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蓮祖の、著作・曼荼羅の真偽について
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:
犀角独歩[TRACKBACK]
:2005/01/23(日) 18:36
竜口法難については、以下の顕正居士さんのご賢察がありました。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/364/1084417030/r430
まあ、この件も、ずいぶんと議論しあってきた話の一つとなりました。
やや余談ですが、それでも、斬首が行われそうになったことは事実で、このとき、蓮師はそれまでの自分は死んだのだという宗教的な自覚をもたれのであろうと拝察いたします。また、蓮師は頸を斬られたと思った人々もあった。そこに佐渡から手紙が届いて、幽霊から来たのかと恐ろしがった人もあった…、などという当時の模様が『開目抄』から窺えます。
「日蓮といいし者は去年九月十二日子丑の時に頚はねられぬ。此れは魂魄佐土の国にいたりて、返る年の二月、雪中にしるして、有縁の弟子へおくれば、おそろしくておそろしからず。みん人いかにおじずらむ」
と記されるところは、そのような意味だと、わたしは読んだのですが、これは違っていますか。
また、学会を含む石山教学では、この宗教的な体験を本仏日蓮が凡夫身を発て本仏身を開顕したとして発迹顕本に充てます。しかし、『三沢鈔』には
「法門の事はさど(佐渡)の国へながされ候し已前の法門は、ただ仏の爾前の経とをぼしめせ」
とあります。発迹顕本、ならば、五重義でいえば本迹相待。しかし「爾前」とくれば、権実相待ということになり、さらに凡夫・仏身ではなく、「法門の事」の範疇です。
(『三沢鈔』、新訂などでは「日興写本」。『平成新修日蓮聖人遺文集』不掲載。
三沢鈔(三沢第二書)建治四年二月。五十七歳作。真蹟在京都妙覚寺。内一九ノ二〇。遺二四ノ三四。縮一七〇二。類五七八。としながら、写本扱)
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