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蓮祖の、著作・曼荼羅の真偽について
688
:
彰往考来(しょうおうこうらい)
:2006/03/12(日) 08:12:52
>683 犀角独歩さん
富士一跡門徒存知事の成立年について
高木豊師は「富士一跡門徒存知事」の成立について、『大崎学報128号』(昭和51年)の「『開目抄』『撰時抄』『報恩抄』の分巻をめぐって」で「日算による応永29年(1422)の写本のあったことが知られるから、少なくとも応永当時」(49頁)、「富士門流における応永段階の伝承をしめすものとして考える」(50頁)と間接的表現ながら、「富士一跡門徒存知事」が応永年間の成立であると推定されているようです。応永29年は大石寺は第9世日有師の時代です。しかしながら、これは少々強引な結論ではないかと考えますので検証してみます。
『日蓮宗宗學全書第2巻興尊全集興門集』(昭和43年第2版(初版昭和34年)、山喜房佛書林)に入集している「富士一跡門徒存知事」の末尾(128頁)には、
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【奥 書】
御本 應永廿九年極月廿七日令書寫畢
筆者 日 算 六十八歳
【原 本】 重須本門寺大夫公日譽の寫本に校合せる堀慈琳氏寫本
【對校本】
一 要法寺智傳志師の寫本
一 富士大石寺所藏古寫本
***************************************
とあり、原本は重須日譽本を堀慈琳(堀日亨)師が写した写本で、奥書に応永29年の写本であることが読み取れます。これ以外に要法寺本と大石寺本の写本があるようです。ただあくまで応永29(1422)年との記載は写本成立年にすぎず、これをもってして「富士一跡門徒存知事」について「富士門流における応永段階の伝承をしめす」とは云いきれないでしょう。文献上、「富士一跡門徒存知事」が応永29(1422)年までさかのぼって確認できるという程度でしかありません。
さて、上記で堀師が校合した「重須本門寺大夫公日譽の寫本」とはどういう素性でしょうか。堀日亨編『富士宗学要集 第1巻 相伝・信条部』(昭和52年第3刷(初版昭和49年、創価学会)に入集している「富士一跡門徒存知事」の末尾(59頁)には、
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御本応永廿九年極月廿七日に書写せしめ畢ぬ 筆者日算六十八歳
永正十八年六月四日に之を書き畢ぬ、この抄は九州日向の国日知屋の定善寺より相伝す、同じく細島妙谷寺に堪忍の境節、北向の御堂の部屋にて之を書写し畢ぬ。駿河国重須本門寺衆大夫公日誉在判。
編者曰く大石寺蔵日誉写本に依つて之を写し他の数本を以て校訂を加ふ。
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とあります。
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