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蓮祖の、著作・曼荼羅の真偽について
112
:
犀角独歩
:2004/05/31(月) 12:42
自己レスですが、
87に伝・吉田兼益授与漫荼羅に就き、模写を御筆漫荼羅の筆跡と違うと論じましたが、空き缶さんのご指摘を受けて第16本尊で『妙宗先哲本尊鑑』模写とこれを比較したところ、相貌、筆法その他はまるであてにならないことがわかりました。
この漫荼羅原本が存在した可能性を考えるのであれば、何を基準にするべきか。これはやはり、108に顕正居士さんがご指摘の点であろうと思います。
なお、わたしは個人的に山中師『御本尊集』掲載漫荼羅のなかにも何点か蓮師真筆とは疑わしいものも含まれていると思います。しかし、その本紙を閲覧し、また科学的調査をできる立場にあるわけでもありませんので、この点は特に追求しないこととしているばかりです。
ともかくも蓮祖門下文献、さらに派祖文献、なおさらに各派文献は、もっと徹底した学術調査がなされるべきであると考え、それを強く希望するものです。
さらに余計なことを記せば、蓮門で切紙相承がいつ頃からなされるようになったのか?という点について、79に顕正居士さんが「切紙伝授が日蓮聖人の時代にはじまったとは考えません」と仰せになる点はわたしも頷くものです。
このような文書相承は口伝の変形なのか、あるいは允可書のようなものの類型なのか、わたしはさらに考えてまいりたいと思っておりますが、「南無妙法蓮華経」は本来、臨終正念として最期の床にある者の耳元で囁き伝授されたという原型があると言い、これは一種の口伝?と言えるのだろうかと考える面もあります。
また、蓮師の漫荼羅図示と授与は一種の文書相承の変形と見なすことはできるのだろうか怪しむ面もあります。
これまた顕正居士さんが「日蓮正宗系の方に「御書(御遺文)」と「口伝書」をごっちゃにして真書とか偽書とかいう傾向が幾分ある」とご指摘される点は、襟を正すところがあります。蓮師遺文の形式を取るもので偽書は多く存在するわけで、この選別は最も基本的な作業でありながら、しかし、それぞれの真筆と扱い門下を教導してきた歴史的事情もありいまさら斥けられないというジレンマが現状にあり、そんな情緒面からも至難な側面を孕んでいると観察できます。故にわたしはかなり執拗に真跡遺文に就き喧しくする態度で一貫してきました。
しかし一方、相伝、口伝の類は、派祖本仏などと言われる本覚影響下の「お偉いさん」への無条件服従の背景で、師を日蓮、もしくは仏、釈尊と仰ぐ信仰様態の中では、師の言は直ちに仏聖人の言とするという受容形態が背景にあります。この歴史は既に平安朝、あるいはそれ以前に遡れるのだろうと思えます。このような現場で、相伝・口伝を蓮祖に遡源できるかを問うことはある面、ナンセンスな側面はあります。
しかし、それでも時代考証において、文献の成立、語彙の成立、思想様態などを具に分析すれば、概ねそれら伝授がいつの時代まで遡れるかは大方の見当は立てられるかもしれません。しかし伝授内容自体を問う相伝・口伝の考証では、それをまとめた文献の真偽を問うことはもちろん意味をなさないことであると思うわけです。
いずれにしても、問題にされるのは、常に「事実」と言うことであって、教団あるいは信者の信仰上の証とは別の事実証拠である点に、ここ富士門流信徒の掲示板と管理者さんの秀でた面をわたしは仰ぐわけです。
その意味において、顕正居士さん、れんさん、地名さん、空き缶さん、また、愚鈍凡夫さん、山学無縁さんをはじめとする皆さんの真摯な文献呈示と考証に改めて敬意を表するものです。
名無し@ピンキーさんまたその他の方々が、この考証議論にさらに参加されることを期待申し上げるものです。
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