[
板情報
|
カテゴリランキング
]
したらばTOP
■掲示板に戻る■
全部
1-100
最新50
|
メール
|
1-
101-
201-
301-
401-
501-
601-
701-
この機能を使うにはJavaScriptを有効にしてください
|
摂受と折伏について
1
:
管理者
:2005/05/26(木) 12:59:47
新しいスレッドの提案がありましたので、立ち上げます。提案文は以下の通りです。
2450 名前: 顕正居士 投稿日: 2005/05/26(木) 12:17:40
摂受と折伏について
摂受とは善をあつめ、まもること。折伏とは悪をふせぎ、おさえること。七仏通誡の偈にいう「諸悪莫作」は折伏、「衆善奉行」は摂受です。仏教とは要するにもろもろの悪いことをせず、もろもろの善いことをせよという教えです。これが摂折の二門であり、自分の生活についていうのです。
さて勝曼経には「まさに折伏すべき者はこれを折伏し、まさに摂受すべき者はこれを摂受す」という言葉があります。これは国王の社会秩序を維持する義務をいいます。仏教をもって導けない、要するに犯罪者は逮捕し処罰しなければならない。聖徳太子の勝曼経義琉にこのことを道力摂受、勢力折伏というそうです。
また涅槃経にも国王の義務としての折伏がいわれます。仏教を護るために国王は戒を捨て、武器を持ってもよい。有徳王の説話と仙予国王の説話です。このことは最近にここに書きました。有徳王のほうは肯定できますが、仙予国王のほうは「ポア」の思想です。残念ながら日蓮はこの涅槃経の思想を受容しています。そしてこのことを取り挙げた日蓮宗内の学者はわたしの知る範囲では戸頃重基師だけです。
さらに法華経にいう折伏があります。「本已に善有るは釈迦小を以てまさに之を護り、本未だ善有らざるは不軽以て大に之を強毒す」(法華文句)。本未有善には三乗、四教を説かず、直ちに一乗を説く意味です。
摂受と折伏は七仏通誡偈の意味が基本です。その上に勝曼経、涅槃経、法華経にそれぞれ異なる折伏の思想があります。中に、涅槃経には絶対に否定しなければならない「ポア」思想があります。摂受と折伏を考えるには、まずこれらの区別をしなければなりません。
なお、「摂受と折伏について」、別にスレッドを立ててはいかがでしょうか?
676
:
顕正居士
:2006/06/10(土) 04:48:21
法華経と涅槃経の相違
「人種」は遺伝的な概念ですが、「民族」は宗教的文化的歴史的概念です。インド人は人種的には
欧州人と同根のアーリア人と起源不明な非アーリア人の両方が混ざっています。厳しくヴァルナ
(種姓)制度を立てて、幾千年も混血を避けて来ました。民族的にはインド教徒と非インド教徒が
います。非インド教徒の代表は昔は仏教徒で今はムスリムです。
法華経と大乗涅槃経はともに「仏教民族」の統一を訴えた経典ですが、大きな違いがあります。
法華経は仏教民族と非仏教民族の文化的相違も止揚する方向ですが、大乗涅槃経は対決する
方向があります。それを智邈は「権門の理を許す」という。智邈は「折伏」を法華経と涅槃経と反対
の方向で両義に使っています。日蓮のいう折伏は涅槃経の文脈です。天文法乱以後、社会適応
のために、両義の折伏を敢えて混同し、「不軽折伏」の説が出たのではなかろうか。しかし、
両義は水と油で、会通はごまかしに過ぎない。
結局、日蓮宗の曖昧な教学は創価学会の台頭を許し、同一人種、同一民族の日本の中にあえて
「創価民族」なるものを形成せしめるに至った。創価民族の日本人と異なる宗教的文化的歴史的
由来など存在しないのに。しかし日蓮宗はもっとも病理が顕著な宗派であるから、日蓮宗の研究
は宗教病理の解明と治療法の発見のはやみちであろうというのがわたしの考えです。
677
:
励合人
:2006/06/10(土) 05:05:17
未来に日蓮仏法を根本に宗教を広めるには限界があるのは自ずと明らかです。全人類統一の心の修養には新しい教典が必要になります。それは科学と既存の仏典をもとにした未来に通用することのみで語られる新しいものです。以上、私見です。すみません。それができる日が来ることを信じて未来の糧になれるよう生きていきたいです。
このサイトの役割も大きそうですね。
678
:
顕正居士
:2006/06/10(土) 06:29:10
仏教とインド教のヴァルナ(種姓)は以下の比較が可能に思えます。
菩薩種姓--ブラフマー
縁覚種姓--クシャトリア
声聞種姓--バイシュア
-------------------
闡提種姓--スードラ
むろん、インド教のほうから見れば、仏教徒は闡提種姓=スードラです。インド文明に適応しようとした
大乗仏教が非常に声聞種姓(釈尊教団)を嫌った理由が説明できます。なるべくなら今世の中に涅槃
に入ろうというのは、あえて闡提種姓=スードラ、非再生種族の価値観に追従するものだからです。
679
:
犀角独歩
:2006/06/10(土) 08:16:37
顕正居士さん
国訳のご呈示、有り難うございます。
スケールとなっているものですから、やはり、手元に置かないと駄目ですね。
国訳はしかし、仮名の挿入で字数ばかり多くて、通読するのに鬱陶して仕方ありません。まあ、しかし、それは飽くまで個人的な話です。
智邈、灌頂、湛然の呼称のほうが、やはり、善いでしょうか。
革屣と毒鼓は関係ないという点は、再考してみます。
いずれにしても「譬如有人以雜毒藥用塗大鼓於眾人中擊令發聲。雖無心欲聞聞之皆死。‘唯除一人不膻死者’。」という点は動かないであろうと存じます。
毒鼓が法華折伏と対応するというのは湛然釈でしょうか。
この4文字は訓読すれば、「法華の折伏」ということでしょうか。つまり、法華を摂受二門から見、折伏を論じるということであろうと。
そうでないと、続く「涅槃摂受」とともに、止観と齟齬を来すことになるだろうと考えます。
「一闡提」に関するご賢察、参考になりました。
異教徒ですか。なるほど。
やや余談に属しますが、ネットでリンクを張っていらっしゃる電子仏典協会と、わたしが常に通読していた天台電子聖典のものとは、字の使い方にけっこう違いがあり、面白いと思いました。ロムの方の参考に、やや挙げれば、以下のような相違があります。ほんの一部ですが紹介。
迹→跡、衆→眾、強→彊 等
特に最後の彊の字遣いでは、たとえば智邈の文句では「而強毒之」となっているのに、湛然の記では「而彊毒之」となっているなど、注意が必要だと思いました。
迹を跡とするのは、一瞬とまどいがありました。たとえば、智邈の玄義の「從本垂迹」は「從本垂跡」等となります。こんな成句の場合は直ぐさま類推できますが、跡を一文字で使用されている箇所では、うっかりすると、これが国訳の‘迹’であることを見落としそうになります。また、‘迹’という字に就き聞いてきた説明と‘跡’では、かなり隔たりがあると思います。この迹を跡と説明していたのは管野師の『法華経入門』でした。この知識があったために、速やかにこの点が理解できました。
電子仏典協会
http://www.cbeta.org/index.htm
書き終えたリロードすると678にさらにご賢察が示されており、興味深く拝読致しました。インド教はつまり、ヒンドゥー教と音意は同一のはずですが、しかし、シャキャムニの段階ではバラモン教で、その歴史推移で バラモン教+ヒンドゥー教=インド教 と記述された拝察いたしました。
680
:
犀角独歩
:2006/06/10(土) 09:05:04
電子仏典協会で折伏(析伏)、攝受で検索をしてみると、この成句が実に多岐に使われていることがわかります。
攝受
http://www.google.com/search?q1=%C4%E1%A8%FC&q=site%3Awww.cbeta.org+cbeta+%C4%E1%A8%FC&hl=zh-TW&ie=big5&sutra_name=&radiobutton=search
折伏
http://www.google.com/search?q1=%A7%E9%A5%F1&q=site%3Awww.cbeta.org+cbeta+%A7%E9%A5%F1&hl=zh-TW&ie=big5&sutra_name=&radiobutton=search
析伏
http://www.google.com/search?q1=%AAR%A5%F1&q=site%3Awww.cbeta.org+cbeta+%AAR%A5%F1&hl=zh-TW&ie=big5&sutra_name=&radiobutton=search&SubmitSearch=%C0%CB%AF%C1
また、672にも記しましたが、攝受・折伏はセットで語られるとは限りません。
上記で検索される経典を開き、その文中を、攝受ならば折伏を、折伏ならば攝受をさらに検索してみると。その両門が記されているものと記されていないものとがあります。電子仏典協会の経文データは分巻となっているものが多いので、経典全体で精査しないと正確な比較とはなりませんが、ほぼ、以上の点は指摘できます。つまり、摂折二門は、元々から対概念として成立したものではないのだろうと類推できます。別々に発展した概念が、対概念として束ねられていった経緯があるということです。いったい、この時期は、いつ頃なのか、それは経典の訳出年代と攝受、折伏、攝受・折伏と使用されるところで整理し、年表化することによってある程度、探ることはできるだろうと思われます。
まあ、こんな研究は既にあるかも知れません。
いずれにしても、攝受、折伏が別々に発展し、やがて統合され、天台に採用され、さらに伝教を経て、日蓮が採用した。そして、その後、偽書が捏造され、折伏偏重は進むなか、さらに末法は折伏という解釈が定着し、さらに忍難強説弘持が折伏と解釈され、安土問答以降、しかし、攝受と転じ、優陀那日輝、日蓮宗となを公称する段でも攝受であったのでしょう。しかし、この顛末は、本来の日蓮義、祖道の恢復であったとわたしには思えます。
これが祖滅以降の疑偽書解釈である末法折伏為体を復活させるのは、田中智学の日蓮主義であり、結局のところ、石山、創価学会も、その影響を受けたうえで、戦後の展開があったのだろうと俯瞰できます。
わたしは今成師とはかなり違う観点から攝受をここに記しましたが、平成の攝受論の火蓋を切った師の業績を、わたしは評価します。
681
:
犀角独歩
:2006/06/11(日) 12:42:48
今成師の摂折に関しては、以下のような論攷形態となっています。
立正大学名誉教授として、大学の先生として論文形式を取って発表されたものです。折伏・教学の顕本という顕本法華宗の僧侶である今成師が、折伏に疑問を呈するところに騒動を大きくする要因があったわけです。
寄せられた反論に対して、「反論になっていない。反論には反論のルールがある」といい、所論の一々に対応した形でなすのが反論であるという師は、如何にも大学の名誉教授だなと思ったものでした。
今成師の論攷様式
■日蓮論の形成の典拠をめぐって
『如説修行鈔』
1.「如説修行」の語をめぐって。
2.「摂受」と「折伏」の語をめぐって。
3.「法華折伏」の成句をめぐって。
4.軍談調の文章をめぐって。
『開目抄』
1.構文上の不整合。
2.不軽菩薩の不整合。
3.用語法の不統一。
4.文献上の不備。
■教団における偽書の生成と展開
『如説修行鈔』をめぐって
1.思想上の問題。
2.文章構成上の問題。
3.用語上の問題。
4.文献上の問題。
『開目抄』の一節をめぐって
1.思想上の問題。
2.文章構成上の問題。
3.用語上の問題。
4.文飾の問題。
摂折論とは別ですが、今成師は、「為心師不師於心」を日蓮が『六波羅蜜經』の文であると『兄弟鈔』に記したことを永年門下教学では間違いであるとし、ついには、この原文を『涅槃經』と書き換えて出版されたことにつき、上述の一節が『六波羅蜜經』にあることを見出し、日蓮の汚名を挽回した功績は大きかったわけです。師の摂折論再考は、このような門下教学の在り方に対する警鐘をはらんだものなのであって、わたしは冷静にこれを受け止めて、反論するのであれば、反論するなりの根拠を以てして然るべきであると考えます。
以上、ご覧いただければおわかりのとおり、わたしが師の所論を参考にしているのは、『日蓮論の形成の典拠をめぐって』の『如説修行鈔』1.「如説修行」の語をめぐって、2.「摂受」と「折伏」の語をめぐって、3.「法華折伏」の成句をめぐってまでです。また、法華折伏の対語として「涅槃摂受」については、師は触れておられません。
ここに記したことのそれ以降の内容は、あくまで、わたしの管見愚考です。この点、どうか、混同なさらないでいただきたく存じます。
685
:
犀角独歩
:2007/07/26(木) 11:09:19
一字三礼さんと有意義な摂折論の議論ができました。
そのテーマに従って、こちらに移動しました。
■「而強毒之」を折伏の依文とはならない
不軽菩薩を折伏と宛てるうえに、しばしば「本已有善釋迦以小而將護之 本未有善不輕以大而強毒之」が引用されます。
上記の釈を整理すると
┌本已有善―釋迦―小―將護
└本未有善―不輕―大―強毒
となります。この文は、文句不軽品に出てくる
「問釋迦出世踟[足*厨]不説 常不輕一見 造次而言何也 答本已有善釋迦以小而將護之 本未有善不輕以大而強毒之云云」
この釈文については、少し遺文を読んでいる人であれば、日蓮がどこで引用しているかを知っているでしょう。『曽谷入道殿許(がり)御書』です。
「問曰 一経二説 就何義可弘通此経 答云 私不可会通 霊山為聴衆天台大師並妙楽大師等処々有多釈 先出一両文 文句十云 問曰 釈迦出世踟[足*厨]不説 今此何意 造次而説何也 答曰 本已有善釈迦以小而将護之 本未有善 不軽以大而強毒之等云云
釈心寂滅・鹿野・大宝・白鷺等前四味之小大・権実諸経・四教八教之所被機縁 彼等之尋見過去 於久遠大通之時下於純円之種 諸衆謗一乗経経歴三五之塵点 雖然所下下種純熟之故至時自顕繋珠 但四十余年之間 過去已結縁之者 猶可有謗義之故 且演説権小諸経 令練根機」
本已有善・本未有善は「彼等衆者以時論之其経似得道以実勘之三五下種輩」といい、同一の衆生です。釈迦仏が、まだ不軽菩薩であったときに、但行礼拝した衆生です。いうところの大小は法華と「権小」であり、その相違を「信謗」と言います。経年順に入れ替え、整理すれば
┌本未有善―不輕―菩薩―大―謗―強毒
└本已有善―釋迦―仏陀―小―信―將護
つまり、不軽と釈迦も同一であれば、本已有善と本未有善の両衆生も同一であることが、この釈書の前提です。また、釈迦がためらって、小を以て將護したのは、聴聞の衆生が謗を捨てるまでのことであって、実教、殊に本門以降、その限りではないということも前提です。
さらに「強毒」について、不軽が「毒する」とされますが、わたしはこの点に懐疑的です。ここでいう毒とは三毒であり、三毒が強盛であるから謗という道筋ではないでしょうか。ここで不軽が毒したというのは、釈と一致しません。該当の文句不軽品は以下のとおりです。
「文云 不專讀誦經典但行禮拜者 此是初隨喜人之位也 隨喜一切法悉有安樂性皆一實相 隨喜一切人皆有三佛性 讀誦經典即了因性 皆行菩薩道即縁因性 不敢輕慢而復深敬者 即正因性 敬人敬法不起諍競 即隨喜意也 不輕深敬是如來座也 忍於打罵是著如來衣也 以慈悲心常行不替。即如來室也 又深敬是意業 不輕之説是口業 故往禮拜是身業 此三與慈悲倶 即誓願安樂行也 如此三四 豈非流通之妙益而謂何耶 從四衆之中下 第二明毀者之失 生瞋恚心不淨者 不受四一也 罵言無智智知於理 既言無智不受理一也 比丘即不受人一也 從何所來不受行一也 虚妄授記不受教一也 經歴多年常被罵者 結不受開權顯實之四一也 避走遠住高聲唱言亦復不受 此不受開近顯遠本地之四一也 常作是語故 結信者深信不休也 四衆爲作不輕名者 此結毀者呰毀不止也 問釋迦出世踟[足*厨]不説 常不輕一見 造次而言何也 答本已有善釋迦以小而將護之 本未有善不輕以大而強毒之」
一瞥してわかるとおり、「不專讀誦經典但行禮拜」を釈しているわけです。「避走遠住高聲唱言」してのことです。毒するどころか、礼拝です。つまり礼拝されることによって、毀・謗といった三毒を起こすのは本未有善の衆生側のことです。
また、この釈を読めばわかるとおり、不軽の行は、そのような衆生の三仏性を拝む、身口意誓願の安楽行であるというのが趣旨です。
このように原文から見ていくとき、まったく、言われてきた不軽=折伏という論調は、釈・書からかけ離れていることがわかります。
而強毒之を折伏の根拠とすることは甚だ不可であるといえます。
686
:
犀角独歩
:2007/07/27(金) 10:14:44
先の685に取り上げた「而強毒之」について続けます。
既に、679では指摘しましたが、この成句は、日本を除く漢字圏では「而彊毒之」と記されるのが一般です。『電子天台辞典』では、両方の使用があり、いったい、実際のところはどうなっているのか悩ましい問題が残っています。
それは今後の課題として、この「強毒」「彊毒」は、強い毒、もしくは強く毒するといった意味に取られて解釈されてきた経緯があります。
しかし、ほかの可能性はないでしょうか。‘強’は「強まる」「強いる」と言った意味、‘毒’は三毒を表していると考えられないでしょうか。
つまり、強毒とは、衆生の三毒を強めるといった意味ではないのかということです。すなわち、不軽菩薩に礼拝され、「我深敬汝等…」と言われた衆生が、反感を懐き、心の三毒を強めるというのが、本来の意味ではないかということです。
この点について、湛然は以下のように説明しています。
「不輕以大而彊下云云者 爲唱令聞故也 應釋彊毒以作當來聞法之相 具如經文後時得益者也 意業淨下云云者 應釋三業對三力相 復應更對衣座室等 神通室也 説辯座也 善寂衣也 廣對一切準此可見 毀者等者 即生隨從尚猶墮苦 是則撃信毀之二鼓 爲生後之兩因 問若因謗墮苦 菩薩何故爲作苦因 答其無善因不謗亦墮 因謗墮惡必由得益 如人倒地還從地起」
夙に有名な釈文「謗に因て惡に墮せば必ず由て益を得る、人地に倒れば還て地に從て起るが如し」は、この説明でした。
湛然がここで悪というのは、謗であり、つまり、三毒のことでした。
不軽の行は三業(身口意)誓願安楽行ですが、受ける衆生は悪心(三毒)を懐く、詰まるところ、不軽が毒するわけではなく、衆生が毒を懐くのであり、それは不軽の礼拝と二十四文字の法華経によるというのが、釈の意です。ならば、強毒とは「三毒を強める」ほどの意味と解するほうが至当であると思えました。
しかしながら、日蓮が「令撃毒鼓」というところからの、湛然の説明は、ここでは違っています。
「毒鼓者 大經云 譬如有人以毒塗鼓 於大衆中撃令出聲聞者皆死 鼓者 平等法身 毒者 無縁慈悲 打者 發起衆也 聞者 當機衆也 死者 無明破也」
「毒とは無縁慈悲」であるというのです。また、「死とは無明を破す」こととも言います。
わたしは「而強毒之」と「毒鼓」でいう‘毒’はそれぞれ意味が異なっているのではないかと、現時点では考えていますが、今後の検討課題の一つしています。
688
:
犀角独歩
:2007/07/28(土) 06:14:15
いま、不軽行安楽行を、わたしは繰り返し述べていますが、顕正居士さんがご指摘をくださった該当文(記)を挙げておきます。
我為不輕行安樂行。
今謂安樂行者始行弘經 故與不輕其儀十別 何者
彼則安處法座隨問為説 此乃遠見四眾故往禮拜
彼則有所難問 方乃為答 此乃瓦行打擲猶彊宣之
彼則常好坐禪在空閑處 此乃不專讀誦入眾申通
彼則深愛法者不為多説 此乃被虛妄謗仍彊稱揚
彼則初問云何讀説此經 此乃但云流通作佛一句
彼則初修理觀觀十八空 此乃但懷一句作佛之解
彼則化佛親説詮虚空身 此乃虚空身説詮於化事
彼則夢中遠表當獲大果 此乃口宣當得佛因之教
彼則約解髻喩開二乘權 此乃約結縁表一乘之實
彼則以順化故存於軌儀 此乃以逆化故亡於恒跡
彼則列勝行法以取於人 此乃偏引往人以通勝法
http://www.cbeta.org/result/normal/T34/1719_010.htm
ここで顕正居士さんが注視されたのは「彼則以順化故存於軌儀 此乃以逆化故亡於恒跡」でした。蛇足ながら記せば‘恒跡’とは、こちらの文化圏で記述すれば、恒迹です。
安楽行品では順化で軌儀を存し、しかし、不軽品では逆化であり恒迹を亡すといいます。この後者の意味は、恒(つね)に迹を亡(うしな)うということで、二十四文字の法華経は本門立てということなのかと、わたしは解していました。つまり『顕謗法鈔』の「悲を先とする人は先権経をとく、釈迦仏のごとし。慈を先とする人は先実経をとくべし、不軽菩薩のごとし」という点と一致するところであろうと考えたということです。
顕正居士さんは「常な新見解を世に問う者には「軌儀」が存しないことはもっともであり、日蓮はそれゆえに、しばしば自己の弘経が三軌四行に相違する故、難に逢着するのであろうかと自問したのではないかとおもう」と記されていました。
『開目抄』の「法華経の安楽行品云 不楽説人及経典過 亦不軽慢諸余法師等云云 汝此経文に相違するゆへに天にすてられたるか」という批判を挙げています。これはたしかに表面的に見ると安楽行品にいう安楽行「以順化故存於軌儀」には相違するわけですが、不軽行の安楽行「以逆化故亡於恒迹」には相違しないわけです。同抄に、日蓮は、この記の釈を挙げることはせず、「見壊法者」をもって、不軽行安楽行を説明したわけでした。
689
:
犀角独歩
:2007/07/28(土) 09:23:44
顕正居士さんがいう日蓮の自問「軌四行に相違する故、難に逢着する」という視点は、さすがだと思ったものでした。このご指摘は、既に1年前のことですが、いま読み直しても、光っています。
『開目抄」において、経文に相違するかどうかは、単に安楽行品に留まらず、全編通じて、繰り返し自問が繰り返されています。
日蓮云、日本に仏法わたりてすでに七百余年、但伝教大師一人計法華経をよめりと申をば諸人これを用ず。但法華経云 若接須弥擲置他方無数仏土亦未為難。乃至若仏滅後於悪世中能説此経是則為難等[云云]。日蓮が強義経文には普合せり。
法華経の第五の巻勧持品の二十行の偈は、日蓮だにも此国に生ずは、ほとをど(殆)世尊は大妄語の人、八十万億那由佗の菩薩は提婆が虚誑罪にも堕ぬべし。経に云 有諸無智人悪口罵詈等、加刀杖瓦石等[云云]。今の世を見るに、日蓮より外の諸僧、たれの人か法華経につけて諸人に悪口罵詈せられ、刀杖等を加る者ある。日蓮なくば此一偈の未来記妄語となりぬ。悪世中比丘邪智心諂曲。又云 与白衣説法為世所恭敬如六通羅漢、此等経文は今の世の念仏者・禅宗・律宗等の法師なくば世尊又大妄語の人、常在大衆中乃至向国王大臣婆羅門居士等、今の世の僧等日蓮を讒奏して流罪せずば此経文むなし。又云 数々見擯出等[云云]、日蓮法華経のゆへに度々ながされずば数々の二字いかんがせん。此の二字は天台伝教いまだよみ給はず。況余人をや。末法の始のしるし、恐怖悪世中の金言のあふゆへに、但日蓮一人これをよめり。
経文に我が身普合せり。御勘気をかお(蒙)ればいよいよ悦をますべし。
人をあだむことなかれ。眼あらば経文に我身をあわせよ。
般泥[シ*亘]経云 善男子過去曽作無量諸罪種種悪業。是諸罪報О或被軽易或形状醜陋 衣服不足 飲食麁疎求財不利生貧賎家邪見家或遭王難及余種々人間苦報。現世軽受斯由護法功徳力故等[云云]。此の経文日蓮が身に宛も符契のごとし。
そして、最後の「法華経の安楽行品云 不楽説人及経典過。亦不軽慢諸余法師等[云云]。汝此経文に相違するゆへに天にすてられたるか。」となっています。
同抄に引用される経典は、主に以下のとおりです。金光明経、清浄法行経、大涅槃経、法華経、大方広仏華厳経、大集経、維摩経、方等陀羅尼経、大品般若経、首楞厳経、浄名経、阿弥陀経、阿含経、般若仁王経、無量義経、世尊付法蔵経、大悲経、金剛頂経、観無量寿経、密厳経、大雲経、六波羅蜜経、般泥[シ*亘]経、正法華経、添品法華経、付法蔵経、心地観経、等
1年前の議論を読み直すと、日蓮上行論が前提で記していました。
この点は、一字三礼さんの提案があり、また、顕正居士さんも同意を示されたとおり、見直しが必要で、日蓮非上行という視点から再考してみようと思います。また、顕正居士さんもなんど指摘された点ですが、日蓮集団が武装をしていた、就中、日蓮自身が刀を帯持していた場合、それが自衛、形式的なものであれ、そこから折伏義を予想することは可能になります。ただし、言説弘持正法が摂受と言うことではありません。刀杖執持が折伏であるという本来の線と同じです。
以上2点については、少し再考してみたいと思っています。
690
:
犀角独歩
:2007/07/28(土) 18:48:59
3日ほどかかって、ようやくと過去の議論を読み直しました。どうにも噛み合わない不毛なものが多かったと残念に思います。そのなかで、顕正居士さんのご投稿は常に正鵠を射ていることに改めて敬服いたします。
700にも及ぶ投稿ですが、顕正居士さんのご投稿だけを拾い読みされても、かなり有意義であろうと思えました。
おしなべて言えることは、折伏論者は不軽菩薩が折伏であるという大前提から、すべての論が成り立っていることでした。これは逆化、而強毒之、毒鼓といったこともまた、折伏とすることによって論が成り立っています。
この点について、顕正居士さんは、以下で明解に示されていました。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/364/1117079987/545
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/364/1117079987/547
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/364/1117079987/549
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/364/1117079987/555
安楽行品の安楽行と、不軽の安楽行は相違するわけで、それを化儀の違いといえるかどうか、仮に言えたとしても、化儀は違っても、その有様が(弘法)三軌四(安楽)行であり摂受である点は変わらないという顕正居士さんの慧眼は光っていました。
顕正居士さんに無用なところですが、不軽に関する真蹟遺文の抜き書きは以下に挙げました。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/364/1117079987/557
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/364/1117079987/558
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/364/1117079987/559
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/364/1117079987/560
不軽折伏、逆化折伏、行門折伏、教門折伏といった造語が次々と飛び交って折伏論は塗り固められてきましたが、結局、これらは何一つ、日蓮に遡れないものでした。
691
:
臨時
:2007/07/29(日) 02:00:57
犀角独歩さん今晩は、
「今成師の摂折に関しては、以下のような論攷形態となっています。
立正大学名誉教授として、大学の先生として論文形式を取って発表されたもの
です。折伏・教学の顕本という顕本法華宗の僧侶である今成師が、折伏に疑問
を呈するところに騒動を大きくする要因があったわけです。
寄せられた反論に対して、「反論になっていない。反論には反論のルールがあ
る」といい、所論の一々に対応した形でなすのが反論であるという師は、如何
にも大学の名誉教授だなと思ったものでした。」
との事ですが、
今成師(立正大学名誉教授)は同じ立正大学教授の伊藤瑞叡師が「第36回中
央教化研究会議基調講演」(平成15年9月3・4日)にて「開目抄における
摂折論―仏教古典学の立場から―」(法華学報―別冊特集第13号)と題して
講演された内容は今成師の摂折論に対する批判と思える内容ですが、今成師が
この伊藤師の講演に対してもどこかで反論されておりますでしょうか。
ご存知でしたらお教え願えれば幸いです。
たまにしか顔を出さずにお願い事をするのは、大変失礼とは存じますが宜しく
お願いいたします。
692
:
臨時
:2007/07/29(日) 02:11:28
訂正―
今成師(立正大学名誉教授)と同じ立正大学教授の伊藤瑞叡師が「第36回中
央教化研究会議基調講演」(平成15年9月3・4日)にて「開目抄における
摂折論―仏教古典学の立場から―」(法華学報―別冊特集第13号)と題して
講演された内容は今成師の摂折論に対する批判と思える内容ですが、今成師が
この伊藤師の講演に対してもどこかで反論されておりますでしょうか。
失礼しました。
693
:
偶ロム偶ログ
:2007/07/29(日) 03:05:10
>臨時さん
横レス失礼します。
「第36回中央教化研究会議基調講演」では、今成師も
「日蓮聖人の摂受折伏観」と題して講演されています。
日蓮宗現代宗教研究所の所報である『現代宗教研究』第38号(平成16年3月)に
伊藤師の講演とともに全文掲載されています。
またお二人への「質疑応答」もほぼ収録されています。
今成師の講演のあとに伊藤師が講演し、その後に質疑応答がありましたから、
お二人ともお互いの講演内容を踏まえて質問に答えられていますが、時間の関係か
簡単なものです。
日蓮宗東京西部教化センターの機関誌『教化情報』は今成師の論考などを含めて、
数回関連記事を掲載していて参考になると思います。
694
:
犀角独歩
:2007/07/29(日) 05:02:08
偶ロム偶ログさん、有り難うございます。
臨時さん、693とのことです。
695
:
臨時
:2007/07/29(日) 10:19:53
偶ロム偶ログ さん早速のレスありがとうございました。
『現代宗教研究』第38号を読んで見たいと思いますが、どのようにしたら入
手可能でしょうか?取り敢えずインターネットで検索して見ます。
696
:
偶ロム偶ログ
:2007/07/29(日) 11:38:51
>695
『現代宗教研究』はメールか電話で日蓮宗現代宗教研究所に問い合わせてみたらどうでしょうか。
この掲示板で紹介されたと言えばいいんじゃないかと。
『教化情報』は日蓮宗現代宗教研究所のHPの教化センターのページに東京西部教化センターの
サイトがリンクされています。ただ、こちらは有料だったと思います。
ちなみに『教化情報』の関連記事は、
10号「日蓮聖人の摂折観をめぐって」
15号「摂折論争の現在」他
このほか11、12、14号にも関連記事があるようです。
なお、16号には今成師の
「宗門運動をめぐって 立正安国と『立正安国論』との間」
という一文も掲載されています。
697
:
独学徒
:2007/07/29(日) 12:26:36
横レス失礼します。
『現代宗教研究』以下にPDF版・テキスト版で見れます。
http://www.genshu.gr.jp/DPJ/syoho/syoho.htm
また、こちらでの議論を意識してかどうかわかりませんが、継命誌上で今号から4回にわたって、山上弘道師が「不軽菩薩の利益を今に」と題した論考を掲載するようです。
698
:
臨時
:2007/07/29(日) 13:49:03
偶ロム偶ログさん、又独学徒さんレスありがとうございました。
http://www.genshu.gr.jp/DPJ/syoho/pdf/syoho38.pdf
よりpdfデーターにてダウンロードし現在印刷中です。
独学徒さん
<山上弘道師が「不軽菩薩の利益を今に」と題した論考を掲載するようです>
との事楽しみにしています。
699
:
犀角独歩
:2007/07/29(日) 23:29:09
正信会がいちばん、やらなければいけないことは、あの彫刻の真偽追及です。それをやらないで、日蓮本仏の立場にありながら、釈迦本仏の人々と詐親して、遊戯雑談して折伏もないものです。
不軽の利益を言うより、先にやることがあります。
700
:
偶ロム偶ログ
:2007/07/30(月) 01:59:37
>699
独歩さん、それは無い物ねだり、かもです(苦笑)
正信会は基本的に、「細井日達氏当時の日蓮正宗の教義教学」を大前提としている
日蓮正宗系のセクトだということです。
彼らがやらなければならないことは、「あの彫刻の真偽追及」ではなく、「あの彫
刻の真作証明」のはずです。それが日達氏の遺弟の道でしょう。
たかが創価学会や池田大作氏や阿部日顕氏の謗法を、あれだけ鋭く追及・糾弾した
わけですから、独歩さんの所説について沈黙していることは不可解かつ不自然きわ
まりないていたらくですね(苦苦笑)。
あとのつぶやきは「偽作説スレ」に移動します。
701
:
犀角独歩
:2007/07/30(月) 06:13:46
700 偶ロム偶ログさん、まあ、そうでしょうか。
正信会については、古文書解読については参考になるが、日蓮の教学解釈となると途端に参考対象外という点は、よくよく認知しないとダメでしょうね。日蓮本仏、彫刻肯定、折伏前提という固定観念から取り払ってみないといけませんね。
古文書を読めるから、教学にも精通しているはずだは、ひいき目に過ぎません。
ここの人々の話題はこれくらいにします。
702
:
犀角独歩
:2007/07/30(月) 06:50:05
さて、ここ2年の議論を振り返り、いくつか記させていただきます。
まず、不軽、逆化、強毒、毒鼓といった言葉は、門下教学では「折伏」の説明後にされていますが、実際に原文に当たると、どれも摂受を意味するものでした。
この点について、補足すれば『文句記』の安楽行品安楽行と、不軽菩薩の安楽行の相違を挙げた一つ「彼則以順化故存於軌儀 此乃以逆化故亡於恒迹」までもが、不軽折伏の根拠とされてしまっています。このような論者は彼(安楽行品=摂受)との相違を挙げているから不軽安楽行は折伏なのだというのです。しかし、これはまったくの詭弁でしょう。記でいう相違は同じ安楽行=摂受における相違に過ぎません。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/364/1117079987/688
同じことが『開目抄』の解釈でも言われます。
日蓮は、自身が安楽行品(=摂受)に違背しているといっているから、それ以降の記述は、自身折伏を記しているというのです。
ところが『開目抄』を、‘経文’という線から読み直すと、日蓮は経文に相違するどころか、符合することに絶対の確信を述べています。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/364/1117079987/l50
「経文に我が身普合せり。御勘気をかお(蒙)ればいよいよ悦をますべし。 人をあだむことなかれ。眼あらば経文に我身をあわせよ」
とまで、言う日蓮が、ひとり安楽行品ばかりは相違しているとするのは、『開目抄』全体の流れからして、如何にも不自然です。
「疑云、念仏者と禅宗等無間と申は諍心あり。修羅道にや堕べかるらむ。又法華経の安楽行品云 不楽説人及経典過。亦不軽慢諸余法師等[云云]。汝此経文に相違するゆへに天にすてられたるか」という他者からの批判は、日蓮は納得したわけではなく、それ以降に、けっして自分は相違していないことを諄々と説いていくのがこの抄の結論ではないでしょうか。
安楽行品の安楽行と、不軽菩薩の安楽行には相違があるにせよ、安楽行であり、摂受の域でした。同じように日蓮の安楽行(三軌四行)は、その不軽菩薩とは相違がある。では、どのような相違かと言えば、それは勧持品の菩薩が二十行偈に唱えたことを我が身に宛てた如き差であり、その有様は強義「念仏者と禅宗等無間と申」ことである。けれど、不軽菩薩の行が安楽行であったように、日蓮の勧持身読もまた、けっして安楽行品に相違するものではない、ただ時の違いから、その摂受の有様が違うのであり、それが具体的には「見壊法者」の涅槃経によって証明される。日蓮が『本尊抄』に標榜した「行摂受時成僧弘持正法」という不朽の結論は揺るがないということでした。
『開目抄』全編は、日蓮が自身、法華経文に符合した法華経の行者の宣言であり、その一品である安楽行品に限って相違するとすれば、齟齬を来すことになります。
703
:
犀角独歩
:2007/07/30(月) 10:00:47
所報第38号を、ざっと読み直したのですが、早坂師、有本師の小論は、こう書いては失礼ですが、問題外。
伊藤師については、摂折解釈が、日蓮の真蹟遺文から大きくはみ出しているというのが一点。その反面、以下の『開目抄』については、まったく講演の中では触れていなかったのが印象的でした。
止観云 夫仏両説。一摂・二折。如安楽行不称長短是摂義。大経執持刀杖乃至斬首是折義。雖与奪殊 途 倶令利益等[云云]。弘決云 夫仏両説等者О大経執持刀杖者 第三云 護正法者不受五戒不修威儀。乃至 下文仙予国王等文 又新医禁云 若有更為当断其首。如是等文 並是折伏破法之人。一切経論不出此二等[云云]。文句云 問 大経明親付国王持弓帯箭摧伏悪人。此経遠離豪勢謙下慈善剛柔碩乖。云何不異。答 大経偏論折伏住一子地。何曽無摂受。此経偏明摂受頭破七分。非無折伏。各挙一端適時而已等[云云]。
涅槃経疏云 出家在家護法取其元心所為 棄事存理匡弘大教。故言護持正法。不拘小節 故言不修威儀 О昔時平而法弘。応持戒勿持杖。今時嶮而法翳。応持杖勿持戒。今昔倶嶮応倶持杖。今昔倶平応倶持戒。取捨得宜不可一向等[云云]。
この点を質疑応答で問われると、「それはね、迹化の立場ですね。日蓮聖人は本化ですから違います。迹化の立場を前提として引用したためにそれを、大経を引いたわけで、日蓮大聖人は大経を引いといて、常不軽の立場の口業、言葉における折伏」(P368)
大経(涅槃経)は迹化の立場ならば、同じ『開目抄』に引く「見壊法者」も迹化の立場となってしまうので、齟齬を来すことになります。
また、蒙古国王の日本愚王の治罰を肯定し、謗法者の首を刎ねることを日蓮が迫った根拠は、まさにこれら智邈・湛然の釈にあるわけですから、これを迹化として斥けてしまえば、『開目抄』一抄では辻褄合わせができても、今度は、本化の立場から為政者の治罰の根拠を失うことになります。
(常不敬が口業折伏という点については、先に記してきたのでここでは割愛します)
以上にも関連しますが、『本尊抄』の
当知此四菩薩現折伏時成賢王誡責愚王
行摂受時成僧弘持正法
も講演中には触れず、質疑応答でこの点を司会から問われると
「『本尊抄』について詳しく説明する時間はありませんでしたけれど、非常に厳密に上段の方に論明しておりますので、読んでいただければと思います。それから刀杖を持すべしもの、専守防衛。責められたる場合護るというためにもつというわけで、しかもそれは迹化です」(P369)
これはまったく答えになっていません。第一、該当の「現折伏時成賢王誡責愚王」とは、迹化の菩薩ではなく、本化四菩薩が賢王と現じることを述べるわけです。「誡責愚王」が専守防衛であるわけもありません。
以上、伊藤師の講演、広汎な摂折論攷気としては勉強になりましたが、肝心の『開目抄』『本尊抄』の、日蓮の摂折論については、まったく画竜点睛を欠いたもので参考になりませんでした。
705
:
犀角独歩
:2007/07/30(月) 11:23:23
【703の訂正】
誤)常不敬
正)常不軽
誤)広汎な摂折論攷気としては
正)広汎な摂折論攷としては
706
:
犀角独歩
:2007/07/30(月) 16:08:40
■摂受・折伏、日蓮はどちらを先と言ったか
『開目抄」における摂折の順番は、どうも折伏論者がいうところは逆ではないのかと常々思ってきました。
「無智悪人の国土に充満の時は摂受を前とす。安楽行品のごとし。邪智謗法の者多時は折伏を前とす」
┌無智悪人 ― 摂受を前
└邪智謗法 ― 折伏を前
さらに「末法に摂受折伏あるべし。所謂悪国・破法の両国あるべきゆへなり。日本国当世は悪国か破法の国かとしるべし」、この文は、以下のように配列できます。「折伏破法之人」と脈絡できます。
┌摂受 ― 悪国
└折伏 ― 破法
併せれば
┌無智悪人 ― 摂受を前 ― 悪国
└邪智謗法 ― 折伏を前 ― 破法
ここで折伏論者は、日本は破法の国であるから折伏が先であるといいます。しかし、日蓮は、日本を悪国であるといっているのです。
「‘悪国’悪時これなり。具には立正安国論にかんがへたるがごとし」(開目抄)
「諸天善神去此‘悪国’故」(富木殿御返事)
「其外閻浮守護天神地祇或去他方 或住 此土不守護於‘悪国’」(曽谷入道殿許御書)
この点は既に一字三礼さんとも議論した点ですが、上述の整理からすれば、明らかに摂受が前になります。
■日蓮の摂折観は四重の構成
日蓮における仏/菩薩/衆生と摂折の関係は『本尊抄』から考えると、以下のように図示できます。
┌─────┐
│仏 陀│一重
├─────┤
│四 菩 薩│
├──┬──┤
二重│ 僧 │賢王│三重
├──┼──┤
│摂受│折伏│
├──┼──┤
│弘持│誡責│
│正法│愚王│
├──┴──┤
│衆 生│四重
└─────┘
(※図が乱れるときは以下を参照
http://www.geocities.jp/saikakudoppo/msfont.html
)
日蓮は摂折を考えるにあたり、仏陀、四菩薩(僧・賢王)、そして衆生と、それぞれ分別して、述べています。ところが、従来の摂折論は、摂受か・折伏かという選択を、その相違を度外視て、一様に論じている、という点に、まず大きな分析のミスがあると、わたしは思います。
また、経典は摂折、どちらかに偏るというより、その両意を具えて一経をなしているという判断が智邈・湛然にはあると思えます。
それにもかかわらず、末法は折伏一辺倒の論調は、あまりにも単純化し即断というほかありません。
智邈・湛然の摂折論において出家:在家=摂受:折伏は構成の主要な要素であり、たとえば、涅槃経の覚徳比丘(出家)・有徳王(在家)の物語を摂受・折伏で考える場合もその両意を孕んでいることは当然のことです。ただ、それが覚徳比丘を見れば摂受であり、有徳王を見れば折伏であるということなります。
これは日蓮も同様なのであって、『本尊抄』に四菩薩に摂折を考えるに出家(僧)を摂受、在家(賢王)を折伏に宛てています。この日蓮の解釈は、どちらか一方を採るものではなく、智邈・湛然と同じように出家在家を分別し、そこに摂受・折伏を別に見立てているわけです。
このような四菩薩の働きをしかし、菩薩の自主性に求めるのではなく、如来使と見立て、その摂折両意の権能を経に寄せ、すなわち仏陀に寄せている故に釈尊御領観がそこに存するのでしょう。
では、実際に済度の対象となる衆生はどうなのか。日蓮は、この衆生の役割に、なんら摂折の責務を配列していないことは、凡そ摂折を論じるなかで語られることがないわけです。過去に述べたことですが、出家でもなく、在家為政者でもない、いわゆる信者は、摂折の責務を負うというより、済度の対象であり、五十展転の随喜を以てする、一歩進めれば、五字の妙法を唱えるところにその信仰を置くのではないかと、わたしは考えます。
日蓮の摂折観は、仏陀・経釈に根拠を置き(一重)、智邈・湛然の出家:在家=摂受:折伏のコンセプトから四菩薩に僧(二重)・賢王(三重)、衆生(四重)済度のために組み立てられた、いわば四重構造になっている点を考える必要があるとわたしは考えます。
それを末法は折伏正意、摂受も折伏、衆生も折伏、一切合切、折伏に当て嵌めていく解釈は、あまりにも乱暴ではないかと考えるわけです。
707
:
犀角独歩
:2007/07/30(月) 17:44:54
■二十四字は法華経ではない、その意である
「二十四文字の法華経」という成句は、石山教学を学んだ人であれば、誰しもが知っています。
しかし、安楽行品では、二十四字「我深敬汝等不敢輕慢 所以者何 汝等皆行菩薩道當得作佛」を、決して法華経としては扱っていません。
扱っていないどころか、威音王仏の法華経を、不軽菩薩は「臨欲終時 於虚空中 具聞威音王仏 先所説法華経 二十千万億偈 悉能受持」というのです。
そして、その後、「是六根清浄已 更増寿命 二百万億 那由他歳 広為人説 是法華経」といいます。
では、「是法華経」はといえば、まさに寿命尽きようとするとき、虚空の中で具に聞いた法華経を指すわけです。しかし、これはもちろん、二十四字ではありません。
この二十四字について、日蓮の真蹟を追えば、『顕仏未来記』
「不軽菩薩以我深敬等二十四字 広宣流布於彼土 招一国杖木等大難也 彼二十四字与此五字其語雖殊 其意同之 彼像法末与是末法初全同 彼不軽菩薩初随喜人 日蓮名字凡夫也」
の一節に当たります。しかし、日蓮は、ここで法華経といっているわけではなく、その意が同じであるといっているのです。
では、二十四字が法華経と解されていったのは、どのような経緯なのでしょうか。この答えは『就注法華経口伝』にありました。
「第五 我深敬汝等不敢軽慢所以者何汝等皆行菩薩道当得作仏事 御義口伝云此廿四字妙法五字替其意同之 廿四字略法華経也」
言うところの意とは『四信五品鈔』の
「妙法蓮華経五字非経文 非其義 唯一部意耳」
でしょうが、しかし、二十四字を法華経と解釈することには、論理の飛躍があります。
不軽が二十四字を「避走遠住 猶高声唱言」としたのは、たしかに法華経の意には当たるけれど、法華経を説いたことにはならないわけです。また、ここで法華経を説いたとしてしまえば、「更増寿命…広為人説 是法華経」という、さらに重要な意義が消滅してしまうことになります。
下種の段階から見るとき、不軽の二十四字は意義はあります。しかし、この物語の至極は「於時増上慢四衆 比丘 比丘尼 優婆塞 優婆夷 軽賎是人 為作不軽名者 見其得大神通力 楽説弁力 大善寂力 聞其所説 皆信伏随従 是菩薩 復化千万億衆 令住阿耨多羅三藐三菩提 命終之後 得値二千億仏 皆号日月燈明 於其法中 説是法華経 以是因縁 復値二千億仏 同号雲自在燈王 於此諸仏法中 受持読誦 為諸四衆 説此経典故 得是常眼清浄 耳鼻舌身意 諸根清浄 於四衆中説法 心無所畏」というところにこそ、クライマックスがあります。
なお、智邈・湛然はこの不軽につき(顕正居士さんの言葉を籍りれば)三軌を四行に重点を置いて釈します。しかし、経典にある故に敢えて略されますが、その安楽行の結果は、六根清浄であり、聞法華経である点を忘却しては、経を読み損なったことになります。
708
:
一字三礼
:2007/07/30(月) 23:25:52
犀角独歩さん
摂受・折伏についての緻密な論考、勉強になります。
二十四字の法華経についてですが。
初めてこの不軽品を読んだとき、不軽菩薩の修行の因となるのは、「是比丘。臨欲終時。於虚空中。具聞威音王仏。先所説法華経。二十千万億偈。悉能受持。即得如上。眼根清浄。耳鼻舌身意根清浄。得是六根清浄已。更増寿命。二百万億。那由他歳。広為人説。是法華経。」以降のことで、それ以前の二十四字は「法華経」の修行ではないのか、と私も悩みました。
しかし、「法華経」の趣旨としては、二十四字は「法華経」の法門と考えて間違いないようです。ただ、それは「正法華経」や「妙法蓮華経」ではわからないことでした。
かの求法者サダー・パリブータは、かの世尊の教誡を守って、幾百人という僧や尼僧や男女の信者たちに、『わたしは、あなたがたを軽蔑しません。あなたがたは、みな、求法者の修行をしたまえ。そうなさるならば、あなたがたは完全に「さとり」に達して、如来となられるでしょう』と声をかけて、この経説の教えを説いたのである。(岩波文庫 法華経 下)
また、徳大勢よ、かの常不軽菩薩摩訶薩は、かの世尊の教えのもとに、その幾百人の比丘、幾百人の比丘尼、幾百人の優婆塞、幾百人の優婆夷たちにこの法門を説き聞かせた。『私(常不軽菩薩)はあなた方を軽んじません。あなた方はみな、菩薩の行を修行しなさい。〔そうすれば、〕あなた方は如来・応供・正等覚者となる〔ことができる〕でしょう』と〔言って〕。(春秋社 法華経 下)
また、徳大勢よ、かの常不軽菩薩大士が、かの世尊の教誡のもとでこの法門を説き聞かせ、『私はあなたがたを軽蔑いたしません。あなたがたはすべて、菩薩としての修行を行いなさい。そうすれば、将来、正しいさとりを得た尊敬されるべき如来となるでありましょう』と(告げた)。(中公文庫 法華経Ⅱ)
現代語訳では、はっきり分かります。
漢訳仏典では、明確にわかりませんから、日蓮は、直感的に趣旨を把握したのではないでしょうか。
709
:
犀角独歩
:2007/07/31(火) 00:58:27
一字三礼さん
いつも、ご批正、感謝申し上げます。
梵語直訳ですと、そんなふうになっていますね。
妙法華では、不軽について「不専読誦経典 但行礼拝」とするわけです。
智邈・湛然釈でも、信謗には謗ですから、「あなたを軽蔑しません」と語りかけて、礼拝すると、すぐ石を投げつけられたり、殴られたり、それで「避走遠住 猶高声‘唱言’」、ところが「六根清浄已 更増寿命」すると「広為人‘説’」と言うから説くに変わります。
羅什の悪く言えば恣意的、善く言えば達意訳といえるでしょうが、こんな漢訳によって、智邈・湛然も釈をなしているわけです。
そんなことから、二十四字は法華経にあらずと記しました。
しかし、せっかく、一字三礼さんがご教示くださったので、再考してみることといたします。
有り難うございます。
710
:
犀角独歩
:2007/07/31(火) 12:03:20
一字三礼さん
SADÂPARIBHÛTA の岩本訳、読み直してみたのですが、この訳では、矛盾が生じているのですね。
まず、二十四字に相当する直後に、以下のようにあります。
「マハー=スター=プラープタよ、この求法者は僧でありながら、“教えを説くことなく、経文をとなえることもなく”、会う人ごとに、たとえその人が遠くへいても、彼は誰にでも近づいて、このように声をかけ、相手が誰であれ、このように言うのであった」(『法華経』上/岩波文庫 P135)
また詩偈でも
「『わたしには諸君達を軽蔑する考えは、毛頭ない。
最勝の「さとり」を求めて修行をせよ。』
いつも、このように“言葉をかけて”、かれらの罵詈や軽蔑に耐えていた。」
ここの羅什訳の漢訳は「不宣読誦経典」「而語之言」です。
死期に当たり法華経を聞いた以降「説」に変化します。
ただしかし、ご指摘いただいたとおり、上の2節の中間で「教説の教えを説いた」(P143)とあります。ただ、ここは「さとり」に到達したあとの述懐の言葉となっています。このために「説いた」となっているのではないかと思うのです。どうでしょうか。
711
:
一字三礼
:2007/07/31(火) 18:32:38
犀角独歩さん
批正などとはとんでもありません。そのようなものではなく、独歩さんのご投稿でいつも学ばせていただいております。
>ここは「さとり」に到達したあとの述懐の言葉…「説いた」となっているのではないかと思うのです。
ご指摘のとおりだと思います。
後段の述懐部分では、常不軽菩薩は、仏(威音王如来)の教えと誡めを護りながら、二十四字の法華経を行じていたか読めます。
しかし、全体の設定では、威音王仏の像法時代なのですし、矛盾を感じます。
ただ、死に臨んで、六根清浄を得て、二十千万億偈を聞き、神通力を示してからが、釈尊の仏因としてしまうと、不軽品の大部分を占める二十四字の行とは何か、がわからなくなってしまいます。
‘不専読誦経典’なのですから、二十四字は、経典そのものとは言えないと思いますが、経法、行法類になるのかと思います。
‘経’と‘法’の概念があまり違いなく使われる例としては、経法、法句、法宝、法施、聞法、択法などでしょうか。
…実を言いますと、この不軽品につきまして、今、書いている最中ですので、ちょっと中途半端になってしまいました。
712
:
犀角独歩
:2007/08/01(水) 17:41:54
一字三礼さん、有り難うございます。
何かお書きになっていらっしゃるんですね。
力作を期待申し上げます。
わたしども、所謂教派教学で、随分と恣意的なお経の読み方を強要されてきたという印象を、つくづく懐きます。それは、わたしの思いなのかと呻吟していましたが、一字三礼さんのお考えを拝読すると、裏付けを得、勇気づけられます。
■勧持・安楽・不軽、一貫して四安楽摂受行
法華経と釈迦は根本であり、無始已来の当初に置くという解釈に馴染んできました。
しかし、今回、話題になった不軽品においても、前世の釈迦である不軽菩薩は、そのとき、既にいた仏から法華経を聞くという次第になっています。
わたしはこれらの点を素直に読もうと心がけています。
智邈/湛然の釈では、この不軽行は、安楽行であるといいます。また、安楽行は摂受であるともいいます。
日蓮は、日蓮当時の勧持品は未来の不軽品であるといいますが、いったい、これはどのような意味か。この点は後述するとして、勧持品、不軽品と挙げられるために、見落としがちになるのが、安楽行品の以下の一節でした。
若菩薩摩訶薩 於後悪世 欲説是経 当安住四法
ここでいう四法とは、もちろん身口意誓願の四安楽行ですね。
勧持品から安楽行品は一連の脈絡であり、続けて読めば、八十万億那由他の菩薩、二十行の偈を以てその誓いを立てることに続き、そのために四安楽行に拠れと説いていることがわかります。しかし、たぶん、このような解釈はなされてきませんでした。しかし、素直に経文を読めば、結局のところ、勧持品、安楽行品、そして、釈に拠れば不軽品まで、四安楽行であることがわかります。
しかし、安楽と不軽は十異あるから、後者は折伏だなどというのは釈の意に添いません。これら菩薩の有様は一貫して安楽摂受行であったことを改めて読めました。
一字三礼さん、以上の点は、梵本直訳からも言えるでしょうか。
もちろん、法華経に摂折論はないので、一貫して四行という点についてです。
713
:
犀角独歩
:2007/08/02(木) 12:29:07
■「見壞法者」一考
「若善比丘見壞法者」とは『大般涅槃經卷第三』の文であり、日蓮が『開目抄』にも引用する一節です。この訓読は「もし善比丘、法を壊る者を見て、置いて呵責し駈遣し、挙処せずんば」で、特に異論が挟まれることはないようです。
以下、断定的に記すことではなく、あくまで一考ですが、覚え書きとして留めておきます。
やや漢文の基礎から考えます。
【見】原義は物象が目に映る異。
あらはる 目に映る(原義)
みる 目で見る。(転注)
る・らる 受け身の意を表す。(仮借)
夙に有名な『法華経』の一節「数数見擯出」はことわるまでもなく「しばしば擯出(ひんずい)せらる」です。
【者】国語の如く必ずしも人を意味しない。
1 モノ 人・物・事・所・時・理由などを表す。
奪項王天下者必[シ*市]公也。逝者如斯夫。
(項王の天下を奪う者は必ず[シ*市]公也。逝く者は斯くの如き夫(かな)
2 ハ・トハ 国語の助詞「は」と同じく、主語を明瞭にする。
誠者 天之道也。亜父者范増也。
(誠は 天之道也。亜父は范増也)
3 コト 用言を名詞化する。
有封邑者 十余世。
(封邑を有(たも)つ者(こと) 十余世)
-参考- 昔者(ムカシ)今者(イマ)「者」は時を指示する。
(以上、『新補漢文提要』から抜粋)
引用原文である『大般涅槃經卷第三』で検索すると‘法者’の用法は以下のとおり。
(表が崩れるときは
http://www.geocities.jp/saikakudoppo/msfont.html
)
T12n0374_p0380a14(00)║ 云何説法者 筯長如月初
T12n0374_p0380c07(09)║於佛法中有破戒者作逆罪者毀正法者
T12n0374_p0380c23(14)║與驅遣羯磨訶責羯磨置羯磨舉罪羯磨
║不可見羯磨滅羯磨未捨惡見羯磨。
715
:
犀角独歩
:2007/08/02(木) 12:31:24
―713からつづく―
T12n0374_p0380c25(15)║如來所以與謗法者作如是等降伏羯磨。
T12n0374_p0381a02(04)║威儀具足護持正法。見壞法者。即能驅遣呵責徴治。
T12n0374_p0381a12(06)║見有破戒壞正法者。即應驅遣呵責舉處。─┐
T12n0374_p0381a13(07)║若善比丘見壞法者。置不呵責驅遣舉處。…┘
T12n0374_p0381a28(03)║如來亦爾。視壞法者等如一子
T12n0374_p0381b03(09)║若有不學是三品法懈怠破戒毀正法者。┐
T12n0374_p0381b04(10)║王者大臣四部之眾應當苦治。────┘
T12n0374_p0381c26(00)║我常性常微塵亦常。若言如來是常法者。┐
T12n0374_p0381c27(01)║如來何故不常現耶。若不常現有何差別。┘
T12n0374_p0382c03(00)║是三法者。無有異想。無無常想。無變異想。
T12n0374_p0383b22(10)║…善男子。護持正法者。───────┐
T12n0374_p0383b23(06)║不受五戒不修威儀。應持刀劍弓箭鉾槊。┘
T12n0374_p0383c15(03)║…咸共瞋恚害是法師。是説法者。┐
T12n0374_p0383c16(00)║設復命終故名持戒自利利他。──┘
T12n0374_p0383c18(02)║若有欲得護正法者。當如是學。迦葉。
T12n0374_p0383c19(04)║如是破戒不護法者名禿居士。非持戒者得如是名。
T12n0374_p0384a04(03)║即便往至説法者所。與是破戒諸惡比丘極共戰鬥。┐
T12n0374_p0384a05(00)║令説法者得免危害。─────────────┘
T12n0374_p0384a07(05)║…善哉善哉。王今真是護正法者。┐
T12n0374_p0384a08(01)║當來之世。此身當為無量法器。─┘
T12n0374_p0384a16(07)║…護正法者。得如是等無量果報。
T12n0374_p0384a25(01)║不受五戒為護正法乃名大乘。護正法者。──┐
T12n0374_p0384a26(02)║應當執持刀劍器仗侍説法者。迦葉白佛言。…┘
T12n0374_p0384a26(02)║應當執持刀劍器仗侍説法者。迦葉白佛言。世尊。┐
T12n0374_p0384a27(00)║若諸比丘與如是等諸優婆塞持刀杖者。─────┤
T12n0374_p0384a28(01)║共為伴侶為有師耶為無師乎。─────────┘
T12n0374_p0384b06(01)║護正法者。云何當得遊行村落城邑教化。
T12n0374_p0384b12(00)║迦葉。言護法者。─────┐
T12n0374_p0384b13(11)║謂具正見能廣宣說大乘經典。┘
以上のなかで、日蓮が引用する一節を前句から挙げると
T12n0374_p0381a12(06)║見有破戒壞正法者。即應驅遣呵責舉處。─┐
T12n0374_p0381a13(07)║若善比丘見壞法者。置不呵責驅遣舉處。…┘
なかなか、悩ましいものを感じます。
716
:
一字三礼
:2007/08/02(木) 23:27:02
≫712
犀角独歩さん
仰るように、勧持品から安楽行品への流れは、一貫していると思います。
もっと言ってしまえば、見宝塔品から如来神力品までは、かなり一貫した構成をしているのではないでしょうか。
ただ、四安楽行は、勧持品の菩薩達にも適用されるか、の解釈は難しいです。
勧持品では、先に薬王菩薩・大楽説菩薩が二万の菩薩の眷族と布教・受持の誓願をし、後に八十万億那由他の菩薩が誓願します。いわゆる旧住の菩薩達ですね。ところが、
「而作是念。若世尊。告勅我等。持説此経者。当如仏教。広宣斯法。復作是念。仏今黙然。不見告勅。我当云何。」
という気まずい空気流れて、これを見かねて文殊菩薩が、
「是諸菩薩。甚為難有。敬順仏故。発大誓願。於後悪世。護持読誦。説是法華経。世尊。菩薩摩訶薩。於後悪世。云何能説是経。」
と旧住の菩薩達を取り成しながら、さりげなく話題を逸らしたところから始まるのが安楽行品です。
つまり、勧持品の菩薩達には、「法華経」を布教することが許されていません。
これが許されるのは、‘総附属’と言われる嘱累品になってからですから、経典上の構成を遡って適用してよいものでしょうか。
しかし、四安楽行は、「法華経」を布教する心構えですから、「法華経」の行者・不軽菩薩に適用されるのは当然と思います。
719
:
犀角独歩
:2007/08/04(土) 18:56:41
一字三礼さん、有り難うございます。
こちらのスレッドテーマからは、やや横道ですが、法華経を宗派教学の縛りを抜けて読むと多くの発見がありますね。
宝塔品から神力品までというのは、成立群の分類から仰るところでしょうか。釈では、不軽行を三軌四行とするわけですが、となると、一つ前の法師品を、考証では付加することになりましょうか。
ここいらを読んでいきますと、大雑把に言えば、仏が法華経を容易く説くな、でも、一字一句でも受ければ記を授けるといい、そこで、旧住やら他土の菩薩が弘めたいというと、「止善男師」で地涌菩薩の登場と相成るというストーリーですね。
法華経では五種法師、三軌、四安楽、そして堪忍、不瞋恚で、罪を畢え、六根清浄、そして、寿命を延びるということが主要なコンセプトになっていますね。
わたしのサイトでアップしている『破日蓮義』を見ると「安楽行品外事可得意歟 既非仏説誰云一乗妙行耶 凡四安楽行者 法華修行方軌也」といい、一貫してとらえています。そんなことから、布教は八十万億那由他菩薩には許されないけれど、「心構え」は同じなのだろうと思えたのです。
それにしても法華経の登場する菩薩というのは、堪え忍び、怒らず、言い返さずで、おおよそ、いまの日蓮門下一般が言う折伏といったイメージとは程遠いですね。
720
:
犀角独歩
:2007/08/04(土) 18:57:21
一字三礼さん
重ねがさね恐縮ですが、もう一点、ご見解をお聴かせください。
『不軽品』に
「今此会中。跋陀婆羅等。五百菩薩。師子月等。五百比丘。尼思仏等。五百優婆塞。」
この文の切り方なのですが、『法華経(下)』(岩波文庫)では、
「今此会中。跋陀婆羅等。五百菩薩。師子月等。五百比丘尼。思仏等。五百優婆塞。」
と相違があります。また中華電子仏典協会では、さらに著しく
「今此會中跋陀婆羅等五百菩薩、師子月等五百比丘、尼思佛等五百優婆塞」
坂本師は「尼思仏」を「思仏」としたうえで、『注』を付しています。
「五百の比丘尼 ― 正法華には五百比丘比丘尼とあるも、梵本には五百の比丘尼とのみある。
思仏等の五百の優婆塞 ― 思仏は Sugatacetanā(善逝を思う)の訳語で、羅什訳千仏因縁経には、思仏と名づける優婆塞が無生法忍を起した。尚、茲には優婆塞とあるも、正法華には「五百の清信女」とあり、梵本には五百の優婆夷とのみである」(P361)
岩本訳では
「いま、この会衆の中にいるバトラ=パーラをはじめとする五百人の求法者たち、シンハ=チャンドラーをはじめとする尼僧たち、スガタ=チェータナーを初めとする五百人の女の信者たち」
とあり、こちらでは「シンハ=チャンドラー(獅子月)」に『注』があり
「シンハ=チャンドラー ― Simhachandrā シンハは「獅子」、チャンドラーは「月」の意で、シンハ=チャンドラーは女性の名」(P403)
かなり出入りがあります。これは、坂本師漢訳の梵本原典と岩本師の梵本原典の相違から来るものでしょうか。それとも、羅什の誤訳なのでしょうか。
721
:
一字三礼
:2007/08/04(土) 22:49:05
犀角独歩さん
「この集会のなかの‘すぐれた守護者(跋陀婆羅)’をはじめとする五百人の菩薩たち、シンハ・チャンドラー(師子月)をはじめとする五百人の比丘尼たち、スガタ・チェータナー(思仏)をはじめとする五百人の信女たち」(中公文庫 松濤訳)
「この会衆のなかの跋陀婆羅を首とする五百人の菩薩たち、獅子月を上首とする五百人の比丘尼たち、〔また、〕思仏を上首とする優婆夷〔在家の女性信者〕たち」(春秋社 中村訳)
これらの梵文現代語訳をみますと、「思仏(スガタ・チェータナー)」は在俗信女の筆頭に挙げられているようです。
テキストによって、また訳者個人的な考え方によって内容の出入りはありますね。
例えば、正法華経の「淨復淨王品第二十五」は、現代の梵文テキストとよく似た構成で、全体的に妙法蓮華経より長く、王への授記のタイミングが、妙法蓮華経のそれより後になります。
岩本さんは、単語をインド教と結びつける傾向が強いように思います。
例えば、岩本さんは、「信解品」で使われる、‘ビージュマ’という語を同名の「マハーバーラタ」の英雄を指すと解したり、「妙荘厳王品」の‘沙羅樹王’はヴィシュヌを指すと説明します。
しかし、‘ビーシュマ’という名は、「マハーバーラタ」でもディーヴァバラタ王子が強靭な意志を示した時、天から神々が叫んだのが‘ビーシュマ’(恐るべき人)であり、本名ではありません。
もともと、‘強靭な意志を持つ者’に対するあだ名である‘ビーシュマ’を個人名とする解釈は、私は間違いだと思います。
テキスト間の内容の違いをひとつ調べるだけでも大変な労力が必要です。
大雑把な言い方になりますが、やはり一番古いテキストを基準として判別するのが良いのではないでしょうか。
722
:
犀角独歩
:2007/08/05(日) 17:24:55
一字三礼さん
松濤/中村両師の訳本が手元にありませんでしたので、参考になりました。
また、岩本師へのご批正もなるほどと、拝読しました。
ご教示、有り難うございました。
723
:
犀角独歩
:2007/08/07(火) 15:54:00
■大般涅槃經卷第三における「声聞」考
『開目抄』では‘声聞’語の使用は22カ所に及んでいます。仏菩薩の焦点のある日蓮の教説において、意外な観があります。
このなかで折伏の根拠ともされる以下の一節から大般涅槃經卷第三における「声聞」の用法を考えてみたいと思います。
「涅槃経云 若善比丘見壊法者置不呵責駈遺挙処当知是人仏法中怨。若能駈遺呵責挙処是我弟子真声聞也等云云。壊乱仏法仏法中怨。無慈詐親是彼怨。能糾治 者是護法声聞真我弟子。為彼除悪即是彼親。能呵責者是我弟子。不駈遺者仏法中怨等云云。」
この‘真声聞’という用法は、それ以前の文脈でも見られます。
「四大声聞の領解文云 我等今者真是声聞。」
用法としてとらえるとき、単なる‘声聞’と「真(是)声聞」とは一線を画す用法の差を有しています。
『開目抄』に引用される『涅槃經』の‘声聞’については、日蓮門下一般では、たとえば全集の現代語訳では「我れ仏陀の弟子であり、真実に仏陀の声を聞いて仏教を修行しようとするもの」とし、これは『日蓮宗事典』の「梵語の舎羅婆迦s'ra vakaの訳。声を聞く者の意で、弟子とも訳す。仏の声教を聞いて悟りを得る出家の弟子をいう」という説明と一致しています。
つまり、十界論で言う声聞乗ではなく、ここでは仏弟子の意味であるというのが門下一般の解釈です。
では、実際のところ、当の『涅槃經』では、どのような用法になっているのでしょうか。全巻を通じて考証をすることが前提ですが、取り敢えず、日蓮が『開目抄」に引用する第三に絞って検討したいと思います。
テキストとして、ネットで閲覧できる中華電子仏典教会の該当文を使用します。
http://www.cbeta.org/result/normal/T12/0375_003.htm
ここでは声聞は10回、縁覚は4回、菩薩は56回、仏は86回・如来は88回・45回で計219回となり、四聖のうち、声聞が挙がる率は3.4%です。
725
:
犀角独歩
:2007/08/07(火) 15:57:18
―723からつづく―
では、実際に‘声聞’の記述を挙げます。
T12n0375_p0619a08(02)║我等聲聞亦復如是。雖聞如來慇懃教戒。
T12n0375_p0619a22(04)║一切聲聞及大迦葉悉當無常。如彼老人受他寄物。┐
T12n0375_p0619a23(00)║是故應以無上佛法付諸菩薩。─────────┘
T12n0375_p0619a28(07)║時諸聲聞默然而住。爾時佛讚諸比丘言。善哉善哉。
T12n0375_p0620c25(07)║若能驅遣呵責舉處。是我弟子真聲聞也。…
T12n0375_p0622b11(04)║如來境界非諸聲聞縁覺所知。善男子。
T12n0375_p0622b13(07)║如來滅法是佛境界。非諸聲聞縁覺所及。
T12n0375_p0622b21(01)║終不能證聲聞縁覺菩提之果。
T12n0375_p0623a25(03)║唯有如來乃知是相。非諸聲聞縁覺所知迦葉。
T12n0375_p0624a04(00)║而為彼佛作聲聞眾中第二弟子。
T12n0375_p0624b29(02)║與同住止經歴多年。若是聲聞所不應為。
以上の用法から見るとき、声聞はもちろん、仏弟子には違いありませんが、やはり、十界論でいうところの声聞乗のニュアンスで使用されているように思えます。勧持、安楽行の両品を挙げて菩薩の有様を追う日蓮が、ここに声聞を以て論証することにはやや不足の観を禁じ得ません。しかし、今は、この点を置くこととします。
該当の文を少し前文かから挙げると以下のとおりです。
T12n0375_p0620c12(07)║有持戒比丘威儀具足護持正法。
T12n0375_p0620c13(10)║見壞法者即能驅遣呵責糾治。當知是人得福無量不可稱計。
T12n0375_p0620c14(02)║善男子。譬如有王專行暴惡會遇重病。
T12n0375_p0620c15(03)║有鄰國王聞其名聲興兵而來將欲滅之。
T12n0375_p0620c16(03)║是時病王無力勢故方乃恐怖改心修善。
T12n0375_p0620c17(03)║而是鄰王得福無量。持法比丘亦復如是。
T12n0375_p0620c18(03)║驅遣呵責壞法之人令行善法。得福無量。善男子。
T12n0375_p0620c19(00)║譬如長者所居之處田宅屋舍生諸毒樹。
T12n0375_p0620c20(01)║長者知已即便斫伐悉令永盡。
T12n0375_p0620c21(06)║又如少壯首生白髮愧而剪拔不令生長。
T12n0375_p0620c22(07)║持法比丘亦復如是。見有破戒壞正法者。
T12n0375_p0620c23(06)║即應驅遣呵責舉處。若善比丘見壞法者。
T12n0375_p0620c24(07)║置不驅遣呵責舉處。當知是人佛法中怨。
T12n0375_p0620c25(07)║若能驅遣呵責舉處。是我弟子真聲聞也。
ここに声聞につき、「持戒比丘」「護持正法」とあります。すなわち、「若能驅遣呵責舉處。是我弟子真聲聞也。」とは、その範疇にあります。
『開目抄』では、「大経執持刀杖乃至斬首是折義。雖与奪殊 途 倶令利益等[云云]。弘決云 夫仏両説等者○大経執持刀杖者 第三云 護正法者不受五戒不修威儀。乃至 下文仙予国王等文 又新医禁云 若有更為当断其首。如是等文 並是折伏破法之人。」といい、同じ護正法でも「不受五戒不修威儀」にして「断其首」を折伏としている点は異なります。
新着レスの表示
名前:
E-mail
(省略可)
:
※書き込む際の注意事項は
こちら
※画像アップローダーは
こちら
(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)
スマートフォン版
掲示板管理者へ連絡
無料レンタル掲示板