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蓮祖の、著作・曼荼羅の真偽について

690彰往考来(しょうおうこうらい):2006/03/12(日) 08:14:49

>689 の続きです。

このことなどから高橋粛道師が『日興上人御述作拝考Ⅰ』(昭和58年、仏書刊行会、138頁)で日淳師の説をまとめているように、石山(富士大石寺)では、
 本文−日澄作―延慶二年成立
 追加文−日興上人作−延慶三年成立
としているものと思われます。(本文−日澄作―延慶二年成立の論考はここでは略します)
なお、本文を日澄師作とする石山(富士大石寺)の説について石山の高橋粛道師は、「もしかしたら日澄師にはごく簡単な草案のようなものがあったかも知れないが、追加条を除いた全文を日澄師のものとするには無理があるようである。(中略)日澄師には草案としての『五人所破抄』のもとになったひな形か、或は数条の未刊の『門徒存知事』のようなものがあったか、どちらとも断定こそ出来ないが、かりに日澄師の未完本があったとしても現在見られるような『門徒存知事』の完成本は澄師によるものではない。それでは誰人によって成されたかと言えば日興上人を措いて他にはいないのではなかろうか。どう考えても追加条を除いた『門徒存知事』を日澄師が作成したとすることには説得力がないように思われる。当時にあってこれを記せるのは日興上人が最適であると思う」(「『富士一跡門徒存知事』の著者と成立の考察−新しい視野にたって−」(『道心 第17号』平成11年、道心編集室、70頁))と本文の日澄作説を否定しています。
私は『富士年表』(昭和56年、富士学林)の延慶2(1309)年に「日興の命により寂仙房日澄富士一跡門徒存知事を草す(聖535・日淳全集)」(66頁)とある日澄師の草本とされる内容は追加文のない「富士一跡門徒存知事」であって、興師による追加文を併せて「富士一跡門徒存知事」成本の内容であると考えますので高橋粛道師の説には同意できません。なお、「聖535」は『日蓮正宗聖典』((昭和53年再販(初版:昭和27年)、聖典刊行会、535頁)のことで「富士一跡門徒存知事」の箇所です。また日淳師の説は「富士一跡門徒存知事の文について」(『日淳上人全集下巻』1187頁)に記載されています。

さて、高木氏をはじめとする日蓮宗の「富士一跡門徒存知事」は後世のものとする説と石山(富士大石寺)の草本が延慶二年成立とする説のどちらが正しいのでしょうか? 村上重良氏が『創価学会=公明党』(1967年、青木書店、66頁)で「室町時代注記、大石寺の復興に74年の生涯を賭けた日有は、北山本門寺日浄と対抗して興門における大石寺の地位確立に心血を注いだ。大石寺の正統性を示す文書、曼荼羅等のいわば物的証拠がいっせいに登場するのも、日有の時代である」とされる一環なのでしょうか。「富士一跡門徒存知事」の原本が失われている以上確定できませんが、私は「追加八箇条」の箇所は延慶三年頃に成立した可能性はあると思います。日精師の『富士門家中見聞上』は宗史などでは誤りが多いのですが日精師当時の自山(大石寺)分の記載はかなり正確であるからです。ただ仮に「追加八箇条」が興師筆(但し嘗存)であったとしても、これに附属させる形で後世の者が「富士一跡門徒存知事」として偽書を作成することもできるわけで、どちらが正しいのか私には判断がつきません。もう少し内容を精査して著者などを考証する必要があります。

by 彰往考来


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