[
板情報
|
カテゴリランキング
]
したらばTOP
■掲示板に戻る■
全部
1-100
最新50
|
メール
|
1-
101-
201-
301-
401-
501-
601-
701-
この機能を使うにはJavaScriptを有効にしてください
|
蓮祖の、著作・曼荼羅の真偽について
223
:
清香
:2004/07/06(火) 00:11
只今、本堂内陣中央に御奉掲申し上げました御本尊様は、弘安2年4月8日に、大聖人様がお顕しくださいました直筆の御本尊様でございます。大聖人様の御本尊様にも、文永期の御本尊様と建治年間の御本尊様と弘安に入ってからの御本尊様と、その相貌に違いがございます。只今御奉掲申し上げました御本尊様は、ちようど中央にお題目がありまして、その下にやや空間があって、日蓮、そして大きな花押が認められております。お題目と御署名、花押が一直線になって整足しているのが弘安期の御本尊様の特徴でございます。また御本尊様の相貌のなかに、地獄界の代表としての提婆達多が認められているのも、文永・建治の御本尊にはほとんど拝見することができず、弘安2年2月、日目上人に授与された御本尊様以後に限られております。つまり、御本尊様の相貌が法華経の宝塔の姿から、大聖人様の己心のお悟りに基づくお姿に変わってまいります。そうして南無妙法蓮華経の法体と、大聖人様の仏様としての御境界とが一体となって、人法一箇の御本尊様としてきちっと整足するのが、特に弘安2年からの御本尊様でございます。ここに弘安期における大聖人様の御化導におけるところの終結といいますか、三大秘法の大仏法の確立における大事な御本尊の相貌の変化というものを拝するのでございます。
特に、弘安2年10月12日の本門戒壇の大御本尊こそ究竟のなかの一番の御本懐の御本尊様であるということをしっかりと心に置いて、同じ年の4月8日、釈尊が誕生した、いわゆる仏生日に当たる日を選んで、大聖人様がお認めくださった御本尊様ということを、どうか覚えておいていただきたいと思います。
当妙光寺の大聖人御真筆の御本尊様は、向かって左脇に授与された年月日が認められているのでございますが、非常に薄くなっておりまして、今までどのようにお読みするのか、何時お認めになられた御本尊様か分からなかったのです。ところが平成8年に妙光寺百周年の法要を奉修申し上げました。そのとき、宗門といたしましても
日蓮正宗の歴史を記録した『富士年表』を発刊しておりましたが、そのなかにも妙光寺所蔵の大聖人様の御本尊は年号が不明のため収録されていなかったのです。何とか年表の改訂の作業と共に、もう一度妙光寺の御本尊様を見直していただきまして、私達も協力いたしまして、弘安2年前後の他の御本尊とも比較対照いたしました。そうすると、弘安2年4月8日に認められた御本尊が、日蓮宗の千葉県茂原の藻原寺と、静岡県三島の妙法華寺というところに所蔵されておりまして、その2幅の御本尊と妙光寺の御本尊と相貌が非常によく似ておりました。そこで、近くで改めて拝見いたしますと、「弘安二年太才四月八日」とお書きになっておられるに違いないと判読されまして、大聖人様がお顕しになったのは、弘安2年4月8日であるというふうに確定をすることができたわけであります。
また本堂の中央に御安置申し上げる御本尊様も、二祖日興上人の板御本尊様でございますから、大聖人様の御真筆御本尊を御宝蔵に厳護し、しかも本堂には二祖日興上人の御本尊様を御安置申し上げているという末寺は、世界中のどこを探してもないわけであります。 したがって、皆様方はそこに誇りを持ち、そうした御本尊様を伝えてこられた歴代先師の信仰を、どこまでも正しく受け継いで、私達も平成の今日に広布を託された人間として、さらに過去の百年の歴史を踏まえて、新しい広布に挺身しなければならないと、ひしひしと感ずる次第でございます。どうか皆さん方も、その意義をこめての御霊宝虫払会の法要でもあるというふうに受け取っていただきたいと存ずる次第でございます
新着レスの表示
名前:
E-mail
(省略可)
:
※書き込む際の注意事項は
こちら
※画像アップローダーは
こちら
(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)
スマートフォン版
掲示板管理者へ連絡
無料レンタル掲示板