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蓮祖の、著作・曼荼羅の真偽について

182地名:2004/06/13(日) 19:16

「齊東俗談三(一三)」
肇法師・維摩経序・曰、非本無以垂迹、非迹無以顕本、本迹雖殊而不思議一也
(私注:羅什の弟子僧肇が維摩経の序でいわく、本にあらざればもって迹を垂るなし、迹にあらざればもって本を顕すなし、本迹はことなるといえども不思議一なり)

「神武權衡録一(一五)」
天竺の仏法と日本の神道とは、雲泥の違いある事を、行基、伝教、弘法、首然(法然か)、日蓮等の才発なる坊主とくと考え、釈迦の経々に曾て是なき事を工夫して、日本の神々を天竺の仏に取りまじへ、本地垂迹と云う事をつけて、八幡宮は本地・阿弥陀如来、春日の四座は釈迦・薬師・地蔵・観音の垂迹などと、つがもなき事をいひて人を欺き、仏道に神道を入れて両部習合とし、福祿を祈り寿命を願い、病を祈祷するの類ひなり、笑ふべきの甚だしき也

「故実叢書 安齋随筆 七(二三九)」
仏を本地とし、神を垂迹とし、両部習合する事、弘法、伝教、慈覚、智証の四大師の所為の由、卜部兼倶が名法要集に記して、兼倶専らその説を信用せり、本地垂迹の説は、悲華経に、我滅度後於悪世中、現・大明神、広・度衆生とあるを本拠として、これを押し弘めて、我が国の神祇に悉く諸仏を配当して、某の仏が化けて来て、日本の某の神に成りて、この日本に止まりたるを垂迹とは云う、ばけたる本仏を本地と云う、朝廷この説を信用し給ひしより、我が国の神祇は大概仏の扱になりて、神祇は僧徒の居所となれり、近世儒道を神道に交えて、唯一神道と云ひて、仏説を除き去る徒の説に、本地と云ふは・たとへば天照大神なり、垂迹は五十鈴の宮なり、応神天皇は本地にして、宇佐の宮は垂迹なりと云う、此の説もいまだ本地垂迹の名目を捨てきらぬ者なり、吾が国の為には、仏法は瘡毒の骨がらみに成りたる如く、本腹する事は叶わず、日本国を代々武臣に横領せられて、朝廷衰微したまへるは、神祇の祟りにもあらん


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