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蓮祖の、著作・曼荼羅の真偽について
455
:
彰往考来
:2005/01/23(日) 20:10
自己レスです。
北林氏は『日蓮と最蓮房』第17章で「十一通御書」を取り上げ、「偽書だと言っている学者がいる(中略)偽書であると言う者が、後世に出ないために、しっかりと論破しておく必要がある」と述べています。一読して内容のないのに驚きました。開いた口が塞がらないとはこのことです。論破しておくといいながら偽書説の内容に触れるわけでもなく当然ながら論破のロの字も出てきません。自分の都合のよい字句を並べ立てただけの全く情けない文章だと思います。『日蓮と最蓮房』がインターネットで公開されているので、僭越ながら私の考えをインターネットの掲示板で述べたいと思います。
北林氏は『貞観政要』の引用が「北条時宗への御状」や「平左衛門尉頼綱への御状」に出てくることや、「北条時宗の御状」の中に、「暗中の錦衣」とあり、「強仁状御返事」に「暗中に錦」とあることから「十一通御書」が偽書ではないとしています。しかしこれは全く可笑しな論法です。『貞観政要』の引用が同じグループである「十一通御書」の「北条時宗への御状」や「平左衛門尉頼綱への御状」に出てくることは著者が同一人物である傍証にすぎませんし、類似の言葉が他の御書に出てくるから偽書ではないとはよく言えたものです。私が「暗中の錦衣」という言葉を使って偽書を作成したら北林氏は真蹟と思うのでしょうか? 偽作者は当然日蓮大聖人の御書に通じているはずで類似表現があったからといって真蹟である証明にはならないのです。『三大秘法抄なぜ真作か』のようにコンピュータを使って計量文献学として研究したのであれば話は別ですが今回のケースはたった一つの言葉を取り上げた単なる思いつきにすぎないものです。
私が目を疑ったのは、「大仏殿別当への御状」にある蒙古牒状の捉え方です。北林氏は「至元三年丙寅正月日と「大仏殿別当への御状」にあるが、東大寺の記録では八月であるから「八月」を「正月」と記載して間違っていることにより、東大寺に残されているような牒状そのものを引用して作出したものでないことがわかる(要旨)」としています。また北林氏は「中国の至元三年は文永三年にあたり、間違いなく丙寅だ」としてあたかもこれらが真蹟で有る証拠であるかの書きぶりです。彼がなぜ“間違いなく丙寅”と騒いでいるのか理解できませんが、恐らくは偽文書に干支の誤りが多いことによるのでしょう。しかしながらただ干支が合っているからといって真蹟である証明にはなりません。そんな単純なものではないのです。何より北林氏のいう“東大寺に残されている牒状”とは、宗性(しゅうしょう)という学僧が書いた『調伏異朝怨敵抄』という書物に収まっている写しであって実物ではないのです。まして川添昭二氏の『日蓮と蒙古襲来』50頁に掲載されている写真で明かなように牒状には至元三年八月日とあって干支の記載がないのです。北林氏には「しっかり目を開いて資料の写真を見なさい!」と言いたいですね。「大仏殿別当への御状」に干支の記載があるのは北林氏の主張とは逆に「十一通御書」が後世のものである疑いが発生します。もちろん『調伏異朝怨敵抄』とは別の異本があった可能性も否定できませんが。
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