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つぶやきすれっど2
2138
:
犀角独歩
:2006/07/04(火) 06:27:01
Bさん
「偉大」とは恐れ入りました(大笑)
ところで、わたしはどこに「カラフル」と書きましたか?
わたしがコスプレ、オタクではないかと記したのは、その言葉が気に入っているからではなく、わたしは、僧の僧たる所以は何かと、問うためです。
このようなことは日蓮にも見られるでしょう。以下の如き、引用、記述が見られます。
「法を護らざる者をば禿居士と名づく」
「多く飢餓の為の故に発心出家するもの有らん。是くの如きの人を名づけて禿人と為す。是の禿人の輩、正法を護持するを見て、駈逐して出ださしめ、若しくは殺し若しくは害せん」
また、疑偽書には、さらに激烈を極め、
「食法がきと申すは、出家となりて仏法を弘むる人、我は法を説けば人尊敬するなんど思ひて、名聞名利の心を以て人にすぐれんと思ひて今生をわたり、衆生をたすけず、父母をすくふべき心もなき人を、食法がきとて法をくらふがきと申すなり。当世の僧を見るに、人にかくして我一人ばかり供養をうくる人もあり。是は狗犬の僧と法華経に見えたり。是は未来には牛頭と云ふ鬼となるべし」
「遊戯雑談のみして明かし暮らさん者は、法師の皮を著たる畜生なり。法師の名を借りて世を渡り身を養ふといへども、法師となる義は一つもなし。法師と云ふ名字をぬすめる盗人なり。恥づべし、恐るべし」
既得権ではあるまいし、出家、教師補認という免許を、あるとき、ある宗派から得れば、その後、終生、僧侶であるというのか、そもそも、僧侶とは何ぞや、かくあるべきかという問いです。
以下、よく引用するところです。この心情を言っているのです。
「坊さんのすべてが、もう一度、出家しなおしたら、どんなにすばらしいことかと思う。皮肉などで決してない。実感である。
三十三カ所霊場とは限らない。日本の寺々にはともすると、草創の古さ、寺格の高さ、皇室はじめ過去の権力者にどれほどの庇護や帰依をうけたかを、とくとくと語り、あたかもそれを寺の誇りとするごとき傾向をまま見かける。しかしそんなことが、寺の名誉でも威信でもないことはあきらかである。もし寺院が、それなりに矜持(きんじ)を持つとすれば、仏の智、仏の愛を、どれだけ積極的に民衆のなかに弘通し、彼らの悩みを救ったかという一点にしぼられるはずである。過去はもちろん、現在も未来も、立派にそのつとめを果たし得る自信、そしてその実績――。寺院の誇りはこの一事に尽きる。伝統や寺歴を、問題外にするのではないが、そういうものはあくまで第二義のはずと思うのだ。かたちはでんとかまえているが、ひっくり返してみたら下のほうが腐りかけていた南瓜……。そういう哀しい存在に、寺院が成り下がることを、日本の民衆は一人として望んでいないのである」(『西国巡拝記』杉本苑子)
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