為と言うことなのでしょうから、日蓮自身、自らの首を斬れ(自分を折伏しろ)という脈意が論じられることになるのでしょう。
政教一致のテキストである涅槃経を、教・出家側でしか読まないために、政・在家の折伏(執持刀杖・刎頭)まで、僧侶のことに当てはめてしまうという過ちを、上代からの坊さんは犯しています。坊さんはちゃんと涅槃経、開目抄が読めていないのです。ですから、そんなものは採用しないとわたしは言っているわけです。如何でしょうか。
以上のように読まなければ、前段の「いかにとして汝が流罪死罪等、過去の宿習としらむ」という問の意味は解けません。
> 「疑て云く、念仏者と禅宗等を無間と申すは諍ふ心あり、修羅道にや堕つべかるらむ。・・汝此の経文に相違するゆえに天にすてられたるか」
これは省略しすぎです。
「念仏者と禅宗等を無間と申すは諍う心あり。修羅道にや堕つべかるらむ。又法華経の安楽行品に云く「楽って人及び経典の過を説かざれ。亦諸余の法師を軽慢せざれ」等云云。汝、此の経文に相違するゆえに天にすてられたるか」
この段は、僧侶たるもの、諍・不諍のどちらだ。不諍でなければならない。念仏・禅を無間地獄に堕ちるというのは、しかし諍である。それでは僧侶としてよろしくない。折伏摂受でいえば、僧侶といえば摂受の立場であろう。安楽行品にある他法師誹謗制止の禁戒を破っているではないかという問でしょう。つまり、その以下は、僧侶・摂受としての弁駁をしているのであって、それを折伏の選択を採るのは短絡だといっているわけです。
365
:
犀角独歩[TRACKBACK]
:2005/06/25(土) 08:59:53
―364からつづく―
そもそも、ここで引用される折伏とは王法の執持・刎頭を述べるものです。その文を根拠にして、もし日蓮が折伏を選択したとなると、流罪犯がその執行地で次の犯罪をたくらんでいるようなものでしょう。そんな文意であるはずはありません。
世の乱れの中で僧侶として、正法護持、弘法という摂受の一環に「見壊法者不置呵責」という強言・実行は含まれると弁駁しているのでしょう。
> 故にこの文段に「涅槃経疏」のを引用するのに「出家在家、法を護らんには・・」と「涅槃経疏」に無い「出家」の二文字を加えているのでしょう。
この文については、297に記しました。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/364/1117079987/r297
「從善男子護持正法去廣答。又二。初廣明護法。次廣引證。初又二。一在家。二[出家]。[在家護法取其元心所爲。棄事存理匡弘大教。故言護持正法。不拘小節故言不修威儀。]護法有四句。出家在家共不能護者無名行比丘。無勢力俗人是也。在家出家獨不能護者還是兩種各各不能。出家在家獨能護者佛及仙豫是也。出家在家共能護者今文是也。昔是爲今非。今非爲昔是。今昔倶非。今昔倶是。[昔時平而法弘應持戒勿持仗。今時險而法翳應持仗勿持戒。今昔倶險應倶持仗。今昔倶平應倶持戒。取捨得宜不可一向。次從迦葉白佛去。是出家之人護法有問有答…]」
原文を見れば、明らかなとおり、引用最初の「出家」は前文です。
もし、川蝉さんの言うように、日蓮がこれを故意に取り込んで、恰も出家の肯定論にしたとすれば、日蓮とはとんだ食わせ物であるとわたしは批判します。こんな見え透いた切文をするほど、卑怯な人間なのかと嗤うしかありません。
しかし、わたしは、そのような意味ではないであろうと思います。「護法有四句」以下、出家在家共に論じるわけですから、捕縛の原因伴った日蓮集団の自衛武装(持仗)についての弁明の句として引用でしょう。また、ここをどうやら、川蝉さんは、摂受・折伏の選択と読んでいるようですが、ここはあくまで持仗・持戒の選択を述べています。もし仮にこれが摂折であるとしても、その結論となっているのは「取捨得宜不可一向」(取捨宜しきを得て一向にすべからず)と、そのどちらかであるとしてはいけないというのが文脈です。
> 日蓮聖人が化導の儀として採られたのは不軽菩薩の跡を紹継された事も事実ですね。と云うことは不軽菩薩の化導形態の而強毒之の逆化を折伏の化儀と理解されていたことになると思うのです。
「而強毒之」については、309に述べました。一方的に自分が言いたいことを書くのではなく、少しぐらいわたしの記述も読んだのちに難じるのであれば難じるべきでしょう。川蝉さんともあろう人がそんな議論のマナーを守らないとは納得がいきません。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/364/1117079987/r309
> 「日蓮臨終一分も疑ひなく、刎頭の時は殊に喜悦あるべく候…諸の悪人は又善知識也。摂受、折伏の二義は仏説に任す、敢て私曲に非ず。万事霊山浄土を期す。」
とは、まさに為政者の刎頭折伏に自分は従う。在家折伏刎頭に逢うことは全知識であるということでしょう。
> …領解すべきですね。
以上の次第ですから、川蝉さんが勧める領解は説得性がありません。
以下は、日蓮『開目抄』本文とは関係のない、後の坊さんの解釈ですから、いま、ここでの議論とは関係がありませんので、省略します。こうものが先入観となって、まっすぐと『開目抄』と読まれないのでしょう。『寺泊書』に関する解説も以上の誤解に基づくものです。論拠は以上と重複しますので、繰り返さないこととします。
366
:
犀角独歩
:2005/06/25(土) 09:06:49
【364の訂正】
誤)国賀と打ちが乱れている時勢
正)国が統治が乱れている時勢
【365の訂正】
誤)捕縛の原因伴った日蓮集団の自衛武装(持仗)
正)捕縛の原因ともなった日蓮集団の自衛武装(持仗)
誤)在家折伏刎頭に逢うことは全知識である
正)在家折伏刎頭に逢うことは善知識である
他にもあるかも知れません。ご判読いただければ有り難く存じます。
しかし、訂正しないといちいち揚げ足を取って笑い者にするような在り方は、如何なものでしょうか。
367
:
犀角独歩
:2005/06/25(土) 09:15:45
363 顕正居士さん
いつもながら懇切・適宜のご教示をいただき、有り難うございました。
368
:
ひたち
:2005/06/25(土) 14:04:09
犀角独歩さん
さて、先週保留していた全体の論理の話をしたいと思います。独歩さんのいわれるところは、涅槃経にのみ頼っているように思います。単純化してしまえば、涅槃経に悪人の首をはねると書いてあるからそれが折伏であり、それ以外は折伏ではないという事だと思います。故に蓮師は首をはねたのかという問いを起こすことになります。
しかし、これだけでは説得力に欠けるのです。なぜならば、蓮師は『立正安国論』ですでにそれを否定している過去があるからです。なお、再治本は佐渡以後なのでこれにあたりません。
独歩さんにはもとより蛇足ですが、読者の方々に読んでいただく意味で、長い引用をさせていただきます。
まずは、経文引用の段です。読みやすさのために空行を入れます。ここには、開目抄よりも強烈に涅槃経が引用されています。いわゆるポアの思想が明確に引用されています。そして、蓮師は「早く天下の静謐を思わば須く国中の謗法を断つべし」というのです。
「客則ち和ぎて曰く、経を下し僧を謗ずること一人には論じ難し、然れども大乗経六百三十七部二千八百八十三巻並びに一切の諸仏菩薩及び諸の世天等を以て捨閉閣抛の四字に載す其の詞勿論なり、其の文顕然なり、此の瑕瑾を守つて其の誹謗を成せども迷うて言うか覚りて語るか、賢愚弁ぜず是非定め難し、但し災難の起りは選択に因るの由、其の詞を盛に弥よ其の旨を談ず、所詮天下泰平国土安穏は君臣の楽う所土民の思う所なり、夫れ国は法に依つて昌え法は人に因つて貴し国亡び人滅せば仏を誰か崇む可き法を誰か信ず可きや、先ず国家を祈りて須く仏法を立つべし若し災を消し難を止むるの術有らば聞かんと欲す。
主人の日く、余は是れ頑愚にして敢て賢を存せず唯経文に就いて聊か所存を述べん、抑も治術の旨内外の間其の文幾多ぞや具に挙ぐ可きこと難し、但し仏道に入つて数ば愚案を廻すに謗法の人を禁めて正道の侶を重んぜば国中安穏にして天下泰平ならん。
即ち涅槃経に云く「仏の言く唯だ一人を除いて余の一切に施さば皆讃歎す可し、純陀問うて言く云何なるをか名けて唯除一人と為す、仏の言く此の経の中に説く所の如きは破戒なり、純陀復た言く、我今未だ解せず唯願くば之を説きたまえ、仏純陀に語つて言く、破戒とは謂く一闡提なり其の余の在所一切に布施すれば皆讃歎すべく大果法を獲ん、純陀復た問いたてまつる、一闡提とは其の義何ん、仏言わく、純陀若し比丘及び比丘尼優婆塞優婆夷有つて・悪の言を発し正法を誹謗し是の重業を造つて永く改悔せず心に懺悔無らん、是くの如き等の人を名けて一闡提の道に趣向すと為す、若し四重を犯し五逆罪を作り自ら定めて是くの如き重事を犯すと知れども而も心に初めより怖畏懺悔無く肯て発露せず彼の正法に於て永く護惜建立の心無く毀呰軽賎して言に過咎多からん、是くの如き等の人を亦た一闡提の道に趣向すと名く、唯此くの如き一闡提の輩を除いて其の余に施さば一切讃歎せん」と。
又云く「我れ往昔を念うに閻浮提に於て大国の王と作れり名を仙予と曰いき、大乗経典を愛念し敬重し其の心純善に・悪嫉・有ること無し、善男子我爾の時に於て心に大乗を重んず婆羅門の方等を誹謗するを聞き聞き已つて即時に其の命根を断ず、善男子是の因縁を以て是より已来地獄に堕せず」と、
又云く「如来昔国王と為りて菩薩の道を行ぜし時爾所の婆羅門の命を断絶す」と、
又云く「殺に三有り謂く下中上なり、下とは蟻子乃至一切の畜生なり唯だ菩薩の示現生の者を除く、下殺の因縁を以て地獄畜生餓鬼に堕して具に下の苦を受く、何を以ての故に是の諸の畜生に微善根有り是の故に殺す者は具に罪報を受く、中殺とは凡夫の人より阿那含に至るまで是を名けて中と為す、是の業因を以て地獄畜生餓鬼に堕して具に中の苦を受く上殺とは父母乃至阿羅漢辟支仏畢定の菩薩なり阿鼻大地獄の中に堕す、善男子若し能く一闡提を殺すこと有らん者は則ち此の三種の殺の中に堕せず、善男子彼の諸の婆羅門等は一切皆是一闡提なり」[已上]。
仁王経に云く「仏波斯匿王に告げたまわく是の故に諸の国王に付属して比丘比丘尼に付属せず何を以ての故に王のごとき威力無ければなり」[已上]。
(続く)
369
:
ひたち
:2005/06/25(土) 14:04:37
涅槃経に云く「今無上の正法を以て諸王大臣宰相及び四部の衆に付属す、正法を毀る者をば大臣四部の衆当に苦治すべし」と。
又云く「仏の言く、迦葉能く正法を護持する因縁を以ての故に是の金剛身を成就することを得たり善男子正法を護持せん者は五戒を受けず威儀を修せず応に刀剣弓箭鉾槊を持すべし」と、
又云く「若し五戒を受持せん者有らば名けて大乗の人と為す事を得ず、五戒を受けざれども正法を護るを為て乃ち大乗と名く、正法を護る者は当に刀剣器仗を執持すべし刀杖を持すと雖も我是等を説きて名けて持戒と曰わん」と。
又云く「善男子過去の世に此の拘尸那城に於て仏の世に出でたまうこと有りき歓喜増益如来と号したてまつる、仏涅槃の後正法世に住すること無量億歳なり余の四十年仏法の末、爾の時に一の持戒の比丘有り名を覚徳と曰う、爾の時に多く破戒の比丘有り是の説を作すを聞きて皆悪心を生じ刀杖を執持し是の法師を逼む、是の時の国王名けて有徳と曰う是の事を聞き已つて護法の為の故に即便ち説法者の所に往至して是の破戒の諸の悪比丘と極めて共に戦闘す、爾の時に説法者厄害を免ることを得たり王爾の時に於て身に刀剣鉾槊の瘡を被り体に完き処は芥子の如き許りも無し、爾の時に覚徳尋いで王を讃めて言く、善きかな善きかな王今真に是れ正法を護る者なり当来の世に此の身当に無量の法器と為るべし、王是の時に於て法を聞くことを得已つて心大に歓喜し尋いで即ち命終して阿・仏の国に生ず而も彼の仏の為に第一の弟子と作る、其の王の将従人民眷属戦闘有りし者歓喜有りし者一切菩提の心を退せず命終して悉く阿・仏の国に生ず、覚徳比丘却つて後寿終つて亦阿・仏の国に往生することを得て彼の仏の為に声聞衆中の第二の弟子と作る、若し正法尽きんと欲すること有らん時当に是くの如く受持し擁護すべし、迦葉爾の時の王とは即ち我が身是なり、説法の比丘は迦葉仏是なり、迦葉正法を護る者は是くの如き等の無量の果報を得ん、是の因縁を以て我今日に於て種種の相を得て以て自ら荘厳し法身不可壊の身を成す、仏迦葉菩薩に告げたまわく、是の故に法を護らん優婆塞等は応に刀杖を執持して擁護すること是くの如くなるべし、善男子我涅槃の後濁悪の世に国土荒乱し互に相抄掠し人民飢餓せん、爾の時に多く飢餓の為の故に発心出家するもの有らん是くの如きの人を名けて禿人と為す、是の禿人の輩正法を護持するを見て駈逐して出さしめ若くは殺し若くは害せん、是の故に我今持戒の人諸の白衣の刀杖を持つ者に依つて以て伴侶と為すことを聴す、刀杖を持すと雖も我是等を説いて名けて持戒と曰わん、刀杖を持すと雖も命を断ずべからず」と。
法華経に云く「若し人信ぜずして此の経を毀謗せば即ち一切世間の仏種を断ぜん、乃至其の人命終して阿鼻獄に入らん」[已上]。
夫れ経文顕然なり私の詞何ぞ加えん、凡そ法華経の如くんば大乗経典を謗ずる者は無量の五逆に勝れたり、故に阿鼻大城に堕して永く出る期無けん、涅槃経の如くんば設い五逆の供を許すとも謗法の施を許さず、蟻子を殺す者は必ず三悪道に落つ、謗法を禁ずる者は不退の位に登る、所謂覚徳とは是れ迦葉仏なり、有徳とは則ち釈迦文なり。
法華涅槃の経教は一代五時の肝心なり其の禁実に重し誰か帰仰せざらんや、而るに謗法の族正道を忘るの人え法然の選択に依つて弥よ愚癡の盲瞽を増す、是を以て或は彼の遺体を忍びて木画の像に露し或は其の妄説を信じて莠言を模に彫り之を海内に弘め之を・外に翫ぶ、仰ぐ所は則ち其の家風施す所は則ち其の門弟なり、然る間或は釈迦の手指を切つて弥陀の印相に結び或は東方如来の鴈宇を改めて西土教主の鵝王を居え、或は四百余回の如法経を止めて西方浄土の三部経と成し或は天台大師の講を停めて善導講と為す、此くの如き群類其れ誠に尽くし難し是破仏に非ずや是破法に非ずや是破僧に非ずや、此の邪義則ち選択に依るなり。
嗟呼悲しいかな、如来誠諦の禁言に背くこと、哀なるかな愚侶迷惑の・語に随うこと、早く天下の静謐を思わば須く国中の謗法を断つべし。」
370
:
ひたち
:2005/06/25(土) 14:07:23
しかし、蓮師はつづけて以下のようにいわれるのです。ここで用意されている客の問いは独歩さんのように、首をはねろと理解したのだと思います。それに対して、主人の答えは「唯偏に謗法を悪むなり」であり、「能忍の以後経説は則ち其の施を止む」なのです。
「客の日く、若し謗法の輩を断じ若し仏禁の違を絶せんには彼の経文の如く斬罪に行う可きか、若し然らば殺害相加つて罪業何んが為んや。
則ち大集経に云く「頭を剃り袈裟を著せば持戒及び毀戒をも、天人彼を供養す可し、則ち我を供養するに為りぬ、是れ我が子なり若し彼を・打する事有れば則ち我が子を打つに為りぬ、若し彼を罵辱せば則ち我を毀辱するに為りぬ」料り知んぬ善悪を論ぜず是非を択ぶこと無く僧侶為らんに於ては供養を展ぶ可し、何ぞ其の子を打辱して忝くも其の父を悲哀せしめん、彼の竹杖の目連尊者を害せしや永く無間の底に沈み、提婆達多の蓮華比丘尼を殺せしや久しく阿鼻の焔に咽ぶ、先証斯れ明かなり後昆最も恐あり、謗法を誡むるには似たれども既に禁言を破る此の事信じ難し如何が意得んや。
主人の云く、客明に経文を見て猶斯の言を成す心の及ばざるか理の通ぜざるか、全く仏子を禁むるには非ず唯偏に謗法を悪むなり、夫れ釈迦の以前仏教は其の罪を斬ると雖も能忍の以後経説は則ち其の施を止む、然れば則ち四海万邦一切の四衆其の悪に施さず皆此の善に帰せば何なる難か並び起り何なる災か競い来らん。」
このような蓮師の過去の言説がある以上、涅槃の文をもって斬首の行為にあたるとすることはできないと考えます。
371
:
ひたち
:2005/06/25(土) 14:25:17
涅槃経などの経典を引きながら、なお「能忍の以後経説は則ち其の施を止む」というのは、「止施」を権力者に求めたということであり、その理由は「謗法を悪む」ためであり、「仏子を禁むる」ことが主眼ではないからです。
つまり、涅槃経の引用があっても、字面通りに蓮師が解釈していないという事実を示すものです。すなわち、経典引用だけでは蓮師の主張するところは見えてこないということで、文章全体の論理を見なればならないでしょう。
372
:
ひたち
:2005/06/25(土) 14:42:28
開目抄の該当の諸段には三つの問いが用意されています。
引用すると、以下の通りです。
「疑つて云く念仏者と禅宗等を無間と申すは諍う心あり修羅道にや堕つべかるらむ、又法華経の安楽行品に云く「楽つて人及び経典の過を説かざれ亦諸余の法師を軽慢せざれ」等云云、汝此の経文に相違するゆへに天にすてられたるか」
「問うて云く摂受の時折伏を行ずると折伏の時摂受を行ずると利益あるべしや」
「問うて云く念仏者禅宗等を責めて彼等にあだまれたるいかなる利益かあるや」
これらの問いに対する答えが蓮師の主張なわけですが、蓮師は無駄な問いを設ける人ではないので、まずは、この問いがなんのために起こされ、何を問うているのかを明らかにする必要があります。
373
:
ひたち
:2005/06/25(土) 15:23:01
まずはじめに、最初の問いです。
「疑つて云く念仏者と禅宗等を無間と申すは諍う心あり修羅道にや堕つべかるらむ、又法華経の安楽行品に云く「楽つて人及び経典の過を説かざれ亦諸余の法師を軽慢せざれ」等云云、汝此の経文に相違するゆへに天にすてられたるか」
なぜ、この問いが起こされたのでしょう。文章を追えば、前段の「我法華経の信心をやぶらずして霊山にまいりて返てみちびけかし」を受けて、浄土ではなく修羅道に堕ちるといい、諸天加護無きも「過去の宿習」でなく、「経文(安楽行品)に相違するゆへ」ではないのかというわけです。
そこで、まず前段の主張を見てみますと、まず経文を引き過去の重罪ありをのべ、逢難滅罪をのべ、信心貫徹して霊山に至るというのであります。これはまさに、『転重軽受法門』に行うところの主張に合致するものであり、「我法華経の信心をやぶらずして霊山にまいりて返てみちびけかし」との主張に合いあたります。ここには、自らの過去の重罪を「法華経の行者の頚を刎こと其の数をしらず」といい、涅槃経を引いて「終に法華経の信心をやぶらずして頚を刎らるるなり」というわけです。『転重軽受法門』をもって寄せることはできても、『本尊抄』の主張をあてることはできないでしょう。
しかも、この段では摂折二門には全く触れておらず、一方は重罪であり、一方は滅罪であるとするのです。
そして、冒頭の問いは、そうではないのはという疑問を呈し、摂折二門へと展開するに至るという文章の流れです。
374
:
ひたち
:2005/06/25(土) 15:38:56
では今度は、以前に独歩さんが主張していたように、「終に法華経の信心をやぶらずして頚を刎らるるなり」をもって「
」とするべきでしょうか。
その考えは、この段の問答によって否定されます。なぜかならば、安楽行品を行軌をもって摂受にあてており、その内容は「楽つて人及び経典の過を説かざれ亦諸余の法師を軽慢せざれ」となっているからです。
375
:
ひたち
:2005/06/25(土) 15:40:40
すみません。「」のなか「摂受」です。コピーするつもりで、カットしてしまいました。
376
:
ひたち
:2005/06/25(土) 15:58:46
さて、この段の問いは「念仏者と禅宗等を無間と申す」蓮師の行動に対する疑難であることは明らかです。蓮師の行動は、「諍う心」があり、ゆえに修羅界であり、安楽行品にも合わない行動であるという主張です。
そうであるならば、この段の答えは、蓮師の行動を正当化するための主張が入るべきで、在家に刎頭を勧めるとするは、そもそも問答の論理に合わないわけです。答えについては
後からみますが、ここは蓮師自身の行動に対する問いであり、それ以外の在家出家のだれも関係してこないのです。
377
:
ひたち
:2005/06/25(土) 16:24:02
次の問いに移りましょう。
「問うて云く摂受の時折伏を行ずると折伏の時摂受を行ずると利益あるべしや」
この問いはなんのために設けられているのでしょうか。問者は、ここで摂折二門を受け入れ、その上での問いであることがわかります。すなわち、「摂受の時」「折伏の時」があることを受け入れたということです。これは誤解を招くといけませんので、時ではなく局面としておきます。なぜなら、蓮師の主張は「末法に摂受折伏あるべし」でありますから、末法に摂受折伏があることは覆りません。しかし、「無智悪人の国土に充満の時は摂受を前とす安楽行品のごとし、邪智謗法の者の多き時は折伏を前とす」であり、「所謂悪国破法の両国あるべきゆへなり」ですから、どちらを使ってもいいという主張ではなく、基準によって使い分けろと主張しているわけです。その基準とは、悪国か破法国かということです。これらの主張をいったんは受けて、ではその基準に従わない場合はどうなるのかというのが、この問いのなすところです。
378
:
顕正居士
:2005/06/25(土) 16:30:00
護法の為の武装が出家在家に亘ることなら
「而るに今の世は道俗を択ばず弓箭・刀杖を帯せり。梵網経の文の如くならば、三悪道に堕せんこと疑いなき者
也。涅槃経の文無くんば、如何してか之を救わん。亦涅槃経の先後の文の如くならば、弓箭・刀杖を帯して悪法
の比丘を治し、正法の比丘を守護せん者は先世の四重・五逆を滅して必ず無上道を証せんと定めたもう」
(守護国家論)
この時代には僧俗の区別はすでにあいまいです。衣を着ていることで決めるなら僧兵はむろん出家です。
379
:
ひたち
:2005/06/25(土) 16:33:48
であるならば、問答の論理として、この段の問いに対する答えは「利益ある」かどうかを示すことであり、出家の摂受を示す段ではありません。問者は、摂折二門を受け入れており、ここでの問いはその上に立って基準に従わない場合の利益の有無を問うています。
したがって、ここでの答えは、基準に従わない場合の例を示し、利益の有無を答えなければなりません。
380
:
顕正居士
:2005/06/25(土) 16:52:37
応仁の乱以前は薙刀が僧侶のよく用いる武器であった。したがって僧兵の典型的な服飾は次のようである。
http://www.iz2.or.jp/fukusyoku/wayou/46.htm
381
:
ひたち
:2005/06/25(土) 16:56:35
最後の問いです。
「問うて云く念仏者禅宗等を責めて彼等にあだまれたるいかなる利益かあるや」
ここまでの問答で、問者は摂折二門を受け入れ、基準に合わない場合の利益の有無も知りました。つまり、蓮師の「念仏者禅宗等を責めて彼等にあだまれたる」というのが、摂折二門の基準に乗っ取った行動であることを受け入れました。しかし、その利益がわからないのです。まだ蓮師は基準に従った場合の利益について明らかにしていないからです。
したがって、この段の問いに対する答えは、蓮師の行動の結果である利益についてしめさなければなりません。
382
:
ひたち
:2005/06/25(土) 17:20:20
つまり、この件に関わる問答の論理は以下のような三段の論理になっています。
Q1.蓮師の行動に対する仏説の裏付けを求める
A1.摂折二門を示し、その使用基準を示す
Q2.使用基準に反した場合の利益を問う
A2.利益無しを示す
Q3.使用基準に合した場合の利益を問う
A3.利益を示し結論とする
では、この全体の論理構造を踏まえた上で、今度は答えを見ていきたいと思います。
問いは短く、答えは長いので、答えは更に論理構造を持ち合わせています。
383
:
ひたち
:2005/06/25(土) 17:28:15
その前に大事なことを補足しておきます。
Q1の「念仏者と禅宗等を無間と申す」と、Q3の「念仏者禅宗等を責めて彼等にあだまれたる」はいずれも蓮師自身の行動に対する問いであることを忘れてはなりません。
384
:
ひたち
:2005/06/25(土) 17:59:30
まずは、最初の答えです。引用します。
「答て云く
止観に云く「夫れ仏に両説あり一には摂二には折安楽行に不称長短という如き是れ摂の義なり、大経に刀杖を執持し乃至首を斬れという是れ折の義なり与奪途を殊にすと雖も倶に利益せしむ」等云云、
弘決に云く「夫れ仏に両説あり等とは大経に刀杖を執持すとは第三に云く正法を護る者は五戒を受けず威儀を修せず、乃至下の文仙予国王等の文、又新医禁じて云く若し更に為すこと有れば当に其の首を断つべし是くの如き等の文並びに是れ破法の人を折伏するなり一切の経論此の二を出でず」等云云、
文句に云く「問う大経には国王に親付し弓を持ち箭を帯し悪人を摧伏せよと明す、此の経は豪勢を遠離し謙下慈善せよと剛柔碩いに乖く云何ぞ異ならざらん、答う大経には偏に折伏を論ずれども一子地に住す何ぞ曾て摂受無からん、此の経には偏に摂受を明せども頭破七分と云う折伏無きに非ず各一端を挙げて時に適う而已」等云云、
涅槃経の疏に云く「出家在家法を護らんには其の元心の所為を取り事を棄て理を存して匡に大経を弘む故に護持正法と言うは小節に拘わらず故に不修威儀と言うなり、昔の時は平にして法弘まる応に戒を持つべし杖を持つこと勿れ今の時は嶮にして法翳る応に杖を持つべし戒を持つこと勿れ、今昔倶に嶮ならば倶に杖を持つべし今昔倶に平ならば倶に戒を持つべし、取捨宜きを得て一向にす可からず」等云云、
汝が不審をば世間の学者多分道理とをもう、いかに諌暁すれども日蓮が弟子等も此のをもひをすてず一闡提人のごとくなるゆへに先づ天台妙楽等の釈をいだしてかれが邪難をふせぐ、
夫れ摂受折伏と申す法門は水火のごとし火は水をいとう水は火をにくむ、摂受の者は折伏をわらう折伏の者は摂受をかなしむ、
無智悪人の国土に充満の時は摂受を前とす安楽行品のごとし、邪智謗法の者の多き時は折伏を前とす(常不軽品のごとし:この文は私はなかったと思います。理由は
>>154
でだいぶ前に示しました)、
譬へば熱き時に寒水を用い寒き時に火をこのむがごとし、草木は日輪の眷属寒月に苦をう諸水は月輪の所従熱時に本性を失う、
末法に摂受折伏あるべし所謂悪国破法の両国あるべきゆへなり、
日本国の当世は悪国か破法の国かとしるべし。」
385
:
ひたち
:2005/06/25(土) 18:08:20
まず、この答え全体は大きく二つの文からなっています。
一つ目は、自尊の行動を裏づける理論としての摂折二門の存在を示すことです。
二つ目は、摂折二門の区別を明らかにすることです。
386
:
ひたち
:2005/06/25(土) 18:09:21
「二つの文」は「二つの部分」の間違いです。
387
:
ひたち
:2005/06/25(土) 18:33:59
まず、一つ目は摂折二門の存在を示すことです。示すためには、経釈を引かねばなりません。経釈なしは我見とみなされ、誰も信用しないからです。そこで蓮師は、4つの文献を引用しました。これをもって、独歩さんは在家刎頭折伏といわれておりますが、引用は引用であってそれをどう解釈したかは蓮師自身の言葉を見なければならないことは、先の立正安国論の例にも見られることでありましょう。
では、何のために蓮師は4書を引用したのか。それがこの後に出てくる文に明らかです。
「汝が不審をば世間の学者多分道理とをもう、いかに諌暁すれども日蓮が弟子等も此のをもひをすてず一闡提人のごとくなるゆへに先づ天台妙楽等の釈をいだしてかれが邪難をふせぐ」
問者、世間の学者、日蓮が弟子等も、蓮師の行動が安楽行品を行軌に合わないことに不振の心を抱いている。その故に「先づ天台妙楽等の釈」を引いて、邪難を退けるというのです。すなわち、安楽行品という仏説には合わないが、摂折二門も同様に仏説であり、それに基づいているという主張です。ここでは、天台妙楽等の釈は摂折二門を示すために引用されたのであって、まだ蓮師は摂折二門の存在以外何ものも主張していません。
ここでは余談ですが、「出家在家」について故意にしても、読み間違いにしても、蓮師が出家を含めたという事実は覆りませんから、引用に当たって出家もあい当たると認識していたことになると思います。
388
:
ひたち
:2005/06/25(土) 18:56:59
摂折二門を示すこと、各引用の結文にあきらかです。
「与奪途を殊にすと雖も倶に利益せしむ」
「一切の経論此の二を出でず」
「各一端を挙げて時に適う而已」
「取捨宜きを得て一向にす可からず」
つまり、何のための引用であったかという意図がそこに読み取れるわけです。安楽行品を行軌も、摂折二門の上に成り立つので、それだけを用いないということでしょう。
389
:
ひたち
:2005/06/25(土) 19:29:38
次に摂折二門の区別を明らかにする部分です。
一つは、摂折二門の性格を水火をもって端的に示します。そしてその性格の異なる法門を使い分けるのが、悪国か破法国かであることを示すのです。
ここで、蓮師の行動を摂受でもなく、折伏でもないとする主張はなされていません。若しそのような主張を蓮師がしたとすれば、問答の論理をぶちこわすだけではなく、摂折二門の他に別な義を立てたということになり、それは我見となり、「一切の経論此の二を出でず」を破る破法の僧ということになり、誰も信用しないでしょう。
また、ここで安楽行品に相違しても、蓮師は僧だから摂受であるとの主張は、ひとえに本尊抄からの逆推測であり、問答の論理が成り立ちません。
なぜなら、一つには問者は摂折二門を問うたわけではなく、摂折二門は答えの中で初めて出てきた法門であり、あえて主張する必要のない法門となります。
二つ目には、問者は安楽行品に相違に相違していることを問うているのであり、答えの中で「無智悪人の国土に充満の時は摂受を前とす安楽行品のごとし」とした以上、安楽行品は摂受であり、それに相違する蓮師の行動を摂受としたのでは、問者の問いに答えていないことになります。問者は摂折どちらであるかを問うているわけではなく、なぜ「楽つて人及び経典の過を説かざれ亦諸余の法師を軽慢せざれ」のような行動が取れないのかと責めているわけです。それに対して、「僧だから摂受だよ」では、だからどうしたということになってしまい、問答の論理が崩れてしまうわけです。
390
:
ひたち
:2005/06/25(土) 20:14:02
ここの答えは「先づ」摂折二門の存在を示し、次に「夫れ摂受折伏と申す法門は」と自身の主張を展開される論理構造です。出家だからどうこう、在家だからどうこうという主張はまったくなされていないということです。
この主張の中身は、また3つに分かれると思います。
一つは、摂受折伏が相反する法門であることを示します。
二つは、摂折二門の適用基準を明らかにします。
三つは、当世日本国はどちらが適用されるかを問います。
つまり、はじめに水火の例えによって、相反する二つの法門があることを示し、次に国土の違いによって二つの法門を適切に適用することを示し、日本国はどちらであるかを問者に逆に問うているのです。もちろんこれは反語であり、問者が責めるところの蓮師の行動が摂折二門の適用基準に則っているという主張です。
ここで、国土という基準を重視せず、日本には無智悪人も邪智謗法の者もいるので、摂折二門を個別に適用したという主張は、何も主張していないのと同じであり、ならば摂折二門の適用基準を明らかにする必要もなく、当世日本国はどちらが適用されるかを問う必要もなく、更にいえば、問者の問いも意味をなさないことになってしまうのです。蓮師は、一方的に「念仏者と禅宗等を無間と申す」という行動を採られていたからこそ、問者の問いが意味をなすのであります。
問答の論理構造をなすためには、ここで蓮師の行動を折伏に配し、日本国を派法の国としなければ、続く二つの問いが成立しないのです。
391
:
ひたち
:2005/06/25(土) 20:44:12
つぎに二つ目の答えにいきます。先ずは引用です。
「答えて云く
涅槃経に云く「迦葉菩薩仏に白して言く如来の法身は金剛不壊なり未だ所因を知ること能わず云何、仏の言く迦葉能く正法を護持する因縁を以ての故に是の金剛身を成就することを得たり、迦葉我護持正法の因縁にて今是の金剛身常住不壊を成就することを得たり、善男子正法を護持する者は五戒を受けず威儀を修せず応に刀剣弓箭を持つべし、是くの如く種種に法を説くも然も故師子吼を作すこと能わず非法の悪人を降伏すること能わず、是くの如き比丘自利し及び衆生を利すること能わず、当に知るべし是の輩は懈怠懶惰なり能く戒を持ち浄行を守護すと雖も当に知るべし是の人は能く為す所無からん、乃至時に破戒の者有つて是の語を聞き已つて咸共に瞋恚して是の法師を害せん是の説法の者設い復命終すとも故持戒自利利他と名く」等云云、
章安の云く「取捨宜きを得て一向にす可からず」等、
天台云く「時に適う而已」等云云、
譬へば秋の終りに種子を下し田畠をかえさんに稲米をうることかたし、
建仁年中に法然大日の二人出来して念仏宗禅宗を興行す、法然云く「法華経は末法に入つては未有一人得者千中無一」等云云、大日云く「教外別伝」等云云、此の両義国土に充満せり、
天台真言の学者等念仏禅の檀那をへつらいをづる事犬の主にををふりねづみの猫ををそるるがごとし、国王将軍にみやつかひ破仏法の因縁破国の因縁を能く説き能くかたるなり、
天台真言の学者等今生には餓鬼道に堕ち後生には阿鼻を招くべし、設い山林にまじわつて一念三千の観をこらすとも空閑にして三密の油をこぼさずとも時機をしらず摂折の二門を弁へずばいかでか生死を離るべき。」
392
:
通りすがり
:2005/06/25(土) 21:07:20
この議論は終わったな。ひたち氏、独歩氏の議論は開目抄に限ってであるなのに、なんだか立正安国論を持ち出しておる。
苦しいやり口である。ところで立正安国論どこに折伏と書かれているのか。
これでひたち氏の負けは判明した。
393
:
ひたち
:2005/06/25(土) 21:13:12
さて、この答えは、
>>377
,
>>379
に書きましたように、摂折二門の選択基準に従わない場合の利益の有無を答えなければならない部分です。問者は、摂折二門を知り、その選択基準を知り、日本国がその基準のどちらに該当するかを知りました。すなわち、蓮師の行動が摂折二門の選択基準に少なくとも合致していることを不承不承ながらも知ったわけです。
そこで別に従わなくても問題ないのではという反論を思いつくわけで、それがこの問いになって現れるのです。
ここで、蓮師の行動が摂受でも折伏でないなら、すなわち摂折二門のどちらにも適用しない行動なら、この問いを設ける必要すらないわけです。その場合はむしろ、「汝、なにゆえに摂折の二義を用いざるや」とかなんとかと展開されなければなりません。
ここで、蓮師の行動が摂受なら、前段で折伏の話は終わり、摂折二門を論ずる必要がなく、この問い自体が無用のものとなります。この場合は、「汝の悪口を摂受とする証拠いかん」とかなんとか別な展開になるでしょう。
問者が「念仏者と禅宗等を無間と申す」蓮師の行動を非難して始まった問答の論理がこの段に続くには、蓮師の行動が折伏であるということが前提なのです。
394
:
ひたち
:2005/06/25(土) 21:54:26
ここの答えは2つの部分に別れると思います。
一つは、経釈引用による答えです。
二つは、破法の状況を示し、それに対する天台真言の学者等の摂受の様を示して答えています。
まずは経釈の引用をなすことで、我見でないことを示します。ここでの問いは摂折二門の選択基準に従わない場合の利益の有無ですから、「師子吼を作すこと能わず非法の悪人を降伏すること能わず、是くの如き比丘自利し及び衆生を利すること能わず、当に知るべし是の輩は懈怠懶惰なり能く戒を持ち浄行を守護すと雖も当に知るべし是の人は能く為す所無からん」の部分が答えの中心となる引用でしょう。そして、時に適うことが重要であること示すために、「取捨宜きを得て一向にす可からず」「時に適う而已」を引用しています。
二つ目は「天台真言の学者等念仏禅の檀那をへつらいをづる」姿を指して、問者の「折伏の時摂受を行ずる」様に当てているわけです。ここは自宗の檀那ではないことにも注目が必要です。問いをもって考えるならば、自身の折伏をもって、天台真言の学者を難じているわけです。
問いに対する答えは、それぞれ「是くの如き比丘自利し及び衆生を利すること能わず」「時機をしらず摂折の二門を弁へずばいかでか生死を離るべき」となり、いずれも利益がないとの答えです。
また、ここではいずれも出家に対していわれていることもあり、開目抄においては蓮師に折伏に在家出家の区別は希薄であると考えます。
395
:
ひたち
:2005/06/25(土) 21:56:43
通りすがりさん
私は折伏を主張するために立正安国論を引いたわけではありませんよ。
ほとんどわたしの文を読まれていないかと判断いたしますがいかがでしょうか。
396
:
通りすがり
:2005/06/25(土) 22:00:32
では質問するが、大聖人が、開目抄に挙げた折伏の経釈はなにか。
397
:
ひたち
:2005/06/25(土) 22:07:17
止観であり、弘決であり、文句であり、涅槃経の疏であり、涅槃経でしょう。
398
:
通りすがり
:2005/06/25(土) 22:07:43
具体的にはどれか
399
:
通りすがり
:2005/06/25(土) 22:09:36
大経に刀杖を執持し乃至首を斬れという是れ折の義なり与奪途を殊にすと雖も倶に利益せしむ」等云云、
弘決に云く「夫れ仏に両説あり等とは大経に刀杖を執持すとは第三に云く正法を護る者は五戒を受けず威儀を修
せず、乃至下の文仙予国王等の文、又新医禁じて云く若し更に為すこと有れば当に其の首を断つべし
ここに首を斬れとあり、国王とある。
大聖人は、首を斬ったか、国王か。
400
:
ひたち
:2005/06/25(土) 22:10:03
具体的には前4書は摂折二門を示すために用いられており、一向折伏ではない。ゆえに涅槃経のみということでしょう。
401
:
通りすがり
:2005/06/25(土) 22:10:43
399に答えられたい
402
:
ひたち
:2005/06/25(土) 22:11:22
では、立正安国論はどうでしょうか。
国主に首を斬れと主張しましたか。
403
:
通りすがり
:2005/06/25(土) 22:11:49
立正安国論のどこに折伏があるのか
404
:
通りすがり
:2005/06/25(土) 22:12:39
また答えず、問い直すは卑怯なことなり
405
:
ひたち
:2005/06/25(土) 22:12:50
既に蓮師の解釈に例ありです。
なにゆえ字面にこだわるのでしょうか。
406
:
通りすがり
:2005/06/25(土) 22:14:14
逃げ口上か
どの解釈をさすのか
407
:
ひたち
:2005/06/25(土) 22:14:45
折伏ではなく、涅槃経の首を切れの解釈の話です。
蓮師は、涅槃経の首を切れという文を引いても、首を切れとは主張していません。
408
:
通りすがり
:2005/06/25(土) 22:15:41
立正安国論は立正安国論
開目抄は開目抄、そこに一貫性ありは、証明されぬ
409
:
通りすがり
:2005/06/25(土) 22:16:47
>師は、涅槃経の首を切れという文を引いても、首を切れとは主張していません。
なにをかいわん。開目抄では折伏として主張しておるではないか
410
:
ひたち
:2005/06/25(土) 22:17:28
だからわたしの文を読んでいないというのです。
>>368-370
を読んでください。
411
:
ひたち
:2005/06/25(土) 22:18:16
引用はしているが主張はしておりません。
412
:
通りすがり
:2005/06/25(土) 22:18:40
違う。では、開目抄に断酒をどこで否定しているのかという問いである。
413
:
通りすがり
:2005/06/25(土) 22:19:13
断酒=断首なり
414
:
通りすがり
:2005/06/25(土) 22:20:14
断首主張でなければ、何ゆえの開目抄の引証なりや
415
:
ひたち
:2005/06/25(土) 22:22:10
蓮師は立正安国論で首を切れとは解釈していません。
開目抄では主張すらしていません。
主張していないものを主張したという方がおかしいでしょう。
むしろ問いの2をもってすれば、出家折伏の義は明白でしょう。
416
:
通りすがり
:2005/06/25(土) 22:23:45
答えになっておらぬ。大聖人が斬首折伏に涅槃を引く、決定なり。
出家折伏など、何一つ証明されておらぬ。
417
:
ひたち
:2005/06/25(土) 22:24:05
よく、開目抄の問い1を読んで下さい。
問者にまず摂折二門を示すために引用されているのです。
418
:
通りすがり
:2005/06/25(土) 22:24:58
では、涅槃経を引く折伏の相とは如何
419
:
ひたち
:2005/06/25(土) 22:26:36
では次の開目抄の文を問うところに従って会通して下さい。
問うて云く摂受の時折伏を行ずると折伏の時摂受を行ずると利益あるべしや、
答えて云く涅槃経に云く「迦葉菩薩仏に白して言く如来の法身は金剛不壊なり未だ所因を知ること能わず云何、仏の言く迦葉能く正法を護持する因縁を以ての故に是の金剛身を成就することを得たり、迦葉我護持正法の因縁にて今是の金剛身常住不壊を成就することを得たり、善男子正法を護持する者は五戒を受けず威儀を修せず応に刀剣弓箭を持つべし、是くの如く種種に法を説くも然も故師子吼を作すこと能わず非法の悪人を降伏すること能わず、是くの如き比丘自利し及び衆生を利すること能わず、当に知るべし是の輩は懈怠懶惰なり能く戒を持ち浄行を守護すと雖も当に知るべし是の人は能く為す所無からん、乃至時に破戒の者有つて是の語を聞き已つて咸共に瞋恚して是の法師を害せん是の説法の者設い復命終すとも故持戒自利利他と名く」等云云、章安の云く「取捨宜きを得て一向にす可からず」等、天台云く「時に適う而已」等云云、
420
:
通りすがり
:2005/06/25(土) 22:28:47
答えず、問うとは笑止千万。繰り返す耳。
では、涅槃経を引く折伏の相とは如何
421
:
ひたち
:2005/06/25(土) 22:30:29
またここでは、天台真言の学者を責めておりますが、何ゆえでしょうか。問いから考えるならば、折伏の時摂受を行ずるゆえでしょう。
422
:
通りすがり
:2005/06/25(土) 22:30:51
答えず、問うとは笑止千万。繰り返す耳。
では、涅槃経を引く折伏の相とは如何
423
:
通りすがり2
:2005/06/25(土) 22:32:08
通りすがりよ。
お前はひたちが何を述べたかを正確に理解していることを示す必要がある。
そうでなければ問答が成立しないだろう。
正確に理解していることを示した上で改めて質問せよ。
424
:
ひたち
:2005/06/25(土) 22:33:30
開目抄に引かれる涅槃経の一節です。
「師子吼を作すこと能わず非法の悪人を降伏すること能わず、是くの如き比丘自利し及び衆生を利すること能わず、当に知るべし是の輩は懈怠懶惰なり能く戒を持ち浄行を守護すと雖も当に知るべし是の人は能く為す所無からん」
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