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蓮祖の、著作・曼荼羅の真偽について
173
:
地名
:2004/06/12(土) 11:28
当時は神社の制はなはだ乱れ、伊勢大神宮は従来王臣以下の弊帛を献ずるを禁ぜしに・このころに至りては賤人も宮前に拝し、且つ大麻を某家に奉安せり。而して人民敬神の念は依然として旧に依り、禍福・寿夭都(すべ)てこれを神仏に祈祷せざるなし。ゆえにいまだ嘗てこれを誹謗する者はなかりしに、耶蘇宗入りてより大友宗麟は深くこの宗を信じて為に領内の神社を毀てり。江戸時代の初運に至り神仏混淆の弊を矯めんとする者現れ、徳川義直は神祇宝典を著し、林羅山は神社考を作りて以て本地垂迹の説を破し、且つ吉田家の所伝を駁せり。当時はなお吉田家の神道広く世に重んぜられ、山崎闇齋の如きは儒者にして神道を善くし、陰陽五行の理を以て神道を説き、或はこれに混ずるに周易の理を以て神道を説き、或はこれを輔くるに朱子の学を以てし日本紀の神代巻を以て一箇の教訓を示せるものとなせり。
然るに本居宣長はこれを真の神道に非ずとし、説をなして神道は天地自然の道に非ず、亦人の造る所に非ず、その道に随うとは神代の法則に従い、毫も私意を加へざるを云う。その文は古事記・日本紀等の書に具して古言を尋ぬれば灼然として観るべきものありて別に秘伝・秘説あるに非ずとせり。後、平田篤胤に至り殊に意を神道に潜め、宣長の説を主張して幾多の書を著し、傍ら仏教の所説を排斥せり。明治維新の際に至り、神仏分離の令出でて神宮寺を廃し、社僧に還俗を命ぜしもの時運の然らしめし所ならんもまた篤胤門人の努力に由ること多かりしならん。
当時の命令は単に神仏の分離を行わんとするに過ぎざりしも、永く抑圧を蒙りし神官・禰宜の輩は仏教者に対して報復するはこの時に在りとし、神社内の本地仏・経巻・仏具の類を焼棄し、彼岸所・神宮寺を毀ち、浮説をなして朝廷の御主意は神道を取り立て仏道を廃せんとするに在りとて寺院に暴行を加えし所あり。仍て世にこれを廃仏毀釈と称したり。」
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