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蓮祖の、著作・曼荼羅の真偽について

198犀角独歩:2004/06/21(月) 20:46

平和創価さん:

わたしは196のれんさんと同意見です。
山中師『御本尊集』は何舗か他筆が混じっているでしょうが、4割とは思えません。

弥四郎漫荼羅は、申し上げているとおり、わたしは禅師授与漫荼羅を素本にした彫刻であると考えます。この場合、同漫荼羅は弘安3年5月9日図示ですから、弥四郎漫荼羅の弘安2年10月12日という日付は後加文であるという見解です。つまり、文字の真贋を問うているのではなく、そこに記された日付と相貌に‘使用された’文字の日付にずれがある点を指摘しているのです。

また、いくら元の文字が蓮師のものであろうが、彫ってしまえばそれは彫刻です。花を撮影した写真は花の写真であって、花ではなく、写真であるというのと同じ理屈です。それ故、少なくとも蓮興二師はその彫刻など考えもしなかったであろうと、当時の文献から考える次第です。

法師彫刻説については既に考証しました。ここには繰り返しません。
まったく、謂われなき後世の信憑性のない伝説に過ぎません。まともに取り上げる気になれません。

また、板漫荼羅の起源がいつのことであるのか、ここではその考証はしませんが、文献で見る限り、それは一体ではなく、複数のものが存在しているとわたしは考えています。
室町どころか、もっとずっと近代の可能性は否めません。

> 日興上人が「日興が身に当て給う」戒壇の御本尊を木彫

『日興跡条々事』の一文ですか。この書の真偽は現在三学無縁さんが精査されていますので、ここではわたしは述べません。わたしは偽書の立場です。
また、ここで「戒壇」の二文字を補っておられますが、何を根拠にしてのことでしょうか。このような根拠を示さない挿入をわたしは斥けます。

また、同事で「掛」と記されるわけです。彫刻した200キロもあると想像される板漫荼羅を掛けられるわけはなく、この時点で彫刻された板であれば、このような記述とはならなかったでしょう。もし、同事が興師筆であったとしても、その時点では紙幅であったこと物語っています。また、ここでいう漫荼羅が弥四郎漫荼羅ではないことは、その素本が弘安三年であることを示せば足りるでしょうが、その他、既に論じられたことなので、ここでは繰り返しません。過去ログをお読みください。

なお、「大本尊」とは第16号本尊に、蓮師自ら記されるところであり、これを弘安2年に興師に授与されたというのであれば、この‘大本尊’以外の‘漫荼羅’であるはずはないとわたしは考えます。

http://nichirenscoffeehouse.net/GohonzonShu/016.html


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