[
板情報
|
カテゴリランキング
]
したらばTOP
■掲示板に戻る■
全部
1-100
最新50
|
メール
|
1-
101-
201-
301-
401-
501-
601-
701-
この機能を使うにはJavaScriptを有効にしてください
|
蓮祖の、著作・曼荼羅の真偽について
719
:
彰往考来(しょうおうこうらい)
:2006/03/28(火) 07:18:57
718の続きです。
「筆跡鑑定を行なう場合、二○歳代の者の筆跡を検査する対照資料としては、同時期の筆跡、少なくとも一年以内の筆跡を対照資料としなければならない。三○歳を過ぎた者やさらに高年齢の者の場合においても、同時期の筆跡を対照資料にすることが望ましいが、二○歳代の時ほどは変化がないから、二、三年前の筆跡でも対照資料とすることができる」(12頁)
これは蓮祖の場合にも当て嵌(はま)ります。御本尊の「経」字の字体変化などに顕著です。
「書体については、出来るだけ同書体に限ること。鑑定資料が楷書体であるのに、対照資料が行書体または草書体であっては鑑定が困難になる」(13頁)
今回の愛染感見記と不動感見記は書き方が異なるのでこのケースにあたるでしょう。書き方が異なる以上、比較しても意味はありません。
また「筆跡で恒常性があると認められるのは、文字の絶対の大きさではなく、字画相互間の大きさの比率、すなわち相関数値である」(13頁)とのロカールの言葉を引用し、「「大」という字を例にしてこの事を説明すると、「大」という字は書くときどきによって大きくも書くし小さくも書く。また、右肩上りの角度で書くときもあるし、肩下り(引用者注:原文この箇所に「右」字はありません)に書く場合もあるが、それらの「大」字を注意して観察すれば「大」を構成している三本の字画線の長さの比、第一画の横線に対する第二画の斜線の長さの比、第二画の斜線に対する第三画の斜線の長さの比、これらは何時も一定であって、角度や全体の大きさが変わっていても、そこまでは変わっていない」(14頁)
と説明しています。なお今回の愛染感見記と不動感見記では書き方が異なるので字画線相互間の長さの比は一致しません。
近年、北林本のように真蹟写真の画像処理をして字体を比較し、議論している論文をたまに見かけます。ただ似ている似ていないだけでは鑑定できないことを論文筆者が理解しているか疑問ではあります。少なくとも「似ているから同一人物」というロジックならまだしも、「似ていないから別人」というのは早計です。その場合はもっと別の観点からのアプローチが必要でしょう。まして北林本のように早とちりして偽作と決めつめるのは極めて危険です。
蓮祖の「大」字の書き方に2通りあるというのは、いわば約束事です。中島誠之助氏によれば「そうした約束事を知らないとコロリと騙されることになるわけです。ですから、約束事をきちんと踏まえておくことは、真贋を見分けるための最低条件といえるのです。けれども、大事なことは、約束事がすべてではない、ということ。約束事にかなっているから本物だ、ということにはなりません。約束事というのは勉強している人は知っているわけですから、それを守った作り方はいくらでもできます。ですから、約束事は、真贋を見分ける際のモノサシのひとつと考えておくべきでしょう。それよりも重要なのは、「腹に入らない」(引用者注:骨董業界では贋物に対してこのような表現を使います)という一種のインスピレーションです。形が悪い、なんとなく迫力がない、こうしたことを感じとれる感受性のほうが大切です。まず最初にあるべきものは直観であって、約束事はその直観を補うもの、と考えていただければと思います」(中島誠之助『骨董の真贋』1996年、二見書房、30頁)ということなのです。もちろんこの直観は、長年にわたった経験と磨かれた研鑚があってはじめて得られるものであることはいうまでもありません。私を含め素人判断でそう簡単にできるものではないのです。
新着レスの表示
名前:
E-mail
(省略可)
:
※書き込む際の注意事項は
こちら
※画像アップローダーは
こちら
(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)
スマートフォン版
掲示板管理者へ連絡
無料レンタル掲示板