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蓮祖の、著作・曼荼羅の真偽について
695
:
犀角独歩
:2006/03/12(日) 10:32:24
彰往考来さん
詳細なご教示有り難うございます。
『富士一跡門徒存知事』については、執行海秀師も論攷されており、これをわたしのサイトでアップしていました。
日興の著作と真偽論
http://www.geocities.jp/saikakudoppo/kaishu_004.html
初期の興門教学に於ける本尊意識の展開
http://www.geocities.jp/saikakudoppo/kaishu_003.html
以下、『五人所破抄』も含めて、やや抜粋します。
*** 転載はじめ ***
『五人所破抄』についても古来よりその筆者については疑義があり、従って日代の作とする説もあったが、近代になって日順の草案とされるに至った。しかし、最近宮崎英修著の『五人所破抄の作者について』の論文において、本書真書の年号と日順の追記があって、本書を日代作と推定している。…)もっとも日代筆の直筆が北山に現存するというので、日代作というのが至当のようであるが、わたしは日順の草案を日代が清書したものではないかと思う。(本書は「六人立義草案」とも呼ばれた)
次に『富士一跡門徒存知之事』は大体『五人所破抄』と同調のものであるが日澄が日興の義を付嘱されたというように「追加分」が初めからあったとすれば、『五人所破抄』が重須系で成立したのに対し、『一跡門徒事』は大石寺系ではないかと思う。
…『富士一跡門徒存知之事』では日興の集録したものと伝えているが、日順の『日順阿闍梨血脈』では
「貴命ニ応ジテ数帖自宗所依ノ肝要ヲ抽ツ、所以本迹要文上中下三巻、十宗立破各一帖十巻、内外所論上下二巻、倭漢次第己上二巻、且ツ之ヲ類聚シ試ニ興師献ズ」といって、日興の弟子、日澄が要文を集めてこれを日興に献じたと伝えている。
*** 転載おわり ***
以上、執行師の論攷は、直接の研究であるというより、引用ですが、
『五人所破抄』―――――日順作(日代清書)―北山
『富士一跡門徒存知事』―日澄――――――――石山
となりますか。
わたしは個人的に、これらが日興の言説、それを受けた代・澄・順といった弟子がまとめたという興門初期の成立という点には、疑問を持っています。(草案があったことを否定するわけではもちろんありません)
その理由は五一相対思想で、どうも上代では、このような異轍が闡明であったとするのは、事実に反するように思えるからです。
日宗全で『申状』を拾い読みすると、五老方でも日蓮聖人の弟子と名乗っている文章は散見できます。ところが、上述二書ではその点がまるで考慮されていません。また、日朗、日頂、また日円との日興の交流は、五一相対、身延離山のドラマとは別にその事実があったようで、上述二書の内容は、孤立化したあとの富士方の様子が窺えます。
また、彰往考来さんも引用されていましたが、浄有二師の争いというのは、その根拠を見ません。これは『重須日浄記』を引用する『宝冊』、『大石寺誑惑顕本書』といった中世以降の引用からの類推であって、日浄本の真偽がまるで考慮されていないわけです。つまり、作られたドラマであるとわたしは考えます。(板マンダラ日有造立説もこの一環にあります)
以上のことから、上記2抄の成立は、日興からはかなりあとのことになるようになるのではないのかと思えるわけです。その意味において、日蓮寂140年、日興寂90年をいう高木説には一定の説得性を感じます。
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