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お薦めスレッド

184顕正居士:2005/03/28(月) 03:20:32
脳の記憶は「シナプスの可塑性」*によってになわれているらしい。

http://www5.airnet.ne.jp/gaya/no3.htm

そうならば記憶とは電気現象ですから、コンピュータの「揮発性メモリ」*に相当し、電気現象」が停止
すれば失われます。

http://e-words.jp/w/E68FAEE799BAE680A7E383A1E383A2E383AA.html

しかし「長期記憶」*にはシナプス結合の変化を伴うらしい。

http://www.kyoto-su.ac.jp/~bessho/brain2.htm

そうであれば、死後の脳を直ぐに保存して後に生き返らせることができれば、長期記憶はいっていは
復元できるかも知れませんね。

185犀角独歩:2005/03/28(月) 07:17:30

184 顕正居士さん、有り難うございます。

死後の脳を、冷凍その他の方法で保存し、そこにものを考えるときと同じように通電し、それを映像化できるのでしょうか。少し考えたのですが、このような電気信号による処理そのものが「生きている」ことになるわけで、もし、このような処理をするとき、脳は生前のように「心」を感じることにもなるのだろうかと、ふと新たな疑問が生じました。

186顕正居士:2005/03/28(月) 10:23:44
○脳だけ生き返らせることができるか

心臓死した人の脳を直ぐに人口心肺につないで血液を送れば脳だけしばらくは生きられるはずです。
血液だけでは長くは生きられませんが。だから冷凍保存などが有効であったならできるとおもいます。

○その場合に意識は戻るか

五感を失った状態で意識が戻るかわかりません。しかし脳死した人の身体に移植すれば戻るでしょう。
そのような複雑な外科手術を短い時間で行うことは今はほぼ不可能にしても。

○脳の記憶を映像にしたりできるか

これは脳の仕組みが十分に分かればできるでしょう。映像を電波にして放送し、また映像に戻したりが
できるのですから。

○脳を生き返らせるのではなく、脳を機械(コンピュータ)にコピーすることなら直ぐにもできるという人が
います。

http://www10.ocn.ne.jp/~seo/AI.html

187藤川一郎:2005/03/28(月) 19:27:43
90年代初頭に、現代では御夫婦の椎名結平、山本未来主演の深夜ドラマ「BLACK OUT」という近未来ドラマがありました。その最終回で山本未来が放射性物質を浴びてしまい、現代の医学では治療不可だから、肉体は冷凍して保存し、脳は電磁パルスをデジタル化してディスクにおさめて保存しておくという手法が取られました。
そして、医学が発達した50年後に老人の椎名が、愛する若き山本を迎えるが、自分の事や不幸な事故のことは不要だと判断した椎名はディスクから消去(BLACK OUT)してしまい、そのため蘇生した山本は、全く自分の事は覚えていないという劇的な結末を向かえました。そのころは脳の記憶をディスクに保存するなど信じられませんでしたが、現実に研究は進んでいるんですね。

188犀角独歩:2005/03/29(火) 09:46:41

顕正居士さんのご呈示を拝読し、脳内信号の映像化の可能性があるのだと思えました。
また、意識をもつコンピュータの可能性がすでに現実のことになっていると思え、改めて、「心」とはなにかを考えさせられました。


藤川一郎さんが、ご紹介くださった物語、『鉄腕アトム』の誕生を思い出しました。
ストーリー展開はまるで違うものですが、考えてみると、特定の個人の記憶と思考パターンが複製されるとき、他者は、それを同一人物のように感じることになるわけですが、当の機械?は、やはり、オリジナルとは違う、当たり前といえば当たり前なのですが、こんな問題を手塚治虫はちゃんと考えていたのだ思えました。

189矢野通彦:2005/03/29(火) 10:45:31
http://plus1.websiteallies.com/soc/

191犀角独歩:2005/03/29(火) 21:39:14

恐竜博2005(The Dinosaur Expo 2005)
サブタイトル:恐竜から鳥への進化
(Evolution of Dinosaurs from their origin to birds)
http://www.kahaku.go.jp/dinosaur2005/index.html

先週、観てきました。毛、もしくは羽に覆われた恐竜の想像画。
恐竜が進化して鳥になっていく進化がよくわかる展示でした。
規模は小さいのですが、恐竜進化については、わたしたちの世代が学校で習ったこととは格段に違っている点が認識できます。6500万年前のイリジウム隕石衝突による絶滅説もそうでした。

鳥への進化経路は、多くは中国で発掘された化石によっています。中国が近代化しなければ、こんな研究もなされなかっただろうと、違う感慨を懐いたりしました。

桜花の候間近ですが、上野はその名所。併せて鳥に進化していく恐竜を観覧も一考かと、お薦めいたします。

192犀角独歩:2005/03/31(木) 18:53:57

『第三文明』5月号を読みました。
いちばん、興味深かったのは『学会史 御書発刊の日 [1952年4月28日]』の

「学会版御書が刊行された当時、日蓮宗身延派も御書を発刊しましたが、惨めにも分厚い「正誤表」が必要でした。
 また、日顕宗では、2002(平成14)年、『平成校定日蓮大聖人御書』なるものを作成しました。しかしこの御書、「一念三千」を「念三千」、「諸行往生」を「諸行無常」と誤記するなど、誤りが700カ所という杜撰なものでした」(P87)

「日顕宗」という相変わらずの固有名はいただけません。公に刊行しているわけですから、一般人が手にしても、これでは、わからないからです。

まあ、この点は、ともかく、わたし自身年がら年中、誤字の訂正を行っているわけで、他を笑えませんが、延山遺文集は置くにしても、学会版がそんなに誇れるほどのものであるのか?という疑問と共に、しかし、石山版誤り「700カ所」はこれはいただけないと思えました。

193愚鈍凡夫:2005/03/31(木) 19:13:22

ちょっとお邪魔します。
むむっ、創価学会が日蓮正宗の御書を嗤う。これって、目糞鼻糞の世界の話のようですね。
「日亨師は何処の人でしたっけ?」って聞かれたら、
「創価学会初代名誉教学部長」なんて言い張ったりして・・・・・。 (O.O;)(o。o;)

194犀角独歩:2005/03/31(木) 19:35:31

三学無縁さんには、よく本をお借りするのですが、今回は、『宗務院・学会記録文書』についで、『時事懇談会記録―宗門覚醒のいぶき』(編集代表・菅野憲道/発行者・渡部広済)をお借りしました。
これら、記録資料はかつていやというほど、読んだつもりでしたが、石山を出たあと、みな棄ててしまい、手元になかったわけです。こんな感情的な過敏反応とは裏腹に、三学無縁さんは、膨大な蔵書。性格の差というか何というか…。それをさておいて、図書館代わりに使わせていただき、恐縮至極。また、某研究機関の書庫も、お陰である程度自由に拝借させていただいています。

もう一冊は、『若き日の手記・獄中記』青娥書房(戸田城聖)。
島田師は、「戸田さんの獄中の悟達はなかったでしょう」と資料を調べた結果、話されていたような記憶があります。
ところが、「いや、たしか…」と、三学無縁さんが呈示したのが、この一書。さて、読んでみようかと。

その他、『小樽問答誌』初版。これは昭和30年5月3日が発行日になっていました。
巻頭写真が(以下敬称略)創価学会会長・戸田城聖、教学部長・小平芳平、青年部長・辻武寿。次頁に、創価学会理事・石田次男、渉外部長・池田大作、青年部参謀・竜年光、男子部第5部隊長・秋谷城永、台紙第4部隊長・星野義雄、男子第6部隊長・赤須雪秀。さらに次頁、(集合写真で)男子第1部隊幹部・星野豊、男子第2部隊幹部・伏木和雄、男子第1部隊幹部長・酒井義男、男子第1部隊幹部・龍登、男子第9部隊幹部・竹入義勝、本部直属小樽班長・谷紀恵子、男子第5部隊幹部・川島和夫、男子第6部隊幹部・大川清幸、男子部第1部隊幹部補佐・高橋秀直、男子第6部隊幹部長・曽根原敏夫、男子第4部隊幹部・岡安秀夫と顔写真が載ります。

しかし、今回、お借りした目玉は『朝日ソノラマ』(朝日新聞社)昭和45年5月1日発行です。これにはソノシートがついており、「藤原弘達氏 問題の極秘テープ公開」と、あの言論問題で藤原氏が爆弾に使った電話録音が収録されていました。渡部一郎氏を辞任に追い込んだ本幹発言も収録されているなど、実に興味深い内容となっています。これを、この次のオフ会で、小樽問答と併せて、皆で聞こうという企画です。

仕事は山ほどありますが、こう、おもしろいものをお借りしてしまうと、つい夜更かしが過ぎてしまいます。

三学無縁さんには、この場をお借りしてお礼申し上げるものです。

195ROM専:2005/03/31(木) 20:58:13
毎度のスレ汚し、誠に申し訳ありません。

犀角独歩様
>『小樽問答誌』初版。
これは確か創価学会が石山の名代となって、身延派の僧侶と法論(実態はそんな
高尚なものではなかったようですが)をし、その戦果を喧伝する目的で学会が
発刊した書物ですよね?
であるにも関わらず早々に絶版になってしまった本だ、と聞き及んでおります。
私自身はついぞ拝見する機会もございませんでしたが、以前とある日蓮宗の方が、
内容を見て、「学会自身がまともに法論しなかった経歴をわざわざ書き残している
ようなものだ」と評価していた記憶があります。

小樽問答に関する日蓮宗側からの意見を記したサイトは
http://www5c.biglobe.ne.jp/~lotus/newpage17otaru.htm
こちらぐらいでしょうか。身延派にしても、学会にしても、この法論に関しては
妙に沈黙しているきらいがあって、今ではあまり取りざたされる事がないのですが。

読後で構いませんので、小樽法論そのものに関する犀角独歩様の印象をお聞かせ
願いたく存じます。

196吉祥仙人:2005/03/31(木) 21:27:54
 よこからお邪魔します。

 聖教新聞では小樽問答記念特集紙上座談会が開かれました。

 問答そのものの事実的詳細は知りませんが、結果は「大勝利」として語り継がれております。

197犀角独歩:2005/03/31(木) 23:31:39

ROM専さん
吉祥仙人さん

小樽問答に関して、これは率直に申し上げて、日蓮宗側も、誉められた態度ではなかったというのがわたしの感想です。ただし、だからといって、、創価学会正義とは言い難いのは、もちろんです。

当掲示板のように、ヤジその他が無く、冷静に議論すれば、確実に創価学会の負け、しかし、当初から、小樽市内に批判ビラを配ったり、議論の第一問から、事実を確かめない新聞記事で悪評を喧伝しようとする姑息な手段を取ったのが日蓮宗。数で圧倒して、勝利宣言をしたのが創価学会。

なるほど、議論・法論は、こんな風に勝敗を決するのかと、いまよく目にする、愚にも付かない政治評論のがなり合いのようではあるにせよ、論の気鋭で、わたしは学会に一票というところでしょうか。さらに学会の本尊雑乱に一票、延山の板漫荼羅・日蓮本仏偽難に一票、しかし、延山の坊さんは議論が下手くそ。しかし、あのヤジではたじろぐのも同情の余地あり(笑)というところ。

これは聞いて、大いに笑い飛ばすに足りる録音です。「百聞は一見にしかず」ならぬ、「百読は一聞にしかず」と言ったところでしょうか。

198ROM専:2005/04/01(金) 20:20:38
独歩様
いつも通り丁寧な回答ありがとうございます。
そうでしたか、日蓮宗側も十分姑息な手を使っていたのですね。

法論と思わずバラエティ番組と思って拝聴した方が良さそうな
記録ですね。生きているうちに、その記録に触れる機会があれば、と祈っておきます。

重ね重ねありがとうございましたm(__)m

200犀角独歩:2005/04/01(金) 21:27:43

198 ROM専さん

こちらでは、過去の管理人さんとの話し合いで、「さん付けで統一」という申し合わせ事項ができていました。ですから、どうぞ、お気軽に、そのようにお願いいたします。わたしもそうさせていただきます。

> その記録に触れる機会があれば

ご案内のとおり、次会、オフ会は「小樽問答を聞く会」としようと思っております。
もし、よろしければご参加ください。また、当日、該当の資料も頒布する予定です。もし、ご参加いただけなくても、こちらはお送りすることができると思います。ご希望があれば、フリーメールでけっこうですから、詳しくは西川さん (info@yohraku.com)にお問い合わせください。郵便局留も可だと思います。

今後とも、よろしくお願い申し上げます。

202犀角独歩:2005/04/03(日) 22:06:54

こちらで、かなりどうでもいい個人的なことを書いたりしてきてしまい、反省を込めて、ブログをはじめました。先だって、講演いただいた島田先生の影響といったところです。
はじめたのはいいのですが、どうも、勝手がわからず、「?」と「うーん」の連続です。
ブックマークいただければ幸甚です。

犀角独歩 ― 犀の角のように独り歩め
http://blog.livedoor.jp/saikakudoppo/

203犀角独歩:2005/04/05(火) 19:44:11

戸田さん十三回忌に当たる昭和45年に起きた言論出版妨害事件の藤原弘達氏が切り札にした電話録音テープをこの次のオフ会で、小樽問答と併せて聞こうと思っています。

この昭和45年に発刊された若き日の手記・獄中記』(青娥社・昭和45年11月15日第1刷/昭和46年1月15日第5刷)はなかなか興味深い内容でした。お薦めします。

http://blog.livedoor.jp/saikakudoppo/archives/18083354.html

204三学無縁:2005/04/06(水) 13:02:40
以下の記述が、所謂「獄中の悟達」のポイントとなるのでしょうね。

「自分は妙法蓮華経が、仏陀の命であり、我等衆生の命であると確信している。この確信は、釈尊の自ら、自分に教えられたところであり、日蓮の自ら、我が身にささやかれたところである。自分は少なくとも日本国において、法華経を読める者の一人たるを確信する。
 人曰く「あなたは、どこで法華経を知りましたか」と。
 自分は答えて曰く「五百塵点劫以前に釈尊に教えを聞き、現世において、しかも、牢獄以来これを思い出しました」と。
 しかし、人のよくこれを信ずるももはない。
 経に曰く「一切声聞辟支仏の知る能わざるところ」と。また、人のよく至るなしと。人の信ぜざるもまたむべなるかな。
 深く過去遠々劫より、この五体のまま経を聞きたりとするも、だれかよく信ぜん。されど我れは、深く了解せり。この五体このままに仏に遇い教えを聞き、今ここに受持すと。

  独房にての歌を想い出せるままに。

  つかれ果て生きる力も失いて
   独房の窓に母の呼びにき

 この境地は弱かった。もし父人を知りなばこの歌はなかったであろうか。それともこんなに弱くなってこそ、真の父を知ったのであろうか。

  友もなく屋根に咲く野辺の草
   力強きを誇りてぞある

 まだ法華経を知らざる前、Lさんを想って、自分の力を、生命力を、誇ったものだが、妙法を知らざる生命は、その後一年で前記の歌となった。
 やはり妙法の命でなくては、強い強い生命に生きられまい。

  安らかな強き力の我が命
   友と国とに捧げてぞ見ん

(昭和二十一年三月三日)

*「心影余滴」より。」

戸田城聖『若き日の手記・獄中記』一七五から一七七頁、青娥書房、
    初版昭和四十五年十一月十五日、再版四十六年一月十五日

205犀角独歩:2005/04/07(木) 00:08:04

> 204

「心影余滴」は三観一喜法師なる銘で記されるわけで、「五百塵点劫以前に釈尊に教えを聞き」となれば、地涌菩薩。法師、菩薩の宣言と見えます。

206犀角独歩:2005/04/11(月) 09:07:30

もう何時間もない話ですが、(神道)シマ研究家の菅田正昭さんがテレビに出るようです。

4月11日午前10時50分 TBSテレビ『きょう発プラス』
インタヴュー「統一教会と桜田淳子さんについて」

207犀角独歩:2005/04/11(月) 12:09:09

> 206

当掲示板とは、関係のない内容でした。
しかし、皆さんもご存じの方と言うことでご容赦を。

208大勇者:2005/05/02(月) 00:56:19
スレッドのお薦めではないのですが。
TV番組で羅什を放送するらしいので楽しみ。

第5集 天山南路 ラピスラズリの輝き
放送予定: [総合テレビ] 2005年5月15日、
[衛星ハイビジョン] 2005年5月9日

天山南路のクチャを中心に七世紀まで栄えた亀茲国(きじこく)の財力は、
キジル千仏洞に豪華な仏教美術を開花させた。
群青色の顔料ラピスラズリをふんだんに使った天上界に特徴があり、
タクラマカンの秘法とも呼ばれている。
この白人系オアシス王国は、北に匈奴(きょうど)らの騎馬民族、東には漢民族王朝が位置し、シルクロード交易で富を上げるには、微妙な外交バランスが必要であった。
このため戦乱の時代にあって、亀茲国は王家出身の僧侶を次々と中原の王朝に送り込み、和平の思想を広めようとした。
その中に、日本をはじめ東アジア諸国で今も読まれている主要経典のすべてを中国語訳した高僧の鳩摩羅什(くらまじゅう)がいた。
彼の人生は西域諸国のなかでほんろうされる。漢軍に拉致され、王女たちと強制的に交わらされた結果、破戒僧に転落してしまう。
そして地獄のような軟禁生活を経て、経典の翻訳を成し遂げたのだった。

209愚鈍凡夫:2005/05/02(月) 01:41:14

検索を掛けたら、こんな資料が出てきました。
************************************************************
フン族・華南への仏教進出

 中国では魏のフン王朝は、北部中国の征服の時には筆舌に尽くしがたいほどの破壊をはたらいたのだが――60万人の人口、宮殿、宝庫、図書館を持っていた洛陽ではどれだけのものが残ることができたろう?――すぐにもっとも精力的な仏教の保護者になったのである。
 紀元311年、フン族の後進の前趙が洛陽を灰燼に帰せしめた後、あらゆる仏教の伝道師の中で最も有名なものの1人である仏図澄がクシャンから中国に到着した。この仏教の憐れみの教えは、この血に飢えた蛮族にどのような影響を与えることになっただろうか。フン族の首長石勒が「深遠な教義は理解することができないが、魔法の離れ業なら仏教の力の証として納得する」ことを知っていて「仏図澄は托鉢を取り出してそれを水で満たし、香を焚いて魔法の決まり文句を言った。ただちに青い蓮の花が眩いばかりに色鮮やかにとびだした」。石勒はこのような優れた魔術家を擁している宗教に大いに感じ入り、支持と保護を与え、仏僧たちは、学校を設立するという彼の思いがけない恩顧を利用した。30年後には彼の中国人の弟子の1人道安は、仏図澄自身によって華々しく始められた翻訳と翻案の仕事を続けた。次の世代はついに仏教の教義と、それに紛らわしいほど似ている道教の教義とを区別し始め、「伝道翻訳者のうち最も偉大にしておそらくあらゆる時代のうちでも最も偉大な翻訳者」であるクマラジーヴァ(鳩摩羅什)というインド名を持つ一仏教僧のもとで、たくさんの学僧たちがむしろ以前よりも大がかりな仕事に手をつけていた。そのようなわけで、クシャン帝国の事実上の消滅とともに、北部中国は仏教伝播の中心地となっていった。それに戦争が西域とのとの外交関係を中断させても、インドの僧侶たちはフン族のテントの中ですら説教することができた。戦争はむしろ――クマラジーヴァが中国北部で20年の俘囚(ふしゅう)生活中に言葉を習得することができたのだから――仏教の擡頭(たいとう)を助けすらした。「鉄のカーテン」にもかかわらず経典や僧侶たちはフン族の支配する北部中国や自由な南朝の国々へと進んでいった。これらの僧侶や彼らの持ち来った翻訳経典は人びとの改宗の度合いを早めた。華南では幾人かの著名な文人はすでに改宗しており、紀元504年には華南の梁朝の皇帝は公式に仏教を自らの宗教として採用し、家族や朝臣、官吏をも彼の例にならわせた。彼は道教の礼拝行事を禁じさえした。紀元471年には北魏の君主拓跋(たくばつ:献皇帝)は退位して僧侶となった。このようにして、北の野蛮的なフン族と、中国の伝統の名残が残されていた、華南の「自由な」中国の間で、新宗教は尊敬をかち得、偉大な人たちの保護を享受するに至ったのである。
 およそ300年の間に、仏教はパミール高原の東方の多くの国々で歓心を得た。しかし、キリスト教がコンスタンチノーブルで公式宗教となるには、もう少し長い時間を要した。

「シルクロード(P125〜P126)」 リュセット・ブルノア著より
************************************************************

ご参考までに。

210吉祥仙人:2005/05/02(月) 05:37:04
 関係ない疑問で申し訳ないのですが
 このフン族の末裔が西へ西へと進んで、フンガリーだのフンランドだのを
造ったのでせうか?

211愚鈍凡夫:2005/05/02(月) 06:42:38

吉祥仙人さん、さすがですね。

**************************************************
フン族(フンぞく,Hun)はアジア系の遊牧民族。 言語学的にはテュルクに属する。

・1世紀頃 - ヴォルガ川やドン川の流域に定住していた。
・375年 - 東ゴート族を征服し西ゴート族を追い出し、ゲルマン民族大移動の原因を作った。
・その後パンノニア平原へ侵入しここを拠点とする。
・441年頃 - アッティラ大王をいだいて東ローマ帝国に侵入、大帝国を築く。
・451年 - 西ローマ帝国に侵入するが、カタラウヌムの戦いに敗れ撤退する(史実的には痛 み分け)。西ローマ帝国の勝利には傭兵となったゲルマン人の影響力は否定出来ない。
・452年 - 東ローマ帝国に侵入するが、教皇レオ1世の説得により引き返す。
・453年 - アッティラの病死により帝国が崩壊。
・その後パンノニアに侵入したアヴァール人やマジャル人などと混血し、現在のハンガリー 人の祖となったといわれる。
また、漢代に分裂した匈奴(古中国語でHungnu,フンヌと発音する)のうち北の部族と同一 であるとされる。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より
**************************************************
ご参考までに。

212犀角独歩:2005/05/15(日) 17:46:34

手前味噌ですが、『現代宗教研究』第39号に『大石寺彫刻本尊の真偽について ― 所謂「本門戒壇の大御本尊」の図形から見た鑑別』が載りました。

http://blog.livedoor.jp/saikakudoppo/archives/22053295.html

213犀角独歩:2005/05/16(月) 08:17:57

さらに重ねて恐縮ですが、わたしが共同執筆した現宗研『顕正会についてⅡ』が発刊されました。

http://blog.livedoor.jp/saikakudoppo/archives/22125920.html

214彰往考来(しょうおうこうらい):2005/05/22(日) 09:06:28

北川健次著『「モナ・リザ」ミステリー 名画の謎を追う』(平成8年、新潮社)を読みました。直接的にはこの掲示板のテーマとは関係ありませんが、非常に参考となりましたのでご紹介したいと思います。

著者の北川氏は画家で、「モナ・リザ」に関する種々の謎を独特の観点から解き明かしていきます。「モナ・リザ」の作者レオナルド・ダ・ビンチは鏡面文字(左右が反転した文字)で書いていました。その理由は、研究内容の隠匿、反キリスト教的な内容の隠匿、左ききであっため、など種々の説がありますがいずれも説得力に欠けます。隠匿説は鏡面文字を鏡に写せば簡単に解読できることから否定できますし、左ききであれば鏡面文字を使うというものではありません。私も左ききですからよくわかります。著者の北川氏は「レオナルドの鏡面文字は、印刷では伝わって来なかった作者の生々しい息の余韻や、書いていた時の速度感さえもが実際の現物を見る事によって間近に迫ってきた」(同書62頁)と指摘していて、直筆を見ることによって得た “速筆で書かれている”という手懸りから鏡面文字を書いていた理由について従来の説を否定し幼少から書いていたという新しい説得力のある説を打ち出しています。また、反転した「モナ・リザ」にレオナルド晩年の自画像を重ねていくと、完全に一致する(同書57頁)という事の紹介も興味深いものでした。さらに、法然上人の史実とレオナルドの共通点から法然が弟子に作らせた「張子(はりこ)の御影」との比較も内容はともかく画家である著者独特の視点でおもしろいものでした。「張子の御影」(京都光明寺蔵)は非公開ですが、著者は光明寺と交渉し、京都に足を運んで実際に拝観しています。書籍調査も丹念に実施し国会図書館も何回も利用しているなど見習うべきところは多いです。調査とはかくあるべきかと感心しました。当然、パリ、ミラノ、フィレンツェなどレオナルドゆかりの場所にも行って調査していて、その情熱には脱帽というほかありません。
最後の「モナ・リザ」の胸元に描かれた文様の解析は圧巻でした。著者は「七七x五三センチに原寸拡大した「モナ・リザ」のコピーを自室の壁に掛け、ひたすら、眺め続けるという、極めてシンプルな行為を日々飽かずに繰り返していった」(同書97頁)という方法から入って種々解析し、レオナルド・ダ・ビンチの“ビンチ”の名が刷り込まれていると指摘しています。私は前々から、現在の御本尊写真集は各々の縮小率を変えることにより、B5やA4といった統一サイズで印刷されていますが、原寸もしくは原寸比(例えば1/5サイズで比較する)での比較が必要と思っていました。この箇所を読んで、「やっぱりなあ」と感じました。
北川健次氏は『トリノ聖骸布の謎』(リン・ピクネット,クライブ・プリンス共著、新井雅代訳、白水社)を引用し、聖骸布が1988年の科学的な年代測定によって後世につくられた偽物であったと判明したことを紹介しています。聖骸布とはキリストの処刑直後に遺骸を包んだとされる布です。詳細は略しますが著者の視点はこの布の偽造にレオナルドがからんでいたというものです。免罪符の発行で莫大な富を得ているキリスト教の高位聖職者たちに対する痛烈な記述がレオナルドにあります。「死せる人々が、千歳の後、生ける多数の人々(引用者注:キリスト教の司祭たち)に、生活費を与えることになろう。― 大昔なくなった聖徒のおかげで生計を立てる修道会の宗教について」(『「モナ・リザ」ミステリー 名画の謎を追う』、92頁)というのが一例です。いつの時代、どこの国でも同じだなあという思いでした。

久しぶりに読み応えのある本に出会いました。

215犀角独歩:2005/05/22(日) 10:11:26

いま、著者・小野文著師ご本人からご送付いただいた『日蓮考』(ニチレン出版)を読み終えました。
蓮師門下に係る著述で、これほど涙を流して読んだ本はありませんでした。改めて、小野文著師に蹲踞し、合掌し、恭敬の意を表する者です。
内容に関しては、拙ブログ、また、こちらへの投稿でも紹介させていただく所存ですが、この本をわたしは推薦します。

細かい日蓮所伝、その他に関する点で、わたしは承伏しかねる点はあります。しかし、そんなことより、日蓮門下が斯くあるべきか、また、師ご自身が斯くあらせられたかを淡々と記された点で感涙を禁じ得ませんでした。

バーコードが見当たりませんし、またネットで検索してもヒットしません。ご購入は、著書ご本人へか、または、以下、発行元まで

〒149-0071
東京都練馬区旭町1-12-21 ニチレン出版
TEL 03-3938-5347 FAX 03-5998-2641

216犀角独歩:2005/05/22(日) 11:46:37

― 身延山の開山は日蓮聖人、第二祖は日興上人、第三祖は日向上人です。日興が身延の院主に就いたのは歴史的な事実です。弘安7年(1284)の宗祖三回忌後、身延御廟輪番制がくずれ、同年冬、領主波木井実長の了解のもと、院主として日興は久遠寺に入寺し、翌年冬、登山してきた日向を学頭に任じ、正応2年(1289)の春、不幸にも身延を離山するまで、実質4年間、住持していました。現在の身延山では歴代から削られていますが、重須の日興門流と合併した今日、第二祖日興上人の復歴は当然のことと思いますが、どうでしょうか ― (日蓮考 P76)

こんなことを堂々と記す日蓮宗のお坊さんがいるのです。
この方の学者としての歩みもさることながら、実に立派であると感服します。

217犀角独歩:2005/05/22(日) 15:50:55

小野文著師『日蓮考』の読後感をブログにアップしました。
ご高覧いただければ有り難く存じます。

http://blog.livedoor.jp/saikakudoppo/archives/22745865.html

PS 彰往考来さんの推薦書を探してみようと思います。

218彰往考来(しょうおうこうらい):2005/05/23(月) 18:44:04
>214

訂正です。
北川健次著『「モナ・リザ」ミステリー 名画の謎を追う』(新潮社)の出版年は平成8年ではなく、2004年12月25日でした。

219彰往考来(しょうおうこうらい):2005/05/26(木) 19:57:55

ちょっと一休みを兼ねて。

レプリカですが七重の塔が日本にもあるのですね。愛知県蒲郡市の無量寺いう真言宗のお寺です。
ここは通称“がん封じ寺”というようです。“がん”はあの病気の“癌”で癌を封じ込めるご利益のあるお寺というのがセールスポイントです。
玄奘三蔵ゆかりの中国西安の慈恩寺の大雁塔(仏塔)を三分の一に復元した日本大雁塔(高さは20メートルのレプリカ)があります。
ご参考まで。近日中に拝観してくる予定です。

<ここを紹介したHP>
http://www41.tok2.com/home/kanihei5/muryouji.html

220犀角独歩:2005/05/27(金) 08:08:22

「日本では、五重塔以上の等は現存しない、建立したが皆倒壊した」とは、オフ会で、池上本門寺を散策し、あの地の五重塔を前にどなたかがなさったレクチャーでした。はて、どなたでしたか。

221彰往考来:2005/05/27(金) 12:30:40

>220

バレましたか。そうなんです。それでこれを見つけびっくりしたわけです。
これは中国の慈恩寺にいかないと見られないと思っていたものですから。

ただ、これは出所のあきらかな観光用のレプリカで、これをもって日本に
七重の塔が現存するとは言い難いのですが、なにはともあれ見てきます。

彰往考来

222犀角独歩:2005/05/27(金) 13:01:44
彰往考来さん

旅行記、楽しみにしております。

223閑話休題:2005/05/27(金) 23:15:42
はじめまして。普段ROM専なんですが、ちょっと気になったもので

どうでもよい話ですが、
>「日本では、五重塔以上の等は現存しない、建立したが皆倒壊した」
↓では、これはいかがなのでしょう・・・?
http://www.tanzan.or.jp/bunkazai-fm.htm
http://www.geocities.co.jp/Outdoors-Mountain/3471/tounomine.htm

224閑話休題:2005/05/27(金) 23:29:43
もう一つ。

>「日本では、五重塔以上の等は現存しない、建立したが皆倒壊した」
ですが、これは「木造で」という但し書きをつけないとまずいのでは?と思います。
というのも、日本には全国的に石造や焼物などで、
六重、七重・・・十重・・・十三重・・・など、いくらでも現存していますので。
でも、そうすると先のレプリカ七重塔は「木造」ではないので、
おかしな話になっちゃうんですけどね。(笑)

余計なツッコミの上塗りですみません。
どうでもよい話であることに変わりはないので、レスは不要です。それでは。

225犀角独歩:2005/05/27(金) 23:37:27

> 223

これはご紹介、有難うございます。
話題になっているのは、五重塔とは、いまでいう5階建ての、という意味です。つまり、屋根の枚数ではなく、実質的に各階に部屋がある重層構造の話です。

226犀角独歩:2005/05/27(金) 23:40:23

まあ、知己同士の単なる雑談ですから、そんな厳格な話をしているわけではありませんので(笑)

227閑話休題:2005/05/27(金) 23:48:33
>>225 >>226
はやりそういうことでしたか。
これは余計なくちばしを入れてしまいました。(汗)
お忙しいところ、お手数をおかけして申し訳ありません。

228犀角独歩:2005/05/28(土) 00:01:22

> 277

いえいえ、読み直してみれば、仰るような突込みをしたくなるようなやりとりでした。
どうぞ、ロム専などと仰らず、これからもご投稿ください。

229彰往考来(しょうおうこうらい):2005/05/29(日) 19:44:39

>223,224閑話休題さん、始めまして。

ご指摘のとおりで五重塔を越える塔は日本には現存しないというと、誤解を招くでしょうね。正確にいうなら“木造の層塔において五重塔を越える塔は日本には現存しない”としなければなりませんね。「層塔(多重等)は最も一般的な塔で、木造では三重塔・五重塔しか残っていない」(山岸常人『塔と仏堂の旅』2005年、朝日選書、108頁)とあるとおりです。
通常の多重塔は、軸部(柱のある部分)が高い層塔式(あるいは楼蘭式)です。内部は実際には異なりますが五重塔なら外観は五階建てにみえるということです。それに対して談山神社の十三重塔は、第二層以上の軸部が低く軒と屋根だけを重ねたような簷塔(えんとう)式ですので、上記の“木造の層塔において五重塔を越える塔は日本には現存しない”という定義であれば談山神社の十三重塔は外れます。談山神社のものは、日本の木造塔としては現存する唯一の簷塔式です。日本では簷塔式は非常に珍しく記録に残るものでも数基を数えるにすぎないそうです。
また、薬師寺の東塔は六重塔のように見えますが、屋根下の庇(ひさし)に当たる裳階(もこし)が極端に大きくされたもので、実際には三重塔です。
また『塔と仏堂の旅』(108頁)によれば、石造の層塔では、奈良の般若寺や宇治・浮島にあるような十三重塔が多数残されていますが、それらは二層以上の塔身のせいが低いので、簷塔式に分類するのが正確ということです。

なお、仏塔についてと題して駄文をまとめましたので、併せてカキコしておきます。

230彰往考来(しょうおうこうらい):2005/05/29(日) 19:45:24

仏塔について

仏塔は建築材料からの分類では、木塔、塼(せん)塔(煉瓦塔)、石塔に分けられます。そして木塔は日本、塼塔は中国、石塔は韓国というように三つの地域が材料の特徴を分け合っています。木塔は日本が主体で韓国には2基(雙峰寺、法住寺)、中国には山西省応県の仏宮寺釈迦塔(応県木塔)のみが現存しています。中国も南北朝(420〜589年)時代の塔は木塔で日本には飛鳥時代に伝わり唐代以前の様式しか日本では取り入れていません。それは本家の中国では西晋時代に木造の欠点である、耐久性、耐火性、対抗性を補うために塼塔が出現しているのに対して日本は一環して木塔であること、応県木塔のように唐代以降に展開された叉柱造法(上下階の柱が通し柱ではなく、下階の柱の柱頭の斗栱に柱を挿入して、固める構法)が日本に伝わっていないなど種々の点から唐代以前の様式しか日本では中国から取り入れていないといえます。また木塔のルーツとも思われる五重塔浮彫が大同の雲岡石窟(北魏時代、460〜520年)の第6洞にあります。(『五重塔はなぜ倒れないか』53頁,118頁) これらのことから木塔は中国から朝鮮を経て日本に伝わり、その後日本で発達したものと考えます。
記録によれば東大寺七重塔や大安寺七重塔、相国寺七重塔、法勝寺八角九重塔、大官大寺九重塔など日本でも七重や九重の塔がありましたが、層数は談山神社十三重塔を除くと
五重を越える多層塔としては奈良県の談山神社十三重塔が唯一現存しています。しかしながら、談山神社十三重塔は屋根だけを十三重に重ねた簷塔(えんとう)式と呼ばれるもので極めて特殊です。高さも16.9mです。
多重塔は木造の高層建築でありながら地震や台風に強いという特徴があります。(詳細は『五重塔はなぜ倒れないか』を参照ください)そのため多重塔が失われる原因は落雷や戦乱の兵火など火災によるものが大半です。ただ、記録によれば法勝寺八角九重塔は81m、東大寺七重塔は96mととてつもなく高く、現存する木造塔の中で最大の高さである教王護国寺(東寺)五重塔が54.6mですから七重や九重の塔はその倍程度の高さがあり、果たして耐震的に問題なかったかどうかは疑問です。事実「法勝寺八角九重塔も、建立そうそう寛治五年(一○九一)の地震による被害を受けた」(『五重塔はなぜ倒れないか』、139頁)そうです。
『日本の名景 塔』には現存する日本の仏塔の一覧表が集録されていて、それによると全国に414基あり、そのうち三重塔が183基、五重塔が69基、多宝塔が150基、残り12基がその他です。また国宝に30基、国の重要文化財に93基が指定(2004年7月現在)されています。『塔と仏堂の旅』(109頁)によれば、多宝塔は下層が正方形、上層が円形の塔身をもつ二重塔を意味するそうで、宝塔は塔身が円形の一重塔を指すそうです。『さがしてみよう 日本のかたち ④ 塔』(8頁)では、平面円形で四角形の屋根を持つ一重塔が宝塔、四角形の裳階(もこし)をつけて二重にしたものが多宝塔といわれるとしています。池上本門寺にも宝塔があります。池上本門寺には五重塔もあり、慶長13(1608)年の創立で重要文化財です。参考までに富士大石寺の五重塔は寛延2(1749)年の創立で重要文化財です。池上本門寺と富士大石寺以外の日蓮宗関係では佐渡市の妙宣寺に佐渡島唯一の五重塔があり、文政8(1825)年の創立でやはり重要文化財です。他の日蓮宗関係寺院での多層塔の有無は存じ上げていません。

<参考文献>
木下正史『飛鳥幻の寺大官大寺の謎』平成17年、角川選書
山岸常人『塔と仏堂の旅』2005年、朝日選書
森田敏隆『日本の名景 塔』平成16年、光村推古書院
『さがしてみよう 日本のかたち ④ 塔』2003年、山と渓谷社
上田篤編『五重塔はなぜ倒れないか』1996年八刷(初版同年)、新潮選書

231彰往考来(しょうおうこうらい):2005/05/29(日) 19:52:50

>230

“層数は談山神社十三重塔を除くと”の以下に“三重塔・五重塔が主流です。”
を追記します。

232閑話休題:2005/05/30(月) 02:27:28
>>229 >>230
せっかく一休みのおつもりでしただろうに、とんだお手間をおかけして、
申し訳ありませんでした。
仏塔に関しては、かねて関心があり、素人なりに色々調べておりました。
詳細にわたりご教授くださり、まことにありがとうございました。

233彰往考来(しょうおうこうらい):2005/05/30(月) 07:41:43


>232閑話休題さん

224でレスは不要ですとお書きいただいていたのですから当方
でまとめてみただけです。私も少々興味がありましたので。

昨日は一日、家庭菜園で汗を流しておりました。ご心配なく。

今後ともよろしくお願いいたします。

234犀角独歩:2005/05/30(月) 08:57:15

今回の彰往考来さんの塔のレクチャー、興味深く拝読しました。
参考になりました。

池上本門寺の五重塔は750の時、完全解体修理がされました。

http://www.honmonji.or.jp/01what/02keidai/goju.html

塔全体をプレハブで覆い、小さな窓がついていたのです。除くと解体修理が見られるので、時折、出掛けては覗いていました。

ある日、覗くと、なかはがらんどう。完全に何もなくなっていました。あれは京都本圀寺を訪ねた時、一面の更地になっていたのと並ぶような、インパクトのある光景でした。

プレハブが取り除かれた修理後の姿を現したとき、信者でもないわたしが安堵の気分に浸ったのは、単にご当地大田区民であるからなのか、自分の心情が理解できなかったものです。

姿を現した五重塔は、当然、いわゆる古色仕上げというのですか、建立当時の状態に戻さない「修復」であったわけです。
わたしは個人的には、造立当初の色彩に戻したものを見てみたいという欲求に、いつも駆られています。小さな模型でもいいですから、創建当時の色彩を施したものを置いてほしいと思ったりします。

なお、「池上本門寺にも宝塔」と記される所ですが、あの場所は本門寺の境内地なのですね。わたしはてっきり本行寺かと思っていました。いま確認したら、たしかに本門寺のサイトに載っていました。

http://www.honmonji.or.jp/01what/02keidai/hoto.html

大石寺五重塔。いまから思い出すと、好きな場所でした。石山のなかで一番、寺院ぽい空間かも知れません。

http://www.nichirenshoshu.or.jp/jp/taisekiji/buildings3.html

まるで余談ですが、現在、身延山久遠寺に五重塔建造計画が進んでいるそうですね。

235パンナコッタ:2005/05/30(月) 12:01:13
彰往考来さん、
日蓮宗関連の五重塔でしたら元和5年(1622)建立の中山法華経寺のが有名ですね。
また、明治43年(1910)建立の龍口寺のもありますし、石塔の小振りなものでしたら
各地に結構あるみたいです。

236パンナコッタ:2005/05/30(月) 14:34:13
すみません。1622年は元和8年です。石川県羽咋市の妙成寺の五重塔が元和4年(1618)
ですので訂正します。<(_ _)>
松戸の本土寺には平成3年建立の物がありますし、浅草寺の昭和48年再建の物もあります。

237パンナコッタ:2005/05/30(月) 14:59:57
またまた、すみません。浅草寺は聖観音宗ですね。ェ(__)ェ

238彰往考来(しょうおうこうらい):2005/06/05(日) 08:58:30

無量寺の七重塔拝観記

6月3日に愛知県蒲郡(がまごおり)の無量寺へ行ってきました。旅行会社が企画した観光の一環です。
観光バスが通れるのかと思うような狭い道をくねくねと通り、荷物降ろしのため道を占領していたトラックの運ちゃんにどいてもらって目的の無量寺につくと、眼前に七重塔がそびえていました。まるでコンクリート製の張りぼて。思わず笑ってしまいました。やはり多重塔というと東寺の五重塔などの壮厳さを思いうかべますが、石塔ではまるで背の高い土蔵で、ありがたみがありません。近づいてみるとドアはあるのですが、物置のような感じで中には入れないという代物でした。まあ、本家のレプリカですからしょうがないなあという感じでした。無量寺はガン封じが有名で住職のガン予防の話はおもしろかったですけど、ここは小さい観光寺でした。
なお、本尊の不動明王は“秘仏”で12年に一度酉年に開帳ということで、今年がちょうどその年だそうで、貴方たちは運がよいですよということでした。無量寺をあとにして、バスで宴会会場の三谷(みや)温泉へと向かいました。いやあ、宴会では二次会もあり飲みましたねえ。次の日は大阪へ向かい、新幹線の社内から東寺の五重塔を見ました。やはり本物のもつ重厚さはいいですね。

239彰往考来(しょうおうこうらい):2005/06/05(日) 09:11:03

増田孝著『書の真贋を推理する』(2004年、東京堂出版)を読みました。

第4章の「鑑定書の出現と功罪」 はちょっと面白かったです。
一般に鑑定料は相場の一割だそうです。そうすると、<相場>が高いのでかなりな金額になってしまうため鑑定をしてもらってその鑑定料を上乗せすると、廉く仕入れたものを廉く売るという良心的な商売はできなくなるということです。またぎりぎりのもの(「論理的には「ぎりぎり」という曖昧なのはあり得ない。言葉だけは存在するにしても、現実にはたいてい「善い」か「写し」か偽物のいずれかだ」(97頁))を鑑定家に持ち込むと彼も生活がかかっているので<善い>と鑑定すれば時価の1割が懐に入るのに対して<悪い>と鑑定すれば、鑑定料は手に入らなくなる。そうすると・・・、ということだそうです。これが、鑑定書というものがある意味胡散臭いものである理由です。

一言でいうなら、<悪い>ものを高く売るための道具が鑑定書なのだと、この本を読んで感じました。最近、相次いで蓮祖の御真筆御本尊が“発見”されたというニュースが流れましたが、此れもおかしなことで昔から存在はわかっていたのですから贔屓目にみても真偽未決(?)であったにすぎないものです。存在が明らかだったのに立正安国会の目録に入っていないことから、模写あるいは偽筆の疑いが濃いものともいえます。この“発見”された“御真筆”(?)に鑑定者が鑑定書を作成されたかどうか知りませんが、これらのケースでは鑑定というかお墨つきが必要となります。この2件とも同じ方が鑑定されているようで、きっと後世の人はこの人の鑑定結果を信用しないでしょうね。手元にある『大田区史(資料編)寺社2』(昭和58年、東京都大田区)を紐解くと伝・日蓮本尊には「宗祖日蓮大薩埵御真翰無疑者也」(1264頁)の如き怪しげな鑑定書がいっぱいあります。これと同じです。こういうものを有りがたがっていてはいけません。

第4章の「鑑定書の出現と功罪」では古筆鑑定に使う台帳として『慶安手鏡』を紹介しています。これは慶安4(1651)年初版で、古筆の鑑定台帳を木版で複製しようとしたもので編纂者は古筆了佐という人です。「古筆」さんは、古い筆跡の鑑定を職業とする家の名前だたそうで、初祖が古筆了佐です。
最近、私は仙台仏眼寺蔵の「飛び漫荼羅」を調査していますが、この漫荼羅が現れたのが、寛永13((1636)年(一説には正保4(1647)年)ですから、このころには古筆鑑定が商売として成り立っていたということで、当然当時偽物が多く出回っていたことになり、時代背景を理解する上で興味深い点でした。

著者が「真贋という点でいえそうなことは、書のニセモノを作るのは絵より遥かに容易だということである。書は紙と筆と墨さえ揃い、器用な人がその気になりさえすれば誰でもできる」(13頁)と指摘していたのが印象的でした。

240藤川一郎:2005/06/08(水) 15:15:18
浅草寺五重塔ですか?
浅草寺ですが伝承では推古天皇開基ですから、相当古いですね。
それをかの有名な天台宗、慈覚大師が現在地に移して伽藍を建立しております。
浅草寺が移ってきたから「浅草」と言う地名なのか、元々浅草だったのか2説あります。
しかしながら浅草寺が今のような有名になったのは「徳川家祈祷寺」になってからでしょう!
徳川家康は元々浄土宗だったので、芝増上寺を菩提寺とします。
そして菩提寺とは別に天台密教による祈祷寺を、浅草寺とされました。

この寺の本尊は「観音菩薩」ですが、一般に拝観できるのは「御前立御本尊」の方でして、本体は「秘仏」であります。
ところがこれが「御前立本尊」であることは近代になって発表したのです。
それまでは「御前立本尊=本体」となっておりました。
石山系統の方は他宗の研究をなさりませんが、究極の本尊が秘仏扱いなのは名刹古刹では当たり前だったようです。

241犀角独歩:2005/06/08(水) 18:04:10

> 240

なかなか意味深なご投稿でした。

242パンナコッタ:2005/06/10(金) 13:07:28
題経寺と勘違いして浅草寺なんて書いてしまったのですが、瓢箪から駒のようなご指摘、
藤川一郎さん、ありがとうございました。

244犀角独歩:2005/06/11(土) 20:45:51

執行海秀師の論文その他、わたしのHPを工事し、再アップしました。
ご参考に供してください。

佛教再考―犀角独歩
http://www.geocities.jp/saikakudoppo/

245吉祥仙人:2005/06/12(日) 05:57:02
 「興門教学への一考察」

 たいへん解りやすく、理論整然とはこの事かと驚いております。
 これを更に考察される皆様方には、かつての無礼をお詫び申し上げます。

246吉祥仙人:2005/06/12(日) 06:12:38
 「・・・・仏教内における一つの宗派としての教学ではない・・・・・
 新たな一つの宗教をうち立てようと試みている。」

 「切り文」とのご批判もあるでしょうが、この結論に向かって師が筆を進め
られているとすれば、よくよく熟読させていただこうと思います。

247彰往考来(しょうおうこうらい):2005/06/13(月) 07:30:10

>240 藤川一郎さん、
浅草の由来、参考になりました。

東京都には五重塔が9基あります。( )内は所在地と建立年。
① 旧寛永寺(台東区上野公園:寛永16(1639)年)、② 浅草寺(台東区浅草:昭和48(1973)年)、③ 本門寺(大田区池上:慶長13(1608)年)④ 光徳院(中野区上高田:平成7(1995)年)、⑤ 金剛寺(日野市高幡:昭和55(1980)年)⑥ 雲竜寺(八王子市山田町:昭和52(1977)年)、⑦ 日本閣八王子御殿山店(八王子市鑓水:昭和49(1974)年)、⑧ 延命寺(青梅市住吉町:昭和9(1934)年)、⑨ 福正寺(西多摩郡瑞穂町:昭和58(1983)年、このうち①と③が重用文化財です。(参考資料:森田敏隆『日本の名景 ― 塔』(平成16年初版、光村推古書院、115頁)

こうしてみると昭和以後の五重塔が9基中7基と相当多いことがわかります。これら昭和以後の7基は新しいため重用文化財の指定はありません。浅草寺は、「飛鳥時代、西紀六二八年頃の開創と伝えられ、都内最古の名刹」(白井恒『百塔紀行』平成17年、羽衣出版有限会社、46頁)とのことですが五重塔は、「三代将軍徳川家光の寄進により建立された五重塔は、昭和二十年三月連合軍の空襲に遭い、ほとんどの堂塔とともに焼失・・・現在の塔は昭和四十八年に鉄筋コンクリートで再建したもの」(同書、同頁)とのことです。
なお、浅草寺の本尊について白井恒氏は、「浅草寺の本尊の「網に掛かった観音さま縁起」は、静岡県にも瀬戸内方面でも数多く残されていますが、海の向こうからやって来た(流れ着いた)というのは、都から流罪となった貴族や高僧の持参仏だったという学説に、説得性があるように思えます」(同書、同頁)と紹介しています。詳細はよく解りませんが縁起との関係を調査してみれば面白いかもしれません。ただ秘仏となるとどうでしょうか。資料などないかもしれませんね。

248栴檀:2005/06/13(月) 17:27:37
独歩さん、こんにちは。

仏教再考の中の中の山上耕道さんて、「弘道」さんじゃありませんでしたっけ?

249藤川一郎:2005/06/13(月) 20:18:47
誤解があるといけないので!
浅草寺の観音様が秘仏なのは当然として、御前立本尊とて年中公開している訳ではありません。
浅草寺の御前立本尊は1978年に1ヶ月公開したきりで、今後も予定は決まっておりません。
その他の秘仏については下記が参考になるでしょう。

http://www.bunkaken.net/index.files/arakaruto/hibutu1.html

250犀角独歩:2005/06/13(月) 20:50:57

栴檀さん、ちょっと、お久しぶりです。
ご批正、有り難うございます。

251ラキ:2005/06/13(月) 21:47:22
藤川一郎さん。
秘仏てたくさんあるのですね。
年数日から、何十年に1回とか本当に公開日数が少ないと驚きです。
どこかと比べてしまうと・・・・(^^;

252顕正居士:2005/06/26(日) 05:06:34
川澄勲法門研究会補考

ここの「日蓮正宗関連HPリンク集」にある「川澄勲法門研究会」はしばらく前からサイトが消滅していました。
同サイトは復活していませんが、「川澄勲法門研究会補考」という新サイトがあるのを発見したので紹介します。

http://home.att.ne.jp/blue/houmon/

新サイトには川澄勲氏の著述以外に、日蓮教学、富士派宗学の理解に資する文章が多数アップされています。

最近、ここの掲示板では富士派教学よりも日蓮教学の話題が多く扱われるようになって来たから、富士派
(包括宗教法人は日蓮宗、日蓮正宗、日蓮本宗、単立)以外の僧俗の方の閲覧が増しているようであります。
富士派宗学は日蓮諸派の中ではもっとも特異な発達をして来たものであり、これの理解には日蓮宗宗学全書
に所収の文献では不十分で、富士宗学要集が必要です。同要集中重要の宗義や相伝の部は富士派の居士が
Webにアップされております。但し、入力の方法に非常に問題があり、文意を取れない箇所が多い。

http://nakanihon.net/nb/yousyuu/mokuji.htm

さてこの派の有名な教義である「宗祖本仏論」(この派のみにあるのではないが)の直観的な理解に資するのが
松本佐一郎著『富士門徒の沿革と教義』 中の「日蓮本仏論」です。この章がアップされています。宗祖本仏論は
元来が密の教義であったが、幕末明治期より次第に顕の教義になり、創価学会の出現後はそれがいっそうに
単純化し、現在の大石寺発行の初歩的教義書を読んでも理解が困難である。松本佐一郎氏は田中智学居士
の本仏本化同体論を用いて説明しているから、智学居士の教学を知る者には非常にわかりやすいとおもう。

サイトの主催者が私淑する川澄勲氏とは国学者、古文書学者である。同氏は富士派教学を神道から解説して
いる。一般読者には理解が困難とおもう。富士派と神道との密接性が感得されればこれは十分であるとおもう。

253顕正居士:2005/06/26(日) 17:04:39

御書システム

遺文を引証する場合、当該遺文の祖書学上の地位を知る必要があります。

現宗研文献資料
http://www.genshu.gr.jp/DPJ/database/bunken/bunken.htm
は真蹟存在、曾存と写本に分けてあり、最小限に有効です。ここの「写本遺文」には偽書に確定したものは
含まれていません。但し直弟の写本が存在するものから、偽書の疑いが濃厚とされるものまで種類がある。
興風談所から様々な機能がある「御書システム」が無償で提供されています。漢文和文ともに延べ書き前の
形もわかります。とりあえずもっとも有益なのは各書の祖書学上の地位が概説してあることです。


御書システム
http://www5f.biglobe.ne.jp/~goshosys/

まずデータベース桐をインストールする必要があります。現在体験版が無料です。

桐ver9体験版
http://www.kthree.co.jp/2seihin/5support/1download/1downloadkiri9/taiken.html

しかるのち御書システムをインストールします。

御書システムダウンロード
http://www5f.biglobe.ne.jp/~goshosys/down_ft.html

ショートカットはなぜか稼働しません。桐を立ち上げ、その後、桐のメニューより御書システム.CMDを起動
する必要があります。

254顕正居士:2005/07/06(水) 18:44:44
Stop the slander(誹謗を止めよ)
http://www.millerthought.com/stoptheslander/

日蓮正宗と創価学会の誹謗合戦は合衆国においても同時に発生しました。当時、合衆国はインターネットの
唯一の先進国であったから、Web上の誹謗合戦はその規模がわが国に劣りませんでした。
合衆国の事情はわが国と少しく異なる。顕正会はありません。正信会もほぼない。NST対SGIであったが、
いくらか顕本法華宗(の宗徒)が参加し、三つ巴になった。またNST、SGIのメンバーで、誹謗合戦に幻滅し、
両教団を去る方が非常に多かった。これらの方はIndependent Nichiren Buddhistと名乗るようになるが、
それまで日系人の宗派に過ぎなかった日蓮宗に移籍する方も相当に出た。

NST、SGI、INB、日蓮宗の有志が集まり、われわれはこういう誹謗合戦をやっている人たちとは違う者である
と宣言したのが上の文章です。そして、その際に発起者のMatt L. Millerさんが書かれた文章が次であります。

The Illness within Nichiren Buddhism or, Shoju and Shakubuku(日蓮仏教の病理、あるいは摂受折伏)
http://www.millerthought.com/stoptheslander/essay.html

日蓮正宗、創価学会、その他の勢力の間の相互の誹謗によって、「日蓮」の名が出るあらゆる言論が疑惑を
もって視られるようになりつつある。それどころか「法華」という言葉すら、負のイメージに化しつつある。
日蓮宗は優陀那日輝師以来、教学は「摂受」に確定している。ゆえに今日の大教団を成し、合衆国においても
自然に檀信徒があらわれた。誹謗合戦とは、これを要するに、闘諍を好む人民の煩悩に迎合して一旦の利養
を貪り、己れの宗の名誉を毀損し、良識ある者をも社会から疑惑せしめて、これを遠ざけようとの謀略です。

255豚でもない:2005/07/08(金) 14:54:39
創価学会および日蓮正宗系の「折伏」は、日蓮聖人の折伏の義を歪曲し、教団の勢力拡大に反対する者を「悪」として悪口罵詈、罵倒してでも潰すことは「正義」であると洗脳してきたことにある。それが、勢力争いのために、多くの醜い争いを作り出してきたのである。
このような間違った思想の者達へこそ、日蓮聖人の正しい折伏の精神は発揮されるのであって、その原因を「折伏」にあるとして、日蓮聖人本来の慈悲と受難の覚悟に基づく「折伏」の精神を打ち消してしまうなどは非常に愚かな事である。現代の日蓮宗において、教学は「摂受」に確定している等と言う物は皆無に近い。ただ、多くの者が怠けて偽善を気取り、現世利益を説いて来ただけである。

256犀角独歩:2005/07/11(月) 16:33:13

「『摂受本懐論』の今成師と『折伏為本論』の庵谷師に対して、小野師が『摂折妙用論』を述べるという三者三様の展開」澁澤光紀師がまとめる以下の文章は実に参考になりました。殊に澁澤師の「暴力」にテーマを絞った賢察は秀でています。

「摂折」論争 第二弾 今成説の徹底的検証
『日蓮聖人の摂折観をめぐって』
http://www.genshu.gr.jp/Local/Tokyo_W/kikanshi/No11/kj11_4.htm

257顕正居士:2005/07/11(月) 18:00:11
『議論のしかた』
http://iwatam-server.dyndns.org/software/giron/giron/index.html

「この文書を一番読んで欲しいのは、ネットの掲示板ですぐ「議論」を始める人です。その人達の多くは実際
のところ議論になんかなっていません。それは議論のルールを守っていないからです。
「議論は良くない」と思っている人にもこの文書は読んでもらいたいと思います。議論は本当は良いものなの
です。世の中のほとんどの議論が良くないものだからといって、議論そのものを否定しないで下さい。本当の
ところ、そうしたものは議論ではないのです。
もしネット上で困った「議論もどき」が始まったら、ぜひこのルールを教えてあげて下さい。ルールを守れない
人は議論に参加する資格はありません。しかしルールを守って正しく議論する分には許してあげて下さい 」

この文書はたいへん詳しく議論の心得を述べております。「議論とは人の意見を聞いて理解する場である。」
たとえ間違った意見であっても、なるほどそういう解釈があり得るのか、それならば自分が説明する際には
こういおうと智慧が増進します。掲示板はその議題について初心者であっても、ルールを守って参加するなら
敷居が低いものであってほしいとおもいます。そのためには議題については詳しくなくても議論の心得はよく
知っている必要があるでしょう。

わたくしは勝鬘経の摂折二門の説は社会生活上、実にもっともな事柄であると考えます。摂受と折伏は水火
のように異なり、決して混ざったりしません。たとえ間違った意見であっても、彼(彼女)がルールを守って発言
しているなら、落ち着いて聞くべきです。それが摂受とおもいます。対してルールを破る者に「議論のつもり」
で相手をするのは無益どころか、あらしの幇助になります。管理者が削除したり、アクセスを禁止するのが
折伏です。ルール(道徳)を守れない者に対して、何らかの「実力」を発揮して秩序を維持することといえます。
水火のように異なるとは、摂受の中の折伏だとか、そういう変なことはないという意味でなくて、何でしょう。

258ゆうじ:2005/07/12(火) 03:28:38
『正信覚醒の門』

http://speedstar.fc2web.com/

日顕上人の昭和五十四年から平成十三年に至る御大会での説法に対する批判
「日顕上人御説法『寿量品説法』破折」は読み応えがあります。

259犀角独歩:2005/07/13(水) 14:11:13

顕正居士さんご紹介のサイト、ようやくと読み終わりました。勉強になりました。
有り難うございました。

260きゃからばあ:2005/07/19(火) 09:36:05
NHK教育『視点・論点』「超常現象の心理的メカニズム」から 
信州大学助教授 菊池 聡

http://www.okayama-u.ac.jp/user/le/psycho/member/hase/yh-seminar/2005/Fukuda_50520.htm

菊池氏の本もおススメです。
特に『超常現象の心理学(人はなぜオカルトにひかれるのか)』(平凡社新書)本体660円

261パンナコッタ:2005/07/24(日) 11:27:01
彰往考来さん、蛇足ですが十重塔なんてのがありました。(^_^;
 http://www.okuuchi.com/awaji/

262犀角独歩:2005/07/31(日) 15:32:30

中国の嘘―恐るべきメディア・コントロールの実態
http://books.livedoor.com/item_detail&amp;id=538922.html

この本をお読みになった方、いらっしゃいますか。
是非、感想を聞かせてください。

「…報道統制は愚民政策の主な手段である
  報道メディアに対する政府の統制
  メディア従事者に対する二重の統制
  「内部文書」と情報の機密保護制度…
  情報封鎖と一部真実をまじえた偽情報作り」
                (目次から)

なんだか、どこぞの団体の会員操作とまるで同じだと思った次第。

263顕正居士:2005/07/31(日) 17:59:59
>なんだか、どこぞの団体の会員操作とまるで同じだと思った次第。

その本は読んでおりませんが、これは全く違います。独裁国家は物理的に言論を封鎖して来た。政府の許可を
受けなければ出版を行えないとか。中国共産党は今、経済の発達を至上の党是にしています。インターネット
を禁止することはできません。しかし、全く自由にこれが発達すれば、共産党の支配は近い将来に終焉します。
したがって党の延命のために自由主義諸国のサイトに接続できないようにさまざまな技術的工夫をしています。

欧米日本のカルト教団は言論を封鎖するいかなる手段も有していません。カルト教団の構成員も一般の国民
となんら区別なくあらゆるメディアの情報に接することができます。したがって自由主義諸国のカルト教団員は
みづからの意志で当該カルトの出版物のみを読み、当該カルトのサイトのみにアクセスするのであって、教団
はむしろそうした需要に応えているだけだとわたしは考えています。

264犀角独歩:2005/07/31(日) 18:09:59

顕正居士さん

わたしの指摘に対して、少し誤解があると思います。言論を封鎖するものの要因が、国家の場合は、外的要因を構築するのでしょうが、カルトと言われる集団の場合、これを内的要因として心理的に接種することによって可能にしています。

かつての学会、を含む石山系集団では、20世紀後半から21世紀の現在に至るまで、ただ2文字で自分たちに不都合の情報を信者自ら、自主的に封鎖する方法に成功しています。つまり「謗法」という2文字です。

265顕正居士:2005/07/31(日) 20:04:35
犀角独歩さん。

新興宗教に初代に入信する人は、彼がどんなトンデモないことを信じようが、自業自得であります。
ほんとうのカルトの問題は2世、3世の家族問題です。親の経済援助がなければ社会でのスタート
から非常に不利です。創価学会、ものみの塔、統一教会はこの段階に入っています。どのカルト
でも「謗法」の刷り込みがあり、これが親の子供への支配の背景になります。しかしそれは安易に
家族を支配しようという願望がまず1世信者にあり、教団はその需要に応えて教義を定めるという
面があります。親が子供に対して行う意味のマインド・コントロールは存在します。しかしカルトでも
専従者の意向は、次第に社会に適応し、楽に教勢を伸ばしたいのです。それが信者の方の需要
から難しい。宗教とは家族制度を容易に維持する為のソフトである性格が強い。今日、個人主義
に目覚めなければ、良い家族を営むことは出来ない。それには現代文明に適応する必要がある。
その努力をしない決意をした人々に対して、諸カルトが教勢を伸張する傾向が認められるのです。

「危険な原理主義の台頭〜なぜ日蓮系と福音派が伸張しているのか」
http://ecofarm.at.infoseek.co.jp/152-2.html

266パンナコッタ:2005/07/31(日) 21:52:50

独歩さん、
その本の作者 何 清漣氏のインタビュー記事。
 http://www.epochtimes.jp/jp/2005/02/html/d12076.html


なんだか議論が、かみ合っていないみたいですね。 独歩さんは中共の方針がカルトのMCと同類の物ではないか
との提示に対し、顕正居士さんは情報遮断の有無には明確な違いがあり社会学からカルトを分析されている。 

基本とする物が同じでも、ほんのちょっとした相違が後に全然違う結果を生み出す ー バタフライ効果 ここにありき、
みたいなやりとりですね。

267犀角独歩:2005/08/01(月) 09:22:34

顕正居士さん、有り難うございます。また、
パンナコッタさん、有り難うございます。

たしかに仰るとおりで、視点が違っています。しかし、ご呈示いただいた内容も十分に参考になりました。

268顕正居士:2005/08/03(水) 22:12:40
大紀元日本語版
http://www.epochtimes.jp/

集団脱党。二大疫病。日本ではほとんど報道されない中国大異変のニュースが読めます。

269さかなこ ◆dkkskTZWJk:2005/08/04(木) 00:36:33
大紀元って法輪功がバックになってるって本当ですか?
かなり反中共な記事を載せてますよね。いまいち信じられないような
内容も多々あったりするし。
法輪功って現在どうなってるのかよく分かりませんけど…

270顕正居士:2005/08/04(木) 01:24:51
明らかに法輪功が母体の新聞、サイトです。オカルトな記事はお笑いです。
法輪功は中国では最大邪教として徹底的に取り締まられています。何しろ
黄巾の乱、太平天国と中国では大動乱を新興宗教が起こしていますから。

271さかなこ ◆dkkskTZWJk:2005/08/04(木) 15:26:12
レスどうも。やっぱりそうだったんですね。法輪功がもっと頑張って
中国の民主化をバックアップなんてことはできないのでしょうかね。
隣国の様子がきな臭いのでちょっと怖いです。

272犀角独歩:2005/08/04(木) 15:55:36

さかなこさん

> 法輪功…中国の民主化をバックアップ

これは無理でしょう。なにせ法輪功は中国で邪教と呼ばれています。
この邪教というのは、翻訳すると、日本で言う CULT だそうですから。

273顕正居士:2005/08/05(金) 06:52:46
>>271

駐日中国大使館の 「法輪功」とは何か
http://www.china-embassy.or.jp/jpn/zt/xjflg/t62971.htm

大紀元のオカルト、予言などの記事も「逝っています」。
大紀元の共産党脱党の呼びかけが成功して、すでに脱党者が200万を越えたという(党員数は約7000万)。
中国共産党は虚報というだけで、詳しい反論はしない。海外の民主勢力は法輪功を応援している模様で、
第三者の論評が見つからない。しかし外交官の亡命も現に起こっているし、共産党の支配に大きな異変が
生じはじめているのは事実だと想像します。法輪功のカルト性から中国民主化の建設的勢力になれるとは
思えないが、打倒共産党の大きな勢力には成長しつつある。香港を除く国内では徹底的に弾圧しているの
にだから驚きます。

274犀角独歩:2005/08/05(金) 21:53:24

本日、朋友・Pohさんがご訪問下さり、「相談に乗っていらっしゃる方に薦めてください」ということで『心の傷を癒すカウンセリング366日』(西尾和美著/講談社)を贈呈下さったので、ご紹介します。

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4062562952/qid%3D1123246323/249-8130811-4393118

併せて、インド香 CHANDAN と、なんとサイババがプロデュースしたという SATYA SAI BABA NAG CHAMPA AGARBATTI をプレゼントしてくださいました。

ここのところ、憤懣やるかたない調子で投稿しているわたしに「まあ、落ち着いて」というやさしい心遣いと拝しました。「独歩さん、日蓮の弟子やっている」というご感想も謹んで拝聴しました(笑)

275さかなこ ◆dkkskTZWJk:2005/08/06(土) 00:41:51
法輪功ダメですか…。ちょっと期待してるんですけどw
確かに中共が崩壊したとしても法輪功が中国で活動始めたら
ヤバスなことになりそうですね。チベット問題とかどうなるんでしょう。
中共マジこわいです。

276犀角独歩:2005/08/07(日) 00:08:58

まるでこちらの掲示板で議論される内容とは関係ないのですが、最近、視力がどんどん落ちています。そこで、所謂、100均と言われるショップで、105円で適当な度の眼鏡を買ったのですが、これがけっこう使えます。ちゃんとあつらえたほうが良いのでしょうが、ちょっと細かい字を見たりするのには充分です。本でも、サイトでもないのですが、まあ、お薦めということです。

277ラキ:2005/08/12(金) 21:26:35
「メサイア・コンプレックスと新興宗教」
個人の方のHPのコラムなのですが、少し面白いコラムだと思ったので紹介させていただきます。

http://yukitachi.cool.ne.jp/column/c012messiahcomplex.html

同HPの宗教関係のリンク集なのですが、面白いリンク先があり、参考までに。

http://funkyz.jp/link/religion.html

278犀角独歩:2005/08/12(金) 22:12:24

> メサイア・コンプレックス

一瞬、何のこと?と思ったのですが、メシヤ・コンプレックスと外来語の片仮名表記では一般的です。

いのちの電話、斎藤先生のパネルを拝聴したことがあります。
主にキリスト教系の、本当に純情な女性が、強姦殺人される事件などで問題にされていった事例ですね。

ボランティアを馬鹿にする学会を含む石山系の功徳現世利益追求者には無縁の話と映じます。こんな事例に掛かるほど、日蓮本仏圏が進めば、まだ、救いもありますが、ほぼ絶望的です。

279犀角独歩:2005/08/12(金) 22:16:00



メサイヤ>メシヤ、救世主という意味です。
仏教でいえば、マイトレーヤ=弥勒
西欧では、キリストです。

皆さんが知っているブランド名でいえば、ミシュランです。

法華経の菩薩はこの影響かと言えるのではないでしょうか。
つまり、日蓮もメサイヤ・コンプレックスの人、池田さんも、浅井さんも、そうなのだと異文化圏の分析者はいうでしょう。

280彰往考来(しょうおうこうらい):2005/08/15(月) 09:40:40

北川健次著『「モナリザ」ミステリー』(新潮社)に出てきたリン・ピクネット+クライブ・プリンス著『トリノ聖骸布の謎』(1995年、白水社)を読みました。
“トリノ聖骸布”とは、「処刑直後のイエス・キリストの遺骸を包んだ埋葬布」(302頁)で、「亜麻布に血まみれの男性の全身像がうっすらと浮き出て」(同頁)いて「古くからキリスト教徒の崇拝の対象になっていた」(同頁)ものです。
しかしながら、誓書のどこにも像が刻印された埋葬布に関する記述がないこと、14世紀半ばにフランスで再発見されるまで空白があることなどから、中世の贋作説が強かったものです。
富士大石寺の戒壇の板本尊も、御書のどこにも板本尊の記述がないこと、有師の時代に忽然と現れるなど共通点があり、類似案件を追いかけている者として非常に興味深い内容でした。
同書は「炭素年代測定の結果・・・トリノの聖骸布は偽物だった」(21頁)というところから事実上始まります。「見ようとしない者ほど盲目なものはいない」(73頁)ということなのです。著者は聖骸布を本物と信じる人たちの主張を論破していきます。分析の結果、偽物だったというところからが出発点というのは考えさせられました。私は戒壇の板本尊では、分析して偽物と断定されればそれで終りと思っていたからです。

「ヨーロッパでは聖遺物は公式には崇敬の対象であると同時に、教会に莫大な富をもたらしていた」(59頁)そうですが、戒壇の板本尊も同じことです。そして「「聖骸布」はいくつもあったのかもしれない。今日のトリノの聖骸布はその何代目かにすぎないのかもしれない」(75頁)としています。戒壇の板本尊は4〜5代目と考えている私にとって、その類似点には驚かされました。

281犀角独歩:2005/08/15(月) 10:35:30

彰往考来さん

わたしもかつてこの“トリノ聖骸布”に興味を持った一人です。
仰る類似性はまったく同感で、特に偽物であると断定された段階から、次の言い訳が始まるのは、ここでの議論の展開と類型をなしています。

ここでの議論では、御前立本尊というところで、「たかが一般の信者辺りに本物を見せるわけはない」といった議論も含めて、相伝、秘伝は護られる心理構造は、いずこも同じです。

つまるところ、「信心で受け止める」という名文句は「教えられたように、言われたように、疑いなく信じるのが信心」と、人身操作は常套句を用意しています。

本物である、偉大なものであるという信じる心理は、要は自己の過小評価にあり、そのように偉大なものを信じることによって自画像を肥大化させることによってコンプレックスを解消することにあるというのが本質で、R・チャルディーニが「連合」(連なり合いたい)といい、「投影された栄光」と呼ぶ心理効果です。

「投影された栄光によくしたいという気持ちは誰にでも多かれ少なかれありますが、自分が観戦できなかったゲームのチケットの切れ端一枚を五十ドルで買うために雪の上で行列をつくった人々には、何か特別なことがあるように思われます。それはおそらく、家に帰ってから友人などに、自分がその偉大な勝利の場面に居合わせたことを『証明する』ためなのです。彼らは一体、どのような人なのでしょうか。私の推測が的外れでなければ、彼らは単なるスポーツ熱愛者ではなく、背後にパーソナリティの脆弱さが隠されている人たちです。つまり、否定的な自己概念をもっている人々なのです。こころの深層に、自分は価値が低い人間だという気持ちがあるため、自分自身の業績を高めて名声を得るのではなく、他者の業績との結びつきを形成し、それを強めることによって名声を得ようとしているのです。私たちの文化の至るところにはびこるこの種の人間は、実に多種多様です。有名人を友だちのように言う人たちは、その古典的な例です。ロック・ミュージシャンを追い回すグルーピーもそうです。彼女たちは、有名なミュージシャンとしばらく『一緒に』いたと友人に言いたいがために、自分の性的魅力を売り物にしているのです。どのような形であれ、そのような人々の行動には似たような主題があります。それは、物事の達成は自分が外部から得られるという、かなり悲劇的なものの見方です」(『影響力の武器』P238)

このチケット、またミュージシャンを求める心理構造と実は信仰心理は同一形態であることが知られるわけです。

要は、唯一最高のもの、唯一最高の人と自分は関係があるということで、欠損する自画像を埋め、大きく見える自分に満足するという「劣等複合」に分類される心理構造が、以上のような「お宝」と「指導者」信仰を生み土台になっているのでしょうね。

282パンナコッタ:2005/08/15(月) 11:23:14
彰往考来さん、
トリノの聖骸布に関して最近、また新たな動きがあったみたいですね。
 http://x51.org/x/05/01/3135.php
まあ、ニュースソースがアレなんで一蹴に値するもの(聖骸布は数カ所で検査されて、いずれもほぼ同じ結果だった)
かもしれませんが、『否定されつつある物でも、その時代に信念を持った信者が蒸し返す行動に出る』 という事は
ありえるんですね。  板本尊が今、科学的に否定されたとしても数百年後に「埋もれていた出世の本懐」などとして
復活もあるかもしれません。

独歩さん、
”お宝”の参考例として「東日流外三郡誌」の顛末を、
 http://www.asahi-net.or.jp/~ku3n-kym/tukuru/tugaru/tugaru.html
さらにその後、
 http://www8.ocn.ne.jp/~douji/wadake.htm

283犀角独歩:2005/08/16(火) 06:57:42

パンナコッタさん、ご投稿のジャンプ、読みました。
実に興味深い…というか、面白いものですね。
こんな調子で作られたものが、摘発もされず、いつか「事実」として語られるようになるというのは、仏教界、殊に富士門流では他人事ではないということなんでしょうね。

他でも書きましたが、わたしは学生時代、本門戒壇本尊が捏造していった張本人と居合わせたことがあり、まだ、若かったわたしは、この籍を蹴飛ばして、出ていく、言い換えれば、離反して終わりにした経験があります。

東京の大手デパート外商、会社社長、さらには創価学会大幹部まで巻き込んだこの大騒ぎは、その後、尤もらしい日蓮本仏、戒壇本尊、自称天皇を騙り、訥々と増えていく「お宝」には、しかし、そんなものに騙される人は、それでもいたようでした。

ただ、この人間のやったことは、何も目新しいことではなく、いつの時代にも繰り返されてきた、信仰という消費者ニーズに応えるための‘商品開発’のようなものなのでしょう。

この‘企画室’では、仏や、祖師を尊敬し、人々をひれ伏せさせるように見せかけながら、自分と自集団にひれ伏せさせるように巧みに操る詐術が常に用いられ続けてきたわけでした。本当に神仏、祖師を信仰する人であれば、決してできない贋作製作で、権威を創出していったわけですね。

火事で焼失したはずの文書が‘残って’いたり、燃えたはずの本尊や、盗まれたはずの御影像が今も、何故か今も安置されてあったり、そればかりか、日蓮その人があずかり知らない遺文、本尊が‘お宝’となっています。果ては、歯にくっついている肉が生きて汗をかき、成長し続けているとまで言います。それに文句を付ける「信心で受け止める」と、こう来ます。

人間というものは、弱い存在なのでしょうね。自分がいかに儚い存在であるのか実はよくわかっている。だからこそ、自分が永遠の存在でありたいという強烈な願望を懐く。さして大した存在でもない自分が、人に違って特別な存在でありたいという欲求を懐く。そんな弱さを支えるものが‘唯一絶対’‘世界最高’の、いやそれどころか‘宇宙を貫徹する’という法であったり、その唯一の体現者であったりするわけです。それが事実ではないということは、鎧のように、自分を大きく、強くしてきたかぶりものと装身具を剥かれた裸の、元の弱々しい、劣等感の塊に逆戻りすることになる、そんな畏怖から、信仰者は徹底して批判に過敏になるのでしょうね。

しかし、多分、シャキャムニの教えは、そのいちばん、弱い、裸の自分を見つめ、そこから、苦と恐怖を超える方途を示したものであったのであろうと思います。最も弱い自分が平安な境地になれる道筋と考え方と方法を占めそうとしたのがシャキャムニの教えであるという意味です。

けれど、そのシャキャムニを大いに賛嘆し、供養を捧げ、精舎は寄進し、死後は骨の奪い合いに腐心した‘信者’たちは、結局のところ、権力と富をどれほど有していたところで、やがて老い、病み、死に絡め取られていくという自然の摂理の前では他の一切の生類と何も変わらない弱い存在であり、その苦と恐怖の克服の修行をしなかった他の怠け者と同様、等身大、裸の自分から出発しなかったために‘お宝’に頼るしかなかったのでしょうね。

当スレは「お薦め」なので、続きは他の適当なスレで、ということで。


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