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蓮祖の、著作・曼荼羅の真偽について
405
:
犀角独歩
:2005/01/03(月) 12:21
自己レスです。
404は、第11漫荼羅についてです。
第58漫荼羅も、わたしは御筆であるとは、個人的には思っていません。
要山といったところで絹本というのが如何にもという気がするわけです。
たとえば、学会では古くなった学会成就本尊を模刻して板に改めたわけでした。
これは石山の中世以降の遣り方を倣ったわけですね。
たぶん、都では紙幅を絹本に模するということがあったんじゃないでしょうか。
これはもちろん、憶測ですが。
上古、漫荼羅はどんなふうになされていたのか、表装されていたんでしょうか。
まあ、されていた気はします。この表層も金襴は贅があり、本紙が絹本であればなおさら。さらに紺紙金泥となるればさらに豪華。それをさらに板に彫って黒漆に金箔であればさらに豪華。しかし、華美を誇れば誇るほど、蓮紙の御筆からはかけ離れますね。
むかしチベットのパンチェンラマ特集をテレビで観たんですが、生きているところから、逝去して塩漬けにされて、内臓を抜いて、肌に金箔を塗り、玉眼を入れて出来上がるのが、いわゆる活仏でした。それを堂内に並べて礼拝の対称にしているんですね、チベット仏教では。テレビですから、生きているときのパンチェンラマから映していて、最後、塩漬けして干した皮に金箔を塗られたミイラを観たとき、その生前との差に愕然とするものがありました。わたしは、これを見て直ちに想起したのは御筆と黒漆金箔の漫荼羅本尊の差異でした。
作るほうは贅を尽くし豪華絢爛にしたつもりでも、元のままには勝らないわけです。
御筆漫荼羅を見慣れると、黒漆金箔板本尊は実に奇妙に映じます。
まあ、愚鈍凡夫さんへの答えになっていないかもしれませんが、楮紙面を叩いて滑らかにし一挙に滑らせた運筆と、配置まで適当に動かして、文字を彫り落としてしまった板本尊、絹本やら、金襴やらで飾りつけた作品は、蓮師のお筆からどうにも遠ざかったものとわたしには映じます。まあ、そんな判断から絹本を偽筆と即断するわけではないのですが、蓮師と贅は整合性を感じないのが正直な思いです。
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