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蓮祖の、著作・曼荼羅の真偽について

151地名:2004/06/07(月) 20:53

天照大神と出雲の関係について「島根県の地名」日本歴史地名大系33から引用いたします。

「日御碕神社」(ひのみさき・じんじゃ)

「島根半島の北西端、日御碕(ひのみさき)に鎮座する。
日本海に西面した権現造の社殿は神ノ宮(かみのみや・上宮)と日沈宮(ひしずみのみや・下宮)からなり、西の日光といわれる。
主祭神は神ノ宮が神素盞鳴尊、日沈宮(ひしずみのみや)が天照大日靈貴(あまてらす・おおひるめむち)。旧国幣小社。

社伝によると、神の宮(私注:素盞鳴尊の方)は背後の隠ヶ丘(かくれがおか)にあったものを現在地に移し、天暦二年(948年)北西方の文島(ふみしま・現・経島)にあった日沈宮(ひしずみのみや)(私注:天照大日靈貴の方)を現在地に移したという。

この社伝を信頼するなら、神ノ宮は「出雲風土記」の出雲郡美佐伎社(みさきのやしろ)、「延喜式」神名帳の御碕神社(みさきじんじゃ)、日沈宮(ひしずみのみや)は「出雲風土記」の百枝槐(ももえ・えにす・のやしろ)に比定される。

社名は、古代末期に日御碕社、中世は御碕社、室町〜戦国期以後再び日御碕社と称し、明治4年国幣小社日御碕神社となる。

[杵築大社からの独立]
古代末期には鰐淵寺(がくえんじ)と並ぶ独自の勢力を誇る修験の道場として知られ、「梁塵秘抄」に「聖の住所は何処何処ぞ(いずこ・いずこぞ)、箕面よ・勝尾よ・播磨なる書写の山、出雲の鰐淵や日の御碕(ひのみさき)」と歌われたが、中世への移行に伴って杵築大社(出雲大社)の末社として組込まれ、祭神も杵築大明神(スサノオ)の御子(季女すなわち十羅刹女)とされた。 以下略 」

ここで「十羅刹女」がなぜ出てくるのだろうか。
素盞鳴尊(スサノオのみこと)の御子(みこ)とは、田心姫,瑞津姫,厳島姫のだれかなのだろうか。


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