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蓮祖の、著作・曼荼羅の真偽について

188地名:2004/06/19(土) 16:14

(私注:中国 道教)
また道士と云うもの、これはこの間も申すとおり、彼の国の古(いにしえ)より、「神仙の道」を書き伝えたりと云う老子などの書を元として、道を立つる者がある、これを「道家」の学と申すぢゃ、

(私注:仏者どもの思いつき)
かくのごとく漢土には、元より儒者と道士とが有って、とかく仏法を拒み・いやしめたるゆえ、仏者どもが思いつきて・儒者の本尊とする孔子、または孔子第一の弟子と後の世にも尊ぶところの顔回、また道士の本尊とする老子を、その「本地」は天竺の菩薩で、すなわち釈迦の弟子なるが、から(漢)へ生まれてその地・相応の道を説いたるものぢゃと云うて、そのことが天竺より渡ったる仏教に、釈迦がすでに云いおいたる「清浄法行経」、また「冢墓因縁経」などいう梵経を翻訳するとき、その言い草となすべき語を「書き加えて」世にひろめ、大きに儒者と道士の鼻を挫いた(くじいた)ものぢゃ、

これにたまげて、儒者も道士も仏法に帰依した者・少なからず、またその以下の者は、なおこれに驚いて、仏信心に成つたと申すことで、その文は先年書き抜きをしておいたが、閻浮提中・有振旦(震旦)国、我遺「三聖」在中、化導人民、「儒童菩薩」・彼称・「老子」、「迦葉菩薩」・彼称・「孔子」、「月光菩薩」・彼称・「顔回」とあるだが、これ唐でも「本地垂跡の説」をもって、その世の僧どもが、儒者と道士とを押し付けんがために致したる「奸曲」で、年代をおしてその実の所を糾し(ただし)見れば、「老子は釈迦よりも大きに先の人」、「孔子は釈迦と同じ時代の人で、ただ釈迦より7年後に死に」たるばかりの違いぢゃ、後にはこの「偽り」(いつわり)を、あちらの儒者の劉学士と云う者に引きむくられて、僧も大きに恥をかき、その後はかの経を「偽経」の部に収めてはあるけれども、また何ぞと云うと、漢土・大和の僧どもが「引言」に云いたがることぢゃ、さればこの「本地垂跡」のことは、御国の古き僧どもの始めて致したることでもなく、元来は釈迦が始めて、から(漢)の僧がそれをまね、またそれを御国の僧がまねたものぢゃ」


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