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蓮祖の、著作・曼荼羅の真偽について
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:
犀角独歩
:2004/05/30(日) 20:16
れんさん、有り難うございます。
わたしは案外、こういう言葉の裏腹に文書成立の背景が潜んでいるのではないのかと考えてしまうわけです。たとえば『五人所破抄』に「隋身所持の俗難は只是継子一旦の寵愛、月を待つ片時の蛍光か」などと読むと、直ちに常師、その二人の継子・頂師と澄師のことを思い起こしました。つまり、この表現は常師から向師を経、富士に至ったその継子に侮蔑をはらんだ表現ではないのか?と考えるわけです。執行師も指摘するところですが、当時の重須は本堂派(代師系列といって善いのか?)と檀所派(澄・順)は違う系譜を形成していたと言います。となれば、『五人所破抄』は本堂派が頂・澄を睥睨しながら編纂したもので、反面、『富士位置跡門徒存知事』は澄師の継承者・順師の法脈者が編纂したものかと想像を逞しくしたりします。けれど、挙証主義などと嘯いているのにここでは資料手放し、類推の枠に過ぎません。ですから、慧眼の諸師の研究結果とは必ずしも一致しないかもしれません。
地名さん、充実した資料のご呈示、興味深く拝読いたしております。
山を仏菩薩にとらえるというのは、山岳信仰が神仏習合で焼き直された結果なのであろうと考えます。
雑駁な記述になりますが、古墳時代、陵墓を形成したのは、人は死ぬと山になるという考えに基づいたと読んだことがあります。人は山になり、神になるという考えです。還元すれば、すべての山は皆、人が山となり神になったものであるということでした。こんな考えが山岳信仰から日本教のカミを形成し、仏教流入後には神仏習合して仏菩薩の名を山に冠する結果になったのであろうなどと想像を逞しくしながら、アップいただいた資料を拝読いたしておりました。
『當宗相傳大曼荼羅事』で蓮師の幼名が「薬王丸」で「善‘日’丸(麻呂)」でないところに目が引かれました。
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