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つぶやきすれっど2
2028
:
犀角独歩
:2006/05/11(木) 21:48:18
れんさん
つぶやきで、やや議論になってしまいますが(笑)
『百五十箇条』に「三箇秘法とは日蓮日目と御相承し・日興聖人は唯授一人の相
承たる間、我が臨終の時・耳にさゝやげと仰せられけるほどに・其の剋に御耳にこそ唱へて聞せ奉り御座す事なり、大聖より御聴聞有る故にこそは日朗の「卿公は御法門聴聞」とて強くも目の耳を引きたまふ日朗の耳引法門とは今の三箇のいはれなり、此の時は日蓮・日目・日興と次第し、御付法は日蓮・日興・日目と次第するなり、此の三箇の秘法は当宗の独歩なり」とあります。
この文章を信頼する限り、耳引法門とは、臨終に囁く三箇の秘法であり、これは、蓮目興の次第であるけれど、付法となると蓮興目なのだという趣旨です。
この辺のところは、内心ではまだまだ決着していないのですが、以前の話し合ったことかと存じますが、蓮目直授という相承譜は、あるめん、洛の始原であると思うのです。しかし、これが天文法難以降、寺院拠点を喪った洛中では、その復興に際し、権威を富士に求めたところ、その頃には既に蓮興目の次第が定着していた。そこで、上古の蓮目尊という直授相承観と、蓮興目の相承観の整合性を諮る必要性が迫られたということはないでしょうか。
もう一点。わたしはどうも耳引法門という点の判断に迷いがあるわけですが、上記の文献にいう説明というのは至当なものとお考えになりますか。
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