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蓮祖の、著作・曼荼羅の真偽について
145
:
地名
:2004/06/07(月) 16:50
「神仏習合」逵日出典著、P99-103から引用いたします。
「…この動きにおいても、やはりどこよりも先んじていたのが宇佐八幡宮であった。応和二年(962年)の奥書をもつ「大安寺八幡宮縁起」によると、行教が宇佐に参り八幡神を石清水に勧請することを述べている中で、彼が宇佐に参籠しているとき、衣の袖の上に釈迦三尊が映じたとある。このことは、八幡神の本地が釈迦三尊であることを示しており、10世紀の半ばころに、すでに宇佐を中心とした地域において、八幡神に対する本地仏の設定がなされていたことになる。
しかし、本地仏の設定が一般的に普及してくるのは、11世紀半ばころからであるとみられる。大江匡房(おおえまさふさ)の「江談抄」(ごうだんしょう)に熊野の本地仏について記されている。それによると、熊野三所(本宮・新宮・那智)は伊勢大神宮の御身であると述べているのである。また、同じく匡房の「続本朝往生伝」には八幡大菩薩の本地を阿弥陀如来としている。先に紹介した「大安寺八幡宮縁起」では八幡神の本地を釈迦三尊としていたが、ここに来て阿弥陀如来となっているのは、このころ発展・普及してきた浄土教思想の影響によるものと考えてよかろう。
このようにして、神々への本地仏の設定はいよいよ盛んになっていく。以下、平安時代末期から鎌倉時代にかけて、文献に登場してくる本地仏について代表的なものを列挙してみる。
●「長秋記」長承三年(1134年)二月一日条にみえる「熊野」の本地仏
三所について
丞相(しょうじょう) 和名家津王子 法形阿弥陀仏
両所 西宮結(むすぶの)宮女形 本地・千手観音
中宮 早玉(はやたまの)明神俗形 本地・薬師如来
五所王子について
若宮女形 本地・十一面
禅師宮俗形 本地・地蔵菩薩
聖(ひじり)宮俗形 本地・龍樹菩薩
児(ちご)宮 本地・如意輪観音
子守 正観音
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