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蓮祖の、著作・曼荼羅の真偽について

527彰往考来:2005/02/05(土) 15:07:40

>521
犀角独歩さん、

お札から聖徳太子が消えたのは、聖徳太子非実在説よりも「聖徳太子および二王子像」(宮内庁所蔵)が、聖徳太子を現していないという説が主流になったことが一因と考えられます。
これについては、『肖像画をめぐる謎』(1998年、世界文化社)の22頁に加藤修さん(朝日新聞東京本社学芸部)が「聖徳太子および二王子像は誰を誰を描いたものなのか」という小論を書いています。そこから要点をかいつまんで引用しますと、
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「聖徳太子および二王子像」(宮内庁所蔵)が聖徳太子を描いたものではないのではないかと疑われている。タイミングを合わせたかのように高額紙幣の肖像からは、聖徳太子のカオが消えた。(中略)
日本の肖像画としてはあまり例のない立ち姿であることと、二人の王子を従えている構図などに、中国の影響がうかがえることが挙げられる。(中略)
製作年代に問題がある。聖徳太子が亡くなった六二二年。画像の製作時期は、八世紀中ごろとするのが一般的だが、服飾や法隆寺の再建時期などを考慮し、八世紀初頭とする説もある。いずれにせよ聖徳太子の没後一○○年ほどたってから描かれたものである。(後略)
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なお、同書24頁に
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お札に登場する聖徳太子は「聖徳太子および二王子像」をもとに大蔵省印刷局の磯部忠一氏が描いた肖像画がもとになっている。宮内庁本のイメージを変えずに、顔つきに陰影などが加えられている。聖徳太子は戦前から戦後に至るまで、紙幣への登場回数は7回に及び、最も登場回数が多い。
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とあります。

参考までに「源頼朝像」(神護寺所蔵)も源頼朝ではなく、足利直義(ただよし:足利尊氏の弟)を描いたものという説が現在では有力です。(同書12頁)一度茨城大学教授の鈴木暎一氏(鈴木氏は中学校歴史の教科書(東京書籍)を執筆しています)の講義を聴いたことがあるのですが、教科書で昔から「源頼朝像」として記載していたので、急にそうではないとは書けず現在の教科書では“源頼朝と伝えられる肖像画”という表現を使っているとのことでした。ちなみに愚息の教科書(『新しい社会 歴史』平成13年、東京書籍50頁)にこの表現がありました。35頁の聖徳太子像も“聖徳太子と伝えられる肖像”となっていました。 “〜と伝えられる”というのは“〜ではない疑いが強い”という意味なのですね。従って最近では「伝源頼朝像」(『肖像画をめぐる謎』13頁)と表現されています。『大田区史 資料編 寺社2』(昭和58年、東京都大田区)にある『伝・日蓮本尊』(1263頁)も同様の表現で、『大田区史 資料編 寺社2』のこの項に入集している御本尊は“日蓮大聖人の御真筆ではない疑いが強い”ということになろうかと思います。

by 彰往考来


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