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蓮祖の、著作・曼荼羅の真偽について

579犀角独歩:2005/09/11(日) 13:44:04

小池さん、はじめまして。

「今成師は、日蓮在世に既に偽書として成立し、しかも日蓮その人を批判することを目的にしていたと大胆な推測を載せる。考えさせられる説だった」
http://blog.livedoor.jp/saikakudoppo/archives/29698771.html

と、わたしが記したことでしょうか。この御説に関してのみ絞って言えば、わたしは「考えさせられる説」と記したとおり、気分としては落着していません。弟子檀那などの文献的証拠がここでは示されていないからです。ただし、「有りえるのではないか」という思いがないということではありません。わたしにとっても、日蓮の山林隠棲は「我不愛身命但惜無上道」「不自惜身命」「寧喪身命」と言った所説に違反するものであると思えるからです。故に今成師のご説呈示の勇気に敬意を表すると言うことです。

ご参考の便宜に、以下、今成師の原文を転載します。

*** 転載はじめ ***

…佐渡にあって、鎌倉在住の弟子檀越たちを叱咤激励していた日蓮には、自分が遠からずして山林に籠る身になろうとは夢にも思われなかったでしょう。ところが、文永11年(1274)3月26日に佐渡から鎌倉に帰着した日蓮は、5月12日には鎌倉を立って身延山中に隠棲してしまいます。

結句は一人になりて日本国の流浪すべきみにて候。(文永11年5月17日付『富木殿御書』)
度々あだをなさるれば、力をよばず山林まじはり候ひぬ。(文永11年11月11日付『上野殿御返事』)
鎌倉中に且らく身をやどし、迹をとどむべき処なければ、かゝる山中の石のはざま、松の下に身を隠し、(建治元年4月付『法蓮抄』)
去年かまくらより此ところへにげ入り候。(建治元年7月12日)

などといった。不本意な入山を歎く文言が散見されるのですが、日蓮が、このような苦境に立たされることになった原因は一つしか考えられません。それは、門弟間に不協和音が増幅して収拾がつかなくなったことです。

日蓮の流刑地佐渡からの帰着、それを待ち受けた門弟といえば、度重なる弾圧に屈することなく、ひたすらに日蓮の教えを信奉し、教線の拡張に挺身しようとする精鋭たちであった筈です。

彼らが純心であればあるほど、教団の運営方針の意見対立は先鋭化したに違いありません。即ち、教団壊滅の危険を省みずに強硬路線をばく進すべきであるとする、いわば折伏派と、教団百年の計を慮って迂回路線も組み込むべきであるという、いわば摂受派との対立です。


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