したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | メール | |

つぶやきすれっど2

296犀角独歩:2003/01/14(火) 14:09

祐二さん:

> >>273において(1)(2)(3)はすでにお答えしています

私は「日蓮の言をもって」と言ったのです。
あなたの273の答えは

(1)手持ちの辞典を引いたら「五百塵点劫に成道した釈尊の本因の時」と書いてありました。
久遠即末法とも言われますが、今現在のことです。
(2)三世諸仏に対しても主師親である根本の仏、です。
(3)法華経を身読されたという状況証拠から、そのように判断することが適当と考えます

です。これのどこが日蓮の言なのですか。
答えたことになっていません。
もう一度、記します。日蓮本仏、寛師全面肯定の立場のあなたでしょう。
日蓮の言でお答えください。

> (4)は(3)と重複しています

私の質問、「(3)日蓮がなぜ本地・自受用報身如来だと言えるでしょうか」であり「(4)日蓮本仏何故言えますか。証拠を上げてください」は重複していません。
日蓮の言をもってお答えください。

> (5)経典という意味で、主に羅什訳の「妙法蓮華経」です。
「正法華経」「添品妙法蓮華経」も助用されています。

(5)' では「南無妙法蓮華経」と日蓮が言うとき、この妙法蓮華経は経典であるというわけですか。

> (6)「変なおじさん」とは日蓮のことです。
独歩さんの立場だと、「そうならざるを得ないだろう」という意味で書きました。

先にも記したとおり、「批判をするのであれば、私が書いた記述と意をもって批判していただきたい」と申し上げてきました。恰も私が日蓮を「変なおじさん」と考えている如き誘導…あなたの言葉で言えば“罠”…ともとれることは、あなたの自信の品格を下げることになります。おやめになるべきでしょう。この議論は本仏義が日蓮の教えといえるかどうかを考える厳粛かつ公正、そして、証拠主義に基づく議論でなければならない。あなたは日蓮本仏の信徒の自覚、私は人間日蓮を敬愛する自覚、この相違する自覚に立つ2人のどちらが、忠実に日蓮の言に基づき、責任ある発言をしているかを問う議論であるべきです。お互い姑息な罠、仕掛けなどはせず、アネモネさんが指摘くださったよう正々堂々と論じ合いましょう。

> 僕はいつでも「信仰者」として考え、質問したり答えたりしています。
それに対し独歩さんは「研究者」として、答えたり質問したりしています。
やはりこれではいつまでたっても平行線でしょう。

あなたは、信仰と研究が別々のものであると考えているようですね。
かつて研究の成果をまとめた書籍を「論」と言ったのではないですか。
日蓮において、果たして信仰と研究が別のものであったのでしょうか。私は而二不二としてとらえていたと思います。
すなわち、あなたと私が信仰・研究と言うとき、その食い違いがあるのではなくて、日蓮が信仰・研究を別に見ていたか、一つのものに見ていたかの違いである点は留意されるべきです。日蓮は研究は研究、信仰は信仰などといった現在の僧学の如き姿勢は微塵もなかったと私は拝しています。

> 本当に謙虚な人間なら自分で「私は謙虚な人間です」とは言わないだろう、といった次元でとらえています

これは池田さんの「私は謙虚な人間です」発言を想起するような記述ですが、まあ、それは置きましょう。このあなたの言葉は日蓮は本仏であるけれど、謙虚だから自分では仏などと言わなかった、こんな意味合いでしょうか。これで合っているとすれば、仏は自分で仏とは言わない、言うと謙虚じゃないという伏線を指示することになりますね。
しかし、これは勝手な固定観念です。例えば妙法蓮華経・寿量品に「今の釈迦牟尼仏釈氏の宮を出でて伽耶城を去ること遠からず、道場に坐して阿耨多羅三藐三菩提を得たり」とあります。つまり、仏は自らを常に仏であると宣言するのは通常、少しもおかしなことではありません。となれば、日蓮が仏であれば、その宣言をすることは仏教の常道と言うことになるでしょう。


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板