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勤行について

1管理者:2004/09/23(木) 11:36

新しいスレッドテーマの提案が有りましたので立ち上げます。提案文は以下の通り。

47 名前: ROM信徒 投稿日: 2004/09/13(月) 19:24

創価学会の新勤行と観念文(御祈念文と新呼称)です。

 勤行は五座・三座にかわって方便・自我偈一回のみ。(朝夕同じ)
 
 御祈念文

 一、御本尊への報恩感謝
 一閻浮提総与・三大秘法の大御本尊に南無し奉り、報恩感謝申し上げます。
 末法の御本仏・日蓮大聖人に南無し奉り、報恩感謝申し上げます。
 日興上人に南無し奉り、報恩感謝申し上げます。
 日目上人に報恩感謝申し上げます。
  と祈念の後、題目三唱。

 一、広宣流布祈念
 広宣流布大願成就と、創価学会万代の興隆を御祈念申し上げます。
 創価学会初代、二代、三代の会長を広布の指導者と仰ぎ、
 その死身弘法の御徳に報恩感謝申し上げます。
  と祈念の後、題目三唱。

 一、諸願祈念ならびに回向
 自身の人間革命と宿命転換を祈り、種々の願いが成就しますよう御祈念申し上げます。 (種々の祈念はここで行います)
 先祖代々ならびに会員・友人の諸精霊追善供養のために。
  (回向の中で鈴を打ちます)
  と祈念の後、題目三唱。次に

 世界の平和と一切衆生の幸福のために。
 と祈念の後(鈴)、題目三唱して終了。

以上が正式に決まったそうです。(9月8日総務会於)
尚、すでに会員さんたちには打ち出しとして連絡公表済みです。

そこで、改めて、そもそもの勤行について(観念文含む)諸賢の方々の
ご意見ご賢察を、お願いします。

240問答迷人:2004/10/11(月) 12:30
犀角独歩さん

>ところがそこで記される内容は観心を基礎として、如何にそれを言語化、もしくは実像化してみせるかという蓮師の労作業の軌跡を物語っています。

仰る通りですね。この点に付いて蓮師は同じく本尊抄に次のように述べていますね。

「設(たと)ひ諸経の中に所々に六道(ろくどう)並びに四聖を載(の)すと雖も、法華経並びに天台大師所述の摩訶止観等の明鏡を見ざれば自具の十界・百界千如・一念三千を知らざるなり。」

つまり、蓮師の言わんとされることは、観心を成就することが最重要課題なんだけれども、それには、自身の己心の姿を映す鏡が必要だと。そして、その用の為に、観心本尊を表したのだと。つまり、観心本尊とは、観心を成就するための本尊、「観心用の本尊」なのだと。

観心本尊中の寿量仏・釈尊とは、あなた方一人一人の己心中の寿量仏・釈尊であり、その釈尊より妙法蓮華経の五字を譲り与えられた上行等の四菩薩とは、あなた方の己心中の四菩薩である。この観心本尊をあがめ奉る事は、己心中の釈尊を崇め奉るひとであり、そのときに、あなた方の己心中の四菩薩に妙法蓮華経の五字が譲り渡され、観心が成就するのである、と。

まぁ、概略、こういう感じて考えているのですが、如何でしようか。

241問答迷人:2004/10/11(月) 12:32

訂正です。

× 己心中の釈尊を崇め奉るひとであり、

○ 己心中の釈尊を崇め奉ることであり、

242愚鈍凡夫:2004/10/11(月) 12:45

問答迷人さん、こんにちは。

むむっ、知らぬ間にレスが進んでいる。 (-"-;A ...アセアセ
おそらく、畿内で修行中に兩界曼陀羅を見聞し、強い印象を受けられ、後に法華経虚空会をモチーフにした独自の漫荼羅世界を展開することなったのだと思います。
しかし、蓮祖漫荼羅は当初、本尊観を具体的に顕す設計図のようなもので、諸尊の座配や本門の本尊の意義などを示すためのものだったと思います。
したがって、蓮祖自体も漫荼羅が絵像としての本尊であるとの認識はなかったのではないでしょうか。
それと、本門の本尊に添える法華経は廿八品でしょう。そして、法華経を説く教主釈尊に帰依する意味を込めて本門の題目を唱えるというのが蓮祖のスタンスだと思います。

蓮祖は宝塔の中の釈迦多宝の二仏並座に究極の本尊の姿を見たのではないでしょうか。
そして、この二仏並座を含む虚空会こそが唯一末法の本尊たり得ると主張されたのではないでしょうか。

243問答迷人:2004/10/11(月) 13:13

>したがって、蓮祖自体も漫荼羅が絵像としての本尊であるとの認識はなかったのではないでしょうか。

蓮師は高野山にも遊学していますから、当然四種曼荼羅はご存知のはずです。その上で「大曼荼羅」と書かれたのであれば、絵像、画像として認識されていたと考えるのが自然ではありませんか、重ねてお伺いいたします。

>本門の本尊に添える法華経は廿八品でしょう。

了解です。この点は意見が別れる所ですね。有難うございました。

244愚鈍凡夫:2004/10/11(月) 14:02

「大曼荼羅」の蓮祖遺文における用例を検索してみました。
「あ〜っ、しんどかった」(by 独り言) ( ̄Д ̄;;

「今末法は南無妙法蓮華経の七字を弘めて利生得益あるべき時なり、されば此の題目には余事を交えば僻事なるべし、此の妙法の大曼荼羅を身に持ち心に念じ口に唱え奉るべき時なり、之に依って一部二十八品の頂上に南無妙法蓮華経序品第一と題したり。」(御講聞書)

「本門寿量品の未曾有の大曼荼羅建立の在所なり云云、」(御講聞書)

「法華経の行者は釈迦如来を始め奉りて悉く大人の為に敬い奉るなり誠に以て大曼荼羅の同共の比丘衆なり、」(御講聞書)

「法華経の本尊を大多勝の大曼荼羅と云うなり、」(御講聞書)

「今末代に入つて此の珠を顕す事は日蓮等の類いなり所謂未會有の大曼荼羅こそ正しく一念三千の宝珠なれ、」(御講聞書)

「今末法に入つて、眼とは所謂未會有の大曼荼羅なり、此の御本尊より外には眼目無きなり云云。」(御講聞書)

「諸経諸宗中王の本尊万物下種の種子無上の大曼荼羅なり。」(百六箇抄)

「此の五字の大曼荼羅を身に帯し心に存せば諸王は国を扶け万民は難をのがれん、乃至後生の大火炎を脱るべしと仏記しをかせ給いぬ、」(新尼御前御返事)

「爰に日蓮いかなる不思議にてや候らん竜樹天親等天台妙楽等だにも顕し給はざる大曼荼羅を末法二百余年の比はじめて法華弘通のはたじるしとして顕し奉るなり、是全く日蓮が自作にあらず多宝塔中の大牟尼世尊分身の諸仏すりかたぎ(摺形木)たる本尊なり」(日女御前御返事)

「経に云く「諸法実相」是なり、妙楽云く「実相は必ず諸法諸法は必ず十如乃至十界は必ず身土」云云、又云く「実相の深理本有の妙法蓮華経」等と云云、伝教大師云く「一念三千即自受用身自受用身とは出尊形の仏」文、此の故に未曾有の大曼荼羅とは名付け奉るなり、仏滅後二千二百二十余年には此の御本尊いまだ出現し給はずと云う事なり。」(日女御前御返事)

「一念三千の法門をふりすすぎたてたるは大曼荼羅なり、」(草木成仏口決)

問答迷人さん、これらは真蹟が存在するのですか?

245問答迷人:2004/10/11(月) 14:09

愚鈍凡夫さん

お疲れ様でした。色々ありますね。だけど真蹟は

「此の五字の大曼荼羅を身に帯し心に存せば諸王は国を扶け万民は難をのがれん、乃至後生の大火炎を脱るべしと仏記しをかせ給いぬ、」(新尼御前御返事)

これだけです。ただ、曼荼羅の賛文としては、真蹟は多数有りますね。

246愚鈍凡夫:2004/10/11(月) 14:17

問答迷人さん、お忙しい処どうもです。
気を取り直して・・・・・。 (^▽^;)

> その上で「大曼荼羅」と書かれたのであれば、絵像、画像として認識されていたと考えるのが自然ではありませんか、重ねてお伺いいたします。

曼荼羅に「大曼荼羅」と記されているのは、未だ誰も顕したことがない曼荼羅という意味ではありませんか。これが即、絵像、画像であるとは言えないと思います。

247愚鈍凡夫:2004/10/11(月) 14:56

「御本尊図して進候」(「報恩抄送文」 未決)

「日蓮が重恩の人なれば扶けたてまつらんために此の御本尊をわたし奉るならば」(「新尼御前御返事」 真蹟)

「さどの国と申し此の国と申し度度の御志ありてたゆむけしきはみへさせ給はねば御本尊はわたしまいらせて候なり、」(「新尼御前御返事」 真蹟)

「このまんだら(曼陀羅)を身にたもちぬれば王を武士のまほるがごとく子ををやのあいするがごとくいをの水をたのむがごとく草木のあめをねがうごとくとりの木をたのむがごとく一切の仏神等のあつまりまほり昼夜にかげのごとくまほらせ給う法にて候、」(「妙心尼御前御返事」 未決)

小生が不思議に思うのは、「御本尊」と「曼陀羅」が文章の中に同居しているのは、偽書に見られる特徴で、真蹟及びそれに近い未決書では、「お守」=「曼陀羅」であったり、単に「御本尊」とだけ記されていたりしています。結局、記されている「御本尊」とは「曼陀羅」のことではないかとの推察の域を出ないわけです。真蹟に「曼荼羅=御本尊」と明示されていないのは何故なのでしょう。
まあっ、これが小生の疑問の出発点なのですが。

248問答迷人:2004/10/11(月) 15:19

真蹟に曼荼羅を御本尊とされた文はありますよ。一つは、

「此の五字の大曼荼羅を身に帯し心に存せば諸王は国を扶け万民は難をのがれん、乃至後生の大火炎を脱るべしと仏記しをかせ給いぬ、ー中略ー日蓮が重恩の人なれば扶けたてまつらんために此の御本尊をわたし奉るならば」(新尼御前御返事)

又、意味から曼荼羅を御本尊呼ばれたとしか考えられないも文ならもう一つあります。

「御本尊一ぷくかきてまいらせ候。霊山浄土にてはかならずかならずゆ(行)きあ(合)ひたてまつるべし。恐々謹言。」是日尼御書(弘安元年四月一二日)

この御本尊は一幅とありますから、紙幅ですね。通常の絵像を蓮師が書いたという記録が有りませんので、これは字像曼荼羅であると考えられます。

249問答迷人:2004/10/11(月) 15:21

訂正です。

× 又、意味から曼荼羅を御本尊呼ばれたとしか考えられないも文ならもう一つあります。

○ 又、意味から曼荼羅を御本尊と呼ばれたとしか考えられない文ならもう一つあります。

250問答迷人:2004/10/11(月) 15:29

愚鈍凡夫さん

レスが前後します。すみません。

>未だ誰も顕したことがない曼荼羅という意味

「大」字にそんな意味がありましたでしょうか?辞書には載っていないようですが。

それと、蓮師は当時で言えば、東西屈指の知識人です。しかも、八宗を相手に論戦を張られています。当然四種曼荼羅の「大曼荼羅」という表現が密教曼荼羅にあることをご存じないわけは無い。そうすると、同じ表現を用いて、はたして「未だ誰も顕したことがない曼荼羅という意味」を示される事があり得るでしょうか。甚だ不可であろうと思うのです。

251犀角独歩:2004/10/11(月) 15:51

問答名人さん:

> その用の為に、観心本尊を表した

いや、ちょっと待ってください。
大筋記されるところは同意見なんですが、ここだけをもう少し、結論を先延ばししていただけませんか。

蓮師が記されたのはもちろん、真跡遺文(論・抄・消息文・図)です。そして、漫荼羅ですね。
のちに「大漫荼羅」と自讃される図示は、しかし、当初はその様態から祈祷札、御守札の体裁の如く映じます。唯一「大本尊」と記された万年救護本尊もあります。さて、これをどのように考えていくかの道程です。結論、書かれてしまいますと、話が終わってしまいます(笑)

わたしは「観心本尊」とは文字通り、心で観る範疇であると思います。
ですから、それが具象化した段階では観心ではなく、木絵の仏像であると考えます。

問答さんは、漫荼羅は仏(画)像のご見解で、またこれを観心本尊である、こう仰るわけですね。
つまり、観心本尊=仏像=漫荼羅であるということでしょうか。そして、仏像と仏画(漫荼羅)の二本立てというお考えと拝察いたしました。わたしはややニュアンスが異なります。わたしは仏像(画)と漫荼羅の二本立てという考えなのです。

観心本尊を像に刻めば、仏像ということです。では、妙法蓮華経はと問われれば、これは付属の正体です。その付属の有様を記せば『本尊抄』の「為体本尊」以下の文の如くです。しかし、これだけでは観心本尊の文章化の範疇ですね。これをそのまま図示したところで蓮師の漫荼羅にはなりません。他の要素があるわけです。繰り返しになりますが、(四大天王)愛染不動、三光天子、三国の聖賢、日本の二神、そして、ここに記されない他七界の諸衆、さらに讃文、記される経文、日蓮花押、授与者・日付も重要な要素でしょう。つまり、同抄で観心された本尊と、のちに図示された漫荼羅は異なっています。

わたしは蓮師が観心本尊と記すことは、悪く言えば、実はかなり勇み足ではないのかと思っているところがあります。善く言えば、蓮師の独創性となりましょうか。これはどのような意味かと申し上げますと、天台は「言語道断心行処滅」というわけです。言語道、すなわち言語化も出来ない、それどころか心で考えられるところを滅したところであるというわけですね。つまり文字でも心でも顕せないと言うわけです。まあ、勇み足といえば、妙楽が「一念三千」と成句したこともそうなのですが、ここまで言うと話が拡散しますので、これはやめておきます。

ともかく、元来、天台が言語化も、心でも考えることが不可能であるという境地を、蓮師は密教、あるいは儒教の「本尊」語で説明を試みたわけですね。この点は、既に論じましたが、純天台文献の中には、そもそも「本尊」という語は見られないわけです。ですから、本尊で捌こうとした時点で既に天台から実は真言的な要素を帯びることになるのでしょう。ともかく蓮師はその観心本尊を寿量仏・三身所顕無始古仏といい、その弟子を地涌千界菩薩といい、その付属の正体を妙法蓮華経五字と言ったわけでした。

長い前置きになりましたが、心で観られた本尊を象徴化された(仏像)とわたしは考えるのですが、問答さんは、そうではなくて、仏像画=漫荼羅そのものが観心本尊だと仰るのでしょうか。わたしはむしろ具象化された段階で本門本尊ではないかと考えるのですが如何でしょうか。

252犀角独歩:2004/10/11(月) 15:56

愚鈍凡夫さん、問答名人さん

「本尊」語は所謂万年救護本尊に「大本尊」とありますね。
しかし、この「本尊」は四大天王の勧請がなく、総帰命でしたか。この点は空き缶さんがお詳しいでしょうね。

ちょっと、根拠は薄いのですが、蓮師は「御守り」として図示されるとき、四大天王を四隅に勧請せず、本尊と言うなどいう議論を以前しませんでしたでしょうか。

253愚鈍凡夫:2004/10/11(月) 16:06

改めて、1275(文永12)年2月の「新尼御前御返事」を何度も読み直してみました。

「今此の御本尊は教主釈尊五百塵点劫より心中にをさめさせ給いて世に出現せさせ給いても四十余年其の後又法華経の中にも迹門はせすぎて宝塔品より事をこりて寿量品に説き顕し神力品属累に事極りて候いしが、金色世界の文殊師利兜史多天宮の弥勒菩薩補陀落山の観世音日月浄明徳仏の御弟子の薬王菩薩等の諸大士我も我もと望み給いしかども叶はず、是等は智慧いみじく才学ある人人とはひびけどもいまだ法華経を学する日あさし学も始なり、末代の大難忍びがたかるべし、我五百塵点劫より大地の底にかくしをきたる真の弟子あり此れにゆづるべしとて、上行菩薩等を涌出品に召し出させ給いて、法華経の本門の肝心たる妙法蓮華経の五字をゆづらせ給いて、あなかしこあなかしこ我が滅度の後正法一千年像法一千年に弘通すべからず、末法の始に謗法の法師一閻浮提に充満して諸天いかりをなし彗星は一天にわたらせ大地は大波のごとくをどらむ、大旱魃大火大水大風大疫病大飢饉大兵乱等の無量の大災難並びをこり、一閻浮提の人人各各甲冑をきて弓杖を手ににぎらむ時、諸仏諸菩薩諸大善神等の御力の及ばせ給わざらん時、諸人皆死して無間地獄に堕ること雨のごとくしげからん時此の五字の大曼荼羅を身に帯し心に存せば諸王は国を扶け万民は難をのがれん、乃至後生の大火炎を脱るべしと仏記しをかせ給いぬ、」(「新尼御前御返事」 学会版P905〜P906)

そうですね。「此の五字の大曼荼羅を身に帯し心に存せば」とは、「御守り」としての意味だと思いますが、1275(文永12)年時点で既に「御守本尊」との明示があったのですね。
ご教示有り難うございました。

254愚鈍凡夫:2004/10/11(月) 16:18

問答迷人さん、どうも。

「大」の字にそういう意味があるのではなくて、

「一閻浮提之内未有大曼陀羅也」

とあるのは、別に真言の四種曼荼羅に準える必要もないと思いますから、未だかって誰も顕していない「曼荼羅」だから「大曼荼羅」と表現なさっているのではないですかということです。

255問答迷人:2004/10/11(月) 17:56

愚鈍凡夫さん

了解です。そういう意味に取れなくも無いです。ただ、それって、石山が戒壇板曼荼羅を「大御本尊」と呼ぶのに似てませんか。蓮師ははたして、そういう言い方されたのでしようか。外に、そういう使い方をしておられれば判りますが・・・。

256愚鈍凡夫:2004/10/11(月) 19:48

あっ問答迷人さん、どうも。

蓮祖漫荼羅の「大曼荼羅」との表記が、真言の四種曼荼羅の「大曼荼羅」と関係があるというのは個人的に頷けませんが、いろいろと勉強になりました。お忙しい中、お相手下さり有り難うございました。

257問答迷人:2004/10/11(月) 22:30

愚鈍凡夫さん

僕のほうこそ、しつこい議論にお付き合い戴きまして、誠に有難うございました。ご意見を参考にし、更に考えてまいりたいと存じております。


犀角独歩さん

>それが具象化した段階では観心ではなく、木絵の仏像であると考えます。
>同抄で観心された本尊と、のちに図示された漫荼羅は異なっています。
>ともかく、元来、天台が言語化も、心でも考えることが不可能であるという境地を、蓮師は密教、あるいは儒教の「本尊」語で説明を試みたわけですね。
>わたしはむしろ具象化された段階で本門本尊ではないかと考えるのですが如何でしょうか。

全て了解です。仰る通りであると存じます。従前の考えは撤回いたします。

>「本尊」語は所謂万年救護本尊に「大本尊」とありますね。しかし、この「本尊」は四大天王の勧請がなく、総帰命でしたか。この点は空き缶さんがお詳しいでしょうね。
>ちょっと、根拠は薄いのですが、蓮師は「御守り」として図示されるとき、四大天王を四隅に勧請せず、本尊と言う

守り本尊には四大天王がなく、曼荼羅には四大天王があり、これは本尊とは蓮師は呼ばない、こういう議論でしょうか。

258犀角独歩[TRACKBACK]:2004/10/12(火) 09:42

問答さん、御守本尊のことですが、これは以前、『創価学会の携帯式本尊について』スレッドで、皆さんと話し合いましたね。

この時、明らかに御守本尊と解る何点か見比べて即座に気づいたのは四大天王のことでした。右下に他の諸尊と並べて二天王を勧請する例はあっても、四隅に勧請されていないのです。

以下、わたしのページがいまは見られませんが『御本尊集』のほうが見られます。

http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/364/1034855362/r43

259犀角独歩:2004/10/12(火) 11:10

当スレッドは『勤行について』ですが、限りなく、その拝む対象への議論が延々となっています。まあ、そこが根本ですから、避けては通れないということになりますでしょうか。

今回、問答さんとの議論になった端緒は、わたしが一字三礼さんに「塔中妙法蓮華経」は経典か・五文字かというご賢察を求めたことに由来します。これにつき「“経”よりも“妙法”に重心がシフトしている」というご賢察を下さりました。問答さんは五字の見解、わたしは経典ということでした。愚鈍凡夫さんも経典という見解を示されました。その後、今回の議論が本尊論へとなだれ込んでいった次第です。

該当分の直前に「此本門肝心於南無妙法蓮華経五字仏猶文殊薬王等不付属之」という一節があり、その後、「為体本尊」以下の文が続くわけですから、文脈からすれば、「塔中妙法蓮華経」は五字と見る問答さんのお考えは至当であるわけです。また、『見宝塔品』には、そもそも宝塔の内の妙法蓮華経などという説相は実はまるでないわけです。ですから、これを敢えて置くとなれば、法としてそれを陳べたとする一字三礼さんのお考えは至極ご尤もであると思います。

では、蓮師が妙法蓮華経の五字ばかりを書した札のようなものがあるのかといえば、これは遺っていません。蓮師の安置の次第は『忘持経事』から類するに、随身一体仏であることは間違いないわけです。そして、たぶんそこには註法華経も置かれていたという類推は大きくは外れないと思われます。

ここのところの議論で、「為体本尊」以下の文は、蓮師己心の、すなわち観心本尊ではないかということで問答さんとわたしはいちおうの一致を見たわけです。これを前提に整理すると、
観心本尊における妙法蓮華経は一字三礼さん仰る如く‘法’、
漫荼羅書写となれば、問答さんが仰ると如く____‘五字’
となるかと思うのです。

では、これを釈尊と脇士四菩薩という仏像で表現しようとしたときは二つの可能性が存することになります。一つは御前に法華経典を置くこと、もう一つは背に漫荼羅を懸けることです。しかし、先頃より考証してきたとおり、蓮師の遺文からは漫荼羅奉懸という事実は全く浮かび上がりません。けれど、興師の確実な文献である『宗祖御遷化記録』では墓所に一体仏と註法華経を共に置くことを遺言されていたことが窺えるわけです。このことを考え合わせ、実際的な仏像奉安では、その御前に法華経典を安置するということになるのではないのかと、わたしはその管見を陳べさせていただくことにします。

260ROM信徒:2004/10/12(火) 19:43
意見というほどでもありませんが少々述べさせていただきます。
御在世当時には仏像(彫刻像)としての釈迦像で立像は金沢文庫で有名な称名寺や、
忍性良寛の極楽寺にもありました。どなたかが上げられていましたが、

「今の自界叛逆・西海侵逼の二難を指すなり。 此の時地涌千界出現して、
 本門の釈尊を脇士と為す一閻浮提第一の本尊、此の国に立つべし。」との宗祖の思いは予言(この言い方はあまり好きませんが)の的中が迫る中、逼迫感さえ漂わせます。そして、
佐渡より鎌倉に呼び戻された蓮祖に対し、頼綱は懐柔策として堂宇建立を持ちかけます。

すでに「題目」は、その宗旨の一端として衆知でしたから置くとして、堂宇に据えるところの「本尊」が彫刻の仏像であれば、これを断る理由は頼綱にはないと思われます。
のちに「総官領」という最高権力を手中にするこの実質的為政者が、蓮祖に懇請をするのは、
これが最初で最後でした。蓮祖にしても「本門の(仏像)本尊」建立に絶好の好機であり、
その場所は、鶴ヶ岡八幡宮の東側、元大蔵幕府のあった跡地の一角にあたる一等地です。
戒壇堂が成就する可能性さえ大きかったという事になります。

さらに仏像にはその表情の問題も発生します。造る人の人選から始まり、「釈迦の五印」中どれを選ぶか、
台座はいかなる種類を用いるか、これらについて蓮祖がまったく無思索だったとも思えませんし、
頼綱の協力は尚の事、必須でもあったでしょう。
宗祖の意中の本尊が仏像様式であるならば、互いに意気投合する事のほうがより自然であるかと思われます。

これ以上は雑駁になりますので控えますが、同時期に書かれた「木絵二像開眼の事」で
三十二相八十種好の(現実に造れば二相欠けざるを得ない)彫刻像を退けて、末法においては
十法界具足をした「仏像」がいかなる姿形によって立ち現れるかを、試みに書かれたのが「本尊抄」なのではないのか、との見方が無理のない感じがします。
以上は私見ですが御文中の「為体」以下の御文は名文中の名文だとも思っています。

また私は立体彫像群を否定しているわけではありません。蓮祖が「お眼」を入れられれば、
さらに必須ではありませんが彫像の胎中にお筆の十界曼荼羅を、手ずから差し込まれたものであれば、
充分御本尊になると思います。

261犀角独歩:2004/10/12(火) 22:30

ROM信徒さん:

> 頼綱は懐柔策として堂宇建立を持ちかけます

この話の根拠はいかなる資料に基づくのでしょうか。

> 「木絵二像開眼の事」…彫刻像を退けて

そうでしょうか。ここには

「三十一相の仏の前に法華経を置きたてまつ(奉)れば必ず純円の仏なり」

と明確に仏像の御前に法華経典を置くことによって純円の仏となることを明示されています。

> 十法界具足をした「仏像…試みに書かれた…「本尊抄」…見方が無理のない

わたしはまったく、そうは思いません。
『木絵二像開眼事』の文を考慮すれば、仏像の御前に法華経典、そこに四菩薩を副えることによって寿量仏となることは明確なイメージをお持ちなっていたと思われます。

262問答迷人:2004/10/12(火) 22:56

犀角独歩さん

>実際的な仏像奉安では、その御前に法華経典を安置するということになるのではないのかと、わたしはその管見を陳べさせていただくことにします。

賛成です。木像群の、釈迦・多宝二仏並座の前に法華経経典を安置、という事になると思います。

この場合、蓮師のお考えでは、四菩薩は何処に安置する事になるのでしょうね、

263犀角独歩:2004/10/12(火) 23:20

問答さん、ご賛同有り難うございます。

> 四菩薩は何処に安置する

ここですね、やはり重点は。
釈尊一体の場合であれば、その左右に、脇士の奉安の在り方ですね。
漫荼羅の図示を拝すれば明らかなのですが、釈迦・多宝の二仏はこちらを向いていますが、四菩薩は背を向けているわけですが、やはり、こちらを向けるとお考えになっていたのでしょうか。そうなると、漫荼羅の図とは左右が入れ替わり、上行は向かって左側に配置換えとなるのでしょうか?

わたしが、像造立し、奉安するとすれば七宝塔を造り、塔中に法華経典一部、その左右に釈迦・多宝、塔の外に四菩薩を塔に向けて、漫荼羅図の如く並べたいですね。

問答さんでしたら、塔中は、やはり妙法蓮華経五字とされるでしょうか。
…、もちろん、仏像を造立することはないと思いますが(笑)

264問答迷人:2004/10/12(火) 23:57

犀角独歩さん

>問答さんでしたら、塔中は、やはり妙法蓮華経五字とされるでしょうか

それは変ですね。字像曼荼羅には妙法蓮華経五字、木像群曼荼羅には二十八品の妙法蓮華経経典がふさわしいと思います。

265犀角独歩:2004/10/13(水) 00:28

> 264

では、この点でもご意見は一致したと言うことで。

266ROM信徒:2004/10/13(水) 12:39
>この話の根拠はいかなる資料に基づくのでしょうか。
そうでした。ここでは「御伝土代」や「日蓮聖人年譜」等は使えませんでした。以後気を付けます。

すでに国情として情勢が逼迫していく中、頼綱方は聖人に来襲の時期を聞きたがって鎌倉に呼び
「さきには にるべくもなく威儀を和らげて ただしく・・」(種々御振舞御書)というふうに
接して来るわけです。仏像建立に対する聖人の情熱の度合いをどう見るかは意見が別れるかも知れませんが、
皆が、一丸となって統一的祈祷をしなければ国難は防げないとの意図であるなら、釈迦如来像は、
至る所に奉安があり、その御前に法華経を置き奉って「純円」仏となしたまえ、との進言は自然であるし、
「法華経」をことさら粗末に扱おうとする僧も俗もいないのですから、幕府方との意気投合の可能性はあるのではないか、と思うわけです。

私見ですが僕はやはりこの当時はまだ幕府方は聖人を「奇僧」「怪僧」として心中には偏見を持っていたと思います。怪しげなる事を紙に書き付け始め、飢え死にもせずに相変わらずの御房であるが、
その学識と予見性には卓越も見られ、とにかく情勢が情勢だから聞き出す事は聞いてみよう、
との思惑があったと思うのです。ここでただの一言も「(仏像)本尊」の事や建立を持ち出さなかったとすれば、
これもまたいかがなものでしょうか。
仏像には慣れ親しんだ当世の人たちも聖人の「書き付け」(のちの曼荼羅)を受け止めていく事の
始めの時期でもあり、奇異な感じは否めなかったと思いますが、それでも仏像本意を表明されたならば
ずいぶんと風当たりも緩和されたのではないでしょうか。まあ、それはそれで一私見であります。

京都清涼寺様式の立像は、「与願印」(たなごころを外側にして下方の腕を伸ばす)を示しています。
仏像とひとことで言っても彫像であれば、さまざまな要素が多数あるようです。
座像はなぜか除かれているようですが、ともあれその「顔や体の表情」と「像全体のたたずまい」について
蓮祖のデザイン構想といいますか具体的でなくても教示めいた事を、浅学ですから僕は知らないわけです。

この辺の事はこれ以上は僕には語れません。
蛇足ですが「欠ける二相」とは「梵声相」と「味中得上味相」というものらしいです。

267犀角独歩:2004/10/13(水) 14:49

ROM信徒さん、わたしは『種々御振舞書』を全編通じて、真筆と見る蛮勇は俄には起きませんが、引用される如き見参はあったでしょう。しかし、そこで、寺院建立やら、仏像造立やら話が出た確実な文献はないという疑義です。

『御伝土代』では、この辺の所は「十一年きのへいぬ二月十四日赦されて同く三月廿六日鎌倉ゑ入る、同四月八日平の金吾に見参、今年蒙古一定寄べしと申しぬ。同五月十二日鎌倉を出で此の山に入る是偏へに父母の恩三宝の恩国恩を報ぜんが為に身を破り命を捨つとも破れずさでこそ候へ」とあっさりと終わっています。何故でしょうか。精師文献はもちろん問題外です。

わたしは寺院寄進の話を持ち出された可能性はほとんどゼロであると考えます。何故ならば蓮師は過去二度も流罪、一度は死罪まで申し付けられた、政筋からすれば前科者です。その前科者に寺院を寄進するとはどのような意味を持つか、つまり、処断の措置が一切、誤りであることを認めるか、そうではなければ、犯罪者に布施をするというご政道にあるべからず決定を行うことでしょう。このようなことは常識から考えてもあり得るとは到底思えません。

また、蓮師が堂塔伽藍、あるいは仏像相承云々に事細かな指示を出すという前提でお話が進んでおりますが、それは御政道側の決めることであって、蓮師には指して興味のなかったことでしょう。もし、興味をお持ちのことがあれば、それはまさに『木絵二像開眼事』に示される点であったでしょう。

たとえば、蓮師が終生、随身された仏像とて、その顔が笑っているとか泣いているとか、「与願印」であるないとか、さしたる問題ではなかったでしょう。ただ、その御前に法華経典を奉安されることによって、蓮師にとってその立像は生身の釈迦牟尼仏と、同事のお言葉を籍りれば「純円仏」と拝されていたということでしょう。海中で色が褪せ浸蝕していたとしても、そのようなことを問題にされたわけでないことは真跡遺文が紙背に語るところです。

268犀角独歩:2004/10/13(水) 15:01

もう少し書きます。たぶん、ROM信徒さんは、寿量仏とは、それまでの釈迦仏像とは打って変わって特定の荘厳、相貌を持っているはずである、そのようなデザインその他を蓮師は考えていたのかとあれこれ思案されていらっしゃるのではないでしょうか。

わたしはそもそも、この着想が、はじめの一歩で躓いていると思うわけです。『本尊抄』をよくお読みになってみればよろしい。蓮師は新しい釈尊像を創案されたのではないですよ。そうではなく、釈尊像に四菩薩を副えることで寿量仏とし、その威儀、意義をしっかり踏まえたうえで、寿量仏の堂宇の建立を標榜されたのです。ですから、極端な言い方をすれば、蓮師が造立を促したのは、釈尊像と言うより、実は四菩薩像であったはずです。それは換言すれば、従来あった釈尊に、四菩薩像ばかりを新たに造立して副え、その御前に法華経典を置くことだけでも義は成就します。

しかし、時はまさに念仏の世となり、釈尊を捨てて、阿弥陀を願い、法華経を捨てて浄土三部経を仰ぐ有様が日本国中に蔓延したが故に、寿量本仏と法華経の復権を叫び、念仏に代わり、南無名放れ偈教を勧めたの蓮師であったのでしょう。

蓮師には仏像・堂塔の荘厳相貌様式よりも、考えておられたことがあったと言うことです。

269犀角独歩:2004/10/13(水) 15:14

【268の訂正】

誤)南無名放れ偈教を勧めたの蓮師
正)南無妙法蓮華経を勧めたの蓮師

270犀角独歩:2004/10/13(水) 15:15

さらに間違えました。「南無妙法蓮華経を勧めたのが蓮師」でした。
重ね重ね失礼しました。

271ROM信徒:2004/10/13(水) 15:58
>寺院建立、寺院寄進
ですからこれは、取りません。
仏像本意であったなら仏像建立の話しをされたのではないか、と言うだけの話しです。
されなかったのであれば、さして仏像建立には執してはおられなかったという事でした。

>蓮師には指して興味のなかったことでしょう。もし、興味をお持ちのことがあれば、
 それはまさに『木絵二像開眼事』に示される点であったでしょう。

賛成します。

>海中で色が褪せ浸蝕していたとしても、そのようなことを問題にされたわけでないこと 
は真跡遺文が紙背に語るところです。

これも賛成します。

したがって、宗祖が仏像(彫像)の肢体形に、さほど興味はなかったことがうかがえます。
であれば、一歩進めて(進めてはだめなのでしょうが)
「仏像(彫像)」には関心は薄かったとみるのが僕の、僕ごときの私見です。
また、姿形へのこだわりがなければ、世間に対して「その御前に法華経典を奉安される」
事を、よりたかだかと宣せられたのではないのか、しかしそれも見当たらない、
というのも僕の見方です。そうした見方を僕個人は持っているというだけです。
平行線になってしまうので、仏像(彫像)論議は以後控えます。失礼しました。

272ROM信徒:2004/10/13(水) 16:04
上記271は、独歩さんの「268」を読まない段階のものでした。

「四菩薩」こそ云々という事であればよほど話しは変わりますね。
いずれにしても、仏像(彫像)論議は以後控えます。失礼しました。

273ROM信徒:2004/10/13(水) 16:33
>ROM信徒さんは、寿量仏とは、それまでの釈迦仏像とは打って変わって特定の荘厳、相貌を持っているはずである、
 そのようなデザインその他を蓮師は考えていたのかと
 あれこれ思案されていらっしゃるのではないでしょうか。

これは誤解なされているみたいですのでお答えします。
これはありません。もともと僕は、蓮祖は表情をもった彫刻木像本尊(仏像)の
建立の考えはないのではないか、との思いからお話しさせていただきました。

逆にいって彫像なのならばその表情やら何やらが問題となり、
煩雑となってしまうのではないですか?との思いです。

追伸でした。

274犀角独歩:2004/10/13(水) 17:21

ROM信徒さん:

文などというものは意を尽くさないものです。
まあ、そう簡単に議論を控えるなどと仰らないで、思いの丈を語られればよろしいかと存じます。

> 蓮祖は表情をもった彫刻木像本尊(仏像)の建立の考えはない

換言すれば、漫荼羅であろうというわけでしょうか。
わたしも漫荼羅、就中弥四郎漫荼羅45年のキャリアでした。
生まれて物心着いたときには「日蓮大聖人は御本仏、戒壇之大御本尊は唯一絶対、池田先生は世界の指導者」でした(笑)
20代半ばで池田礼賛に別れを告げました。35才で学会をやめました。40才で石山をやめました。完全に45才頃、弥四郎漫荼羅から卒業することにもなりました。已来、改めて蓮師の教えとは何か、真剣に考えてきたつもりです。組織の都合でも、指導者の都合でもない、素顔の蓮師に見(まみ)えたかったからです。その結果、従来言われていることの大半がこれほどまでに曖昧模糊として、根拠もなく、好い加減なものであったのかと憤慨を孕んだ発見の日々でした。ここ数年はここ冨士門流信徒の掲示板を出たり入ったりして嘲笑も受けながら、けれど、巧みな問答さんとの議論に魅せられ、ついここに舞い戻ってしまいます。もし、問答さんとの議論がなければここまで考えをまとめることはできませんでした。尊敬申し上げる恩人です。

今回は図らずも本尊論議を深めることができ大変に有意義でした。
「あなたは昔と違うことを書いている」、そんなメールを受け取りました。
「当たり前です」と応えました。日々、発見があり、日々精進があれば、考えは日々深まります。間違いは潔く認め、前進すればいい、ただそれだけのことです。

いわば、そんななかで、漫荼羅信仰から、蓮師の本尊観、仏像信仰に興味を懐いての今回の議論です。よろしければお付き合いください。

以下、議論ではないのです。わたしは精師の言の多くは眉唾と傍らに見るのですが、しかし「先師所持の釈尊は忝くも弘長配流の昔し之を刻み文永擯出の時弘安帰寂の日随身す」という一節を読んだとき、目から鱗が落ちる思いがしたのです。言わずもがらこれは『五人所破抄』の「先師所持の釈尊は忝くも弘長配流の昔より弘安帰寂の日に到るまで随身せり」に該当する文章でしょう。
学会御書全集の『五人所破抄』の書き換えは夙に有名なところです。実際に異なるこの文は、どちらが原文なのか…。その実否はともかくとして、「弘長配流の昔し之を刻」むという一節は、わたしには実に真実みを帯びて響きました。

はじめて流罪の地、流人として、寺院仏閣どころか仏像もない流罪地で、浮木を御自ら刻んだのが随身の一体仏であったという記述です。つまり、この仏像は蓮師のお手製であるという記述です。弘長のことです。もちろん、漫荼羅義など形もない時のことです。この話が本当であれば、わたしは蓮師のこの釈尊像に対する熱い思いを感ぜずにはおれません。また、その修学を書き留められた『註法華経』の存在もあります。この仏像と法華経典の存在は、一本の線で繋がる『本尊抄』に至る蓮師の仏像義であるとわたしは拝するわけです。

まあ、そんなこんなの仏像、本尊議論です。

275犀角独歩:2004/10/13(水) 19:35

文が上手くなく、誤解される方があると困りますので、メールをくれたのは、もちろん、問答さんではありません。
名前も記されないフリーメールでした。

276愚鈍凡夫:2004/10/13(水) 20:09

蓮祖が修行僧の時代、幾多の仏像を実見され、朝夕の光の状態で千変万化するその表情に心惹かれる事もあったのではないかと想像したりします。
これは、平面の世界よりも、立体の世界のほうがよりリアリティがある分、説得力があるということかも知れませんが・・・・・。しかし、イマジネーションの世界からすれば、平面も立体も関係ないのかも知れません。

277伊野 健太:2004/10/13(水) 21:11
 日蓮正宗一門(創価学会・正信会・顕正会)の諸氏は、勤行を行う際に
 石山歴代書写の本尊曼陀羅の内証を経て(宗門の事・学会は直結)宗祖
 日蓮大聖人を知り得るが現状なのでしょうか。
 立正安国会や本化妙宗聯盟等一部の日蓮宗系は、宗祖日蓮大聖人の直筆
 御本尊を製版印刷し、信徒に授与されていますね。
 直接に、宗祖日蓮大聖人の顕示された御本尊の方が、宗祖の御心を感ず
 るんじゃないのでしょうか?
 石山書写の本尊には、書写された方の念が深く浸透し、宗祖の御内証を
 直接拝する事が出来ないのは、私の信仰心がないせいでしょうか ?
 私は今でも宗門法華講に形だけ存在しております。

278一字三礼:2004/10/13(水) 23:11
皆様のご論考を大変興味深く読ませていただいております。

蓮祖大曼荼羅の特徴と性格について

大曼荼羅とは密教の曼荼羅の画き方の1つであり(四種曼荼羅の1つ)、仏菩薩を具体的な形で表現したもの。自性、観想、図絵などの段階を経てますが、簡単に言えば密教のヨガ行者の観法を通じて表された仏の世界ということでしょう。使用法は、観想の助けとして、行者の左右に金・胎両曼荼羅を掛けたりします。
蓮祖も大曼荼羅と名づけられているので、この密教の用法に準じて観心(唱題行)の助けとしての役割も考えていらしたのではないでしょうか。
ただ、金剛界曼荼羅を見るとわかるように、九つに分割された会座に1463尊。胎蔵曼荼羅でも十三院に414尊が画かれのですが、蓮祖の大曼荼羅には院や会座といったもの区分けが無く、その構成もいたって単純です。

実際、蓮祖の大曼荼羅の構成は、『浄土変相図』にきわめて近いと考えられます。『浄土変相図』には、阿弥陀如来の極楽浄土や薬師如来の瑠璃光浄土、弥勒菩薩の兜率天浄土などがあります。この『浄土変相図』とは、浄土を求める人々の、浄土の様相を知りたいという欲求に答えるために画かれたものです。
『浄土変相図』はもともと曼荼羅とはまったく異質なものですが、観想・観法の対象としても用いられるようになりました。
『浄土変相図』が観法に使われた理由の1つは、密教の金胎両界曼荼羅が、幾何学的な構成を持ち厳密に規定された数の諸尊によって密教の世界観を抽象的に図解しようとするのに対し、『浄土変相図』は、より自由な構成で、より具体的にうったえかける力があったからでしょう。この『浄土変相図』を曼荼羅と称した例は、奈良の当麻寺に伝わる「当麻曼荼羅」や元興寺の智光師の画いた「智光曼荼羅」、平安時代中期の「清海曼荼羅」などが挙げられます。

ご晩年になって浄土を志向されるようになった蓮祖は、弟子達に後生善処の祈願を勧めると共に、理想郷として「法華題目浄土図」を大曼荼羅として認められ、授与していったのではないか、と考えるのです。
上記のような考え方が許されるのであれば、大曼荼羅を「本尊」と称するときの「本尊」の意味合いは、蓮祖の教学上導き出される厳格な性質のものではなく、“題目を中心とした法華浄土を書いたものであるから尊い”という程度のことになるでしょう。

一尊四師の仏像の造立については、曼荼羅とはまったく違うもっと政治的な目的があったと考えます。

279犀角独歩:2004/10/14(木) 08:58

278 一字三礼さん:

非常に参考になりました。

「極楽百年の修行は穢土の一日の功に及ばず」と言った蓮師も、晩年には霊山浄土観を言い出し、その心情は変容していったのですね。果たすことのできなかった法華浄土の理想的な姿を漫荼羅に図示していったということでしょうか。

漫荼羅の、殊に天照大神・八幡大菩薩は、天皇と武家の両方が法華経と寿量仏を信仰し、蓮師に帰依する、師の目指した理想の姿を図顕であったのでしょうか。

晩年、痩せ病に苦しみ、数箇年で傷んだ庵室の修復を歓び、衰弱した体で一頭の馬を実長が貸してたことに感謝し、二度と戻れないことを覚られ、墓を身延に遺言して下山された最晩年の蓮師の胸中には、たぶん、若いときに慣れ親しみ、その影響を廃棄しようとされた極楽往生が、いつしか霊山浄土観へと法華経を通じて再解釈され、死後、釈尊へのお目通りを願っていったのでしょうか。もはや、この時の蓮師は遁世…、いや世捨て人、流浪の心情から、死後の安寧を求めていたのかも知れませんね。

仏像造立は政治的な意図、なるほどと思いました。
改めて、ご賢察の深さに敬服します。

280犀角独歩:2004/10/14(木) 09:20

伊野 健太さん、はじめまして。

わたしも蓮師の漫荼羅について知ろうとするのであれば、遺る御筆を直ちに拝観すること以外ないと思います。

ただ、漫荼羅は授与書があるとおり、その授与された各人宛の意義を孕んでいます。それを蓮師御筆であるという理由だけで複製して、他のものが本尊と仰いでも、その本義から外れるというのが、わたしの考えです。

授与者各個人のための設(しつら)えたものを他のものが使うのはどうかという意味です。

例になるかどうかわかりませんが、特定の患者のための処方箋と薬は、他の人に効能はないのと同様ではないでしょうか。特に「病息消滅」など個人宛の祈祷のために図示された思われる護本尊に至ってはその意味合いは顕著ではないでしょうか。

真跡遺文から類推する限り、漫荼羅は勤行の対照とする本尊では有り得なかったとわたしは結論しています。しかし、興師はこれを本尊として、奉懸読経の具とされていたように考えられます。その延長線上にある漫荼羅本尊観の信奉者が、しかし、蓮師御筆漫荼羅であるという理由だけで、自身の本尊とするというのはどんなものでしょうか。

祈祷的な側面(わたしはまるでこのような法軌に則りませんが)から見れば、祈祷師に自らの願うところを伝え、その趣に従って書写祈願された漫荼羅のほうが意義という側面からだけ見れば、蓮師の意図に、寧ろ適っていようかと思います。

281犀角独歩:2004/10/14(木) 09:31

愚鈍凡夫さん、非造像で歩んできた人たちは、それが真跡遺文であっても無意識的にか・意識的にか目を背けて見ないようにしていますが、蓮師はけっこう仏像好きだったと思いますね。ただ、その贅に傅くのではなく、意義を採った真の‘マニア’だったのではないでしょうか。

282愚鈍凡夫:2004/10/14(木) 09:48

犀角独歩さんどうも。
先日、下記の仏画を見ていて思わず、

「釈迦牟尼仏の国籍は何処だったっけ・・・・・・。」 ( ̄ヘ ̄)ウーン

と、いけないと思いつつ、笑ってしまいました。

絹本著色法華経曼荼羅図
http://www.pref.toyama.jp/sections/3007/digitalmuseum/toyamanokaiga/photo_L/TYU03AAR008022.jpg

283犀角独歩:2004/10/14(木) 10:06

愚鈍凡夫さん、たしかシャキャムニこと、ゴータマ・シッダルダは黄色人種だったという研究がありましたよね。法華経が成立したのは、いまのアフガニスタン辺りでしたか。

> 絹本著色法華経曼荼羅図

まあ、国籍(笑)は別にして、なかなか味わいのある画ですね。
でも、この画は一カ所、重大な書き間違いをしています。宝塔が浮いていません。(無理ですか)

これはしかし実際にある堂塔伽藍をモチーフにしたものでしょうかね。
全体の奉安は東大寺戒壇院と同じですね。

284愚鈍凡夫:2004/10/14(木) 20:03

「絹本著色法華経曼荼羅図」
この宝塔、一応スモークを焚いているようなので、雲に乗っているって事じゃないですか。
「み、見えない。池の上かと思った」 ( ̄Д ̄;;
それにしても、この塔、探せば何処かにありそうですね。
と言いながら、たまにはこういう仏画を眺めながらツッコミ入れるのも面白いですね。

中世の絵画[礼拝像]
http://www.pref.toyama.jp/sections/3007/digitalmuseum/toyamanokaiga/chu3.html

285一字三礼:2004/10/14(木) 20:36

犀角独歩さん

私の拙い投稿に、過分なお褒めの言葉ありがとうございます。

> 果たすことのできなかった法華浄土の理想的な姿を漫荼羅に図示していったということでしょうか。
蓮祖は御在世中に、日本で安国論で描かれた”義農の世”を法華本門の題目によって実現させる事が本懐だったのでしょう。ところが実現どころか、その遥か準備段階の他宗派との公場法論さえも果たせなかった。犀角独歩さんも予ねてご主張されるように、ご自身を上行菩薩と最後まで明確に言い切れなかった理由もその辺にあるのでしょう。

> 漫荼羅の、殊に天照大神・八幡大菩薩は、天皇と武家の両方が法華経と寿量仏を信仰し、蓮師に帰依する、師の目指した理想の姿を図顕であったのでしょうか。
まったく仰るとおりではないかと私も思います。

一尊四師の仏像に関しましては、蓮祖の布教計画の最終段階で像立されることを考えていらしたのではないかと思います。

第一段階:他宗派と公場法論を行い、法華本門の教義で勝利する事。
第二段階:公場法論に勝利する事によって蓮祖の教えが公認され、公の場(宮中か、幕府)で法華本門の祈祷を行い、蒙古を調伏する。
第三段階:蒙古調伏の功によって、天台法華の比叡山の戒壇とは異なる法華本門の戒壇院の勅許を得る。
最終段階:本門寺(戒壇院)に法華本門信仰の中心となる”寿命長遠の釈尊と四大菩薩”像を安置する。

いかがでしょうか、私の旺盛な想像力。

286犀角独歩:2004/10/14(木) 20:41

> 雲に乗っている

あ、なるほど。さすが、愚鈍凡夫さん。
蓮師の漫荼羅図示に配置などはよく似ていますよね。

一字三礼さんが仰ったように法華(霊山)浄土変相図という点はよくわかります。
また、問答名人さんが仰ったようにたしかに画像の趣ですね。
愚鈍凡夫さんが突っ込みを入れている横で、真面目に眺めているわたしです(笑)

287犀角独歩:2004/10/14(木) 20:47

285 一字三礼さん:

> いかがでしょうか、私の旺盛な想像力

まことに以て素晴らしい。仰るところ大いに頷けます。

288伊野 健太:2004/10/15(金) 00:42
犀角独歩さん
返事有難うございます。宗祖の与えた御本尊はそれぞれの授与者がいて、
それらを直接に拝するのは、一機一縁の意味を含めて妥当ではないと私
も考えています。
宮沢賢治のように、手帳に首題と四菩薩を加えた本尊も又、宗祖を常に
身近に観じた姿勢のあらわれでもあると思います。
私も、自身の胸中にある本尊に南無し奉らなければいけないのに、やはり
現法主の書写した本尊に勤行をする自身の宿業の深さを痛感しています。
なぜならば、それに代わる御本尊が無いから仕方なく、宗祖の御法魂と無
二に信ずる他はないのです。
因みに犀角独歩さんは、どのように信仰をされているのですか。
石山から脱却され、信仰の根幹たる御本尊はどのようにされているのですか ?
名ばかりの法華講員の伊野健太でした。

289犀角独歩:2004/10/15(金) 06:48

伊野 健太 さん:

> 現法主の書写した本尊…宗祖の御法魂と無二に信ずる他はない

なんで顕師の漫荼羅が「宗祖の御法魂」なのですか?
わたしにはこの感覚はまるでわかりません。
もちろん、それをどのように拝するかは各人の勝手です。
しかし、形をもった印刷物それ自体が法魂であるわけもなく、ましてや蓮師のそれであるわけもありませんでしょう。紙に印刷された文字や、彫刻を本尊などと仰ぐ姿勢はそもそも仏教の本義から逸脱しています。言葉としてあまり当を得ておりませんが、器物崇拝、もしくは偶像崇拝は有への執着であり、初期仏教が目指した無我にも、その後の空にも、至らないまじない信仰の変形に過ぎないと考えます。精神科医・高橋紳吾師の言を借りれば「象徴(シンボル)の病」でしょう。

蓮師の法魂と呼べるものがあれば、それは真実を求め続けられた心、人を救おうという熱意と言ったことではないでしょうか。
また、ここのところ、議論しているとおり、蓮師がそもそも漫荼羅を本尊としてに勤行をした証拠は何一つ見いだせません。蓮師が本尊とされたのは寿量品の釈迦牟尼世尊です。命を捧げられたのは一念三千の珠を裏んだ妙法蓮華経の五文字でしょう。

何も無理に顕師漫荼羅を信じる必要もなく、ましてや無二だと信じることもないというのがわたしの考えです。伊野さんも挙げておられましたが、わたしには宮沢賢治が絶命の淵で記した持っていたあの手帳の漫荼羅のほうがはるかに尊く映じます。

どれが最高の漫荼羅か等という議論自体、ナンセンスでしょう。地に生える無数の草木にその勝劣はなく、生きとして生きる衆生に勝劣がないように、それぞれに意味があり、それぞれに価値があります。

> どのように信仰を…

信じ仰ぐのは、真実です。
目指すところは苦の滅却であり、日々行おうと標榜することは八正道です。

> …信仰の根幹たる御本尊

仰る御本尊とは漫荼羅のことですか。ならば、その御本尊が信仰の根幹なのでしょうか。わたしはそうは考えていません。

繰り返し、論攷してきたことですが、そもそも初期天台文献には「本尊」という教学はありません。もちろん、シャキャムニの教えにも見いだせないでしょう。
しかし、蓮師は何のために本尊を追究されたのか、本尊とは何か、それをいま皆さんと考えている途上です。わたしは仰るような石山住職が書いた漫荼羅が本尊であると考えませんし、また、本尊が信仰の根本であるとも考えません。蓮師の漫荼羅をまた本尊であるとも原則的には考えておりません。蓮師教学の側面に限って言えば、蓮師が仰った本尊とは己心に観じられた三身所顕無始古仏、通俗的な言葉で言えば仏界とその所具の菩薩界ではなかったでしょうか。しかし、それは言語で表現することもできず、そもそも仏界は心で考えてわかることでもありませんでしょう。その到達し得ない境地を目指し、日々精進するのではないでしょうか。思うに蓮師が求め続けられた本尊とは、詰まるところ、生仏ということではないでしょうか。(生身の仏ではありません。衆生と仏です)
なお、わたしは呪符としての本尊に首を傾げます。密教的な要素は魅惑的ですが、それをもって仏教徒は思わず、そのような仏法には、正直に書けば、生理的な嫌悪感が伴います。

信仰は仏法修行の一要素に過ぎません。
また、バクティという態度をわたしは否定的です。

290伊野 健太:2004/10/15(金) 18:31
蓮師の法魂と呼べるものがあれば、それは真実を求め続けられた心、人を救おうという熱意と言ったことではないでしょうか

なるほど、よく判りました。

291:2004/10/17(日) 12:17
>289 すばらしい投稿だと思います。

    >信じ仰ぐのは真実
    >日々行おうと標榜するのは八正道 
 
    私もこのように生きたいものです。

292ラキ:2006/01/19(木) 23:43:22
平成18年度、正宗上級教学試験テキストの学会の項目に「勤行形式の改変」の項目で、日寛上人の教示を紹介しています。
『日寛上人が「福原式冶状」に、若し堪えたらん人は本山の如く相勤むべし、若し爾らずんば十にょう十如・自我偈・題目なりとも五座三座の格式相守るべし」と教示されています。』
このような教示があるのに、今まで何処にも掲載されてないのが疑問ですが”学会・顕正会”は、勤行形式の改変の正当性?をどのように言い繕うかが楽しみです。

293ラキ:2006/01/19(木) 23:46:02
誤記訂正

誤>若し爾らずんば十にょう十如
正>若し爾らずんば十如

294犀角独歩:2006/01/20(金) 05:36:30

>292

しかし、このような改変は、何も顕正会、学会に限らず、石山でもあるわけですよ。
日蓮が五座三座の勤行をやっていたわけはなく、多分、方便長行も読誦していたでしょう。
いまの石山はこれをやらないわけです。日蓮から見れば、改変されています。
基準が日寛であるという理屈は、わたしには納得できません。

295ラスカル:2006/01/21(土) 11:30:09
謹賀新年迎春といっても雪が降り積もってます。仕事も決まってないのに何ですが、少しずつでもROMを読まさせて頂きます。●私は、鎌倉時代の僧・日蓮は現実主義者で三証四悉檀を用い道を進んだ人のように思います。道は一つでもルートは多様で、それぞれの機縁に気遣いながら漫陀羅を書いたのではないかと言う事に表れていると考えたいです。●大乗仏教→天台密教→日蓮仏法、三身所顕無始古仏→法華経三重秘伝→法論(開目成道成仏)→一閻浮提広宣流布→本門戒壇院(富士)、出家在家共々戒壇堂法華堂を東大寺延暦寺の真似して物々しく建てなくても教法本尊漫陀羅を掛け軸として掲げれば受戒にもなる道場にもなる。漫陀羅も仏像も宗旨を表現して伝える道具の一つであるのでどっちが上どっちが下とは言えません。けれども、仏像では法華経五字七字を表現するのは難儀なので教法本尊を文字で顕説する漫陀羅を選び法華経を護持宣揚する事につとめたのでは無いでしょうか。依法不依人の事もあります。●三宝を[本仏、本尊、法華経行者]に表してもよいくらい末法の法戦は厳しく激しくなるのは鎌倉時代より後の歴史が現しているのでは無いでしょうか。

296れん:2006/01/25(水) 21:17:46
>292
日蓮がいわゆる勤行において方便寿量両品を読誦していたことは、富士門上代の文献のみならず、身延上代の日進の記述と推定されている「本迹事」(日乾写本立正大学情報メディアセンター蔵、但し私が披見したのは興風十七号付録の活字本)や中山(日常)門流上代の等覚院日全の「法華問答正義抄」(明応七年の写本を謄写した斎藤本が立正大学図書館蔵、但し私は未見)により傍証できるようです。また、石山でいう初座、つまり天拝が日蓮在世の身延で行われていたことは身延三世の日進の「日進聖人仰之趣」(棲神所収、但し具文は未見)によりわかります。また独歩さんのご指摘の通り、日蓮が方便品長行を読誦していたであろうことは、石山上代の文献である「大石記」によりわかりますね。
>295
本門戒壇堂(富士)…
日蓮が天台・伝教の先例に倣って「寿量品の釈迦仏の形像をかきつくれる堂塔」の建立を念願されたであろうことは真蹟遺文の宝軽法重事によりわかりますが、日蓮は生前ついに建立地を選定しませんでした。このことは富士門上代の「富士一跡門徒存知事」の“本門寺を建つべき在所の事”の項により明らかであり、また、同書同項の記述により本門寺つまり「寿量品の釈迦仏の形像をかきつくれる堂塔」の建立地を富士山と選定したのは日興であることがわかります。ですから、ラスカルさんの書かれた本門戒壇堂(富士)なるものは日蓮のあずかり知らぬことと言えるでしょうね。

297一字三礼:2006/01/26(木) 09:31:17

れんさん

蓮祖の仏事の所作、また戒壇義についてのご見解に賛同いたします。


三宝義について。

「使ヒ御志限リ無キ者カ。経ハ法華経顕密第一ノ大法ナリ。仏ハ釈迦仏諸仏第一ノ上仏ナリ。行者ハ法華経ノ行者に相似タリ。三事既ニ相応セリ檀那ノ一願必ズ成就センカ。恐々謹言。」(新田殿御書)

私は、この「新田殿御書」で下記のような蓮祖の三宝観を知ることが出来ると思うのですがいかがでしょうか。

仏ハ釈迦仏諸仏第一ノ上仏ナリ=仏宝

経ハ法華経顕密第一ノ大法ナリ=法宝

行者ハ法華経ノ行者に相似タリ=僧宝

298れん:2006/01/26(木) 13:20:32
一字三礼さん
>297
ご賛同有難うございます。三宝義について、新田殿御返事からのご提示、賛同いたします。石山六世日時師が“日興上人御伝草案”において示された当時の石山の三宝義は新田殿御返事に示された三宝義を敷延したものかもしれませんね。
そういえば、新田殿御返事の真蹟は石山に現存あるいは曽存のものであるにもかかわらず、蓮師がその新田殿御返事に示された三宝義を用いず、後世のおもに尊門で成立した“相伝書”の内容をもとにした日蓮本仏論による三宝義を展開する現在の石山は本末転倒のそしりを免れ得ないのでないかという思うことがあります。石山も初期の歴代の一人である日時師が提示した三宝義に戻れば、蓮師教学との教義上の矛盾はやや少なくなるのにと思います。

299一字三礼:2006/01/27(金) 10:21:11

れんさん

レス有難うございます。

> 蓮師教学との教義上の矛盾はやや少なくなるのにと思います。

ご賛同いたします。れんさんらしい穏やかな表現ですね。

法華本門の釈尊をさしおいて日蓮本仏をいうのと、法華本門の釈尊をさしおいて大日如来を中心仏にするのとでは、論法は同じです。そういった意味では、石山系三宝義は’亡国’の教義と非難されるのではないかと思います。

話は変わって、既にご存知かもしれませんが、下記のサイトで「妙法蓮華経憂波提舍 」を観ることができますよ。

http://www.buddhist-canon.com/SUTRA/DCX/DFaHua/T26N1519.htm

「電子大蔵経」

300れん:2006/01/27(金) 20:15:42
一字三礼さん、重ね重ねのご賛同、痛み入ります。
>299
…法華本門の釈尊をさしおいて日蓮本仏をいうのと、法華本門の釈尊をさしおいて大日如来を中心仏にするのとでは、論法は同じです。そういった意味では、石山系三宝義は亡国の教義と非難されるのではないか…
蓮師の三宝義と矛盾を孕む現在の石山(特に寛師以後の)の三宝義の欠陥を簡潔に示されておられ、思わず喫驚いたしました。
石山の日蓮本仏論は、もともとは、素朴な祖師信仰、遺弟の一流として祖師日蓮への素朴な報恩感謝の一念から始まったのだと思いますが、中古天台本覚思想の文献や尊門成立の両巻血脈とそれに付随する相伝書や解説書の類を受容し、門流の教義として纏める過程で、祖師日蓮の素意とは別の方向に行ってしまったというのが実情でしょうね。まぁ贔屓の引き倒しの類ですね。所謂、日蓮本仏論とは、後々の弟子が日蓮をどのように拝するかという日蓮に対する意義付けのところから派生した“弟子の教学”であり、そもそもの祖師“ 日蓮の教学”とはまた異質のものであるということは銘じておかなければならないでしょうね。
>電子大蔵経…
重ね重ねのご教示、誠に有難うございます。早速アクセスしてみましたが、私のケイタイでは文字化けして閲覧出来なかったので、せっかくのご教示をすぐには生かせませんでした。世親の法華論については、来週、図書館にある国訳大蔵経に収めてあるものを読んでおこうと存じます。

301独学徒:2006/01/29(日) 00:57:45

れんさん、一字三礼さん、横レス失礼します。
お二人の対話とは、全く話がずれますが、れんさんの「新田殿御返事の真蹟は石山に現存あるいは曽存のものであるにもかかわらず」との、ご意見を拝見していまして、新田殿御書に関してどうも疑問がわいてきました。

○「昭和新定日蓮大聖人御書」第3巻 昭和46年 富士学林刊・・・目次に真蹟所在「大石寺」と表記

○「日蓮聖人真蹟集成」第9巻 昭和51年 法蔵館刊・・・未入集

○「平成新編日蓮大聖人御書」 平成6年 大石寺刊・・・目次に「大石寺曾存」と表記

当該遺文は、昭和46年以降、平成6年までの間に紛失したのでしょうか?
所謂「身延曾存」と言う場合、明治の大火による消失ということで、紛失原因が広く知られていますが、大石寺ではこの現代において紛失しておきながら、火災もなければ盗難にあったという話も聞きません。
これはもともと日蓮の真蹟はなく、偽筆あるいは他筆(写本の類)が大石寺に伝わっていたのではないかと考えたくなります。
「日蓮聖人真蹟集成」未入集(写真公開せず)であり、「平成新編日蓮大聖人御書」では「曾存」になっているとは、どうも腑に落ちません。
しかしもし、他筆(写本の類)の伝承をもって「曾存」としているとするならば、写本の伝わる遺文は全て「曾存」になってしまいます。

稲田海素師は、伝真蹟を見ているようですが、なんか怪しい感じがします。
この点、何かご存知であればご教示下さいませ。

302一字三礼:2006/01/29(日) 11:07:42

独学徒さん

「平成新修日蓮聖人遺文集」(平成七年・米田淳雄編)820頁には「一紙 富士大石寺蔵。 定一七五二頁 原漢文」とあります。

また、「富士日興上人詳伝(上)」(初版発行昭和49年・文庫版)の80頁で堀師は、「新田殿御書」の文面を挙げた上で、

「大石寺蔵の一紙の御正筆である。明治三十六年に公開せられたが、霊艮閣本には’御返事’の三字が漏らされておる。」

と書かれております。ここで堀師は「新田殿御書」の真偽について述べられてはおりませんが、’明治三十六年に公開’され、他派からも偽書との疑いをもたれなかったのではないでしょうか。

確かに独学徒さんのご指摘のように、所蔵しているはずの大石寺が’曽存’の立場を取るのは解せませんね。

303れん:2006/01/29(日) 11:40:03
独学徒さん
一字三礼さんのご指摘をやや補完いたしますと、新田殿御返事は昭和四十年代に石山が刊行した石山蔵の蓮師真蹟の影本集には収録されておらず、よってそれをおさめた真蹟集成第九巻にも未録です。もっとも、大正時代に堀日亨師が刊行した石山の蓮師真蹟の写真集には入ってるかもしれませんが、私はまだ確かめておりません。平成新編には曽存とありますが、日興門流上代事典では真筆は石山に厳護とあり、新田殿御返事の真蹟にかんしては情報が混乱・錯綜している感があります。この状態を是正するために、石山は(所蔵の文献・彫刻本尊や条々事の案文・正本のみでなく)新田殿御返事についても一般へ明瞭な写真等の情報公開をするべきでしょう。たとえ曽存でも影写・複写が残っていれば、一般人でも、それなりに研さんしている人ならば、写真から真蹟か摸本か形木か大体はわかりますからね。

304独学徒:2006/01/29(日) 12:16:49

一字三礼さん
れんさん

ご教示有難うございます。

興風談所の御書システムによりますと、「新田殿御書」の花押が確認できず、執筆年代を確定できないことが書かれていました。

内容的には、宗祖遺文として全く問題は感じられませんが、大石寺の真蹟の取り扱い方といいますか、説明不足といいますか、このあたりに問題が感じられます。

「宗祖真蹟だと思っていたが、よく筆跡を調べたら写本かもしれない」「真蹟を所蔵していたが、近年宝蔵の中に見当たらず紛失中」どちらなのか、それとも他の理由があるのか、もし大石寺側の正式な見解があるなら知りたいです。

http://kindai.ndl.go.jp/cgi-bin/img/BIImgFrame.cgi?JP_NUM=40049186&VOL_NUM=00000&KOMA=71&ITYPE=0

305れん:2006/01/31(火) 17:50:15
独学徒さん。
ご教示戴いた“御書システム”の解説の“花押が確認できず”から察しますと、興風談所は御筆写真を架蔵しているようですね。もし御書システムに御筆写真が収録されてないのならば、おそらく御筆写真の提供者が、提供時になんらかの理由で一般には非公開でと興風談所に依頼したのでしょう。
また、“花押が確認できず”の文面から、一応仮定しますと、花押の部分が欠損している可能性があると思います。後世の信者等が蓮師の真蹟の文字や花押を切り取ってお守りとしたり、病気の際服用したりしたという例がありますので、おそらくは、真蹟?の花押の部分が欠損しているのならば、上記の理由が考えられると思います。
何れにせよ、新田殿御返事に関しては情報が錯綜しているのですから、是正のため、所蔵もとの石山はしかるべくこの真蹟の情報を開示すべきです。もっといえば、石山が自山の正統性を主張する際に用いる“法体”や金紙と称する文献等や曼陀羅は、何れも未公開ですが、未公開のしかも学術上、日蓮や日興らの真撰文献と立証されていない“あやしい”文献や曼陀羅等で自山の正当(統)性を主張されても、一般の人は決して納得しないでしょうし、秘すれば花は未開時代の美徳であって、現代では通用しません。従来の秘密主義ではカルトと異ならず、“異流儀化”した団体の信仰者や“知らない人”はその一部を取り込めても、一般の賢明な人は信仰する気も起きないでしょう。もうそろそろ、従来の石山のあり方では、“一閻浮提広宣流布”など決して出来ないことに気付くべきでしょうね。石山も、本当に布教を考えるならば、自山のものを全て情報開示し、学術的批判を甘んじて受け、自宗が何たるものかを客観的に理解し、自宗なりの現代以降に通用する“二十一世紀の日蓮”を提示するべきと思います。

306独学徒:2006/01/31(火) 21:05:41

れんさん、

重ねてのご教示、有難う御座います。

私も、たとえ真と偽が混ざっていたとしても、日興上人と日目上人の縁深き由緒ある本山であることは変わりないと思いますので、大石寺には自信を持って所蔵の文書・曼荼羅などを公開していただきたいと思います。

そのような大英断を、新管長に期待したいです。

偽の部分が明るみに出れば、多くの批判を浴びることでしょうが、しかしそれは一時のものであって、長い目で見れば、そのようなハードルを越えてこそ、学術的に貢献する、名実ともに素晴しい本山たりえるようになると確信いたします。

307れん:2006/01/31(火) 22:17:08
独学徒さん
>306
私も、独学徒さんのご意見に同感です。
偽の部分が学術的に多くの批判を浴びることは当然のことであり、これまで、偽の部分で正当性を主張してきた分、学術の分野のみでなく、社会的道義的責任を追求されるなどかなり厳しい状況になるとは思いますが、独学徒さんが仰るように、そのようなハードルを越えて、学術的にも貢献できるようになれば、未来に向けた石山の現代化の第一歩にはなるでしょう。
そのためにも、先ずは石山は真も偽も一切を、学術的批判に耐えうる形で情報公開すべきでしょうね。

308独学徒:2006/02/01(水) 01:10:34

れんさん、
ご賛同戴き、有難う御座います。
もし、れんさん仰せの通り、大石寺が真も偽も一切を公開してくれるならば、私は大石寺の英断を高く評価したいと思います。
そのような日が来ることを、心より念願します次第です。

309今川元真:2006/07/20(木) 12:05:06
●読経の速度と語句の長短や内容の分析理解が虫喰いになってしまうので、出家・在家問わず、言主法華経を学問してから勤行した方が良いのでは無いでしょうか。 ●観念文は、【朝・摂受(自他共)諸天供養】【御書拝読・本尊供養(自分が自分に依り自分の為)「南無」「の大御本尊」削除、宗祖供養(大聖人の文)】【座談会・広宣流布祈念】【夕・折伏(自他共)回向】 ●宗教団体の意味合いが増してくると感じますが改革とは此のような所からでは無いでしょうか。

310れん:2007/01/12(金) 23:11:30
身延山には蓮師御筆の四条金吾殿宛の方便・寿量品長行と授与の旨を認めた添書が曽存していたのですね。「日乾目録」には蓮師御筆の御経と送状について以下の如く記録されている由です。
「妙法蓮華経方便品第二。爾時世尊告舎利弗汝已慇懃〇唯一仏乗爾時マテ六十行アリ。妙法蓮華経如来寿量品第十六。爾時仏告諸菩薩〇虚妄過者マテ八十九行アリ。初ニ御添状有之。御文云、御経方便品寿量品〇不超一句文等云々。一紙」
身延三世日進師著述「本迹事」には“御添状”が以下の如く引用されています。「四条三郎左衛門入道給ノ守御経御自筆ノ方便・寿量品送文<建治二年卯月日>。御経方便・寿量品長行マイラセ候、此法花経ハ八万法蔵ノ肝心十二部経ノ眼目也。一字功徳超日月光、一句威徳勝梵帝、漢高三尺釼不及一字智釼、長良一巻書不超一句文云々」


蓮師の有力檀越の一人であった四条金吾に対し、方便・寿量両品を、蓮師自ら書写して授与していたことは、檀越の勤行を考える上で参考になるでしょうか?

311一字三礼:2007/01/13(土) 01:14:49
れんさん

ご無沙汰しております。
PCの調子がおもわしくないので、投稿を控えておりました。

れんさんのご研究と今回挙げてくださった資料で、蓮師の認識には「方便品長行」とは、一大事因縁の「開・示・悟・入」の説かれる「爾時世尊、告舎利弗、汝已慇懃三請〜中略〜唯一仏乗」までを指したと考えられますね。

現在言われている十如是までの箇所は、方便品の趣旨、もしくは全体構成を考えて読めば、いまだ何の法門も説きだしてはいませんよね。そこを日夜読誦するというのは疑問に思っておりました。

312れん:2007/01/13(土) 14:29:08
一字三礼さん
こちらこそ、仕事の忙しさにかまけてご無沙汰致しておりました。
そうですね。身延曽存の蓮師自筆御経から見ますと、蓮師の時代は檀越でも、方便品は「〜唯一仏乗」まで読誦いたことは明らかですね。
たとえ、十如是以降を省略して読まないにせよ、勤行要典には「〜唯一仏乗」までは載せるべきではというのが私見です。

313れん:2007/01/13(土) 16:30:19
>312
訂正
誤)読誦いた
正)読誦していた

失礼致しました。

314おひつじ座:2007/07/20(金) 08:46:58
ちょっと、面白かったです。

http://sf.dot.thebbs.jp/1074012035.html

315偶ロム偶ログ:2007/07/30(月) 03:54:58
横レス失礼します。
方便品の長行読誦については十数年前に、元正信会の山口法興師が小冊子を
出されていました。
ご希望の方があれば、参考のため、合宿で配らせていただこうかと思います。

316通行人:2011/03/05(土) 16:57:58
日蓮在世時においては五座三座や観念文もなかったのでしょ?
題目と味付けの方便品第二、如来寿量品第十六で十分ではないですか?

317古沢石日:2011/06/24(金) 23:55:13

みょうおうえんげっきょうおうべんおんだいにぃ
いーじせっそんうーさんあい あんぞにごぉおうさりほち

どこの会合いっても方便品はこうでした。

318古沢石日:2011/06/24(金) 23:57:20
あんもーほーえんげっそー  
なんもーほーかー  というような お題目も多々ありました。

はっきり言って、絶対功徳無い。


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