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蓮祖の、著作・曼荼羅の真偽について

507犀角独歩:2005/02/03(木) 12:22:49

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竜口刎頸中止については、古くから疑問視されていました。わたしは、学生時代に『創価学会のまちがいをただす』(−キリスト教折伏に答えて−森山諭著)で、この点に触れていたのを読んだのが初見でした。(30年前の話です)

「文永8年9月12日、竜の口の法難となった。このとき、江ノ島の方より不思議な光り物が現れて、死刑執行者が倒れ、日蓮は奇跡的に救われたとの伝説は、彼を不世出の傑僧に祭り上げさせているが、それは後生の偽作らしく…、鎌倉建長寺方丈道隆(大道禅師)の除名運動が功を奏して、死一等を減じられ、佐渡流罪になったという説が本当らしい」(26頁)
「平田篤胤の著『出定笑語附録の部』に、「竜の口の法難は後世の偽作である」と記し、「日蓮自身の筆には、その時の奇跡的な救いについては何も書いておられない。ただ、旅館まで行ったがそのうちに赦されたということのみを記しており、更に近江国(おうみのくに・滋賀県)の住人徳水如茂彦という人が来て、日蓮が鎌倉建長寺方丈に対して、『貴僧の助命運動によって死一等を減じられ、遠流で済んだことは、生々世々忘れない」という感謝状を、同寺に送っているものの写しを持って来て見せた」と記している」(162頁)

この感謝状の文面は尤もらしいのですが、しかし、文永10年佐渡にあって、『小乗大乗分別鈔』に

「道隆…法師等(ども)は鳩鴿(いえはと)が糞を食するが如し」(平成新修333頁)

と記されるわけで、竜口から2年ばかりしか経たず、感謝状を送った相手に、こんな裏腹なことを言うような真似を蓮師はしないであろうと思われます。

故高木豊師は、以下のように類推しています。

「断罪に処そうとする意図があったにもかかわらず、結局は死刑が免ぜられ、流罪に処せられたのは、北条時宗の妻の懐妊によると考えられる。事実、この歳、貞時が誕生している(辻善之助『日本仏教史』中世篇之二)。これに関連して、日蓮が「大がく(学)と申す人は普通の人にはにず、日蓮が御かんきの時身をすてヽかたうど(方人)して候し人」(『大学三郎御書』平遺784頁)と、大学三郎の行為について述べていることに注目したい。大学三郎については、伝承を除けば、ほとんど未詳だが、ただわずかに、大学允(だいがくじょう)という日蓮の檀越の子息であったろうこと、書に秀で、書を好んだ安達泰盛(あだちやすもり)と書を通じての交りをもっていたことがわかる程度である。ところで、大学三郎と親交のあった泰盛はほかならぬ時宗の舅(しゅうと)、つまり時宗の妻の父であり、解任した子(のちの貞時)の祖父に当たる人である。この関係と日蓮の大学三郎についての叙述とを重ね合わせれば、大学三郎が泰盛に働きかけ、泰盛は婿(むこ)時宗に孫の懐妊中における日蓮の刎頸中止を進言したのではなかろうか。「身をすててかたうど」した意味を、右の関係のなかに置いてみることは十分可能である」(増補改訂『日蓮』太田出版92頁)

わたしは、高木師の説が頷けます。


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